- Amazon.co.jp ・本 (684ページ)
- / ISBN・EAN: 9784102060032
作品紹介・あらすじ
社交界も、家庭も、愛しい息子も、みずからの心の平安さえもなげうって、ヴロンスキーのもとへ走ったアンナ。しかし、嫉妬と罪の意識とに耐えられず、矜り高いアンナはついに過激な行動に打って出るが…。ひとりの女性の誠実、率直な愛が破局に向ってゆく過程をたどり、新しい宗教意識による新社会建設の理想を展開して、『戦争と平和』と両翼をなす、文豪トルストイ不滅の名作。
感想・レビュー・書評
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やっと読み終わりました。上・中・下巻、総計約1800ページ。偉かったな、私。でも、政治的な議論の箇所や哲学、宗教に関する考察の所は、難しくてかなりすっ飛ばして読んでしまいました。男と女の心理描写が鋭く深くて、読み応えありました。それとロシア革命が起こる前の時代背景……貴族の姿、農民の姿、都会の経済事情、田舎の経済事情などが詳しく書かれ、この時代のロシアの小説として、壮大な重厚な完成されたものでした。
こんな重厚な小説を読んだのに、おばさんが昼ドラを見たような感想で恐縮ですが……
・アンナが、ヴロンスキーと一緒になって、ヴロンスキーの愛情に固執してしまい、とにかくいつも自分と一緒にいてほしいと思い、ヴロンスキーの外出を嫌がる。いつでもヴロンスキーが他の女の人を好きになっているのではないかと嫉妬している。
→分かる〜。男の人は釣り上げた魚のことはどうでもいいかもしれないけれど、釣られた女のほうは固執するぞ。
「愛してる」と言われた言葉にいつまでもすがっている姿は醜いんだけどな。いつまでもその自信の中にいて、自分がどんどん締まり無くなっていくことにも気づかないんだよな。(身に覚えがある)
・リョービンがアンナに初めて会って、
アンナのことをびっくりするくらいの美貌であるばかりか、何とも性格も可愛らしく、知性もあり、しかも人と会話するにもその知性を決して嫌味にひけらかさず、気持ちよく会話が出来、しかもしかも、誠実さまで兼ね備えでいる人だと思って惹かれた。
→それをキチイが知ったら、ショックで死んじゃいそうだ。キチイはかつてヴロンスキーをアンナに取られて、その後リョービンと幸せな結婚をしたのに、そのリョービンまでが、アンナのことを美貌、知性、しかも誠実さまでキチイを上回っていると感じたのだから。
・アンナは自殺前、ヴロンスキーもドリィもキチイも誰も彼もが自分のことを憎んでいる、馬鹿にしていると被害者妄想に駆られていく。
→アンナくらい完璧な人でもそうなるんだ。ヴロンスキーと一緒になるために夫との間の息子も社交界も捨ててきたのだから、ヴロンスキーに愛されなくなったら行くところがない。本当に切羽詰まった気持ちだったんですね。
・リョービンは自分の子供が産まれたとき、「うれしいってことよりも、恐ろしくて、かわいそうな気持ちが先にたった」らしい。
→男の人は実はそう思ってるのかな。リョービンみたいな真面目な人だけかな?
・アンナみたいな完璧な人なら初めから“有力者”というだけでずっと年上のカレーニンと結婚させられなくても、恋愛結婚でいい人見つけられただろうに。
→それが貴族社会の習慣の歪んだところだったんですね。アンナもカレーニンも犠牲者ですね。でもこんなことを言ったら息子のセリョージャ君を否定してしまいますね。
あと、3巻を通してこの頃のロシアの「へえー!」と思ったこと。
・ロシアの男の人は女の人のことで深刻な三角関係になったとき、割と“決闘”という選択肢が普通に出てくる。
→決闘ってあのお互いなピストルを持って、互いに背を向けたまま近づき、合図で撃ち合うあの決闘です。チェーホフの作品を読んだ時も出てきて、「やりすぎやん」と思ったけれど、この小説でもカレーニン、ヴロンスキー双方が一度は考えるのでそれが普通であることに驚いた。
・ロシアの貴族は時々フランス語で喋る。
→フランス語が高等な言語と思われてたのかな?時々、言葉のニュアンスを和らげるために使ったり、召使いに分からないようにフランス語で喋ったり、子供の教育のために、家ではフランス語を喋ったしてるんですね。
・ロシアの貴族は借金まみれになるくらい貧窮していても、何人も使用人を雇っている。
→ロシアに限らず、近代の日本文学を読んでもそうだなと思いますが、ステイタスを落とすことは出来ないんですね。
広くて深い小説なので、もう一度じっくり読めば、得るものが何倍もあると思うのですが、多分、こんな長い小説、もう読まないだろうなと思います。-
私は若い頃、こんな長い小説、読むことも出来ませんでした。読んでたらもっと自分のことも客観的に見られたかもしれないですね。私は若い頃、こんな長い小説、読むことも出来ませんでした。読んでたらもっと自分のことも客観的に見られたかもしれないですね。2021/07/05
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2021/07/06
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2021/07/06
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劇的過ぎて言葉にならない。
凄い小説だ。
ヒロインをこんな目に合わせてしまうとは…
上巻のあの場面と重なる。伏線だった。
きっと一生忘れられない場面となるだろう。
アンナは不倫を押し通し、ヴロンスキーと暮らすものの疑心暗鬼になり、お互いを傷つけてばかりの毎日。精神的に不安定になる。
狭い貴族社会、退廃的な社交界の中で暮らせば、
道徳心や倫理観が偏っていくのかもしれない。置いてきた子セリョージャには執着するが、ヴロンスキーとの子には見向きもしない、アンナ。
孤独な彼女は、ますます狂っていく。
そして、死を意識し始める。
「あの人はもう私を愛していない。あの人のせい。
あの人をこらしめる…。」
一方、リョービンは、子どもも生まれ、キチィと共に田舎で暮らし農場経営に忙しいが、何故生きているのかわからなくなり、彼もまた死を意識する。
「神の為に生きる。」
労働者の何気ない言葉に答えを得て、生きる喜びに目覚める。
そして、日々の生活は何ら変わりなく、平凡に続いていく。
アンナとリョービン、どちらも死を考えるが、違う結末となる。
2人の対比がテーマだったのか。
信仰、労働者、階級社会、生きることの意味、幸せとは?上巻の草刈りの労働の場面が生き生きと描かれ、印象的だ。
ロシアの同時代の作家としてドストエフスキーと比較されるトルストイ。
主題は共通する。
私はトルストイの方が読みやすいし、わかりやすいと感じた。
次は「戦争と平和」だけど…
もうちょっと先で読もう。少し疲れました。
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アンナ・カレーニナ。これほど繰り返し読みたいと思ったことのある本は他になかったし、これから先も、よし現れたとしても片手の指で数えられるくらいだろう。こういう本は、言葉を尽くそうとすればするほど、説明に嵌まり込み、魅力から遠ざかる。
人が人を裁けない。この本のテーマの一つはこれだと思うし、トルストイが生涯を貫いて書きたかったことも、多分これだ。
不倫したアンナが鉄道で自殺をし、まっすぐなリョーヴィンが幸せな農村生活を送る。そんな単純な信賞必罰のために、大文豪が 2,000 ページも割くとは到底考えられないし、そうだとしても、せめて「リョーヴィン」と題したであろう。
もちろん、リョーヴィンの純粋で不器用な性格や、それがもっとも強く現れたキチイへの告白も大好きだ。けれども、アンナは死んだ後もトルストイの愛情を受け続け、物語の最後までどこかには必ずいる。平易な言葉でたたみかけるトルストイの筆致には、ふと帰りたく思わせる故郷のような暖かさがある。
人生の節目を迎えるごとに、6 度目 7 度目と、読むことになるだろう。 -
積まれることもありながら、5年かけて読了。
解説を読んで、著者やその本が書かれた当時のことを知って、より味わい深い本になりました。 -
ラブストーリーの巨匠トルストイによる世界文学史上最高傑作の誉れ高き不滅の代表作!青年士官ヴロンスキーと官僚の夫人アンナ・カレーニナは互いに惹かれ合う。その美貌と人柄から社交界でも人気のアンナにはつまらぬ夫と小さな息子がいたがヴロンスキーは攻める。そして2人は激しい恋に堕ちる。不貞を拒むアンナの心の移り変わり、破滅的恋愛の描写が見事だ。アンナがどれだけ魅力的なことか。しかしヴロンスキーは冷めていく。古い制度より個人主義が強まる社会をトルストイはこんな甘い話に重ねて書いたのだ。遂にアンナはヴロンスキーの元へ行く。しかし彼の臆病な自尊心と彼女の息子への想い、そして世間の目に愛はほころびを見せ始める。この話はもう1つの恋、青年貴族リョーヴィンと伯爵令嬢キチイの恋も並行して進む。ヴロンスキーに恋してリョーヴィンの申込みを一度は断ったキチイだが2人は改めて結ばれる。しかし一途なキチイに対してリョーヴィンもまた無駄な自尊心に苛まれる。この2組の恋愛を通して恋愛に関するありとあらゆる問題点が提示される。リョーヴィンとキチイはピンチを乗り越える。アンナは追い詰められて自死を選ぶ。抜け殻になったヴロンスキーは死ぬ為に戦地に向かう。愛の話はいつしか、宗教、政治と社会、民衆と個人などなど哲学的テーマを語り尽くす。リョーヴィンは考える。他人を愛せよという法則は理性が発見したのではない。なぜなら不合理だからだ。それを生んだのは知恵のまやかしだ、と。人間よ、何も考えずただ生きてあれというのが答えなのだ!
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息子を捨て、夫を否み恋人と出奔したアンナ・カレーニナは、幸せではありません
罪の意識があったから?不倫相手ヴロンスキーの情熱が醒めたから?
いえ、自分に誠実に生きようとしただけ、自我意識が強すぎたのです
もっと言えば、時代がのしかかっていました、現代でさえ「ガラスの天井」です
19世紀の宮廷文化ならなおさらです
しかし、トルストイさんの筆はすごいですよ
魅力的な美しいアンナの容姿を通して、まっすぐ生きようとして
ぶつかり悩むさまを克明に描き、爆撃のように胸に響きます
若いときに読んだ印象は、アンナの情熱的な恋はわかるけど
リョーヴィンとキチイの真っ当な恋に安心をしたものでしたが
やはり、主人公はアンナ・カレーニナ
現代に通じる普遍性を読み取れるということ
恋愛だけではありません、人間の自我をつぶされるということはどういうことかを
半世紀後に読んで、今回しっかり、深く感銘を受けましたね
さて、リョーヴィンの哲学的思索に強い思いを抱いていたわたし
最終章にありました「空色の丸天井」
宇宙は広大だと知っているけれども、自分の眼には青い空が丸い天井であると
つまり、神を信じる自分を意識するという・・・
わたし思いました、バチカンの青い天井絵を・・・
実際に行って観るものですね~、西欧の宗教の色濃さがわかります -
当時の巨大なロシア全土が描かれているのではないでしょうか。
そう思えるほどに、トルストイの描写はまるで大地のように平凡で詳細で多岐に渡っています。
モスクワ、ペテルブルクの社交界。県議会。農村社会。
また家族としては、
(おそらく当時の)平凡的な貴族のオブロンスキー家。
農村に重きを置くある種理想的なレーヴィン家。
(主人のレーヴィンは、アンナ以上の主人公として描かれています)
頭の固い官僚であるアレクセイ・アレクサンドロヴィチの支配するカレーニン家。
その瓦解に伴なうアンナとウロンスキーの夫婦とその子供。
この4つの家庭が描かれています。
トルストイが知り得るすべてを注ぎ込んだのでしょう。
それを体感するだけでも『アンナ・カレーニナ』は読むに値する素晴らしい大小説です。
だからこそ、アンナの存在は悲しい。
全ロシアを描くその中にいるアンナは、どこにいても必ず絶望に追いこまれ、生きていけなくなるのではないかと、そんなふうに仄めかされているような気がするのです。
(筆のノリとしても)実に華やかな社交界で、アンナは天才的な社交術と美貌で存在感を遺憾なく発揮します。
しかし彼女は躊躇ということを知りません。
ウロンスキーに恋したときの夜に見せた、瞳の異様な輝きに暗示されるように、彼女は破滅への道を突き進んでいきます。
この突き進み方が実にトルストイらしいもので、彼女の希望と絶望とが、実に巧みにというか、手のひらをくるくる反すように顕れるのです。
作品からは少し外れますが、トルストイは若い頃安全なルーマニアの参謀本部から、露土戦争の最前線に志願して従軍しています。より鮮烈な体験と感情を求めてのことのようです。
しかしこの『アンナ・カレーニナ』において、レーヴィンに露土戦争を否定させています。
さらにさらに、その後トルストイは『アンナ・カレーニナ』を振り返って、「あの頃の私は間違っていた」と後悔し、『光あるうちに光の中を歩め』等の寓話的な小説を書いていくことになります……。
と、このような心の移り変わりを、そのまま焼き付けたかのように、主人公のアンナだけでなく、トルストイの分身のようなレーヴィン、アンナの親友ドリーや、夫アレクセイ・アレクサンドロヴィチも、すさまじい勢いで心変わりを繰り返します。
それでもやはり一番自分自身に振り回されるのはアンナで、ウロンスキーと不倫関係にありながら、何度も何度も訪れる希望は、アンナ自身の軽率な行いと、やるべきことを遠ざける気質と、ヒステリックな想像力によって悪夢に変わります。
その結果……。
ひとつこの小説に希望があるとすれば、それはレーヴィンが悩み抜いた末に体得する、宗教的救いなのですが、彼はその内省のうちに一度もアンナを想起しません。
というのも、2大主人公といえるふたりが会うのは一度きりで、お互い大した印象も抱かずに済ませているのです。
レーヴィンなんか一度その社交術と美貌に魅了されたあと、振り返ってアンナのことを「わるい女」のひとことで終わらせています。
(ここでもすさまじい心変わり)
アンナはまったく、思想上でも救われずに終わります。
晩年、目に映るすべての不幸な人を救おうと奔走したトルストイに「自分は間違っていた」と言わせたのはこういうアンナの救われなさなのでしょう。 -
完成、完結の死であって欲しかった。これでは道徳的罰じゃないか。
こんな魅力的的な女性を、こんなふうに逝かしてしまうなんて。
もっともっと女王のようであって欲しかった。
と、読むのは浅い?
時代、国柄、トルストイが男性であること。それらが今の年齢の私に、納得できないものを与えるのか?
これじゃ、こんなんしたら、バチ当たるよ。てお説教されてるみたい。
だからって大きな声で肯定もできないんだけど。
愛すべき、もう一人の主役であるリョービンの道徳性は好き。
でも、愛し合ってるはずの二人の行き違いから起こる憎しみは、壮絶で深くて狂気で、その激しさは気持ちよかった。
ただ、出会って、あっという間に、あんなふうに結ばれてしまうのは、当時のそこの社交界が、そういうことを一種ファッションと捉えていたからか。
私としては、その過程こそ美しく丁寧に読ませてもらいたかった。
私のアンナ・カレーニナ、いつか書きたい。
源氏物語の六条御息所とともに。