冷血 (新潮文庫)

制作 : Truman Capote  佐々田 雅子 
  • 新潮社
3.73
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本棚登録 : 2159
レビュー : 228
  • Amazon.co.jp ・本 (623ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784102095065

作品紹介・あらすじ

カンザス州の片田舎で起きた一家4人惨殺事件。被害者は皆ロープで縛られ、至近距離から散弾銃で射殺されていた。このあまりにも惨い犯行に、著者は5年余りの歳月を費やして綿密な取材を遂行。そして犯人2名が絞首刑に処せられるまでを見届けた。捜査の手法、犯罪者の心理、死刑制度の是非、そして取材者のモラル-。様々な物議をかもした、衝撃のノンフィクション・ノヴェル。

感想・レビュー・書評

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  •  今から60年前の1959年11月15日未明、米国カンザス州西部の農場で起こった凶悪な殺人事件をもとに書かれた作品です。事件に遭う直前までの被害者たちの日々の暮らし、犯人たちが犯行に至る経緯、事件の発覚、その後の犯人の足取り、逮捕、裁判、そして刑の執行までを、細部にこだわり抜いて描いています。ストーリー自体は少しも複雑ではないのだけれど、いろんな人物 ── 何の非もないのに殺されてしまった4人の親子や僅か40ドルほどの金を得るために大きな罪を犯してしまった2人の男たちに加え、被害者や犯人と何らかの係わりを持つ多くの人たち ── が登場し、互いの関係や様々な出来事がこと細かく描写され、それらが積み重なることによって事件の全体像が生々しく再現されていきます。
     例えば犯人の一人であるペリーについての一節はこんな感じです ── “ディックは1949年型シヴォレーの黒いセダンを運転していた。ペリーはその車に乗り込むと、後ろの座席の自分のギターが無事かどうか確かめた。前夜、ディックの仲間のパーティーで弾いたあと、車の中に置き忘れていたのだ。古いギブソンのギターで、紙やすりをかけ、ワックスを塗って、蜜のような黄色に仕上げてあった ” ── 相棒の車の後部座席にギターが置き忘れてあったことなんて事件の全貌とはなんの関係もなくて、実際のところペリーは、大切にしていたこの古いギターをアカプルコであっさりと盗まれてしまうのです。
     こういった瑣末なことがらが描写され積み上げられることで、登場人物のイメージはどんどん具体化していきますが、それによってかえって訳が分からなくなっていく気もします。音楽好きで愛用のギターを大切にしていたのも、ナンシーを縛りあげた後にベッドカヴァーを掛けてやったのも、残酷にもクラッターさんの喉をナイフで切り裂き顔を散弾銃で吹き飛ばしたのも、同じぺリーなのです。
    “クラッター一家が何かをしたからってわけじゃあなかった。あの人たちはおれを傷つけたりはしなかった。ほかのやつらみたいには。おれの人生で、ほかのやつらがしたみたいには。おそらく、クラッター一家はその尻拭いをする運命にあったってことなんだろうな” ── ペリーはこんな身勝手な、理屈にもならないことをいいます。しかも彼は、自分がクラッター一家を殺したことを「悔いてはいない」というのです。
     くだらない犯人たちの無計画な犯罪で意味なく殺されてしまったことは、被害者たちにとってあまりに理不尽です。でも結局、犯罪やそれにかかわる人間とはこういうものなのでしょう。この異常な事件に魅入られ、これを正確に描くにはその全てを片っ端から文字にするしかない、そう決心したかのようなカポーティの筆致には、執念のようなものを感じます。
     この作品で、カポーティは善悪の判断などは示していません。主観を極力排除して、事実にのみ語らせています。それによって、読者は罪を犯すことやそれを裁くことの意味について自ら考えさせられます。この小説の手法は吉村昭の作品(いわゆる記録文学)に通じるものがあると思います。それほど分厚くもないこの本は、事実に裏打ちされ、ぎっしりと中身が詰まっているので、これ1冊で同じ厚さの他の本を2~3冊読んだくらいの重さを感じました。
     実は短篇集「ティファニーで朝食を」(村上春樹訳。https://booklog.jp/item/1/4105014072)が良かったので、この作品も読んでみました。同短篇集にある「クリスマスの思い出」の煌くような雰囲気とは違う冷たい文章に、別の魅力を感じました。ところで短篇集に収められた「ダイアモンドのギター」に登場するティコという若い悪党には、「冷血」の犯人たちに繋がるものを感じます。「ダイアモンドのギター」は「冷血」のもとになった殺人事件が起こるよりもずっと前に書かれた作品のはずなのに、ちょっと不思議です。

  • 感情を一切挟まず、
    淡々と、事件の発生から犯人の死刑執行までを記録したドキュメンタリー小説。
    センセーショナルな事件そのものを鮮明に書いたというより、
    その事件に関わった全ての人間(犯人も含め)の人生が描かれている。
    本当に何でもない…何でもない一日、何でもない会話、何でもない場所、
    それらが写真のように事細かに描写されており
    映像を見る以上に目の前に事実を強烈に突きつけてくる。
    「一家殺人事件」のただ一点のみで人々が交差し、
    そしてまた別々の道を歩んでいく。

    最後の1ページだけが、一縷の光のようである。

  • この本の感想を蛹に求めたのは、完全に僕の過ちだったと思う。
    「異常な人間が異常な殺人を犯すんじゃないんだよ。異常な人間がまともに生きている場合だってあるし、その方が遥かに多い。例が俺の目の前にいる」
    そう言って、蛹は言いたいことは言い終わったというように、煙草を咥え、火を点けた。煙を、ゆっくり吐き出す。
    「そういうものかなあ」
    「あんたがどう考えていようと構わないけれど、あんたが異常な人間であることは知ってるし、まともに生きていることも事実だろ」
    酷い言われようだ。

    この世界に存在するものは、すべて己の理解のもとにあると考える人間は、たぶん、少なくない。ある種の法則、理屈、屁理屈など、何らかの筋がとおっているべきだという風な。
    己の理解を超えて存在するものはいくらでもあるはずなのだけれど(僕に関していえば、通貨危機とか量子力学とか、目の前にいるこの青年とか)、しかしそれが認められない場合は、以下の二通りの対処方法のいずれかを取ることになる。矯正か末梢。つまり、己の理解できる範囲に引きずり込むか、己の視界から消すか。

    「殺人は、他者の人格の否定だ。他者の人格を不可逆的に破壊する行為だ。けれどもその前に、異常性の否定という形で、彼自身が否定されている」
    蛹はそう言って笑う。
    「つまり、あるがままに見てほしいという、もっとも純度の高い欲求は、もしかしたら、異常だと認められている者ほど強いんじゃないかな」
    愉快そうに、笑う。
    「それは」
    お前のことか?
    とは、聞かないでおく。
    僕は、本を閉じた。

    理解できなくとも、愛することはできるし守ってやることもできる、と、僕は思っていたけれども、そういうものでもないのかもしれない。

  • 冷血なのは誰か。

  •  人間なんてわからない。
     事件を起こした加害者について近所の人たちにマスコミが取材をし、「真面目でそんなことするような子には見えなかった」だの「いつも挨拶してくれる好青年でした」だの言うあれ、まじで意味ないんじゃなかろうか。人間なんて表面の皮を1枚も2枚もめくればエグいものが詰まってるのかもしれないし、そうじゃないかもしれない。とにかく誰だって人には理解されない、理屈では語れない部分があるはず。
     4人の家族を惨殺した犯人ペリーは、一見優しい人間だ。彼がなぜそんな罪を犯したのか。これは簡単にはわからない。ペリーが孤独で、家族に対して強い思いがあったとて、被害者にとっては知ったこっちゃないことである。

     また、読みながら死刑制度について考える。ペリーの言葉に、こんなものがあった。
    「兵隊があまり眠れなくなるなんてことはないじゃないか。人を殺せば、それで勲章がもらえるし。カンザスの善人たちはおれを殺したいと思ってるーー死刑執行人は仕事にありついて喜ぶだろう。人を殺すなんて、たやすいことなんだーー」
     死は、時と場合によってさまざまな意味を持つのかもしれない。死刑が犯罪の抑止力になるなんてことはないと思われるけど、被害者の立場になれば簡単に一刀両断できない。減少しているとは言え、アメリカにはまだ死刑制度があり、年間数十人が処刑されている(州にもよるが)。日本もどう舵を切っていくんだろう。

  • 圧倒的な情報量、現実の資料をもとにしながら作家の作為によってあくまでその現実に起こった出来事を再現しようとする意図で再構築される、という小説は、現実なのか、それとも、虚構なのか、そのどちらでもないのか。

  • ツイキャスの朗読で読破。30分×40枠。

    カポーティは、ともすれば冗長になりがちの単なる事実やエピソードの羅列を、ぴりりと効いた皮肉や観察眼で、いともたやすく読ませる物語にしたててしまう。エピソードの挿入のタイミングや引き込み方にカポーティの編集能力や文学的センスがかいま見える。特に355ページからの、KBI捜査官デューイの見る白昼夢に読者を引き込んでしまう文章力、はカポーティならではのものだろう。
    脇を彩る登場人物もなんとも多彩で、何気ない描写から彼らの人生観や人間性が見えるのがひどく不思議な感覚だ。たった何十行、何ページかの言葉の羅列で、ある一人の人間の人生に巻き込んで彼らのすべてを伝えてくれる。

    犯人ディックとペリー、特にペリーの描写は(言うまでもないことだが)圧巻というか、バランスが絶妙だ。ペリーの憎むべき面と、愛すべき面が奇妙に織り交ぜられ、読者は(少なくとも私は)この殺人犯を罰するべきなのか救うべきなのか混乱しつつ、処刑に至るまでの道筋を追うことになった。
    カポーティ自身の人間性や人生を予備知識として頭にいれることで、何故この著者が、(おそらくはペリーを主人公とした)こんなにも長い小説を書くに至ったかが理解できるのではないだろうか。嘘つきで、孤独で、寡黙で、頭がよく、ロマンチストな青年ペリー。カポーティは中盤でこの小説を書く筆が止まり長く苦しんだという。その気持がわかるような気がする。私はペリーに死んで欲しいのか死んでほしくないのか全く混乱してしまった。彼の人間性の煌めく部分を考慮したところで、彼の犯した罪はあまりにも重い。それは彼自身の過失によるものかよらないものか、それは意見が別れるところではあると思うが、カポーティはペリーの託つイノセンスに肩入れしすぎてしまったのだろう。そういうカポーティの不器用さや孤独さが私は好きだ。

    ペリーの最期のあっけなさはどこかダンサー・イン・ザ・ダークのラストに通じるところがあった。著者がそこで物語を終わらせず、デューイとスーザンの邂逅にと導いたのは何故だろうか。訳者佐々木雅子氏のあとがきによれば「家族の愛」を示唆したものだということらしかった。けれど、自身も親の愛に恵まれなかったカポーティにそこまで素直に家族の愛を礼賛できるものかどうか私には少々疑問符が残る、ところではある。ラストシーンの解釈は見る者に委ねられるところだろう。しかしこのシーンの光あふれる光景や忘れられない死者への悼みは、「冷血」の作品の読後感を「救いあるもの」に仕立てる役割を果たしているということは確かだと思う。

  • ディックはいかにも短絡的な小悪党でわかりやすい。が、ペリーの気味悪さに驚いた。
    ペリーの被害者への余計ないたわりは、子供が抵抗できない小動物をいたぶったりかわいがったりする二面性を思わせる。宝の地図に基づく無根拠な空想や、「男らしく、リーダーに相応しいと感じる」ディックへの依存も父性を求める子供の趣向に感じる。
    ペリーのその性格は拘置所に入っても変わらない。講義の姿勢として断食を行い、半ばそれを敢行するが、最後は諦める。ずっと連絡のなかった友人からコンタクトを求められ、すぐ信用する。30代半ばの大人が持つ分別や打算は見られない。

    ペリーという人物の気味の悪さは、その未熟さと、成長性の無さに集約されると思う。彼によく似た父親のせいで、成長する機会が失われたことは不幸だった。しかし彼はその原因に固執して、進歩から逃げていたような気がする。

    人間が知識と経験により成長を繰り返す生き物であることを考えれば、それから取り残されたペリーはモンスターじみている。そしてモンスターは存外身近にいて、とくに脈絡もなくおそいかかるということをカポーティの「冷血」は教えてくれる。

  • アメリカ中西部、カンザスの村で発生した一家殺人事件を緻密に書き起こしたノンフィクション・ノヴェル。死刑制度が一度は廃止されたことのあるこの州で、加害者2人が絞首刑となった当時の裁判の様子が、裁判官や弁護士、陪審員の構成や背景となった土地柄も織り交ぜて記されている。

    何年か前に映画『カポーティ』を観ていたので事件については大体覚えてはいたんだけれど、小説では映画の方で省かれていた被害者一人一人の顔が鮮明に描き出されているだけに、殺害場面に近づいたところで怖くなって暫く本を閉じてしまった。犯行に至る明確な動機というものもなく、地元では穏やかな人柄で知られていた農園主一家4人を殺害したペリーの「おそらく、クラッター一家はその尻拭いをする運命にあったってことなんだろうな」という自供が、今読んでいる河合隼雄『影の現象学』の中でちょうど一致する部分があって驚いたんだけれども(集団の中で抑圧されている「影」を肩代わりする存在について)、他人事のように自身と事件の関連性を分析しているペリーの冷徹さというか、底知れないその心の闇が恐ろしくもあり、環境に押し流されてしまった存在の弱さというものもまた悲しく響いてくる。

    殺人事件を通し、家族や土地に宿る人間の影を描いたこの作品を執筆したカポーティ自身も不幸な生い立ちを背負った人物で、この作品の後に執筆活動がぱたりと止んでしまったことを考えると、幾つかの共通した部分を持つペリーに自身の影を重ねて複雑な心境に陥っていたのかもしれない。この小説のタイトルをしつこく訊ねるペリーにカポーティが口籠ってしまう映画での場面が読後に思い出された。

  • ミステリーのように読めてしまう。綿密な取材と書いてあるけれど、物語の登場人物のように、生まれや育ちを一人一人の人物に取材して、丁寧に描写している。5年もかかるわけだ。カンザス州最悪の事件と、本文中にある殺人事件がテーマ。農園主とその家族の家に強盗に入った無計画な2人組。事件を追う刑事、そして、つかまった5人が死刑囚の独房で共に過ごす死刑囚たち。著者の訴えたいことが目立つ最近のノンフィクションとは全く違う。事実をとにかく克明に記し、カポーティの影はほとんど出てこない。それが、逆に事件の不可解さや無常観を表現している。

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