- Amazon.co.jp ・本 (121ページ)
- / ISBN・EAN: 9784102071014
感想・レビュー・書評
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主人公が虫になって慌てふためくでもなく、落ち着いた状態で、理性的に話が進んでいくのが不気味で仕方なかった。
家族の側からしてみたら、毒虫がグレーゴルと分かっていなかったらすぐに駆除するなりしていたはずだからこそ、変身する前の記憶と親しみに基づく愛情が薄れてしまったときの虚しさが大きく感じられた。
今まで普通に接していた人の性質が後天的に変わることで、それ以前に受けた恩や愛情が一瞬ではないにしろ次第に消えていき忘れ去られてしまうことは、環境が変わることで以前の関係を断ち切ってしまいがちな自分に関係の無い話ではないと感じた。
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ある朝、男が目を覚ますと毒虫になっていたというのは言わずと知れた本書の冒頭である。
しかし、まあ、毒虫は、人間だった頃には一家を支えていた縁の下の力持ちであったにも関わらず、毒虫になった途端に家族から軽蔑され虐げられ、実の父からは万有引力の象徴たるリンゴを投げつけられる。最終的に埃まみれの物置部屋で死に絶え、あろうことか、家族は希望を再燃させる。
何という強烈なアイロニーであろうか。
話の大部分は暗くどんよりしているが、最終部は降っていた雨も上がり黄金色の陽光が差し込んでいるといった趣がある。私もああ良かったと胸を撫で下ろしそうになるが、ちっともまったく良いわけがない。雨降って地固まるといった感があるが、見てくれだけは整っているだけで実際に歩けばぬかるみに足を囚われる。
グレーゴルの無念を誰か晴らしてやってくれないのか。一寸の虫にも五分の魂というではないか。実際にはもう少し大きかったのだろうが。いやはや、想像すると鳥肌ものである。
ちなみに、この毒虫はGなのか百本の足がある多足虫なのかという議論があるらしい。うへえ… -
なぜグレーゴルは虫になってしまったのか。なぜグレーゴルは自分が虫になったことを冷静に分析できていたのか。なぜ妹はある時からグレーコルを「虫」として扱うようになったのか。なぜグレーゴルは自分のことゴミのように扱う家族に対して最期まで期待を抱けたのか。なぜ家政婦の女だけはグレーゴルの虫の姿を気持ち悪いと思わなかったのか。
虫になることは何を象徴しているのかー。
読み終わり、いろんな謎が頭に浮かんだ。ふとした時にその意味を考えてしまうだろう -
ネット社会の浸透で、家庭内、学校、職場あらゆる場所で、一緒にいるのに孤独感を感じ、対面でのコミュニケーションの悩みが急増している中、引き寄せられるように読んだ再読本。
人間は人間でなくなった時、思考さえ失っていくのだろうか。。人間とは何か。家族とは何か。人生において大切にしたいことは何か。
家族を想い、信じ、愛するということについて深く深く考えさせられる。
様々な解釈が可能な本。読後感は決してよくはないが、自分の求める生き方を探る上で、繰り返し読み返したい。 -
人間の本質に触れられる。
誰が家族を責められようか。 -
僕は僕であるのに他人からは僕ではなくなってしまった
よくある話を分かりやすく書いた話だと感じた -
不登校だった時の私と両親みたい。ザムザ可哀想。
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さまざまな解釈ができる中で、私は「人のためは、自分のため」主題に解す。昭和27年、常に問題は労働、家族にかかわる。
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誰も悪くないところが辛い
どうしたらよかったんだろう?
短い話なので登場人物の揺れ動く思いなどがあまり書かれていなくて余計に考えてしまう。
面白かった。