- Amazon.co.jp ・本 (246ページ)
- / ISBN・EAN: 9784102068014
作品紹介・あらすじ
クロスカントリー競技会で優勝を目前にしながら走るのをやめ、感化院長などの期待に見事に反抗を示した非行少年スミス-社会が築いたさまざまな規制への反撥と偽善的な権力者に対するアナーキックな憤りをみずみずしい文体で描いて、青春の生命の躍動と強靱さあふれる表題作ほか7編収録。
感想・レビュー・書評
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ランナーは、孤独。
チームプレイは不要だし、走り続ける意志は、常に自分自身との戦いだ。原始的な肉体によるパフォーマンスの差異を競う。何のために走るかは自由だ。さあ、どんな話だろうかと予備知識無しに読み始める。
ショートフィルムのような短編集。表紙のデザインも一つ一つの翻訳もパンクロックを彷彿とさせる。どれも薄ら下層社会を覗かせるメランコリーな描写。社会との関係性がギリギリ繋がっているかいないかの世界で、ランナーは更に孤独に、社会性を自ら否定する。誰かの期待に応えるために生きるのではない。
感化院とは、日本の少年院みたいな場所らしい。そこで身体能力を見初められた少年。社会のレールから一度は外れたが、改めて大人の期待に沿って敷かれたレールに戻るチャンス。このレールを大人の都合で取り外されて、更に非行に走るのが日本のヤンキードラマのモチーフだが、これは逆パターンだ。無軌道さのアナーキズムを走る。しかし、無軌道だが、箱の中。ランナーは自由で孤独だが、しかし、世界は閉じているという皮肉。長距離走者の皮肉。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
ぼくはヒップホップが好きです。
ヒップホップでは、「リアルかどうか」が決定的に重要です。
現実のストリートをリアルに表現しているかどうかということです。
Bボーイたちは、ラッパーを「あいつはリアルだ」と祭り上げたり、逆に「全然リアルじゃない」などと腐したりします。
表題作「長距離走者の孤独」を読んで、ぼくは「リアル」だと感じました。
主人公の非行少年スミスは、感化院(日本でいう少年院)で院長から長距離走の才能を見出され、期待を一身に背負って競技会に出場します。
とんでもない速さでトップに立ち、後続をどんどん突き放してゴール目前まで来ます。
ところが、ゴールを目前に走るのを止めてしまうのです。
そう、感化院という権威に反抗を示すために。
ここにぼくは「リアルさ」を感じ、いたく感銘を受けました。
リアルな非行少年は、体制を転覆させようなんて野暮なことは考えません。
ただ、権威の顔に泥を塗って、してやったりと嘲笑うのが関の山。
しぶとく生きることのみを信条とし、更生なんてことは一切考えない。
スミスはまさに、そういう生粋の非行少年として描かれます。
それはある意味では純粋だということ。
そして純粋なだけに、権威者の偽善が浮き彫りになるという仕掛けです。
視点はスミスの一人称ですが、この語り口がまた、いかにも生粋の非行少年という感じ。
それなのに、むせるほどの文学的香気に満ちているのですから、長く読まれるのも分かろうというものです。
もっと早く出合いたかったなぁ。
「アーネストおじさん」も、忘れ難い短篇。
孤独な中年男が、行きつけのカフェに来ていた幼い姉妹に食事をごちそうし、やがて好きな酒まで止めて小遣いを与えるようになります。
そこに生きがいを見出したところで、官憲に眼を付けられ、あの子供たちに構うなと厳命され、これを断腸の思いで受け入れます。
最後はこの孤独な中年男が酒場でジョッキを注がれるシーンで終わるのですが、そのビールは「絶望」の味がしたことでしょう。
「レイナー先生」も中学校で教鞭を執る中年教師の淡い恋心がテーマなのでしょうが、ぼくは反抗的な態度を示した生徒をねじ伏せてしまうシーンに目を奪われました。
少年がたまたま中年男の自殺の現場に立ち会うことになった顛末を描いた「土曜の午後」も、フットボールの試合観戦から帰って来た夫が家族に乱暴を働く様子を描いた「試合」も、とても印象に残る短篇ですが、一番気に入ったのは「漁船の絵」。
妻が夫婦喧嘩の末に家を出て行きました。
主人公の男は、妻と2人で6年間暮らした家に1人で暮らすことになります。
その家には、漁船の絵が飾られています。
10年後、妻が戻ってきます。
随分としおらしい態度です。
男も穏やかに妻を受け入れます。
男と妻の、気恥ずかしげなやり取りが実にいい。
妻は漁船の絵が欲しいと云い、それをもらって帰って行きます。
次の日、質屋で男はその漁船の絵を発見します。
そんな話。
労働者階級のマザコンの男が裕福な家の出の女と結婚、やがて破綻して道を踏み外す「ジム・スカ―フィデイルの屈辱」もいいし、アラン本人が登場する「フランキー・ブラーの没落」もいい。
つまり、全部いい。
読んで損はないどころか、得るところ大な短篇集です。 -
20世紀中頃、イングランドの貧しい庶民たちの出来事が荒っぽい言葉遣いでつづられる短編集です。
(表題作のみ中編)
『長距離走者の孤独』
「おまえはほかの奴のことなんか考えず、おまえ自身の道を行くべきなんだ。」
窃盗の罪で感化院に送られた少年は院長の勧めでクロスカントリー競技に参加することになります。
ラストは映画『ロンゲストヤード』に影響を与えているのでしょうか。
主人公はマラソン走者だと思っていたのですが、クロスカントリー競技選手でした。
『漁船の絵』
「誰だって死んでいるのさ、とおれは答えた。実際死んでいるんだ。」
郵便配達夫によって彼の愛した妻との28年が静かなトーンで語られる一編。
本書でもっとも気に入った作品です。
『ジム・スカーフィデイルの屈辱』
「ぼくはだれでもジムのように、あまり長くおふくろのエプロンにぶら下がっていてはいけないと思うのだ」
貧しい人々が住む街に住む労働者のジムは母親の反対を押し切り、不釣り合いな気位の高い女性と結婚するのですが…
『フランキー・ブラーの没落』
「それは僕自身の大きな部分に別れをつげるようなものだった」
20歳を超えるにも関わらず子どもたちとつるむフランキーをこどもだった主人公からの目線で描きます。
主人公は著者と思われる人物であることが終盤に判明し、自身が属していた古い世界への郷愁を感じさせるとともに、貧しい生まれから作家となった作者の二重性がにじみ出ています。
ほか4編も合わせたいずれの作品も、貧しい労働者たちの人生を、悲哀とおかしさを感じさせるタッチで切り取っています。気になっている方は、一度読んでおいて損はないかと思います。 -
若者の反抗感というものは微妙なもののように感じている。
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誠実について考えさせられる
相手の望む誠実に応えることを「誠実」というのであれば、従順、迎合と何が違うのか
走って独りになる この孤独感 何も求めず求められない孤独の中でそのまま -
イギリス労働者階級の閉塞感を詩的に描く、なんていうふうにまとめてしまうこともできるだろうアラン・シリトーの短編集。表題作の長距離走者の孤独はタイトルは知っていたけど読むのは初めてだった。これも放送大学の授業の課題で読んだ。
もちろん全ての作品に作者自身の育った環境である第一次大戦から第二次大戦にかけてのイギリス労働者階級の生活が色濃く反映されているけど、単なる自叙伝的な回想ではなくそれぞれの作品が時代や環境から独立して普遍的な作品世界を作りあげている。
特に印象に残ったのは「漁船の絵」「土曜の午後」。人間感情の普遍性がまさに文学的に描き出されている。
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小学6年生、西暦1993年頃の時に読みました。父の蔵書だったのですが、案外、共感しました。読書感想文、これ読んで、なんか、三國連太郎とかと関連づけて、方向性の違いがどうとか書いた記憶があります。