フラニーとゾーイー (新潮文庫)

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感想 : 332
  • Amazon.co.jp ・本 (238ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784102057025

感想・レビュー・書評

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  • 実際に読み終えた僕がそうであるように、「フラニーは自分だ」と思った人はたくさんいるだろう。けれども本当に大切なのは「自分は誰かにとってのレーンになってはいないだろうか」と考えるところにあると思う。この小説を読んで、「フラニーは私、私はフラニー」と酔っているだけの奴がいるのなら、そいつはきっとレーンだ。

  • 村上春樹訳で読んだ。
    学校にうんざりして、哲学とか宗教とかの本読むようになって、かぶれてしまったフラニーのような女の子は、これ読み終わるとハッと目を覚まして、現実世界を生きるようになること間違いなし。読むのちと大変かもしれないけど、頑張ってよめば、数少ない本しか残せなかったサリンジャーが、世界に残してくれた偉大な救いの物語だと気づくはず。サリンジャー好きになること間違いなし。

  • サリンジャーの作品は20台半ばまでに読んでおかないといけないような気がする.そうでないと,あの胸を締め付ける寂しさと悲しさと希望とが入り交じった感覚を味わえないように思う.本作はグラースサーガの中でも「ハプワース」と並んで大好きな本.思想的に大きく影響を受けた.

  • サリンジャーのライフワークだった「グラース家」にまつわる二篇。
    教育方針は各家庭によって様々です。とりわけ「神童」と呼ばれるグラース家の兄妹たちは生まれ持った資質や幼き頃からの教育の過程で、同世代の他者とは異なる視点や思想を持っていました。二篇を通し、グラース家の兄妹たちがそれぞれキリスト教や仏教、史記など多種多様な哲学や思想に多大に影響を受けていることが描かれています。その結果、「周囲との考え方のギャップ」と「現実の自分」と「理想の自分」の間で板挟みになるフラニーの苦悩が見て取れます。

    『フラニー』
    グラース家の末っ子で次女のフラニーが主人公。自分の高い自意識に悩むフラニーは、昼食中にボーイフレンドのレーンが青年らしい年齢相応の自己顕示や見栄っ張りな態度に疑問を持たずに過ごしていることに耐えられず思わず席を立つ。

    『ゾーイー』
    前篇『フラニー』の数日後。フラニーは自宅に戻り寝込む。心配した母親ベシーはフラニーのすぐ上の五男ゾーイーに助けを求める。
    ベシーとゾーイーとの適当過ぎるやりとりは軽快。ゾーイーは良かれと思いフラニーを励まそうと全力で話し掛けますが、上の兄弟の思想を見事に受け継ぎ頭の回転も早いゾーイーの話は右へ左へと逸れ、結局フラニーを混乱へと陥れます。ゾーイーの絡み方は最高にうっとおしいけれど、ここまで一方的だと面倒さを越えて笑っちゃいそう。

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    「カタツブリ ソロソロノボレ フジノヤマ」(一茶)
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    「ゾーイー?どうしてる、あいつ?」
    「どうしてるかっていうの?元気にしてるわよ。最高の状態ね。殺してやりたいくらいだわ、まったく」(P216)
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    ~memo~
    『フラニーとゾーイー』
    『大工よ、屋根の梁を高く上げよ』
    『ナイン・ストーリーズ(バナナフィッシュにうってつけの日)』

  • サリンジャーによる「フラニー」と「ゾーイー」連作二編を一冊にまとめたもの。グラース家7人兄弟の末っ子である女子大生フラニーと、そのすぐ上の兄で俳優のゾーイーをめぐる物語です。このグラース家はサリンジャーの連作物語に登場する一家で、全ての物語を読むことでパズルのようにグラース家の家族関係が徐々に明らかになるということです。(グラース・サーガ)

    「フラニー」では、フラニーとその彼氏のレーンのレストランでのやりとりが描かれます。二週間前までは気に留めることもなかったレーンの大学生の男の子にありがちなエゴや自己掲示欲、エリートとしての言動にフラニーは精神的ストレスを感じる様になっていました。フラニーもそれを露骨に態度に表すので、2人の会話は完全にすれ違っていく…。彼女がそうなってしまった背景には『巡礼の道』という一冊の本があるのですが、レーンに「それは何の本だい?」と尋ねられてもフラニーは「何でも無い」と言って逆に隠してしまう…。そしてついにフラニーは意識を失い倒れてしまいます。


    「ゾーイー」はその後日、グラース家でのお話。一家の母ベシィがフラニーを心配し、兄ゾーイーに彼女と話をするよう頼み込む。会話の中で長男シーモァの自殺が、フラニーの心に暗い影を落としているということが判明します。『巡礼の道』を読みふけり、祈りを唱える彼女。実は彼ら7人兄弟はラジオクイズ番組の幼いころからの常連で、兄弟全員が異常早熟の天才として描かれています。フラニーとゾーイーは幼少の頃から上の兄達に宗教哲学や東洋思想を植え付けられてきました。
    ゾーイーは説得する側でありながら、彼もまた他者と自我の折り合いに苦悩する若者なので、容赦なくフラニーに自分の考えをぶつけます。
    「もしそのイエスの祈りを唱えるのなら、少なくともイエスに向かって唱えろ。お前が今すがっているものは、イエスではない。亡くなったシーモァや、聖フランチェスコなど複数の人物を頭の中でごちゃ混ぜにした、漠然としたイメージに対して祈りを唱えることで楽になろうとしているだけだ」

    サリンジャーの作品はライ麦畑然り、若者が煩悶する描写が見どころ。他人や社会のエゴに対しての不満・疑心感から攻撃的になってしまう彼らに純粋さを感じます。とても綺麗で苦しい。フラニーは追い求める「神様」の答えを、生前シーモァの話していた「太ったおばさま」に見つけ救われます。ゾーイーの見事な説得を称えると共にこちらまで救われた様な気持ちになりました。

    手元にあった昭和44年角川書店発行本はZooeyの読みが「ズーイ」だったのですが、現在発行されているものは「ゾーイー」が主流の様です。

  • やはり、サリンジャーがすき。ゾーイーの方がすき。

  • なにか苦しんでるとき、しかもそれがこの本と同じような類のものだった時、なにかヒントになるかもしれません。サリンジャー作品で一番好き。

  • 私にとって心の絆創膏的な作品。

    若い魂が必ず直面する、いやらしい現実との衝突に戸惑い、それらを拒絶するフラニー。フラニーが当惑する様に、自分の面影を見ながら、ずんずん読み進めていった。

    いつの間にか開いた世界と自分とのギャップに絶望するフラニーに、兄ゾーイーがかける言葉とは???

    作者サリンジャーは、いつまでも子供の心(青年の心?)を持ち続けたのだと思う。
    読み終えたあと、美しい2つの魂に触れたという爽快感に浸れる名作です。

  • フラニーの悩みに共感して苦しくなるぐらい。
    でもきっとこの本を読んで共感する人はいっぱいいるはず。
    人間の心にすむエゴを狙い撃ちにしてる。
    フラニーのエゴは、実は誰でも抱えうるエゴで、そして誰でも抱えうるエゴを自分一人が背負っている気分になっている、そんな私のエゴに気がついた。

    でももっとすごいのは、物語自体がそれを容認しているところ。
    ゾーイという存在もそうだし、発する言葉も、文章も。
    泣けてきます。自分万歳。

  • あたしがアメリカ人だったらなぁと思うよ、本当に。
    イエス様だとか、イエス様をイエス様と呼ぶ文化のことだとか、
    仏教に関すること(抹香くさい、だっけ?)への認識だとか。
    なんかそーいったことのアメリカの空気を当たり前のように感じることができていたなら、随分と違った読み方が出来たんじゃないかと思った。
    端的に言えばですな、難しかったのですよ笑。
    でも、理解のできた「キャッチャー・イン・ザ・ライ」よりも、
    (私の中では)意味がふわふわしている「フラニーとゾーイー」」の方が、私は好きなのであります。

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