- Amazon.co.jp ・本 (208ページ)
- / ISBN・EAN: 9784102095041
感想・レビュー・書評
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1951年 原題”The Grass Harp”
詩人の東直子さんがお薦めしていた一冊。
「孤独で無力な人たちが、この世界に美しいものを見つけてなんとか生きようとする姿が、心に染みます」とのこと。
アメリカ南部の小さな田舎町、保守的な考え方の人々。その空気感がじんわりと全体を包んでいる。ドリーの言葉。
「聞こえる?あれは草の竪琴よ。いつもお話を聞かせてくれるの。丘に眠るすべての人たち、この世に生きたすべての人たちの物語をみんな知っているのよ。わたしたちが死んだら、やっぱり同じようにわたしたちのことを話してくれるのよ、あの草の竪琴は」
時が経っても変わらないもの、変わっていくもの。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
カポーティの小説で『草の竪琴』を最初に手に取る人は少ないかもしれない。どこかで目にしたカバー装画とタイトルの美しさを忘れられず、ついに読むことができた。
わたしたちが人に何かを伝えたい時、それを伝えるのにふさわしい時と場所がある。まず、打ち明けられる人と一緒にいること。それから、落ち着く場所であること。自分の本性をさらけ出せる場所であること。『草の竪琴』の人々にとってそれは、九月の森の中の樹上だった。
きっかけはタルボー姉妹の、些細な心のすれちがいだった。姉ドリーは家を出て、四人の仲間-語り手である少年コリン、メイドの老女キャサリン、判事の老人チャーリー、飄々とした青年ライリー-と樹上に落ち着く。姉を探してやってきた妹ヴェリーナ。樹に上った妹は、必死で姉を説得する。そこには、いつもの強気な姿はなかった。
“ねえ独りっきりでいるには長すぎるわね、一生涯というのは”。
あたしを棄てないで、姉さんが必要なの、という妹。言うまでもなく、姉にとっても妹が必要だった。お互いにとってお互いが必要だと理解する、心が通じ合うこの瞬間が好き。
最後に、さらさらと弦をかき鳴らす草の穂のシーンが出てきた時、最初に「草の竪琴」について教えてくれたドリーの言葉を思い出した。
本を閉じ、始めに戻り、もう一度読む。
二度目は、より深く胸に刻まれた。コリンたちが「草の竪琴」に耳を澄ませていた時、わたしも隣に立っていたような気分だった。
p6
「聞える?あれは草の竪琴よ。いつもお話を聞かせているの。丘に眠るすべての人たち、この世に生きたすべての人たちの物語をみんな知っているのよ。わたしたちが死んだら、やっぱり同じようにわたしたちのことを話してくれるのよ、あの草の竪琴は」
p9
自分を部屋の置物とか片隅の影のように考え、自分の存在を何かたまたまそこにあったもののように見せる人がいるものだが、ドリーがまさにそうだった。
p12
ドリーの声はティッシュペイパーのすれる音のようにひそやかだった。そして天性の資質をそなえた者のみが持つ、澄み切った、輝く瞳をしていた。ペパーミントゼリーのようにつやのある緑色の瞳。
p34
そう、でもね、風はわたしたちなの。風はわたしたちみんなの声を集めて憶えるのよ。そして木の葉を震わせ、野原を渡ってお話を聞かせるの。あたし、パパの声をはっきり聞いたもの。
九月だった。つんと伸びた真紅のインディアン草の茂る草原を、秋の風がゆるやかに吹き抜け、亡くなった人たちの声を響かせているような、そんな夜だった。
p63
わたしたち誰にとっても、落着く場所などないのかもしれない。ただ、どこかにあるのだということは感じていてもね。もしその場所を見出して、ほんのわずかの間でもそこに住むことができたら、それだけで幸せだと思わなけりゃ。
p70
大切になのは、信頼をもって話し、共感を抱いてそれを聞く、そこにあるんですよ。
p77
「いまわたしたちは愛について話しているのだよ。一枚の木の葉、一握りの種、まずこういうものから始めるんだ。そして愛するとはどういうことなのかを、ほんの少しずつ学ぶのだ。初めは一枚の木の葉、一握りの雨。それから、木の葉がお前に教えたことや雨が実らせてくれたものを受けとめてくれる誰か。容易なことではないよ、理解するということはね。一生かかるだろう。わたしも一生涯をかけた。しかもまだ悟ることはできない。だが、これだけはわかっている。自然が生命の鎖であるように、愛とは愛の鎖なのだということ。こいつは紛うかたなき真実だ」
p79
人は話したけりゃ、話したいことを話せるでしょうよ。相手を傷つけるだけの話し方だったり、忘れてることがいちばんの思い出を引っ張り出したりねえ。でもあたしは、人間はたくさんのことを心の中に秘めておくべきだと思うね。人の心の奥の奥、これこそは人間の良き部分というわけよ。自分の秘密を喋り散らすような人間の中に、いったい何が残ってるっていうのさ。
p151
蛙や秋の虫が、ひそやかに降る雨を祝っていた。
p157
ねえ独りっきりでいるには長すぎるわね、一生涯というのは。
p164
落着いた愛情を持っている人たちに見られるように、感情を昂らせることもなく、認めあってお互いを受けいれていた。
p176
「チャーリーは、愛とは愛の鎖のことだって言っていたわね。あなたも聞いていてわかったと思うけれど、それはこういうことなの。一つのものを愛することができれば」判事が一枚の木の葉を大切に持っていたように、彼女はカケスの青い卵を掌に包んでいた。「次のものを愛せるようになるの。愛は自分自身で持つべきものであり、共に生きてゆくものなのよ。それがあれば、何でも赦すことができるわ。さあ」
p186
乾いて、さらさらと弦をかき鳴らしている草の穂に、色彩の滝が流れていた。僕は、ドリーが話してくれた草の竪琴の調べを、判事が聞きとってくれたらと願っていた。去っていった人々の声を集め、そして語る草の竪琴、人々の物語をいつまでも忘れずに語り伝える草の竪琴の調べを。 -
アメリカの作家に対し具体的な印象を持っていない。こういう作風の人と分かるのはフィッツジェラルド、サリンジャーぐらいかな。
カポーティは「ティファニーで朝食を」を読んだぐらい。
読み始めて、「ティファニー」に収録されていた「クリスマスの思い出」と同じ設定と気付く。以前、この掌編にカポーティーのイノセンスの源泉に近い作品と記したけれど、本編はシンドイ読書だった。事実に即して書かれているんだろうけれど、何か突拍子もない印象だった。「クリスマス」は主人公がもっと幼い頃の話ということもあるんだろうな。
終幕は確かに寂しい心持になったけれど。
松岡セイゴウさんは「遠い声 遠い部屋」をフラジャイルな心の文字で綴られた「夜の文体」であって、いわば「電気で濡れた文体」だ、と紹介している。
探してみようと思う。 -
もう10年以上、何度も読み返している愛おしい作品。
人物、エピソード、台詞、どれも魅力的。
少年の成長を描いた作品は多いだろうけれど、大人になるまさにその時で終わるのが見事。
草の竪琴が鳴る秋のイメージで始まり、実際にそれを聞く秋の情景で終わる形式美も読者に充足感を与える。
子供の頃に一時の、しかしかけがえのない幸福を与えてくれたミス・スックと、彼女を愛し彼女から愛された子供時代の自分自身に対するカポーティからの深い慈愛に全編が包まれていて、その温かさが胸を締め付ける。
派手でも豪華でもないけれどもきらきらと輝く、まさにドリーが大事にしていた宝物のような小説だ。 -
「どのような情念がそれぞれの世界を創りあげているかは問題ではない。人々が持つ世界はどれも美しく、決して卑しい所などではない。」
好きな一節です。カポーティの描く世界が包摂している無垢な優しさが、ゆったりと滲み出て、そっと胸に染み込むような作品でした。 -
見事な物語。見事な文章。
成長途上にある、純粋な少年の心をこれでもかというくらい詩的で美しいアメリカ南部、田舎町の風景描写で浮かび上がらせる。
いい年齢の大人を含めた人々が、ささいな喧嘩をきっかけに木の上の家で生活をし始める。それを咎め、やめさせようとする人々との悶着のなかで物語が進んでいく。
設定としてはとても奇妙。それでもその奇妙さを一切感じさせないのは、カポーティの天才的な描写のおかげなのだろう。
200ページに満たない作品なので、分量としてはあっという間の分量。
ただ、彼の美しい文章をかみしめるように読んでいたら分量以上の時間がかかった。
とても贅沢な時間だった。これは本当によかった。 -
両親と死別し、遠縁にあたるドリーとヴェリーナの姉妹に引き取られ、南部の田舎町で多感な日々を過ごす十六歳の少年コリン。そんな秋のある日、ふとしたきっかけからコリンはドリーたちと一緒に、近くの森にあるムクロジの木の上で暮らすことになった…。少年の内面に視点を据え、その瞳に映る人間模様を詩的言語と入念な文体で描き、青年期に移行する少年の胸底を捉えた名作。
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カポーティの自伝的要素が強い作品。哀愁が始終物語を覆っているのだが、それを登場人物たちが必要以上に悲観していないのが良い。加えて、訳者の大澤薫さんの解説が分かりやすくて素晴らしい。
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気を許し合える人と永遠に続けばいいなと思う心地良い場所と時間。でもそれは長続きしないし留まっていることもできなかった。愛するとはどういうことか、そして取り巻く環境が一変してしまうときの不安とか哀愁とかを綴った、少し幻想的な雰囲気もあるお話。
とりあえず、ドリーおばあちゃんが可愛すぎます。まるで十代少女のようw -
再読。読み終えると必ず冒頭の数ページを読み返したくなる。草の竪琴をもう一度聴くために。草の竪琴に始まり草の竪琴に終わる物語は、少年時代の輝かしき思い出、完全な円。閉じた円が螺旋になることはないから、本を閉じ、目を瞑り、その円が過去から未来へいくつも繋がっていくさまを脳裡に描いてみる。「愛の鎖」となるように。繊細さや純粋さを持つ人々は生き辛くて、その現実に涙が滲んでくるけれども、それらを持たずに生きるのは、小さな呼吸が溢れた美しい世界を見過ごすことに等しい。痛みと美しさは切り離せない関係にあるのだと思う。
《2014.11.26》
トルーマン・カポーティの作品





