かもめ・ワーニャ伯父さん (新潮文庫)

  • 新潮社
3.64
  • (63)
  • (99)
  • (139)
  • (11)
  • (6)
本棚登録 : 1247
感想 : 105
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (251ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784102065020

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 2022.2記

    以下、ネタバレが気になる方はスルーください。

    「ドライブ・マイ・カー」の感動が冷めやらず、劇中劇として演じられるチェーホフの戯曲「ワーニャ伯父さん」を読んでみているのだが、翻訳が古くいささか難渋した。

    イメージだが、例えば「おい、イワン、あの娘すごい美人だな!」で済むところが、「じっさいどうだい、イヴァン・イリーイチ、あのむすめときたら全体、たいした器量良しじゃないか?」みたいなノリである。映画の中のあの自然な訳語は、なにか新しい翻訳版から持ってきたのか、それとも脚本家の力量なのか。

    それでも、「ね、ワーニャ伯父さん、生きていきましょうよ、長い、はてしないその日その日を、いつ明けるとも知れない夜また夜を、じっと生き通していきましょうね。」(新潮文庫p238)、からはじまるラストシーンでは映画と同様にやはり涙がこぼれてしまった。

    「今のうちも、やがて年をとってからも、片時も休まずに、人のために働きましょうね。そして、やがてその時が来たら、素直に死んで行きましょうね。あの世へ行ったら、どんなに私たちが苦しかったか、どんなに涙を流したか、どんなにつらい一生を送って来たか、それを残らず申上げましょうね」(同)。

    信じれば夢はかなう、というストーリーを皆が求めているのが今という時代なのに、このことばがこれほどまでに胸に訴えかけてくるのはなぜだろう、、、

  • 「ドライブ・マイ・カー」をネット配信開始にあわせて視聴し、気になったので読んでみた。チェーホフは「桜の園」を20歳前後のころに読んで以来。今回はミーハーな動機であったが、とても得るものはあった。

    前回チェーホフを読んで将来を夢見ていた自分も47歳(なんとワーニャ叔父さんと同じ)。ワーニャ叔父さんが自らの中に入ってきて、当時の自分からみて、いまの姿は満足いくものだろうか、これでよいのだろうかという思いが頭をもたげた。

    悲観も楽観も抱えて生きていく。最後のソーニャのセリフで私も救われた気がした。

  •  二作とも狭いコミュニティ内での話で、起きることといえば世間的には取るに足らないことしかなくて、誰も彼もありふれた不仕合せに蝕まれているからこそ、胸に迫るものがあった。

     恋と美しさは人を盲目にする。美しさを求める心は、それ自体で美しく、崇高なものではあるけれど、全てを破滅させてしまうかもしれない。

     チェーホフが以前の小説で語っていたという言葉も印象的だった。「現在の生の儚さ、現世への無常の思想は、人間の叡智の究極の段階ではあるが、それは同時に思索の停止点であり、青年がいたずらにそういう思想に耽ると自分の人生の豊かな色彩が失われ、無意味なものに思えてしまう。」
     辛くてもなんでもとにかく現実の生に向き合って耐え忍ぶことが大事だ、ということがとにかく強調されている戯曲だった。現実を信じれなくなったら破滅する。空想の世界へ逃れようとしても、苦しみは付いて回り、やがて破滅する。向き合って耐えることでしか、生きていけない。

     純粋な美しい感性を持っている、繊細な人間ほど破滅しやすいのが切ないな。結局それは弱さにもなるけど、俗悪さに塗れて大事なことを見失うよりは数倍いいと思ってしまう。トレープレフはそういう意味で一番好きな主人公だった。

     作者の人生観が如実に描かれているから、またなんか考えさせられる…。読んでいる最中は、楽しいけどあまり心に爪痕は残されないかな、と思っていたけど、非常に印象に残る作品だった。手にとってよかった。

  • 登場人物が頭に入らず
    相関図を書きながら読みました

    ワーニャ伯父さんに出てくるアーストロフの思想が心に残りました

  • ドライブマイカーにて主人公の家福が演出していたので気になり、読了。直前にバルザックの「ゴリオ爺さん」を読んでパリの豪華絢爛な空気に当てられたが本作は本作で非常にロシア的。イメージは常に黒い風の吹き荒ぶ冬。トレープレフもワーニャも結局は「なれたはずの自分」の幻想と自分のギャップに苦しみ続けた生涯だった。ドフトエフスキーにもショーペンハウエルにもなりたいと願わなかったソーニャが一番幸せなのだろう。

    かもめ
    ワーニャ伯父さん目当てで読み始めたが純粋な脚本の筋として観てみたくなったのはこちら。
    人生は一度きりだからと夢を信じて、突き進んだ若人たちが脆くも破れ去る様子をトレープレフとニーナ両面から描いた作品。ニーナは役者としても鳴かず飛ばず、トリゴーリンにも捨てられてと踏んだり蹴ったり。一方、トレープレフは文筆家としてはある程度成功しつつあると言うのもポイント。自身の成功の程ではなく、理想との隔たりで不幸を感じてしまうトレープレフの感受性の鋭さこそが彼のかかった死に至る病なのだろう。

    ワーニャ伯父さん
    ウォッカと噂話でしか時間をつぶせないロシア農村部の土臭い質感がありありと浮かんだ。
    確固たるミッションに向けて邁進する人生を歩んでいようが、無目的にただ日々を空費する人生だろうが平等に時間は進んでいく。死が救いになるほどの惨憺たる人生をそれでも歩んでいかなければならない。
    かもめほどの劇的なラストではないからこそ、よりリアルな人生を描いていると言える。

  • 映画「ドライブ・マイ・カー」の中で「ワーニャ叔父さん」はキーアイテムになっています。舞台での演出や演技を通じて、主人公の家福(西島秀俊)は自分を見つめ、自己再生に踏み出します。特に映画の終盤に演じられるソーニャがワーニャ叔父さんに語りかけるシーンは一生忘れられないシーンとなりました。
    「長い長い日々を、長い夜を生き抜きましょう。運命が送ってよこす試練にじっと耐えるの。安らぎはないかもしれないけれど、ほかの人のために、今も、年を取ってからも、働きましょう。そしてあたしたちの最期がきたら、おとなしく死んでゆきましょう」
    映画の中では「多重語演劇」で上演され、しかもソーニャのセリフは手話で語られます。
    このセリフを目で追いたい、声に出して読んでみたい、このセリフをもう一度味わいたいという理由だけで、新潮文庫版を購入。結果、読んで良かったです。
    ワーニャもソーニャも種類は違いますが絶望に陥ります。そして、絶望に直面した場合、人はどう対応すべきか?ソーニャの言葉は単純ですが、結局は最良の選択であり積極的な忍耐を導き出す言葉と思いました。

    この文庫は「かもめ」と「ワーニャ叔父さん」の2作品が収録されています。「かもめ」は女優志望の娘の悲恋を描きます。登場人物のほとんどが他の登場人物に恋心を抱いていて、その点は喜劇と思うのですが、ストーリー展開は悲劇の要素が強いです。その点、読んでいて少し混乱しました。特にラストの展開は唐突のような気もします。それぞれの登場人物の性格は非常に深く描写されているので、実際に舞台劇を見たら何かしらの感銘は得られると思いますが、戯曲を黙読するだけでは難しすぎました。
    一方、「ワーニャ叔父さん」は一気読みでした。「ドライブ・マイ・カー」を見ていたので、ワーニャへの感情移入が楽だったのだと思います。緊張感を持って読み進めることができ、最後のソーニャのセリフは十分に刺さりました。機会があれば、舞台を是非見たいです。
    実を言うと初めて読むロシア戯曲でしたが、どちらも面白く読めました。特に「ドライブ・マイ・カー」を見た方ならワーニャ叔父さん」は必読と思います。

  • 映画「ドライブ・マイ・カー」の中で、劇中劇として重要な役割を果たしていた「ワーニャ伯父さん」。
    そうとは知らずに、未読で映画鑑賞をしてしまい、鑑賞後、余韻に浸りたかったのか、どうしても読みたくなった。
    (因みに村上春樹さんの原作は未読)

    戯曲ということで、小説とはまた違う印象でした。
    ついつい、「ドライブ・マイ・カー」の配役そのまま、ワーニャ=西島秀俊さん、ソーニャ=パク・ユリムさんで脳内変換してしまった。
    但し、ソーニャは性格は良いが器量が残念…と描かれています。パク・ユリムさんはとても美しい方だったので、そこだけ違いましたが。

    お話しはネガティブながら「生きる」ことを描いた作品でした。
    辛くても死ぬより悲劇はないという、明るくはない終わり方でしたが、映画と併せてみると、妙に納得してしまう淡々さ。
    また、映画同様、異性に翻弄されていくさまも感じられました。

    思い出したのが「風と共に去りぬ」。
    これも辛くても生きていくというラストでしたが、
    スカーレットには強く強く明日を開拓していく!という気概を感じたけれど、ワーニャは、生かされている間は生きなければいけないという、静かな決意とも言えぬ心情。でも、ワーニャ伯父さんに生きなければならないと訴えかけるのは、姪である女性。
    自ら明日への希望を持って生きること、何もしなくても明日はやってくるという考え方の根本が異なるのかもしれません。

    男性、女性で単純に決めてしまってはいけないけれど、女性は切り替えというか、割切りとか狡さのような強さがあるなとか(男性よりその決断が早いだけなのか?)、映画鑑賞の後だと尚更そんな気がしてしまいました。
    せっかく生きるのならば、前向きだったり楽しい方が良いけれど、なかなか難しい。

    ※余談ですが「ドライブ・マイ・カー」好きな映画でした。賛否両論ありますし、村上春樹さんはあまり得意ではないのですが。

  • 「ドライブ・マイ・カー」を観たその足で村上春樹の原作とチェーホフを買って帰るといういかにもなミーハー仕草だが、絶望のなかにかすかなきらめきのあるような苦しみが、ものすごくよかった……

  • 帝政末期に書かれた2つの戯曲。描かれているのは、その時代にロシアに生きた人々。両篇共に終始一貫して暗く陰鬱なムードに覆われている。そして、この2作で語られているテーマもいわば同じだ。より分りやすいのは「ワーニャ伯父さん」の方だろう。彼を含めて登場人物たちの誰の恋も報われることはないし、生きていることの意味を積極的に見出すこともできない。ワーニャが語る「新規蒔き直し」が叶わないことは彼自身も観客も知っている。また、「かもめ」に象徴される圧倒的な孤独は、不条理であり、ドストエフスキーとの相通性をも感じさせる。

  • 生きるってことは辛いことだけど
    それを神様に認めてもらうことで救われる
    そんな話、嫌いじゃない

    古典だから難しい話なのかなって思ったけど、そうでもない
    暗く鬱屈とした出口の生活のなかで
    何にも希望を見出すことができない状態

    ただ『神様に「良く頑張ったね」って言ってもらえたら素敵だよね』と
    なんというか、かんというか
    そんな馬鹿な話、あるわけないだろうと最近まで思ってた

    でも冷静になって考えてみると
    神様に限定しなくても
    他の人に自分の存在を認めてもらったときは
    すごく気持ちが高揚する

    結局、人間って、社会的な生き物なんだなと実感させられる
    というか、考え直させられた

全105件中 1 - 10件を表示

著者プロフィール

一八六〇年、ロシア生まれ。モスクワ大学医学部を卒業し医師となる。一九〇四年、療養中のドイツで死去するまで、四四年の短い生涯に、数多くの名作を残す。若い頃、ユーモア短篇「ユモレスカ」を多く手がけた。代表作に、戯曲『かもめ』、『三人姉妹』、『ワーニャ伯父さん』、『桜の園』、小説『退屈な話』『六号病棟』『かわいい女』『犬を連れた奥さん』、ノンフィクション『サハリン島』など。

「2022年 『狩場の悲劇』 で使われていた紹介文から引用しています。」

チェーホフの作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×