風と共に去りぬ 第5巻 (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (572ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784102091104

作品紹介・あらすじ

スカーレットの二番目の夫フランクは敗戦後の混乱のなか殺されてしまった。周囲の批難を意に介さず、スカーレットはついにレット・バトラーと結ばれる。愛娘ボニーも生まれ、レットはことのほか溺愛するが、夫婦の心は徐々に冷え、娘の事故死をきっかけに二人の関係は決定的に変わってしまう。メラニーは、アシュリはどうなるのか。物語は壮大なスケールにふさわしい結末を迎える!

感想・レビュー・書評

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  • 読み終わってしまった……
    読み終わったその日に朝ドラ「スカーレット」の俳優さん同士がご結婚とのニュースを知り、読了後の寂しさは忘れ、次は「スカーレット」があるじゃないかと思い出す。

    シンプルにスカーレットの人生に荒波がありすぎて、平和な時期なんて本当に一瞬、5巻の初めの章のみだった気がする。
    南北戦争の最中が縦軸なのだけれど、それが荒波のメインというよりは、戦後のスカーレットの人生そのもの、関わる登場人物の人生の波乱の方が圧倒的に大きいような感覚。

    戦争がもたらすものは、戦時中の苦悩だけではなくて、戦争が終わってからの再生、復興、取り戻すことのできない現実、取り残された人たちのもがき、後遺症が遥かに大きい。

    変わってしまったレットと、どうしても素直になれない2人の波瀾万丈な生活に、読み手はもどかしく、似たもの同士が過ぎると逆に上手くいかないんだな、と考えさせられる。

    とにかく1巻目からどんどんメラニーという人物が大きくなって、最終的にはメラニーが主人公でも良くないかとまで思わされるほどに存在感が増してくる。


    スカーレット…本当に人を見る目が…ない!笑


    解説にもある通り、トルストイの「戦争と平和」も読もうと思う。

  • 読書会で取り上げられてなかったら、読まなかっただろう。読書会での発表を意識して読んだお陰で、訳されている言葉の適不適であったり、表現されている意味を考えながら読む事が出来た。

    また、読書会参加者の視点を得る事で、新たな気付きや新鮮な考え方に触れる事が出来た。

    特に自分自身が年齢や経験(今回の場合はアトランタ在住経験も)を重ねてきた事で、頭の中の理解だけでなく実生活を通した感覚を持って読む事が出来たと思う。

    後半になるに従いスカーレット自身の登場場面が少なくなると共に、今まで美しく見えていた彼女の力強さが、今度は醜くく変幻してきている様に思えてきた。

    訳の良さもあってか(細かい点においては色んな疑問や注文、はあるけれど)文庫本5巻あってもあっという間に読めてしまう。そのため読書会のペースを越してしまうので、次に進みたい気持ちを抑えるのが大変でした。

  • 正直スカーレットが子供すぎて、辟易でした。
    アシュリに対してもレットに対してもメラニーに対しても、とにかく自覚なしに甘えすぎ。

    フランクの死でちょっとは大人になったかと思ったのに、同じことを繰り返しているし…
    (メラニーを失って初めて、大切さに気づく)

    バカ?(すみません)

    とりあえずレットに関しては、いったん失うことは避けられそうにないけど、読者はそこまで悲嘆したりバットエンドと思ったりする必要はないかなと思います。
    (実際スカーレットは悲嘆していないしね…)

    だってレットは生きているんだから。
    明日も明後日も。

    それだけでも希望はあるし、やり直せるし、わたしはハッピーエンドと思いました。
    初めは、「えっ!? これで終わり!?」と思いましたが。
    (なんだかんだ最後にはふたりの心が通いあうシーンが見られると思って、それを楽しみに読んでいたので)

  • 圧巻の壮大なストーリー。全5巻に及ぶ長編ながら一度も飽きることなく次々と起こる展開に引き込まれて、読み終わってすごい話だったなと思う。読み終わった時点でまたもう一度読み直したくなったほど。結末を知ってまた違う読み方ができそう。
    学生時代に一度読んでいたものの、かなり忘れていた部分もあったし、大学生と40代では同じ作品を読んでも感じ方が違う気がする。
    アメリカ南北戦争前後の激動の時代背景とスカーレット・オハラの波乱万丈の人生。海外版の大河ドラマみたい。でもこれってまだスカーレットが28歳までの話だなんて驚き。
    スカーレットの強さと賢さに感嘆したり、反面の愚かさとじりじりしたり。またレット・バトラーとの擦れ違いにやきもきさせられ。そしてメラニーの優しさと聡明さと強さに最後はこの女性こそが影の立役者であったことに気づかされ。
    スカーレットの故郷タラに対する郷土愛も印象的。スカーレットの原点はタラの赤土。その強さの原点。最後に何もかも失ったスカーレットはタラに戻るところで物語は終わるけど、きっとスカーレットはをここでまた力を取り戻してこのままでは終わらない気がする。「今考えるのはよそう。明日考えよう。」スカーレットの印象的なフレーズ。彼女はそうして明日を切り開いていったのだから。
    激動の時代の流れに翻弄されながら強く生きたスカーレットの物語。間違えなく名作だ。現代ものばかり読んでいたこの頃だったけど、時代物の読み応えはたまらない。世界史の教科書ではわからないその時代のアメリカ南部の空気に触れられた気がした。本当に面白かった。

  • 数えてみたら高校生で読んで以来、ほぼ30年ぶりの再読である。数回読んではいるし、映画も観ているし、と思いつつ新訳で読み始め、旧訳・映画から受けていた印象がどんどんずれていくことに驚いた。
    とはいえ、スカーレット像はそのままである。なぜか。スカーレットの心情は包み隠さず、あけっぴろげに語られるからである。誰かが何か示唆的なことを語り、読者も神妙な気持ちになったとたんに、スカーレットは心の中で”何の話をしているのか、さっぱりわからない”とばっさり切り捨てるものだから、私も、小賢しく頷いちゃっていた自分が恥ずかしくなったりもする。
    ということで、高校生にも主人公の(単純な)心情は余すところなく理解できたのだろう。
    スカーレットのお向かいにいるのが「影の主人公」メラニー。対して彼女が本当は何を思い、どう考えていたのかは最後までベールに包まれたままだ。ただし、その行動には嘘がないので、読者もメラニーの人間性を理解し愛する(スカーレットは全く理解してなかったけど)。
    旧訳ではいかにも古い小説を読んでいる”ありがたさ”もあり、それも面白かったのだが、新訳は文章のリズムで読者の心を一気にその場に引っ張り込む。旧訳ではあまり印象に残らなかったスカーレットの「ダサさ」(敢えて言おう!)が際立ったのも非常によかった。
    ところで、映画の印象に引っ張られて当時は気づかなかったが、これは「戦争小説」でもある。最初は絵空ごとのように思えていた戦争が、やがて間近に迫り、わが身のこととして降りかかり、一般の市民すら、戦場でもないのに人を殺めることにもなる。
    背後に多くの物語を含む小説。訳者解説によると作者は「映画化は無理」と言っていたそう。映画はあくまで小説の一部分しか切り取っていない、だからこその傑作となりえたのだろう。語られていない部分を誰かと語り合いたいくなる(しかも熱を込めて)のは、各々の人物造形がしっかりとしているから。わたしが誰かと語り合いたいのはメラニーを後継者とする「聖母」の母、エレンである。

  • 第5巻、さらに予想を超えた展開に。「GWTW」(「 風と共に去りぬ 」をこう略すらしい)はこんな小説だったとは!! 映画版とは大きく違うようだ。
    この巻ではスカーレット・オハラとレット・バトラーの結婚生活が描かれる。なんだかんだで気の合う二人だしお金持ちだからきっと幸福な暮らしでめでたしめでたし…かな。と思っていた。
    ところが、物語は壮絶な展開に。凄絶、凄惨の感すらある。

    〈以下ネタばれあり〉
    スカーレットはレットとの子を妊娠( スカーレット4度めの子で、レットとの間で2人めの子 )。しかし、流産。しかもレットからアクシデンタルに階段から落とされたかたちで。さらにレットが溺愛しまくっていた愛娘ボニー( 第3子 )は落馬して死去。そして今やスカーレットの盟友戦友となったメラニーの病死。
    不幸が次々に襲うのであった。

    悲劇はそれだけでは終わらない。愛娘を喪い失意のレットは落胆と絶望のあまり人が変わってしまったようになる。そしてスカーレットに、離婚したいと告げる。10年もの間スカーレットの愛を得ようと懸命にアプローチして来たが、その想いも情熱ももはや涸れ果てたという。あれほどスマートにスカーレットを支え続け、情熱的に愛を語ったレット・バトラー。だが2人は同じ時代の中でわかり合うことは出来なかった。スカーレットはようやくレットへの愛に目覚め、レットを繋ぎとめようと必死に食い下がる。だが、レットは去りゆく。
    運命の二人とも思われた二人だが、心が深く結ばれわかり合うことはなかった。稀に見る哀しい別れである。こんな痛ましい別離を読んだのは久しくない。

    ところでスカーレットの決まり文句(思考)がある。「いまは考えるのはよそう。いま考えたら挫けてしまう。あした考えよう。」
    スカーレットの楽天的な逞しさ、ある種のプラグマティズムを伺わせる。悪く言えば問題の先送りだが、この思考法でスカーレットは戦争と以降の荒廃した時代を生き抜くことが出来た。
    そして最終幕、レットを喪う場面で再びまさかのこの言葉が
    「とりあえず、なんでもあした( 中略)明日になれば、耐えられる。あしたになれば、レットをとりもどす方法だって思いつく。だってあしたは今日とは別の日だから」
    驚き。この終幕、レットとの関係修復の希望を滲ませるもの、と思う人も居るかもしれない。だが私はそうは思わない。レット喪失という衝撃の重さを逆説的に感じたのであった。

    巻末の解説が内容充実。米文学に於ける「GWTW」の位置と役割などを詳述していて面白い。今回5巻を図書館から借りて通読したのだが、第5巻だけ再読してもよろしいかもと考える。食わず嫌いされている感のGWTWだが、米国文学における大きなミッシングリンクを見つけたような感慨を感じている。

    解説では話法に関して『ボヴァリー夫人』や『灯台へ』との関連にも言及。またレットの人物造型が『ジェイン・エア』のロチェスター像から影響を受けていること、などなど。いずれも最近読んだ作品ばかりなので尚更興味深いのであった。

  • 母になってから読み返すと、この物語の終盤は、親とは何かについて考えさせられるパートでもあった。超安産体質で出産後はマミーに預けビジネスに邁進するスカーレットと、自らの命と引き換えにでも産もうとするメラニーの対比。
    全編通して描かれているテーマの多様性に本当に驚かされる。

  • 2人がもう少しでも素直だったら、別れることは防げたはず。特にスカーレット。好意を持ってるなら「好き」、何かしてもらったら「ありがとう」、自分に非があったなら「ごめんなさい」。何かしら友好的な反応をしていたら、レットは愛されていないと思い悩むことを防げた。


    まあ両者ともプライドが高くて素直さに欠けていたからできなかったのだろうけど。この小説では似た者同士だけが安定した結婚生活を送れる論を推すけど本当か?似た者同士は似たような短所をもつことも意味する。共通の短所を原因とした問題が発生したときにうまく対処することができない。スカーレットとレットはその際たる例。

    作者はこの作品に10年かけた。長い時間をかけ作られた作品だけあって、どの巻も丁寧に抜け目なく描写されている。そして読書に没頭させる。一度読み始めたら止まらなくなり徹夜で2巻連続読んでしまうほど。この小説は言葉では表現できない興奮と刺激を与え読者に忘れさせない強烈な印象を与える。小説の快楽を存分に堪能させてくれる作品。出会えてよかった。

  • この世の中にこんなに素晴らしい小説があったなんて知らなかった。人生で読んだ小説の中で、間違いなくもっともわたしの心を突き動かした小説だった。あまりに壮大で、あまりに素晴らしく、この素晴らしさは何物にも代えがたい。こんなに風呂敷を広げ、こんなに色々なことを書いてしまって、どうやって物語を終わらせるのだろう…どうやっても尻すぼみになってしまうのではないか、と心配したが、とんでもなかった。あまりに完璧なラストに、胸打たれると言うよりほかない。しかし、通読した小説の深い感動というのは、胸の奥にじんと残りこそすれ、どこがどう具体的に素晴らしかったのか今の自分が感じたかというのは、手のひらからどんどんこぼれ落ちてしまうことはもう経験則上分かっている。なので、ここに少しだけでも書いておこうとおもう。
    5巻はまさに、スカーレットとレットのすれ違いがメインであり、さらにスカーレットが今までのアシュリへの想いを総決算するのだが、このなにもかもが上手くいかず、なにもかもが悪い方向に進んでいくのが非常に恐ろしいかった。どうにか、どうにか持ちこたえて欲しい、スカーレットも色々問題はあるが、結構かわいいところもあるしいい子なんだから…と祈るような気持ちで読み進めたが、現実はそんなに甘くなかった。すべてを持っていた少女時代から、すべてを失い尽くす物語であり、タイトルの「風とともに去りぬ/Gone with the wind」をわたしは、「南北戦争という風とともに、アメリカ南部にかつて輝かしく存在していた貴族社会が去ってしまった」ということを意味しているとウィキペディアに書いてあったので、そう信じて読み進めていたのだけれど全然違う。「南北戦争という風とともに、スカーレットのもとからかつてあった、南部の貴族社会や温かい田園風景、白人と黒人の珍しくも美しい関係はもちろん、その人間関係まですべてが去っていく」ということを意味していたのだった。あまりに冷たく、あまりに皮肉で、あまりにおそろしく、でも根本に愛がある小説。
    Tomorrow is another dayというのはもうものすごく有名なセリフであり、「明日は明日の風が吹く」という名訳がある。まあ、そりゃそうだろというような、すごく軽いセリフに捉えていたのだが、なるほどこういう文脈だったのかと恐れ慄く。この明日はまた違う日だから、と唱える今日は、本当に失意と絶望のどん底にいるのだ。そんな中で、明日はまた違う日なのだ、と言い切るスカーレット・オハラの真の強さがこのセリフには宿っており、壮大なスケールの物語の最後に、こんなに素晴らしいセリフを紡げるマーガレット・ミッチェルはいったい、どういう小説家だったのだろうと考えてしまう。しかし、マーガレット・ミッチェルにはこの作品しか存在していないので、この作品からすべてを読み取るしかないのだが。
    そう、スカーレットは常に前をむいていた。アシュリの魂がずっと、かつての南部社会に、子どもの頃に置いてきぼりなのと違って、スカーレットもそうしたいのはやまやまなのだが、それでは生きていけないと知っていた。子どものままでいたいけれど、子どもでいられないのも知っていたのだった。だからこそ、彼女は変わり続け、前を向き続けてきたし、アシュリへの愛は一種の偶像崇拝であったと看破できた。状況はもちろん、なにもかもが現代日本のわたしとは違うのだけれど、大切なことはもう、ほぼすべてこの小説の中に書いてある。わたしはこの先ずっと、この小説を胸に抱き、折に際して読み返し、スカーレットをすべての基準にしていくのだろう。
    ちなみに、風と共に去りぬを通俗小説だとする向きもあると思うし、たしかにストーリーの筋だけ追うと非常に精巧なエンタメ小説としての力もあるのだけれど、とんでもない。あらぬ方向に心を動かされるこの小説の力は、単なるエンタメ小説を圧倒的に凌駕するなにかだとおもった。

  • 突然に、目の前の扉を閉められてしまったかのような感覚が、最後の一文にありました。
    スカーレット!あなたの物語を人生を、もっと追っていきたかったのに。

    読み始める前は、この重厚な物語を読み切れるだろうかと不安を抱えていましたが、杞憂でした。
    海外文学は感情に付いていけず、戸惑いを覚える部分もありますが、本書に関しては、それよりも多くの共感があり、惹き込まれました。
    この一作品を書き上げた作者の体力と文章力に感服です。

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