アンナ・カレーニナ(下) (新潮文庫)

著者 :
制作 : 木村 浩 
  • 新潮社
3.80
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本棚登録 : 1023
レビュー : 75
  • Amazon.co.jp ・本 (684ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784102060032

作品紹介・あらすじ

社交界も、家庭も、愛しい息子も、みずからの心の平安さえもなげうって、ヴロンスキーのもとへ走ったアンナ。しかし、嫉妬と罪の意識とに耐えられず、矜り高いアンナはついに過激な行動に打って出るが…。ひとりの女性の誠実、率直な愛が破局に向ってゆく過程をたどり、新しい宗教意識による新社会建設の理想を展開して、『戦争と平和』と両翼をなす、文豪トルストイ不滅の名作。

感想・レビュー・書評

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  • 上巻・中巻と比べるとこの下巻は展開も早く、読みやすく、わかりやすく、最後にリョーヴィンの導き出した(あるいは何かに導かれてたどり着いた)「結論」じみたものも、それなりに納得することができたような気がします。

    長い長い中巻を通して、様々なエピソードを経てリョーヴィンとアンナの対には大きな距離ができていて、下巻に入ってからは完全に「勝負あり」といった雰囲気。アンナは随所でその俗物性をまき散らし、物語の最初の頃に描かれていた艶やかさは完全に色あせてしまう。

    「でも、あたしのことをどんなふうに、なんと考えていらっしゃるか、あなたはまだおっしゃいませんでしたわ。ぜひ、それを聞かせてくださいな。でもね、ありのままの自分をあなたに見ていただけるのが、あたしにはとてもうれしいんですの。でも、あたしはなによりも、自分がなにか証明をたてたがっているなんて、人さまから思われたくありませんの(…)」(P.166)

    どっちやねん。

    運命によって、また周囲の人たちによって、つまり自分ではコントロール不可能な外的要因によってアンナの内面に闇が差し込まれ止めどなく広がり、そして・・・という解釈も可能です。しかしわたしはそう考えません。アンナからは「悲劇のヒロイン」という言葉が似つかわしいような、そんな可愛げはとうに失われている。外ヅラが良いだけの本質的に下品なオバサンが、とうとう馬脚を現したようにしか見えません。

    事が終わり、「スッキリ」してしまうことの闇を問われているのかそれとも。

    それにしても長旅でございました。もうロシア文学は当分お腹いっぱいです。

  • 新潮文庫版は上・中・下の全3巻。
    アンナという女性の一生を描いた作品かと思っていたけれど、彼女を囲む全ての人物が主人公になりうるくらいそれぞれ個性があり心理描写が丁寧。登場人物たちの恋愛から見えてくる人間模様、葛藤、信仰、風習、さらには生きる目的までテーマは多岐に渡るものの冗長にならず没頭できる。
    真実の愛を貫いた先で待ち受けていたアンナとヴロンスキーに舞い込む悲劇。一時は失意の底まで落ちたリョーヴィンとキティの穏やかな家庭愛。対極のようで運命と決めつけるには安直、誰しもその心の傾き方でどう転がるか分からない危うさも秘めていたように感じた。

    「幸福な家庭はすべて似かよったものであり、不幸な家庭はどこもその不幸のおもむきが異なっているものである。」
    下巻まで読み終わった後、上巻の冒頭の一文に戻るとその言葉の重みが心にくるものがある。第三者としては耳にして愉快なのは後者。でもやっぱり自分も自分の周りも、特別なことがなくても前者でありたいと思う。
    また月日を置いて読み直したい。

    ~memo~
    上: 青年士官ヴロンスキーとアンナ・カレーニアの出会い。愛の無い夫婦生活に倦怠を感じていたアンナはヴロンスキーの熱い想いに強く惹かれていく。
    中: 世間体を重んじる冷徹な夫カレーニンの態度に苦しむアンナ、ヴロンスキーに想いを寄せるキチイ。そんなキチイに恋する地主貴族リョーヴィン。息子のセリョージャの誕生そして別離。
    下: 全てを投げ打ってヴロンスキーとの愛を貫くことにしたアンナ。ところが…。

  • 完成、完結の死であって欲しかった。これでは道徳的罰じゃないか。
    こんな魅力的的な女性を、こんなふうに逝かしてしまうなんて。
    もっともっと女王のようであって欲しかった。
    と、読むのは浅い?

    時代、国柄、トルストイが男性であること。それらが今の年齢の私に、納得できないものを与えるのか?

    これじゃ、こんなんしたら、バチ当たるよ。てお説教されてるみたい。

    だからって大きな声で肯定もできないんだけど。

    愛すべき、もう一人の主役であるリョービンの道徳性は好き。

    でも、愛し合ってるはずの二人の行き違いから起こる憎しみは、壮絶で深くて狂気で、その激しさは気持ちよかった。

    ただ、出会って、あっという間に、あんなふうに結ばれてしまうのは、当時のそこの社交界が、そういうことを一種ファッションと捉えていたからか。
    私としては、その過程こそ美しく丁寧に読ませてもらいたかった。

    私のアンナ・カレーニナ、いつか書きたい。
    源氏物語の六条御息所とともに。

  • 愛が高じて憎しみに変わる瞬間を初めて味わった相手が、ある夜私の首を絞めながら、こう言った。「お前は一度ちゃんと『アンナ・カレーニナ』を読んだ方がいい。」
    おそらく彼の期待に反して、私はこの名作が描き出す激しい愛や苦しみや人間模様にはさほど感化されなかった。そんな小説は山ほどあるし、激しさや騒々しさというものに少し疲れていたから。
    むしろ、死へ向かうアンナの内面の冷静さ・淡々とした描写が私の心に苦く染み入ってきた。
    本当に自殺してしまう人は、あれこれ騒いだり、葛藤したり、年月をかけてじっくり考えたりはしないのだろう。こうと思ったときにひとり静かに飛び込まなければ成し遂げられないことは、人生においてたくさんある。
    人は最終的には孤独で、静かで、寂しいものなのだ。小説を読んで、はっきりとものの考え方が変わった、そんな経験をしたのは、後にも先にもないことだった。

  • いかん、1か月半もかかった。しかも下巻は2日で読み終わった・・・。笑

    上中下巻で計約1600ページ。今まで読んだ本の中で一番ヘビーな本だったような気がする。

    色々なエッセンスが組み込まれていたので、箇条書きの体裁にします。

    ■概要
    ロシアの貴族、カレーニンの妻、アンナの不倫をメインとしながら、そのアンナを取り巻く人々の人間関係、思想、政治、宗教などに踏みこんだお話。

    ■恋愛について
    アンナは本当の恋愛を知らないまま夫と結婚し、子供を産むが、その後熱烈な愛を示してきた青年ヴロンスキーと恋に落ちる。
    紆余曲折ありながらもヴロンスキーと同居をするアンナであるが、本当の恋愛を知ったアンナは「恋の奴隷だ」と思った。
    常に恋愛のことを考えていて、どうやったらヴロンスキーの気を引けるのか、ということばかりを考えている。
    それがゆえにいじらしいところも見せてしまい、それと同時に俺からしたら「わがままだ」と思えるような様々なものへの欲求を見せる。
    このことが結局ヴロンスキーの情熱を冷ましていくことになる。そしてアンナはおかしくなって自殺する。

    本当に優雅な生活の中で、愛する男とともに暮らしていることに何の不満があるのか、俺には全く分からなかった。

    付き合っていくということはある程度自分も犠牲にしないといけない部分があるのに、困難な道を選んだアンナはあらゆる困難を「不幸」と呼び、嘆く。


    一方でヴロンスキーと結婚直前であったキチイは、リョーヴィンと結婚する。この2人はお互いのあらゆる部分を愛し、リョーヴィンなんて最初とまるで違う人間になってしまった。短気で冷血な部分があったのに、それがなくなって温かい人間になった。

    このコントラストが、非常に印象的。いうまでもなく、後者が理想だと思う。

    ここら辺を長々と、昼ドラ的に、描いているのがこの本の一つの大きな特徴だろう。



    ■思想について
    この本では、貴族が彼らの思想を議論するというシーンもよく出てくる。

    どのように国を治めていくのか、貴族はどうあるべきか、云々。

    1人1人のキャラクターがしっかりキャラづけされているだけに、この議論は面白い。高慢な考え方をする人がいかに多いものか。思想の面においては、俺は多くをコズヌイシェフに傾倒する。



    ■宗教について
    全8編からなるこの本のうち、第7編でアンナが死んでからの最後の第8編は宗教的なことに力点が置かれている。それはほとんどリョーヴィンの内面において行われるものなのだが、この結論が素敵だったなぁと思う。

    リョーヴィンの内面的充実は生活に根差したものであり、心の余裕もそれに基づくもの。最後にキリスト教徒以外の宗教を信仰する人への考察に至ったが、リョーヴィンはそれを放棄した。

    でもリョーヴィン、宗教の違いなんて、本質的にはないんだよ!って、伝えてあげたかった。



    ■文章について
    異様に登場人物の内面に踏み込んでいく文章は、衝撃だった。目まぐるしく変わる主語に内面。最初の方は完全に昼ドラを解説付きで見ている気分だった。

    だがそれも慣れてきて、登場人物の擦れ違いなどがリアルに描かれるための手法だと思うと、非常に心地よくて楽しかった!内面に踏み込んだ小説、面白いぞ!

    最後も内面で終わっていく!それも非常にすがすがしく!素晴らしかった!


    ■好きなキャラクター
    もちろんリョーヴィンです。彼の最初と最後の違い!
    妻を思いやる気持ち!
    時々見せる醜い内心!
    政治的センスのなさ!
    あさはかな考えと発言!
    最も人間的なキャラクターで、同情できて、愛嬌があった。彼の成長に乾杯!主役がリョーヴィンでもいいぐらいだ、俺にとっては。



    ■最後に
    色んな事が描かれすぎていて、何が主題なのかもよく分からない作品だったが、その独特な文章構成と人間ドラマと思想で、充分楽しめた。時間があるときに読んでみて損はない作品じゃないかな、と思う!今はすごく晴れ晴れとしている!(達成感からなのか、エンディングが気に入ったからなのか、両方なのか・・・。)

  • 冒頭の一文の膨大な注釈。
    心情描写の教科書。

  • やっと読み終わった。
    登場人物150人にも及ぶのと、あまり馴染みのないロシア人の名前で正直誰が誰なのかよくわかんないまま読み切った感ある。
    最後までヴロンスキーとオブロンスキーってどっちがどっちか会話の内容で判断しながら読んでた。
    トルストイが5年がかりで書き上げた作品。一度じゃ理解できないけど、また読もうとは軽々しく言えるボリュームじゃないですね。

  • アンナの結末とリョーヴィンの未来が対比された結末。アンナの行動は一見身勝手に思われたがリョーヴィンのくだりまで読んでいくとそれは神の意思でありおのずとそうなる運命だったと思えてしまう。ロシア文学は完成された作品が多く、人の内面を深く掘り下げて的を得た考えが行動に反映されていてとてもよい。

  • ページを繰る度に、徐々にアンナ・カレーニナの精神が追い込まれていく様子が浮かび上がっていき、冒頭の伏線が悲劇と共に回収される・・・。特に悲劇の直前のアンナ・カレーニナの独白と心理描写は、現代の小説を読んでいるかのような緊張感に溢れている。

    この手の古典は読むまでのハードルが高く、実際に物語に没入するまでにはその時代背景の違い等から、多少の時間がかかるのも事実。一方で、いざ最初のハードルを超えてしまえば、後はいざ物語の重力に身を任せていればただただ読書の快楽を味わえる。

  • 当時の巨大なロシア全土が描かれているのではないでしょうか。
    そう思えるほどに、トルストイの描写はまるで大地のように平凡で詳細で多岐に渡っています。

    モスクワ、ペテルブルクの社交界。県議会。農村社会。

    また家族としては、
    (おそらく当時の)平凡的な貴族のオブロンスキー家。
    農村に重きを置くある種理想的なレーヴィン家。
    (主人のレーヴィンは、アンナ以上の主人公として描かれています)
    頭の固い官僚であるアレクセイ・アレクサンドロヴィチの支配するカレーニン家。
    その瓦解に伴なうアンナとウロンスキーの夫婦とその子供。
    この4つの家庭が描かれています。

    トルストイが知り得るすべてを注ぎ込んだのでしょう。
    それを体感するだけでも『アンナ・カレーニナ』は読むに値する素晴らしい大小説です。

    だからこそ、アンナの存在は悲しい。

    全ロシアを描くその中にいるアンナは、どこにいても必ず絶望に追いこまれ、生きていけなくなるのではないかと、そんなふうに仄めかされているような気がするのです。
    (筆のノリとしても)実に華やかな社交界で、アンナは天才的な社交術と美貌で存在感を遺憾なく発揮します。
    しかし彼女は躊躇ということを知りません。
    ウロンスキーに恋したときの夜に見せた、瞳の異様な輝きに暗示されるように、彼女は破滅への道を突き進んでいきます。

    この突き進み方が実にトルストイらしいもので、彼女の希望と絶望とが、実に巧みにというか、手のひらをくるくる反すように顕れるのです。

    作品からは少し外れますが、トルストイは若い頃安全なルーマニアの参謀本部から、露土戦争の最前線に志願して従軍しています。より鮮烈な体験と感情を求めてのことのようです。
    しかしこの『アンナ・カレーニナ』において、レーヴィンに露土戦争を否定させています。
    さらにさらに、その後トルストイは『アンナ・カレーニナ』を振り返って、「あの頃の私は間違っていた」と後悔し、『光あるうちに光の中を歩め』等の寓話的な小説を書いていくことになります……。

    と、このような心の移り変わりを、そのまま焼き付けたかのように、主人公のアンナだけでなく、トルストイの分身のようなレーヴィン、アンナの親友ドリーや、夫アレクセイ・アレクサンドロヴィチも、すさまじい勢いで心変わりを繰り返します。

    それでもやはり一番自分自身に振り回されるのはアンナで、ウロンスキーと不倫関係にありながら、何度も何度も訪れる希望は、アンナ自身の軽率な行いと、やるべきことを遠ざける気質と、ヒステリックな想像力によって悪夢に変わります。

    その結果……。

    ひとつこの小説に希望があるとすれば、それはレーヴィンが悩み抜いた末に体得する、宗教的救いなのですが、彼はその内省のうちに一度もアンナを想起しません。
    というのも、2大主人公といえるふたりが会うのは一度きりで、お互い大した印象も抱かずに済ませているのです。
    レーヴィンなんか一度その社交術と美貌に魅了されたあと、振り返ってアンナのことを「わるい女」のひとことで終わらせています。
    (ここでもすさまじい心変わり)

    アンナはまったく、思想上でも救われずに終わります。

    晩年、目に映るすべての不幸な人を救おうと奔走したトルストイに「自分は間違っていた」と言わせたのはこういうアンナの救われなさなのでしょう。

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著者プロフィール

一八二八年生まれ。一九一〇年没。一九世紀ロシア文学を代表する作家。「戦争と平和」「アンナ=カレーニナ」等の長編小説を発表。道徳的人道主義を説き、日本文学にも武者小路実らを通して多大な影響を与える。

「2004年 『新版 人生論』 で使われていた紹介文から引用しています。」

トルストイの作品

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