光あるうち光の中を歩め (新潮文庫)

著者 :
制作 : 原 久一郎 
  • 新潮社
3.42
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本棚登録 : 932
レビュー : 105
  • Amazon.co.jp ・本 (153ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784102060124

感想・レビュー・書評

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  • 翻訳モノは苦手なんだけど読みやすかった。そんなに長くないし。原始キリスト教の教えを寓話っぽく説いた本、という理解でよろしいだろうか。

    正直言って説教くさい。キリスト教の素晴らしさを説く友人よりも、度々キリスト教に惹かれるユリウスを諫める医師のほうが理性的な気もしてしまう。私有の否定からはヤマギシを連想した。最近はシェアリング・エコノミーなんて言葉もある。

    世の中には酒・女・ギャンブルといった酒血肉林の限りを尽くした後に利他的(に見える)活動に没頭する振り幅の大きい人がいて、そういう人生には興味を惹かれる。ユリウスも振り幅が大きいけど、凡人は理性、道徳、常識に縛られるうえ、欲望の器が小さいからその振り幅が狭い。凡人としては、まずむしろ欲望の海に溺れることにあこがれる。できないけど。そして、ここに書かれたようなキリスト教的価値観に殉じることもできない。

    金、地位、名声、支配、暴力に惹かれる一方、愛と平和みたいなものにも惹かれて、その2つの価値観の間で引き裂かれてしまうのはよくわかる。冒頭でユリウスが人殺しをしてほとんど罪に問われてないけど、正直ひどい。最終的には愛と平和っぽい方向に行くけど、単に年取って欲望が枯れてそうなることもあるんじゃないか?あるいは、俗っぽさにどっぷり浸った後じゃないとそっちには行けないのかも。俗っぽさもやり尽すと、年を経て飽きるんじゃないか。若い時は愛と平和に沿った平穏な生活は面白くないのではないか。退屈さに耐えられないのではないか。気力体力性欲が有り余ってて、それを使わないのは難しい。

    人によると言ってしまえばそれまでだけど。

  • キリスト教に関して、所謂「入門書」にあたるような本は数多ある。掃いて捨てる程度のものから詳細に検討されたアカデミックなものまで、それこそ星の数ほどある。このような類書の氾濫は、非キリスト教圏に生きる現代人にとって、キリスト教への理解がどれほど喫緊の課題であるかを如実に示している。最近では大澤真幸と橋爪大三郎の共著『ふしぎなキリスト教』が講談社現代新書からベストセラーになるなどして話題を呼んだ。

    西谷修が『世界史の臨界』の中でフランスの法制史家であるピエール・ルジャンドルの論旨を汲みつつ指摘したのは、近代以降のグローバル化社会というのが漂白されたキリスト教社会に他ならない、という点である。植民地政策やそれを支える帝国主義的イデオロギーを通して、ヨーロッパ文明は続々とキリスト教を輸出し、千年王国の到来を期した。それは例えばウェーバー流の『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』であったり、「恋愛」というシステムであったり、より具体的には修道院に端を発する病院や大学であったりする。フーコーならここに『監獄の誕生』を加えるかもしれない。こうして漂白されたキリスト教は近代を構築しつつあらゆる社会制度に浸透し、現在も矍鑠と駆動している。要するに現代とは、聖書を読まず洗礼を経由しないキリスト教徒が地上に溢れる時代なのである。

    殊日本に於いて、この近代化は極めて円滑に作用した。遠藤周作が『沈黙』の中で「日本は宗教の根を腐らせる沼地である」と宣教師をして語らせているが、その沼地は輸入されて来たシステムが含むキリスト教的なドグマを徹底して腐敗させ、形骸化し、馴化しつつ飲み込んでいった。故に我々日本人一般は高度にキリスト教化された世界に暮らしつつ、享受してきた近代的な恩恵の数々をキリスト教に帰することをしない。この辺りの問題に関しては丸山眞男などが度々批判的に言及している。

    キリスト教をその理念の水準から知り、考える為に必要な要素を、老トルストイは小説という形式で簡潔に、そして見事にまとめ上げた。本書『光あるうち光の中を歩め』である。手元の新潮文庫版で100頁強という短さでありながら、2人の怜悧な青年同士の対話を通して原始キリスト教の様々な側面をテンポ良く提示しており、それぞれに象徴される聖-俗の対立は緊張感があり鮮やかだ。作中で主人公ユリウスをかどわかす悪魔を知的で老獪な医師として描く繊細なバランス感覚などは、いかにもトルストイらしい。

    敬虔なキリスト教徒である旧友パンフィリウスの存在は、この悪魔的老人の登場によって主人公ユリウスから急激に遠ざかる。本書における聖-俗の対立はキリスト教徒-世俗の人間という構図を取らない。キリスト教徒(聖-旧友)と対置されるのは悪魔(邪-老人)なのである。トルストイはユリウスに象徴される俗性を、明確な聖邪の狭間で揺れる流動性、不安定性として浮き彫りにした。それはそのまま多くの人間が普通に暮らすこの現実世界の流動性であり、不安定性でもある。

    パンフィリウスはキリスト教共同体における生活の理念、理想、目的を友に説く。ユリウスはその崇高さに心を動かされる。しかしその度に老人が登場し、極めて論理的にキリスト教が孕む欺瞞を痛撃するので、ユリウスはキリスト教ドグマと悪魔の入れ知恵に揺れる典型的な俗人としての地位を賦与され、読み手は彼の視点を拝借することでことの成り行き、論理の展開を冷静に傍観することが出来る。この辺りの構成は実によく計画されていて、トルストイの教義に対する真摯さが窺える。

    冒頭、『閑人たちの会話』と題されたプロローグが用意されている。そこで人々はキリスト者としての在り方をあれこれと述べ、議論するのだが、誰も彼も一切神への愛を口にしない。どころか、キリスト教の最も基本的で重大な教義を全く考慮せずに、不毛な結果論ばかりを弄しているといった具合で、ここには彼らを「閑人」としたトルストイの冷笑が通奏低音のように響いている。

    誤解を恐れずに言えば、このささやかな書評を読んでいる貴方も、僕も、ある意味では間違いなくキリスト教徒である。キリスト教への理解は時代への理解であり、それはまた時代からの、世界からの要請でもある。『光あるうち光の中を歩め』というのは、その要請に対するトルストイという巨大な才能からの、一つの解答だ。ぜひ参照されたい。

  • 放蕩息子が世俗での欲望追求と高みを目指しながら、精神の安らぎの世界にも魅かれる葛藤を問答形式で描く短編小説。本の著者紹介を読むと、自身の葛藤とその精神の終着を地でいくような作品であることがよくわかる。解説によれば短編ながらかなりの推敲があったようで、二転三転する主人公の心と重なり、本人の葛藤のほどを覗える。
    聖と俗のはざまで繰り返される宗教問答が会話の大半であるので、論理過多状態となって少々読みづらかった。
    ラストは著者自身の最後に行き着いた心情がよくわかる結末となっている。

  • キリスト教の教えが分かりやすい寓話で書かれている。有名な文句(「もし誰か汝の右頬を打たば、さらに左頬も差し向けよ」など)が話の流れで出てくるので、理解しやすい。
    ストーリーとしては、主人公がすぐに他人の意見に流されるので少しイライラする。あとキリスト教に行こうとするのを毎回止めにくるおじさんとエンカウントするタイミングがちょうどすぎて、ホラー的な怖さが。キリスト教について知りたい人、競争社会に疲れた人におすすめ。

  • ユリウスと一緒に「なるほど」と説得されながら読んだ。
    ユリウスも、パンフィリウスも、両極端な生き方。

    カトリック教会の性的虐待が問題になっている近年。
    思想や価値観は人それぞれだけど、何だかなぁ。

  • ライフハック大全繋がり。著者が折に触れてよく読むとのことで。ローマ帝国はトラヤヌス帝の頃。富裕で俗世の生活に浸りきり、何度かキリスト教徒の生活に加わろうとするが、その度に見知らぬ医者に論破され引き返すユリウス。子供の頃の親友で、若くしてキリスト教徒たちとの共同生活に入り、神の道を進むパンフィリウス。信仰生活に疑義を呈し続けるユリウス、それに逐一反論し筋道立てて神の道を説くパンフィリウス。キリスト教徒とその信仰は欺瞞にまみれていると説く見知らぬ医者。長い長いその対話を通じて、最後は信仰の道の素晴らしさを説く、と言う仕立て。/周りの誰も愛しておらず愛されていないと自覚したユリウス/暴力強制を認めず戦争や裁判機構を認めず私有財産を認めず科学芸術その他人生を軽やかな楽しいものにする一切を認めないのです、と説く医者/神々の意志と全人類の霊知をうって一丸とした自由な活動家、あるいはまた、一人の人間の言説に対する強制的な盲信のほうが頼りになるかをね、と医者/幸福とは何か/愛を語るに、家屋を合理的に堅牢に建てることができるのは基礎工事がしっかりしてるからだ、とパンフィリウス。/人間の本性とは?力に余る労役を課して奴隷たちを苦しめたり、四海の同胞を虐殺したり、奴隷にしたり、女を享楽の道具にしたりすることですか、と挑発するパンフィリウス/悪が消滅するのは、そこから必然的に生ずる自他の不幸を、すべての人々が理解した時、四海同胞の精神が実現されるのは、我々各個人が兄弟となった時/「光は世に来れるに、世の人々その行い悪しきゆえ、光より闇を愛したり」/真理を知れば自由になりますよ/

  • この時代の原初キリスト教の世界観は真理を説いていると思う。人間は動物的本能の為に我欲にとらわれ翻弄する存在であると同時に理性をも持ち合わせている。人間は理性により自我をコントロールし、他者を愛することができる。つまり、理性を使わなければ人間たりえない。今の世界は暴力に満ちている。
    俗世からユリウスが神の道に入り、兄弟達の為に労苦する生活の後、最後の一文に『肉体の死が訪れたのも知らなかった』とありました。
    つまり、神の道とは完全なる愛であり、自身の死の自覚すら眼中にない程他人の幸せに奉仕することにのみ喜びを感じることだと言うことがわかりました。私はこの資本主義の国に住み、子ども達に義務教育を受けさせ、他人と競い、上を目指して繁栄することが目標のように生きている。そして民主主義は暴力への道であることも言い過ぎではないと思う。果たして自分でも自分の住んでいる世界を本意とは思わないが、その中で如何に偽善ではなく神の道に近づくことが出来るだろうか。欲望を神が人間に与えたのは争いではなく愛のためにある事を忘れてはいけない。自分の懐が満たされてから他人に余りものを施してはいけない。自分自身の死すら忘れてしまうほどまず他人に尽くすことができればこの三次元で楽園が出現するのだろう。この最後の一文は『イワンイリッチの死』に通じるところがある。自分の私欲に駆られていると死は拒絶すべき敵であるが、生き甲斐が自分以外に向いてしまったらその瞬間から死は無くなる。人間が進化したら永遠に生きる存在になると言われていた意味がここではっきりとわかりました。宗教に属さなくてもそれは可能だと思う。
    個人が何を信じるかにかかっている。
    世の中を変えるのは大統領でもなく法律でもない、ひとりひとりの意識ひとつではないだろうか。

  • 自分が一番得をしようとしない、っていうのはクリスチャンじゃなくても大事な考えかも。
    初期キリスト教社会は理想的な社会主義の形をとってる(だっけ?)っていうのがよくわかった。

    これだけ無私を貫ければ集団としては機能するでしょう。
    足るを知る。
    ってのはヨガだっけか。

    失恋したら読もう。

  • 時代はキリスト生誕後100年の頃、舞台はローマの帝国支配下、キリキヤ国。幼い頃同じ哲学塾で共に学び、親友でもあった2人ユリウスとパンフィリウス。2人の宗教的な対話を通して、人生の幸せとは? 人は如何に生きるべきか? を問い掛ける。
     ユリウスは豪商。若い頃は、多大な借金を背負う程の放蕩生活を送る。壮年期には家業の経営を建て直し政治行政の要職にも就任。社会的に成功し、傍目には幸福な人生を送る成功者に見えるユリウス。だが、人生の幸福を実感出来ず、常に満たされぬ思いに捉われ、自分の人生に疑問符を抱き続ける。
     一方、パンフィリウスは、若くしてキリスト教に帰依(「原始キリスト教団」の時代の成員に)。隣人を愛すること、食べ物や富を人々に分け与えることなどを実践。貧しい暮らしながらも、精神的には満ち足りた、ゆえに幸福な生き方を実感してきた。

     ユリウスは、人生の節目節目で、“このままではいけない”と思い悩む。人生と生活を建て直そうと思うたびに、パンフィリウスのもと、キリスト教団の村に入ろうと決意する。だが、そのたびに、俗世の知者とされる人物から、キリスト者たちの生活と思想は“欺瞞”であると説き伏せられ、入信を翻意する。
     ユリウスとパンフィリウスの対話、キリスト教を批判する俗世の知者の批評が、繰り返される。キリスト者らの生き方は欺瞞だとする批評・批判。それに対する、パンフィリウスの穏やかなる反論が積み重ねられる。そして、老境に至ってようやく、ユリウスはキリスト者らが暮らす村に赴き、葡萄園で、ひとつの達観を得る。

     キリスト教の生き方は、欺瞞なのか、真理や幸福に至る道なのか。かようなテーマを巡る対話で、言わばド直球の宗教談義である。私自身は、キリスト教の価値観の是非について、真理を追求する動機も心情も無い。だが、ユリウスが自分の人生を振り返り、“オレの人生はこれでよかったのか”と自らに問いかけることには、共感の思いを強くした。人生の道半ばに至った身には、身につまされるのである。

  • 世俗の人の意見も、パンフィリウスの話も優劣ではなく
    どちらも同じことを言っている。
    今の人生に誠実になれ、と。
    歩んできた道の中で神の仕事を担え

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著者プロフィール

一八二八年生まれ。一九一〇年没。一九世紀ロシア文学を代表する作家。「戦争と平和」「アンナ=カレーニナ」等の長編小説を発表。道徳的人道主義を説き、日本文学にも武者小路実らを通して多大な影響を与える。

「2004年 『新版 人生論』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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