光あるうち光の中を歩め (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (153ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784102060124

感想・レビュー・書評

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  • 放蕩息子が世俗での欲望追求と高みを目指しながら、精神の安らぎの世界にも魅かれる葛藤を問答形式で描く短編小説。本の著者紹介を読むと、自身の葛藤とその精神の終着を地でいくような作品であることがよくわかる。解説によれば短編ながらかなりの推敲があったようで、二転三転する主人公の心と重なり、本人の葛藤のほどを覗える。
    聖と俗のはざまで繰り返される宗教問答が会話の大半であるので、論理過多状態となって少々読みづらかった。
    ラストは著者自身の最後に行き着いた心情がよくわかる結末となっている。

    • nejidonさん
      mkt99さん、こんにちは(^^♪
      トルストイ好きなので、こちらにコメントさせてください。
      最近お忙しいのか、とんとレビューを読めなくな...
      mkt99さん、こんにちは(^^♪
      トルストイ好きなので、こちらにコメントさせてください。
      最近お忙しいのか、とんとレビューを読めなくなって寂しい思いをしております。
      古典、洋書、時代劇、寅さん、その他バラエティに富んだ本棚をつれづれに眺めては楽しんでおりますが・・
      またぜひお待ちしておりますね!
      (何が言いたいかというと、読書の歴史という本をmkt99さんに読んでいただいて、そのレビューを読みたいのです・すみません腹黒くて・笑)
      以上、トルストイには一言も触れないコメントで失礼しました!(^^)!
      2020/07/04
    • mkt99さん
      nejidonさん、こんにちわ。
      コメントいただきありがとうございます!(^o^)/

      最近はなかなかレビューを投稿できず叱咤もいただ...
      nejidonさん、こんにちわ。
      コメントいただきありがとうございます!(^o^)/

      最近はなかなかレビューを投稿できず叱咤もいただきまして誠に申し訳ありません。m(_ _)m
      それでも1月に1~2レビューを心掛けているのですが、もともと遅読な方でもありこのペースでもちょっとキツイのが現状ですね・・・。(汗)
      それでもみなさまのレビューはときどき読まさせていただいておりまして、次はこれを読みたいなあとか妄想にはふけっている次第であります。(笑)
      ちなみに今年はフランス関連で迫ってみようと考えています。(^o^)v

      『読書の歴史』をご紹介いただきありがとうございます!(^o^)
      実は昨日、本屋でぱらぱらとめくってみたのですが、なかなか知的な面白そうな本ですね♪
      機会がありましたらぜひ読んでみたいと思います。(値段はちょっとはりますね!)
      またいろいろと面白い本や映画をご紹介ください。(^o^)
      どうもありがとうございました!(^o^)/
      2020/07/05
  • 青年ユリウスは、キリスト教徒としての清貧の生活に入っていった親友バンフェリウスの生き方に疑問を持ちながらも憧れを抱く。ユリウスは冨や欲望の渦巻く俗世間で成功を収めるが、自分の人生に疑問を持つ都度バンフェリウスのところに行こうとするが、出会った医師に説得され俗世間に戻ることを繰り返しながら、年月を重ねる。
    相容れない立場でありながらもユリウスとバンフェリウスが真摯に議論できるところとか、俗人であるユリウスが自分の思いを通せずに揺れるところなど、感じるものがあった。

  • 翻訳モノは苦手なんだけど読みやすかった。そんなに長くないし。原始キリスト教の教えを寓話っぽく説いた本、という理解でよろしいだろうか。

    正直言って説教くさい。キリスト教の素晴らしさを説く友人よりも、度々キリスト教に惹かれるユリウスを諫める医師のほうが理性的な気もしてしまう。私有の否定からはヤマギシを連想した。最近はシェアリング・エコノミーなんて言葉もある。

    世の中には酒・女・ギャンブルといった酒血肉林の限りを尽くした後に利他的(に見える)活動に没頭する振り幅の大きい人がいて、そういう人生には興味を惹かれる。ユリウスも振り幅が大きいけど、凡人は理性、道徳、常識に縛られるうえ、欲望の器が小さいからその振り幅が狭い。凡人としては、まずむしろ欲望の海に溺れることにあこがれる。できないけど。そして、ここに書かれたようなキリスト教的価値観に殉じることもできない。

    金、地位、名声、支配、暴力に惹かれる一方、愛と平和みたいなものにも惹かれて、その2つの価値観の間で引き裂かれてしまうのはよくわかる。冒頭でユリウスが人殺しをしてほとんど罪に問われてないけど、正直ひどい。最終的には愛と平和っぽい方向に行くけど、単に年取って欲望が枯れてそうなることもあるんじゃないか?あるいは、俗っぽさにどっぷり浸った後じゃないとそっちには行けないのかも。俗っぽさもやり尽すと、年を経て飽きるんじゃないか。若い時は愛と平和に沿った平穏な生活は面白くないのではないか。退屈さに耐えられないのではないか。気力体力性欲が有り余ってて、それを使わないのは難しい。

    人によると言ってしまえばそれまでだけど。

  • キリスト教に関して、所謂「入門書」にあたるような本は数多ある。掃いて捨てる程度のものから詳細に検討されたアカデミックなものまで、それこそ星の数ほどある。このような類書の氾濫は、非キリスト教圏に生きる現代人にとって、キリスト教への理解がどれほど喫緊の課題であるかを如実に示している。最近では大澤真幸と橋爪大三郎の共著『ふしぎなキリスト教』が講談社現代新書からベストセラーになるなどして話題を呼んだ。

    西谷修が『世界史の臨界』の中でフランスの法制史家であるピエール・ルジャンドルの論旨を汲みつつ指摘したのは、近代以降のグローバル化社会というのが漂白されたキリスト教社会に他ならない、という点である。植民地政策やそれを支える帝国主義的イデオロギーを通して、ヨーロッパ文明は続々とキリスト教を輸出し、千年王国の到来を期した。それは例えばウェーバー流の『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』であったり、「恋愛」というシステムであったり、より具体的には修道院に端を発する病院や大学であったりする。フーコーならここに『監獄の誕生』を加えるかもしれない。こうして漂白されたキリスト教は近代を構築しつつあらゆる社会制度に浸透し、現在も矍鑠と駆動している。要するに現代とは、聖書を読まず洗礼を経由しないキリスト教徒が地上に溢れる時代なのである。

    殊日本に於いて、この近代化は極めて円滑に作用した。遠藤周作が『沈黙』の中で「日本は宗教の根を腐らせる沼地である」と宣教師をして語らせているが、その沼地は輸入されて来たシステムが含むキリスト教的なドグマを徹底して腐敗させ、形骸化し、馴化しつつ飲み込んでいった。故に我々日本人一般は高度にキリスト教化された世界に暮らしつつ、享受してきた近代的な恩恵の数々をキリスト教に帰することをしない。この辺りの問題に関しては丸山眞男などが度々批判的に言及している。

    キリスト教をその理念の水準から知り、考える為に必要な要素を、老トルストイは小説という形式で簡潔に、そして見事にまとめ上げた。本書『光あるうち光の中を歩め』である。手元の新潮文庫版で100頁強という短さでありながら、2人の怜悧な青年同士の対話を通して原始キリスト教の様々な側面をテンポ良く提示しており、それぞれに象徴される聖-俗の対立は緊張感があり鮮やかだ。作中で主人公ユリウスをかどわかす悪魔を知的で老獪な医師として描く繊細なバランス感覚などは、いかにもトルストイらしい。

    敬虔なキリスト教徒である旧友パンフィリウスの存在は、この悪魔的老人の登場によって主人公ユリウスから急激に遠ざかる。本書における聖-俗の対立はキリスト教徒-世俗の人間という構図を取らない。キリスト教徒(聖-旧友)と対置されるのは悪魔(邪-老人)なのである。トルストイはユリウスに象徴される俗性を、明確な聖邪の狭間で揺れる流動性、不安定性として浮き彫りにした。それはそのまま多くの人間が普通に暮らすこの現実世界の流動性であり、不安定性でもある。

    パンフィリウスはキリスト教共同体における生活の理念、理想、目的を友に説く。ユリウスはその崇高さに心を動かされる。しかしその度に老人が登場し、極めて論理的にキリスト教が孕む欺瞞を痛撃するので、ユリウスはキリスト教ドグマと悪魔の入れ知恵に揺れる典型的な俗人としての地位を賦与され、読み手は彼の視点を拝借することでことの成り行き、論理の展開を冷静に傍観することが出来る。この辺りの構成は実によく計画されていて、トルストイの教義に対する真摯さが窺える。

    冒頭、『閑人たちの会話』と題されたプロローグが用意されている。そこで人々はキリスト者としての在り方をあれこれと述べ、議論するのだが、誰も彼も一切神への愛を口にしない。どころか、キリスト教の最も基本的で重大な教義を全く考慮せずに、不毛な結果論ばかりを弄しているといった具合で、ここには彼らを「閑人」としたトルストイの冷笑が通奏低音のように響いている。

    誤解を恐れずに言えば、このささやかな書評を読んでいる貴方も、僕も、ある意味では間違いなくキリスト教徒である。キリスト教への理解は時代への理解であり、それはまた時代からの、世界からの要請でもある。『光あるうち光の中を歩め』というのは、その要請に対するトルストイという巨大な才能からの、一つの解答だ。ぜひ参照されたい。

  • 某所読書会課題図書:ユリウスとパンフィリウスが人間としての生き方を議論するなかで、様々な命題を投げかけて読者をけむに巻く論説も出てきて、何度も読み返すことが多かった.ユリウスは普通の人生を歩んだ人と言えようが.パンフィリウスはキリスト教徒の共同体で清廉な生活を実践している.やや理想論がちだとは思うが、揺れ動くユリウスに対して、ある男がタイミング良く登場する構成は楽しめた.トルストイは初めて読んだが、哲学的な文章が嫌味なく現れるのは良いなと感じた.

  • トルストイの宗教問答を中心とした晩年の作品。
    うーん、晩年のトルストイの思想を表現してるんだろうけど、
    これほど長く無宗教的な日本で生きてくるとちょっとピンとこない。
    道徳の教科書的に言いたいことはわかるんだけど。。。

  • 素晴らしい本。トルストイの人生観が明確に出ている。

  • 自身の信仰について疑りぬいた先に描かれた、とても誠実で真摯な本だった。今月ベスト。自らをユリウスに重ねて読まずにはいられない。光のうちに行けるだろうか、いつか。

  • トルストイの晩年の思想をよく表している佳作。私有財産を否定する、アナーキズム的要素の強い原子キリスト教的価値観を主張するストーリーから、肉欲や功名心と言った肉体的な欲望に終始することで人生を破滅させていることを伝える。肉体的世界はあくまで他人の葡萄園なのである。そこで得られる葡萄は人のものであり、主のものであることを理解し、善業に務めるべきである。霊を満足させるために、勤労に勤しみ、人と物を分かち合い、質素な生活を勤しむという、原子的なキリスト教価値観が、現代のキリスト教的世界にどれだけ受け継がれて残っているのだろう。

  • 幸福とは何か考えさせられる本でした

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著者プロフィール

一八二八年生まれ。一九一〇年没。一九世紀ロシア文学を代表する作家。「戦争と平和」「アンナ=カレーニナ」等の長編小説を発表。道徳的人道主義を説き、日本文学にも武者小路実らを通して多大な影響を与える。

「2004年 『新版 人生論』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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