日はまた昇る (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (487ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784102100134

作品紹介・あらすじ

禁酒法時代のアメリカを去り、男たちはパリで"きょうだけ"を生きていた-。戦傷で性行為不能となったジェイクは、新進作家たちや奔放な女友だちのブレットとともに灼熱のスペインへと繰り出す。祝祭に沸くパンプローナ。濃密な情熱と血のにおいに包まれて、男たちと女は虚無感に抗いながら、新たな享楽を求めつづける…。若き日の著者が世に示した"自堕落な世代"の矜持。

感想・レビュー・書評

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  • "a lost generation"
    文学的には第一次世界大戦後の若者たち、「失われた世代」と総括される用語である。
    しかし、実際は仕事をきっちりしないことへの怒りにまかせたガートルード・スタインの発言、「自堕落な世代」「だらしのない世代」が本来の意味であるという。
    確かに仕事もせずに毎晩のように飲み歩き、旅行に興じ、ヒロインのブレットのごとく自由なセックスライフを楽しむ若者たちを描くこの作品では一見そうした歓楽に生きる「世代」をテーマにしているように見える。だが、それぞれの登場人物の個性や心情、そして彼らが興じる舞台を丁寧に丁寧に描くことによって、反対に時代のしがらみから解放され、自由を謳歌し、生命の躍動を感じている彼らに対し、次第に羨望の眼差しをもってしまうのは自分だけではないだろう。
    皮肉も効いている。出だしで紹介が長かったため当初主役かと思ったロバート・コーンが実は一番本書のテーマに相応しくない対極としての人物像であり「自堕落な世代」を引き立てる役であったこと、ブレットの婚約者であり大金持ちの家出身であるにもかかわらず破産しブレットにも奔放に振る舞われいつも酒にだらしなくなっているマイク、性に奔放なブレットが実は一番愛情を欲し彼女なりのの理性を働かせていること、物語の一人称であり視点でもあったジェイクが最も「遊び」に長けており、ブレットとプラトニックな愛を育んでいながらも戦争後遺症として性的不能者であったことなど、世界大戦後という時代の変わり目において自由を謳歌する彼らにもそれなりの傷を持ち、しかし、いやだからこそ、生命の躍動感が溢れる「いま」を真剣に興じているだということがこの皮肉な設定によりひしひしと伝わってくるのである。

    パリのカルチェ・ラタンに集う彼ら仲間たち。事あるごとに飲んでは楽しみ、舞台はスペインのブルゲーテでの鱒釣りへ。そこでも釣りを楽しみ大いに飲んで、舞台はいよいよパンプローナのフィエスタでの闘牛見物へ。ここでも大いに飲んで騒いで闘牛を楽しみ祭りが終わる。最後は喧騒の疲れを癒すかのようにサン・セバスチャン、そして、ブレットの待つマドリードへ。
    パリでの仲間との集い→釣りで心の洗濯をしながらも徐々に高揚→さらにフィエスタで恋のさや当てと闘牛という否応のない生命の躍動と生死を意識する緊張と高揚が最高潮に→祭りが終わりクールダウン→そして心の恋人と心休まるラストへ、というまるでジェットコースターのような上がって下がってという展開が本書の魅力であるともいえよう。
    これも「自堕落な世代」もいづれは落ち着き安寧さを求めるという、ヘミングウェイなりの「だらしのない世代」論に対する反論の一つであったのだろう。たとえそれが叶うことのない虚構であったとしても。

    直接的にはヘミングウェイ青年の世代、第一次世界大戦後の若者世代を描いているが、この時代感覚はいつの時代においても甦ってくる感覚であり、どの「世代」の若者においても共感できるものがあるはずであり、その意味で普遍となった物語だったいえるだろう。
    本作品の背景ともなっているヘミングウェイ自身のパリ時代を描く『移動祝祭日』も併せて再読してみたい。
    そして機会があればパンプローナで酒を飲み闘牛を楽しんでみたいものだ。

    • lacuoさん
      『物語の一人称であり視点でもあったジェイクが最も「遊び」に長けており、ブレットとプラトニックな愛を育んでいながらも戦争後遺症として性的不能者...
      『物語の一人称であり視点でもあったジェイクが最も「遊び」に長けており、ブレットとプラトニックな愛を育んでいながらも戦争後遺症として性的不能者であったことなど』

      ここが、この小説の一番のポイントだと思うんですよね。
      その背景には、戦争が後に残してゆくものの残酷さ、というのもあるんだけど。

      2人の関係は、あまりにも切なくて、読んでて胸が苦しくなるんだけど、でも、キレイだって思う。
      2017/08/23
    • mkt99さん
      lacuoさん、こんにちわ。
      コメントいただきありがとうございます!(^o^)/

      ブレットとジェイクの関係は、切なくも歯がゆい、いか...
      lacuoさん、こんにちわ。
      コメントいただきありがとうございます!(^o^)/

      ブレットとジェイクの関係は、切なくも歯がゆい、いかんともしがたいものでしたね。
      しかし、おっしゃる通り、キレイでもあったと思います。(^_^)
      この距離感につい引き込まれて、一気に読んでしまいました!(^o^)
      2017/08/27
  • 第一次大戦後の若者の自堕落な生活を描いた作品。登場人物はヘミングウェイ自身や実際の友人などがモデルとなっている。あらすじは、友人と旅をしながら酒に溺れ、ひとりの女性を巡ってすったもんだを起こすといった内容。なにか大きな事件が起こるわけでもなく、ただただ刹那的な快楽を求めて若者達は日々を過ごす。この作品に関しては、心理描写はほぼないと言ってもよい。会話の中で何となく感じ取れる程度である。また文章が回りくどくなく簡潔なため非常に読みやすいのだが、その反面、心に残るものがほぼなかったことは残念である。

  • おもな登場人物は主人公であるパリで暮らす新聞特派員のジェイコブ・バーンズと、同じくアメリカ人の友人であるユダヤ人の小説家ロバート・コーン、そして二人が愛するブレット・アシュリーの三人。これにブレットの婚約者やジェイクの友人、旅先で出会う闘牛士などが加わる。物語は第一部がパリ、第二部が一行の旅先となるスペインが舞台となる。

    第一部ではジェイクたちのパリでの自堕落気味な日常を描かれる。第二部はスペイン旅行において一行が鱒釣りや闘牛観戦、フィエスタの牛追いなどに興じたり、多情で魅惑的なブレットをめぐって主にコーンが引き起こす騒動などを描いている。

    作中なにが起こるというわけでもなく、ジェイクの視点で登場人物たちの気怠く頽廃的なさまを伝える。といってもとくに反社会というわけでもなく、格段にエキセントリックでもない。登場人物たちはおおむね三十前後であり、無軌道な若者たちを描いたともいえない。当時の時代背景を理解していればまた違っていたのかもしれないが、最後まで遠巻きに眺めているような感覚だった。

    物語を追うというより雰囲気を感じるための作品なのだろう。文字よりも映像のほうが魅力が伝わりやすい作品だったのではないかということと、スペイン旅行の一部だけを切り出した中編であれば違和感なく読めたかもしれないとは思った。世界的な文豪の代表作のひとつとされているが、わりと読み手を選ぶタイプの作品ではないだろうか。

  • いつかは読みたかったヘミングウェイですが、うーん、つまらん……というのが率直な感想。前半のパリ編〜釣りのあたりが特に面白くなく、しかし後半のスペインの闘牛編は面白かったです。全体的にはこれよりも、以前読んだジョージオーウェルの『パリロンドン放浪記』の方が100倍面白かった。

    私が今まで読んできた本は大抵面白くて、星による評価も☆4か5をつけることがほとんど。しかしこれはそうでもなかった。だけど、文学史的な位置付けや文学的価値の高さはなんとなくわかる。

    第一次大戦後、1920年代。アメリカでは禁酒法時代で「狂騒の20年代」と呼ばれる頃。それは1929年の世界恐慌で終わる。アメリカは当時建国150年と、歴史の浅い若い国。文化的に歴史のあるヨーロッパに対する潜在的な憧れがあるのではないかと。さらに、ウディアレンの『ミッドナイトインパリ』で描かれていたように、パリは文化の中心地で、オシャレな街。これは今の日本人からしても、共感できる部分が多いと思う。

    この小説の主人公ジェイク(ヘミングウェイ)はパリで仕事の合間にぶらぶらしつつカフェや酒場で飲みまくる、遊びまくる。スペインの自然の中、釣りに興じる。当時のアメリカの若者たちには、新しいライフスタイルとして受け入れられ、憧れられたのでは(禁酒法と言えど実際はみんな飲んでたみたいだけど笑)。「ロストジェネレーション」は「自堕落な世代」と訳されていて、「お前ら若い奴らはダメだな!」と年上世代によく言われるやつです。だから、映画で言うと太陽族映画やヌーヴェルヴァーグに近い感じだなと思う。
    それと、この本は「ヨーロッパ旅行のガイドブック」としても機能したんじゃないかなと。実際に、作中にもヨーロッパを旅行するアメリカ人たちが出てくる。

    しかし、2020年代の今の私の価値観からすれば、こういうライフスタイルは特に憧れではない。まるでバブルの頃のようで目新しさもないし、逆にノスタルジーも感じない。さらに、最も重要な点として戦争も経験していない。私が1920年代のアメリカ人だったら、もっと面白く読めたのではないかと思う。

    他に面白くない理由は、描写のつまらなさ。食い物が全く美味そうではないし、移動中の風景の描写も全く美しく感じない。釣ったあとの鱒をどうしたのか?食ったのか?
    ヘミングウェイの文体の新しさについては、私はこれ以前の米文学は読んでないし、原文でもないのでよくわからない。簡潔な文体が特徴だそうで、いわゆる日記のような文章。日本だと無頼派の私小説に近い気がするが、太宰治の『津軽』や檀一雄の『火宅の人』などの方が、食い物が美味そうだったり紀行文としては面白かった。

    オーウェルの『パリロンドン放浪記』のパリ編は、この小説とほぼ同時期で世界恐慌直前。アメリカ人のジェイク(ヘミングウェイ)が爵位を持った友達と飲みまくる、遊びまくるのに対して、イギリス人のオーウェルはパリで皿洗いをしながら潜入ルポを書いた。そして当時のフランスを散々にこき下ろした!だから『パリロンドン放浪記』はとてつもなく面白いのです。

    重要なのはジェイクが大戦の負傷で性的不能になっている点。だからセックスできずにプラトニックになってしまう。
    この小説の冒頭はジェイクの友人のひとり、ロバートコーンという登場人物の説明から始まる。ヒロインのブレットを中心にして、元恋人ジェイク、婚約者マイク、ロバートコーンの三人が惹かれている状態。このモヤモヤする状態がクライマックスで爆発する。
    面白かった点はやはり後半の闘牛と、闘牛士ロメロの部分。ヘミングウェイは闘牛にハマっていて、元々この小説も闘牛の部分がメインだったそうだ。作者が面白いと思っていることだから、文章にも熱意が感じられて、伝わってくる。そして、不能のジェイクは闘牛における「去勢された牛」、ロバートコーンは「孤独になった暴れ牛」に相当すると思う。

    ほか、第一次世界大戦はヨーロッパの騎士道精神と現代戦のターニングポイントになった戦争。序盤は騎兵で、毒ガスや航空機や戦車など新兵器が投入された。中二病の騎士道精神的なロバートコーンはたぶん戦争に参加していない点、生死のやりとりをする闘牛に惹かれるジェイクなど、考えると面白い。この戦争をきっかけに実存主義が出てきて、その先駆とされたニーチェの「神は死んだ」、戦争を体験した若者たちは神を信じられなくなった。それは作中でのブレットのセリフによく表れています。ブレットはヤリマンビッチで、これものちのヒッピー世代を思わされる。性の解放の最初ぐらいの世代、だからのちのちまで読み継がれているのかなと思う。

    ヘミングウェイ本人も、重傷を負ったけど不能ではなくて子供もいるし、奥さんと共にスペイン旅行しながらブレットのモデルになったダフに惹かれてた。さらに他のポーリーンと不倫して奥さんと離婚している。不能のプラトニックラブとはほど遠い笑。

  • これまで出会った中で、1番好きな小説。

    主人公ジェイクの絶望感がすげーヒシヒシと伝わってくる。
    ブレットとの、どうすることもできない関係がせつなくて心が苦しくなる。

    パリの華やかな喧騒、パリのアメリカ人たち、フィエスタに湧く灼熱のスペイン、祝祭のパンプローナ・・・どれも情景が浮かんでくる。

    まず、冒頭の聖書の言葉にグッときた。

      一代過ぎればまた一代が起こり
      永遠に耐えるのは大地。
      日は昇り、日は沈み
      あえぎ戻り、また昇る。
      風は南に向かい北へ巡り、めぐり巡って吹き
      風はただ巡りつつ、吹き続ける。
      川はみな海に注ぐが海は満ちることなく
      どの川も、繰り返しその道程を流れる。
                コヘレトの言葉(伝道の書) 1.4-7

    「日はまた昇る」という訳は、正確な訳ではないらしく、正しくは「日も昇る」ということらしい。
    実際、オレもはじめてこの小説を読んだとき、「日はまた昇る」という日本語の響きから、ポジティヴな、希望を示す言葉として受け止めていたんだけど、この小説をよく読んでみると、それは間違いで、むしろ旧約聖書の言葉のように、希望ではなく、絶望を示している。

    ヘミングウェイは、ジェイクとブレットの、どうすることもできない関係を、そこには何ら希望は無いんだけど、それでもなお、繰り返されてゆく、という意味で使っている。

    投げやりだけど、それでも、人は、生きていく・・・というように。

    この本を読んでから旅にでるようになった。
    あちこちの街で、酒飲んだくれ、メシ食いまくり、ケンカして、時々祈った。
    旅から帰ってくると、また読みたくなる。
    何度も読み返した。

  • 20代の頃「週休5日」の生活をしてた。いろんな奴がおってみんな見せかけの情熱を曖昧な毎日で埋め尽くしてた。

    人でごったがえす商店街を押し流されながら、どこに行くんやろと思いながら、誰かが横にいることで安心してた。そんなことを、思い出した。

    誰もが目標に向かって一直線に生きてるわけじゃなくって、寄り道しながらなんとかやり過ごす時期があるんちゃうのと僕は思う。
    lost generationを自堕落な世代と呼ぶけれど、どの時代もそういう曖昧な時代があって、それは人が死んで、世代がつないでいくからこそ、繰り返すんやとそう思う。
    でも曖昧さはめちゃくちゃ眩しくって。
    当時の同世代はめちゃくちゃ共感したのもわかる、羨ましさと安心感が混ざりあったんやろな。

    パリ、パンプローナ、マドリード街の描写が綺麗やなと素直に思う。

    そして朝5時の御堂筋が、静かで清潔な感じがして好きやったこと思い出した。

    最後の客を送り出してバーを閉めて、散らかったゴミとそれをついばむカラスを蹴散らしながら、ざーっという音を立てながら清掃車が通り過ぎる、俺はジャケットのポケットに両手を突っ込んで堺筋に向かって帰ると朝日が正面から昇ってきて・・・


  • ヘミングウェイの処女長編。
    パンプローナの祝祭とロストジェネレーション―失われた世代。

    現代の失われた世代である我々からすれば多少の違和感があるのだけれど、それぞれに何かが「欠けている」という思い、その思いを酒やそのほかの享楽で埋めようとするさまは時代を越え我々に訴えかける。

    ああ、祭りのあとの虚しさよ。

  • フィエスタ!フィエスタ!フィエスタ!

    劇中の喧騒の感じと、実際に見たパンプローナでの夜の賑わいと、テレビで見た牛追いの様子とが重なって、本を読んでる間少しドキドキした。

    ところどころに出てくる地名やカフェの名前
    パンプローナ
    バイヨンヌ
    サンジャン•ピエ•ド•ポー
    カフェ•イルーニャ
    ボティン

    これらの単語が、特別な響きで私を揺さぶった。
    多分、この話の舞台に実際行ったあとだからこそ読めた。
    あとはThe sun also risesという題名の響きが気に入った。

    それだけ。

    "いい事も悪い事も流されるように過ぎていって、生きてるって感じ"
    誰かの感想にこうあった。
    あ、この感じなるほど、ロストジェネレーションってこういう事?としっくりきた。
    そして自分にそれを重ねてみる。

    2012.11.29

  • 失われた世代。
    ロストジェネレーション。

    パリからカナダ。

    二人目かの奥さんの叔父さんが子供がいなくて、その姪を可愛がっていたから、アフリカ旅行やクルーザーを買ってもらっていたそうだ。世界大不況の1930年代とか豪華に遊んんでいたそうだが、他の人々との格差に悩み出したそうだ。

    後にも先にも、お金、大事です。


    不遇のパリ時代。若かりし頃。

    文学。とにかく、書くこと。
    テニスも。

    ヒットはこの作品まで出なかったので、鬱屈していただろう。
    10年に一度は結婚離婚していた、のだ。

  • 本の雑誌のハードボイルドを探せ!特集に刺激されていまさらヘミングウェイを読んでみる。読んだのは中央公論社の全集版。
    第一次対戦後の「ロスト・ジェネレーション」と呼ばれた若者たちを描いているとのことだけれど、始終酒を飲んでウロウロしながらくだを巻いているようにしか見えなくてぐったり。第二次対戦後やベトナム戦争後のPTSDに苦しむ若者とかそんな姿はみられなかったのだろうか?明るい感じではあるのだけれど投げやりなどうでもいいや感が強くてさらにぐったりくる。どうもよくわからない。
    短編のほうが切れ味鋭くいい感じ。

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著者プロフィール

Ernest Hemingway
1899年、シカゴ近郊オークパークで生まれる。高校で執筆活動に勤しみ、学内新聞に多くの記事を書き、学内文芸誌には3本の短編小説が掲載された。卒業後に職を得た新聞社を退職し、傷病兵運搬車の運転手として赴いたイタリア戦線で被弾し、肉体だけでなく精神にも深い傷を負って、生の向こうに常に死を意識するようになる。新聞記者として文章鍛錬を受けたため、文体は基本的には単文で短く簡潔なのを特徴とする。希土戦争、スペインでの闘牛見物、アフリカでのサファリ体験、スペイン内戦、第二次世界大戦、彼が好んで出かけたところには絶えず激烈な死があった。長編小説、『日はまた昇る』、『武器よさらば』、『誰がために鐘は鳴る』といった傑作も、背後に不穏な死の気配が漂っている。彼の才能は、長編より短編小説でこそ発揮されたと評価する向きがある。とくにアフリカとスペイン内戦を舞台にした1930年代に発表した中・短編小説は、死を扱う短編作家として円熟の域にまで達しており、読み応えがある。1945年度のノーベル文学賞の受賞対象になった『老人と海』では死は遠ざけられ、人間の究極的な生き方そのものに焦点が当てられ、ヘミングウェイの作品群のなかでは異色の作品といえる。1961年7月2日、ケチャムの自宅で猟銃による非業の最期を遂げた。

「2023年 『挿し絵入り版 老人と海』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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