アンナ・カレーニナ(中) (新潮文庫)

著者 :
制作 : 木村 浩 
  • 新潮社
3.73
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本棚登録 : 1011
レビュー : 55
  • Amazon.co.jp ・本 (759ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784102060025

感想・レビュー・書評

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  • 中巻では本作の主要人物であるアンナ・カレーニナが夫と別れヴロンスキーとの恋に身を投じていく様子と、地主貴族リョーヴィンとキチイの結婚生活の誕生という2つの恋愛が並行して描かれていく。

    本筋を追うだけでも十分面白いが、特筆すべきは各登場人物が語る様々な社会・宗教・政治・経済等に関する思想の表出である。例えばキチイとの結婚生活の前にリョーヴィンが最も生産性の高い農場経営に関して思考を巡らす場面は、産業革命以前の段階の社会において、農業の生産性を高めるためにどのような課題を当時の社会が抱えていたのかということを知ることができ、ここだけでも一読の価値がある。

    そして、多様な登場人物の鋭い造形の中から、どこか読者は自分と近い価値観を持った人物がいることに気づかされ、さらに物語の深みへと誘い込まれる。

  • 中巻において、著者は小さな所作や何気ない会話を通して、個々の登場人物をじっくりと彫り出し造形していきます。悪く言ってしまえば物語全体の中でも特にチンタラした部分です。読むのに非常に時間がかかり、途中からは細部までの目配りはあきらめて、スピード優先ローディングにしました。

    途中あたりから薄々と感じられていた「護教」的ムードがいよいよ濃厚になり、トルストイの頑固で偏狭なモラリズムのようなものが、いつのまにかストーリー全体の基礎を固めていきます。このあたりはどうみてもキリスト教的で説教じみていて、読者にとっては合う合わないがあるかもしれません。

    わたしはたまたま聖書のお勉強中ということもあって、キリスト教と自己の関係についてのリョーヴィンの内面描写に共感したり、あるいはこれはピンと来ないなとおもったり、それなりに楽しめました。

    特に印象的なところは、たぶん皆さまも忘れてしまっているかもしれない挿話、画家ミハイロフとヴロンスキーのあいだで交わされるなにげない会話です。


    「それはですね、あなたのキリストは神人ではなくて人神だということです。そりゃ、あなたがその点をねらわれたのも、わかりますがね」
    「私は自分の心にもないキリストを、描くことはできなかったのです」ミハイロフは顔をくもらせて答えた。
    (…)「でも、これが芸術に与えられた最大のテーマだとしたらどうでしょう?」(P.578)

    さて、どうでしょう。そんなこともあるのかもしれません。

  • この作品は、誰を軸にして読むかでずいぶんと景色が変わってくるはずです。私はオブロンスキーが好きなので、出てこないと退屈で、出てくればちょっとだけわくわくします。「ちょっとだけ」というところが、オブロンスキーのよさです。軽薄な人物かもしれませんが、オブロンスキーがいなければ物語は流れませんし、こんな人物がいなくては、そもそも社会は成り立ちません。タイトルも、『オブロンスキーの優雅な日々』でもよかったのでは。

  • 第5編、ニコライの死からカレーニンの苦悩までたたみかけるような心理描写が続く。 ニコライをそのまま死なせてあげればいいものを一度快復させるいやらしさ。トルストイはきれい事ではすませない。それでも登場人物に対する優しさが感じられる。醒めた優しさ。

    リョービンの新婚生活の描写、カレーニンの苦悩、どれも自分自身がいつかどこかで感じたような気持が見つけられる。

    この小説、本当にすごい。

  • リョーヴィンはいい奴ってことだけは判った。

  • リョーヴィンの農村生活から結婚、アンナのお忍びまで。自由奔放ともいえるアンナがだんだんと落ち着かなくなってくる様子が見られる。子どもに対する愛情と、母親を求める子どもの気持ちが痛いほどはっきりと緻密に描かれていて読んでいてしんみりしてくる。かたや、幸せのリョーヴィンは対照的にキチイとの兄の死によって関係を深めていく。これほどまでに登場人物を深く描ききるトルストイは上巻に続きいくら賞賛してもしきれないほどすばらしい。

  • 2017.12.21 読了

  • アンナは夫と幼い一人息子の待つペテルブルクへ帰京するが、ヴロンスキーはアンナを追う。二人の関係は急速に深まるが、それを知ったカレーニンは世間体を気にして離婚に応じない。
    アンナはヴロンスキーの子供を出産後、重態となる。そこへ駆けつけたカレーニンは寛大な態度でアンナを許す。その一連を目の当たりにしたヴロンスキーはアンナを失うことに絶望しピストル自殺を図るが、未遂に終わる。その後ヴロンスキーは退役して、回復したアンナを連れて外国に出奔する。
    リョーヴィンは病気の癒えたキティと結婚し、領地の農村で新婚生活を始める。そして兄を看取ったことをきっかけに人生の意義に悩むようになる。
    (あらすじーウィキペディアより抜粋)

    ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
    前巻でキティにフラれて失意のリョーヴィンは、失恋の痛手を忘れようとするかのように仕事(農業;彼は地方の地主貴族なので)に没頭するのだった。時に自ら大鎌を手に取り、小作人の間に立ち慣れない草刈りに精を出す。作業をしている間は無心になれるから。純粋で善良で、頑固なリョーヴィンが哀れでなりません!それでも、キティ(愛する女性)の事を忘れられない彼。なんだか切なくて胸がキュンとしちゃいますね。
    ヴロンスキーに捨てられ(?)こちらも失恋中のキティは外国へ静養に出る。家族でのんびり温泉地で過ごすうちにキティは尊敬すべき女性と会う、彼女との邂逅で人間的に成長したキティはリョーヴィンに再会し、本当に愛すべき人はリョーヴィンであったことを悟る。
    恋しあう2人は不器用ながらもお互いの気持ちを伝えあい、晴れて結ばれることになった。
    なんて牧歌的な、素敵な恋愛物語なんでしょう///照れちゃうよ///

    一方、本作品の主人公であるアンナは…カレーニン伯爵との結婚生活に“愛は無かった”のだと、ヴロンスキーを愛することで虚構の結婚生活に気付き、夫に愛想が尽きてしまう。
    よく世間では、『男性の浮気は大抵遊びだけど女性の浮気は本気のことが多い』といいますが(私比)、愛に目覚めてしまったアンナ。夫に嫌悪感をもつようになり、ついにヴロンスキーと駆け落ちしてしまします。←非常に短慮な女だと思われかねませんが、この結論に至るまでに彼女の中では様々な葛藤があります。愛する息子に会えなくなる苦しみ、社交界での立ち位置はどうなってしまうのか、等々・・・読み手を強く共感させ同情させるトルストイの巧みな技巧^^; 不倫女だけど、アンナは聡明で、快活で、万人に魅力的な女性として映るよう思慮を尽くして描かれています。

    ヴロンスキーの子を産んだアンナは一時容体が急変し、死の瀬戸際に立つ。夫であるカレーニンは彼女の枕辺に駆け寄り、それまで抱いていた憎悪をすべて捨て去り、“2人(アンナとヴロンスキー)を許す”と伝える。

    (日本人には分かりづらいかもしれませんが、キリスト教を信仰する国ではカレーニンのような冷徹な男(彼はポーズとしてのキリスト教徒だった)の中にも本当の神様がいるのだろうと思いました。)

    しかしアンナの容体が回復したところで再びアンナとヴロンスキーは愛の逃避行へ…って、クズだな~!この2人…

    2巻はとにかくイベントが多く息するのも忘れるほどのスピードで読了しました・・・疲れた。

  • 2017/03/29-04/21

  • こんな人いるなぁと身近な誰かを思い浮かべたり、これはまるで自分だと見抜かれたような気持ちになったりする。

    リョーヴィンとキチイのパートは、自分には、へぇ‥と思わされるところが色々あり、一方、アンナやヴロンスキーやカレーニンのパートは、やり切れなさが募るばかりだけれど、そうなってしまうというのが何となく理解できてしまうのです。

    人間にとって不可避である死というものを強烈に感じさせられる。
    それぞれの心の中にも様々に表れてくる。

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著者プロフィール

一八二八年生まれ。一九一〇年没。一九世紀ロシア文学を代表する作家。「戦争と平和」「アンナ=カレーニナ」等の長編小説を発表。道徳的人道主義を説き、日本文学にも武者小路実らを通して多大な影響を与える。

「2004年 『新版 人生論』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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