ドリアン・グレイの肖像 (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (428ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784102081013

作品紹介・あらすじ

舞台はロンドンのサロンと阿片窟。美貌の青年モデル、ドリアンは快楽主義者ヘンリー卿の感化で背徳の生活を享楽するが、彼の重ねる罪悪はすべてその肖像に現われ、いつしか醜い姿に変り果て、慚愧と焦燥に耐えかねた彼は自分の肖像にナイフを突き刺す…。快楽主義を実践し、堕落と悪行の末に破滅する美青年とその画像との二重生活が奏でる耽美と異端の一大交響楽。

感想・レビュー・書評

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  • 誰もが羨望する美青年ドリアンとその肖像画の話。画家が全精力を注いだドリアンの肖像画は、彼が悪行を行うことによって、醜い姿へと変貌してゆく。ストーリーとしては面白いが、主旨から反れていく場面がたびたびあるため、せっかくのところで興醒めしてしまった。

  • 名家で孤独に育った成人間近い美青年のドリアンは、懇意で彼を崇拝する画家バジルに肖像画を描かれている。ドリアンは彼の美貌を写しとった肖像画の出来栄えに、自身の分身だと満足する。バジルを介して知り合った妻帯者ヘンリーは、肖像の出来とドリアンの美しさを讃えながらも、いずれは誰もが醜く老い、そして老いれば何も残らないと厭世的な人生観を語る。ヘンリーの言葉に、ドリアンは自身の美貌が衰えていくことを想像して恐怖し、老いさらばえるのが肖像であってくれればと嘆く。次第にシニカルなヘンリーに感化されるドリアンは、ある日、美しい恋人のシビルをヘンリーとバジルに紹介する。しかしシビルはドリアンの友人たちを幻滅させてドリアンの怒りを買う。帰宅後に激昂したことを後悔するドリアンは、肖像画の異変に気が付く。

    話の筋だけを取り出せば短かい寓話のようにまとめることも可能でしょう。主要人物も上記で触れた四人以外では、シビルの弟ジェイムズが存在する程度とわずかです。大まかな展開は『ファウスト』を思わせます。叶わない願いを抱き願をかけるファウスト役がドリアン、ドリアンを頽廃的な思想に導くヘンリーはメフィストフェレス役、そして、オカルト要素を担うのがタイトルであるドリアンの肖像です。やや怪奇がかった寓話のような物語に、富裕な生活を頽廃的な耽美さをもって描き、そこにヘンリーの饒舌で背徳的な人生観が付加されることで、十九世紀のイギリスを舞台に妖しい世界観が醸造され、ドリアンが闇深い街を彷徨う情景が目に浮かびます。通読して、教訓を考察したくなる方も多いのではないでしょうか。

  • 今日、仕事帰りにTSUTAYAに寄ったんだ。DVDを選んでいたら、近くに20才前後のカップルが来たんだ。男は向井理みたいで、女は武井咲みたいだった。俺は、何となく二人をずっと見てしまった。ニヤニヤしながら。そしたら、「何見てんだ?」みたいに見られたんだ。その時、気付いたんだ。そういうジロジロ見てるジジイやババアはたくさんいて、かなり前までは俺もジロジロ見られてたけど、彼らの気持ちが分かったんだ。確かに、女の子の方はかなりの美人でかわいくてミニスカートに白い肌がエロかったけど、俺は断じて、いかがわしい気持ちで見ていたわけじゃない。俺はその時、こう思っていたんだ。

    「若さって、素晴らしいな」

    は?

  • 「もし『ドリアン』がいつまでもいまのままでいて、代りに肖像画のほうが年をとり、萎びてゆくのだったら、どんなにすばらしいものだろう。そうなるものならなあ!」

    画家がワイルドの前で発した一言がはじまりだった。

    この小説に登場するヘンリー卿の、人を惹きつける様な逆説と快楽主義の言説の数々は、この小説の大筋、すなわちドリアン・グレイの物語とは独立しているように感じられる。おそらくそれらはワイルド自身の言葉であり、彼はかねてからそれを何かしらの形で表現したいと思っていたに違いない。
    彼は画家の言葉に物語を思いつき、主人公に影響を与える人物としてヘンリー卿を設定し、その口を借りただけなのかもしれない。
    彼の言葉を読むだけでも、この小説は価値のあるものだと僕はおもう。

    「誠実な人間は恋愛の些細な面しか知ることができない。きまぐれな浮気者だけが恋愛の悲劇を知ることができるのだ」(p.33)
    「ぼくにとっては、美は驚異中の驚異だ。ものごとを外観によって判断できぬ人間こそ浅薄なのだ。この世の真の神秘は可視的なもののうちに存しているのだ、見えざるもののうちにあるのではない……」(p.50)

    その酔いも覚めやらぬうちに、物語はドリアンとその肖像へと主題を移していく。
    肖像画がドリアンの罪や堕落を代りに蓄積し年をとっていく、という(画家の一言に端を発した)どこかSF的な設定が、常人離れした美を持つ主人公の葛藤を描き出す。肖像画の表現も妙にリアル。

    「これはおれにとって良心と同じようなものだったのだ。」という、クライマックスの主人公の気付きで全てが線になった。
    シビルの死以降おもに表される、ドリアンが肖像画に脅えるさまは、まさに人が罪を犯すときに感じる「呵責」であり、
    彼がそれに繍布を被せて向き合わないようにし、挙句の果てには屋根裏に封印するのも、まさにそれが「良心」の象徴だからなのだろう。

    あと気になったのが、美の象徴たるドリアンが「美なるものの創造者」(序文より)である芸術家を殺す場面だ。肖像画にナイフを突き刺す最後の場面より如実に描かれ、『罪と罰』を髣髴とさせる凄惨さで、この小説において奇特に浮いている。
    もしかしたら、これこそ唯美主義、芸術至上主義者としてワイルドが一番描きたかった場面なのかもしれない、と少し思った。人は結局、美そのものにはかなわない。考えすぎかな……

    「芸術が映しだすものは、人生を観る人間であって、人生そのものではない。」
    序文の中でこの言葉が一番すきだ。個人的に。
    肖像画の中に映し出されたあらゆる醜さは、客観的に「罪」とされるドリアンの人生そのものでなくて(彼が犯した堕落や悪行は噂として語られるだけで具体的に描かれない)、それを主観的に見つめるドリアンのこころだったとしたら、彼はほんとうの意味で悲劇の主人公だなと思った。
    ヘッティ・マートンのくだりを読むあたりで、ドリアンの愚かさに誰もが気付くだろう。彼はその愚かさゆえに、自分がその過去を罪だと感じていることにさえ気付かず死んだのだ。

  • この本は展開性を重要視してはいない。
    神を棄て、美に溺れ、快楽の骨頂を得る為に、自身を滅ぼしていく。
    ―芸術家の在るべき姿。

     一言一言が美しいのだ。綴られた言葉の一つ一つが厳選された生花の様に、―それは月の蒼い光を帯び、或いは水滴を纏い陽光の下で煌めく。 全てが無機的でありながら煌びやかな七色の光を持つ、宝石の様な"生命体"だ。

    之がオスカー・ワイルドの、そして訳の福田さんの「協奏曲」への印象だ。

     あらゆる悲劇は美しくあれ―。其れは私が胎内から外界に触れた瞬間に、この二つの眼球を駆使して認識する世界の中で生まれた我が舞台を華やかにする、唯一の意義を齎す、究極の展開だ。
     死した知己に悲嘆し絶望に呑まれ、闇を知る自己の姿が、感情が、―安易に味わえない劇的な展開によって、突如として生み出されたそれらが、最も美しいものであると―。
     死んだ事実によって其の存在が最も映え、煌々と輝きを帯びて"生"を持つ。―それは何ら不思議なことでは無いではないか。

     快楽の逆は倦怠だ。
    あらゆる苦痛も快楽になり得る。倦怠に覆われた退屈のみが、最も忌むべき存在だ。

     この本は私の中で最高傑作の「絵画」だと認識したのである。―少なくとも、私が今まで出会った本の中では逸脱した芸術品、だ。

  • 全編通して逆説を言い続ける友達と、
    気に入った本を9冊買って違う色のカバーをかけ、その日の気分に合った色のを読むというくだりが良かった。

  • 1891年出版。ヘンリー卿の語録だけでも必見。言葉遊びとエッジだけでもう惚れる!

  • 最高の世界観。中身と外見と客観と主観。

  • 最後が怖かった。

  • ゴシック小説第2ブームの代表作(最初のブームの代表作は「フランケンシュタイン」)。もうプロットが大天才なんじゃ...天才であると同時にかなりシンプルなんだけど、しかしその肉付けがモリモリモリ...いやあものすごいものをよんだなあ...!

    「なにはともあれ有害な書物であった。あたかも香の強烈な匂いがこの本の頁にまとわりつき、頭脳を濁らせているかのようだった。」(p.247)この本もそうだと思う(笑)わたしにとっての新しい視点からの考え方をめちゃくちゃ吹き込まれた!でもそれが良いことなのかこの作品に関してはちょっぴりわからないのも事実(笑)

    オスカーワイルドの逆説は奇抜で常識に囚われてなくてほんと「美!」って感じで好きだけど、深くまで共感できなくてよかったってちょっと安心する部分もあるから(笑)まさに、「かれのことばは華麗にして奇抜、そして無責任きわまりないものだった。」(p.88)

    「言葉!ただの言葉!その言葉のおそろしさ!明晰さ、なまなましさ、残酷さ!」(p.45)この本の中の言葉たちに何度か殴られた気がする...そしてゾクゾクもした...言葉ってすごい。本当になまなましい。

    「一生にまたとないロマンスなどとは言わないほうがいい。わが生涯における最初のロマンスとでも言うのだ。」(p.102)オスカーワイルドの言葉って、"まあたしかにそうかも...たしかに当たってる...けど!本気でそれ思ってるの?!ハァ...!?"ってなることが多いんだけど、この警句?は唯一素敵だなって思った。

    これもすき。「部屋のなか、あるいは朝空のなかにふと認められた色合い、昔好きだったために、いまでも嗅ぐたびに妙なる思い出を匂わせる香水、かつて眼にふれたことのある忘れられた詩の一行、弾くことをやめてしまった曲の一節、いいかい、ドリアン、こういったものにこそ、人間の生活は左右されているのだ。」

    「この世に存在する精美なるものの背後には、つねに悲劇的な要素が宿っている。一輪のみすぼらしい花が咲きいでるためにも、世界は陣痛を味わわねばならない。」(p.76)まあこれも真理よなあ...こういうのがゴロゴロある...!!

    総じて、ヘンリー卿ほど美男子アイドルオタクに向いている人いないと心の底から思った(笑)

    2カ月前くらいから、生まれてはじめてアイドルにハマっているけれど、アイドルって偶像崇拝だから、ぐるぐる考えてしまうタイプのわたしには難しいなあって悩んでいるところ。もしわたしがこの作品の世界に生きているなら、ドリアンを偶像崇拝して身を滅ぼすうちの1人だな。しかも本文にすら載れないカットされる。まちがいないな。

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著者プロフィール

1854年アイルランド・ダブリンに生まれる。19世記末の耽美主義文学の代表的存在。詩人・小説家・劇作家として多彩な文筆活動で名声を得る。講演の名手としても知られ、社交界の花形であった。小説に『ドリアン=グレーの肖像』戯曲に『サロメ』『ウィンダミア卿夫人の扇』回想記に『獄中記』などがある。1900年没。

「2022年 『オスカー・ワイルド ショートセレクション 幸せな王子』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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