人形の家(新潮文庫)

  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (148ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784102096017

感想・レビュー・書評

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  • 1879年の作品‥‥ジェンダーに対する哲学を芸術レベルまで昇華させていたことに驚く。

  • う〜〜ん、大塚英志の評論にときたま、女性のビルドゥングスストーリーとして例示されるが、教養がなくて読んだことがなかったので読んでみたら、正直ひっくり返るくらい良くて3回読んだ。というか今こそ読まれる本だと思うのだけれど、ネットでざっと調べた感じ、私のサーチ能力の限界かもだけれどあまりもう言及されている印象はなかった。
    この本の素晴らしいところというか、私が大感銘を受けたのは、単に人形として夫の支配下にあった妻が自立する話だから、という風に描いていないところである。というと、少し分かりにくいかもなのだけれど、夫=男側が支配者であり、その支配から弱い立場にある女が抜け出すというようなそんな二項対立の単純な筋にはなっていない。私が大感動したこの物語の深度は、まず妻が人形である(近代的な人間としての自立を果たしていない)ことが、父と夫の影響下にありながら、自分でもその状態を甘んじて受け入れている、つまり男と女の共犯関係の上で成り立っていたことに気づく点。そして、真の自立は「お前は世間知らずだから」と言いながらも世間を知ることを遮断する、スポイルされる状況から脱せずして成されないということをあまりに明快にかいている点である。あまりに明晰で素晴らしく、しばらく言葉を失った。こういういい物語に出会えると、生きてて良かった〜〜という気持ちになる。やはり古典はすごい。
    しかし解説が1952年かなにかのもので、ひっくり返りましたね。「女性解放問題ごときは」う〜ん、特に評論家の真価は、時間を経てこそ分かるものだと感じますね。

  • ノルウェイの劇作家、ヘンリク・イプセンの代表作の1つ。
    有名作品だが初読。
    ひとことで言うならば、弁護士の妻、ノラが、自身を「人形」のようにしか見ていなかった夫と別れ、自我を確立するために「家」を出ていく話である。
    ストーリーは広く知られているが、知っていて読んでもその展開は衝撃的で、シャープな切れ味に驚かされる。

    ノラは小鳥のように軽やかで、美しい女である。弁護士ヘルメルが夫で、かわいい子供が3人いる。
    夫は年明けに銀行の頭取になることが決まっており、このクリスマスはとりわけ楽しい。ノラはたくさんの買い物をし、子供たちをプレゼントで喜ばせることや、仮装パーティーで踊ることを楽しみにしている。
    だが、彼女には1つ秘密がある。
    数年前、夫が病気をし、転地療養が必要であったとき、父親の署名を偽造して借金をしたことがあったのだ。当時、父は重い病で署名を頼むことができなかった。夫への愛情から出た行為ではあったが、紛れもなく違法行為であり、ことが明るみに出れば、ノラ自身だけでなく、ヘルメルにも不名誉なことである。
    ノラはこのことを夫に告げることができずにいた。
    ところが、その秘密の証拠を握るものがいた。ヘルメルの銀行に勤めているが、品行芳しからぬため、解職されようとしている男だ。彼はノラの秘密をネタに、自分の解雇を覆すようヘルメルに頼めとノラを強請る。
    困ったノラは何とか揉み消そうとするのだが、なかなかうまく行かない。

    前半はとにかく、ノラにイライラさせられる。
    冒頭ではあれこれと無計画に買い物をするお気楽な奥様ぶりに少々苦笑する。夫から小鳥さん・リスさんと呼ばれ、深く考えることもしない。
    自身が引き起こしたトラブルにしても、そもそもの行動が無思慮であるし、その後を取り繕おうとするのもいただけない。
    友人である未亡人が助言するように、早く夫に真実を明かすべきだと思う。
    この女が家を出ることになるのだとすれば、自身のせいではないか、とも思う。
    しかし。

    ノラの秘密が明るみに出た時、図らずもヘルメルの本性も明らかになる。
    彼はノラを庇うでも守ろうとするでもなく、怒るのだ。それもノラに降りかかる災いのためではなく、自身が被るであろう不名誉を嫌って。
    ノラが何かに気がつくのはこのあたりからだ。
    一方で、ノラの災厄は一転、救われることになる。恐喝者が悔い改め、手元に持っていたノラの秘密の証拠を返してきたのだ。
    それを見るや、夫は急に機嫌を直し、ノラを元通り「小鳥さん」として扱おうとする。
    この時、ノラは覚醒する。そして気づいてしまうのだ。
    自分の夫が薄っぺらい、物事の表面しか見ない男であったことに。
    彼が愛していたのは自分という「人間」ではなく、単にかわいい「人形」であったことに。
    こと、ここに至っては、ノラはもう家を出ていくしかない。「夫」は真の意味で「夫」だったのではなく、愛もない、ただの他人なのだから。

    読み手である自分の印象もがらりと変わった。
    ノラは軽薄なのではない。単にそうであるように仕向けられてきただけなのだ。
    お前はかわいくしていればいい。
    楽しく何も考えずにいればよい。
    そう言われて、誰がものを考えるだろうか。
    ノラをどこかで軽く見ていた自身の偏見に愕然とさせられてしまった。

    本作は戯曲であるので、脚本ではなく、劇として鑑賞した場合には、その衝撃はもう一段上になるかもしれない。
    「ノラ」という役は俳優にとってはさぞかし演じ甲斐のある役だろう。

    実際、ノラがこのように急に自我に目覚めることは可能なのか? こんな風に家を出て、この先どうなるのか? 疑問は生じないではないのだが、それを上回るインパクト。人間の本質を突く洞察に唸らされる。
    イプセン、恐るべし。

  • イプセンの『人形の家』読了。
    色々と思うところはあるけれど何はともあれいつの世も【覚めた】あるいは【冷めた】時の女性の取りつく島のなさは異常。

  • 「人形の家」は1879年にノルウェーの劇作家イプセンが書いた戯曲だ。雑に言うとモラハラ夫の偽善に気付いて主人公の女性(ノラ)が家を出るというストーリーである。タイトルにある「人形」はバービーのような実際の人形のことではなく、あたかも人形のように愛でられ、家庭に縛られていたノラ自身のことを指している。

    例えヨーロッパといえども、140年も昔には女性の立場は今よりも弱かったと思うのだが、しっかりと自分の言葉で夫に別れを告げ、自分の足で立ちたいと言って人生をリスタートするさまは爽快感がある。

    最後に家を出る直前、ノラは初めて夫に向き合い、自分の考えをぶつける。ここで語られた思いが時代を飛び越えたかのようにフレッシュで、胸に響くものだったので驚いた。さすが現代まで読み継がれる古典作品と思った。作品自体はさておき、青空文庫にアップされている翻訳はかなり古めかしいので、新しい訳で再読したい。

  • 相手の思い通りになる「人形」である限りにおいて愛されてただけなんだと気がついたときのあの絶望感。思い出して苦しくなり、終盤は奥歯を噛み締めながら読んだ。
    ノラの台詞に父から夫へ受け渡された、みたいな言葉があり、「あの子は貴族」にも似たような台詞があったので思い出した。もしかしたらあの子は家族はこの作品にも影響受けている?シスターフッドがある分あの子は貴族のラストの方が爽やかだけど、併せて読むと面白いのかも。
    中盤までの主人公ノラはあまりにお馬鹿に見えるんだけど、「目が覚めた」後は教育がないなりにものすごく聡明で、こういう面を父や夫に抑圧されていたんだな、本来の彼女はこっちなんだな、と分かる。
    イプセン、他の作品も読みたい。

  •  銀行の頭取に昇進することが決まったやさしい夫、素直でかわいい3人子どもたち。幸せの絶頂にあるかのようなノラだったが、彼女は夫には決して明かせない秘密を抱えていた。間もなくその秘密も解決するかに思われていたその時、とある人物が現れて……。

     名前もあらすじも知っているつもりだったけど、まさかの戯曲!しかも読みやすい!
     女性解放運動の先駆けとされるこの作品は、世間知らずの妻が独立心に目覚める話かと思いきや、今もなお多くの女性が一度は向き合う現実でもあることに気づく。そう、決して過去の話ではないのだ。

  • セリフ本だから少しばかり読むのが面倒だが、ふわふわ生きているノラが最後はしっかり自分の意思を持っていることが印象に残った

  • 舞台part2を観に行くので、予習。

    発表された当時の雰囲気はどのようだったのだろう。最後のシーンの絶望と胸がすく感じ、70年近く経ってもまだ共感できてしまうところが凄みであり、救いのなさも同時に感じる。
    ノラの秘密に対して、その迂闊さや無知さに若干の苛立ちを覚えたけれど、誰も教えてくれず、教えないようにして、抑圧してきた時代は暗闇の中手探りするようで、完璧な立ち回りなんて出来るわけがない。そう思うと、ノラの勇気と知性──実は幸福ではなかったこと、既に愛していないことを認め、伝えることができる強さは清々しい。

    イプセンの現実を切り出す明晰さが全てだ。解説では問題提起としては時流を過ぎ、既に陳腐化というような言及があるが、とんでもないと思う。(もちろん相対的に状況は改善している。)
    とはいえ、男女の平等は近づきつつあるけれど、それは多くの人が(男女を問わず)ヘルメル化しているということであって、21世紀に入ってなおノラは、今もまだ孤独と絶望を抱えて踊っている。だからこの戯曲は幾度も演じられ、告発は続いているのではないか。
    現代に至るまで数多の闘いがあり、勝ち取られてきた権利の庇護下に置かれている私は、擁護者たる自覚が希薄なのだと、最近はとみに思う。

  • 昔の女性は、意見を言うのも苦労したのだと思った。

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