移動祝祭日 (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (330ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784102100158

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  • 「もし幸運にも、若者の頃、パリで暮らすことができたなら、その後の人生をどこですごそうとも、パリはついてくる。パリは移動祝祭日だからだ」

    ヘミングウェイの自伝的短編集。
    無名のパリ時代、いつもおなかをすかせてはいたが、カフェで仕事に没頭し、愛する妻と様々な友人たちに囲まれて過ごす日々。それは生き生きとしていてとても幸せそうだ。
    彼が交際していた面々は今となっては驚くほど豪華(フィッツジェラルド、スタイン、ピカソ、ジョイスなど)だけど、描き出されるパリの街はとても親しみやすく、自分もぶらぶら散歩したりカフェでのんびりしたくなる。

  • 「もし幸運にも、若者の頃、パリで暮らすことができたなら、その後の人生をどこですごそうとも、パリはついてくる。パリは移動祝祭日だからだ」という、ヘミングウェイ自身の言葉が題辞として付されている。見慣れないタイトルは、この言葉からとられたらしい。本来はキリスト教の用語で、クリスマスのように日にちが特定されておらず、その年の復活祭の日付に応じて移動する祝日のことだという。

    その言葉通り、祝祭的な喜びに溢れた若い物書きのパリ暮らしが、リリカルに清新の気に満ちて描きだされている。舞台となっているのは、1921年から1926年にかけて。最初の妻ハドリーと共に安アパートで小説家修業をしていた当時を、後に思い出して綴ったものである。発表されたのは、死後であったため遺作とされた。

    作家自身が、フィクションと見なしてもらってかまわないと書いているように、すぐれた短篇小説を読んだあとのような余韻が残るが、おそらくそのほとんどは事実にもとづいていると思われる。もちろん、四半世紀も昔のことである。しかも、老いをむかえて心身ともに下降状態に入っていた作家が、青春時代をすごした異郷での日々を回想したものである。そこに、記憶の美化や、またその逆に劣化がまじりこんだとしても誰がそれを責められよう。

    ガートルード・スタイン女史やスコット・フィッツジェラルドとの交友について書かれた箇所には、その後のいろいろな経緯から見て割り引いて読まねばならぬような部分もあると想像される。概して人の好き嫌いははっきりしているようで、虫の好かない相手にはけんもほろろ。その反対に敬愛する友人や仲間には溢れんばかりの好意を示している。特に、シェイクスピア書店の店主シルヴィア・ビーチ、エズラ・パウンド、それにジェイムズ・ジョイスについて触れた部分からはヘミングウェイの真情がよく伝わってくる。

    なんという華やかな時代だったことだろう。スタイン女史のサロンを介して、ピカソをはじめとする画家やパウンド、エリオットなどの詩人、作家仲間の刺激を受けながら、小説家修業ができるなんて。他の出版社が断ったジョイスの『ユリシーズ』を出版したのが、シェイクスピア書店だった。ヘミングウェイもまた、シルヴィア・ビーチに多くを負っている。ヘミングウェイとフィッツジェラルドのリヨン行きの膝栗毛など、苦い味わいもまじるものの、どこか微笑ましい。ブリクセン男爵やアレイスター・クロウリーといった有名人との出会いも、当時のパリならでは。

    しかし、この作品のよさは、なんといっても徒手空拳の若者が、食うに事欠く日々のなかで、仕事場にしているホテルの寒い部屋や街角のカフェで、ノートを前に鉛筆を握っている姿が、冬枯れのパリの寒々とした佇まいのなかに、或はまた、春を迎えたセーヌの岸辺に、あざやかに浮かび上がってくることに尽きる。事実はここに書かれているほど金に困っていたわけではないらしい。要は、ヘミングウェイが自身に課した生活の掟だったのだろう。一篇の短篇を書き上げた後に口にする一杯の酒の美味そうなこと。

    生涯に何度も離婚再婚を繰り返した作家は、その最晩年に、若き頃パリで共に暮らした最初の妻ハドリーとの愉しい日々を思い出していたのだろう。過去を懐かしむ哀惜の念が思い余って余情たっぷりの叙述を生んだ。次のような文章は、どうだろうか。

    「この街がにわかに哀調を帯びるのは、冬の最初の氷雨が降りはじめる頃だった。道行く者の目にはもはや白く高い家屋の屋根は映らず、ただ濡れた黒い舗道や小さな店舗の閉ざされた戸口しか映らないその道筋には薬草店、文房具店や新聞販売店、それに二流の助産婦の家やヴェルレーヌが息を引きとったホテルなどが並んでおり、そのホテルの最上階の部屋を私は借りて仕事場にしていたのだった。」

    佐伯祐三描くところのパリの裏通りを髣髴させる風景画が適度に感傷性を加味した筆でスケッチされている。しかし、この当時作家がものにしようと苦慮していたのは、形容詞を極力省いた無駄のないスタイルである。このストイックな文章作法は、カフェの片隅で空腹とたたかいながら身につけたものであった。このとき書いていたのが、のちに『われらの時代』に収められる短篇であったことが、その書き振りから想像できるのも読者としては楽しい。

    旧訳と比べれば読みやすい現代日本語になっているが、あのヘミングウェイが「金」にわざわざ「お」をつけて「お金」と言ってみたり、店に入ってきた娘のことを「若い女性」と書いたりするだろうか。小さなことだが、気になった。できれば柴田元幸訳で読んでみたいと思った。

  • 若き日のパリ。そこに集まる人々。
    名声を確立しても、二度と手に入れることはできない、眩しい思い出。
    それは、時間が経つほど、自分の中でさらに美しくなる。
    少しせつなくなった。

  • パリでのヘミングウェイの日々といった感じ。
    基本的に貧乏なのだろうけど、それに悲嘆する様子もなく、なかなか楽しそう。
    ただ、読みづらい話は読みづらかった。

  • 彼がなぜ、この本を書いて死んだのか、わかる気がした。彼は誰のためでもなく自分の心のひだがもっとも美しく活発だった頃を、不完全であれ目に見える器に写しておきたかったんだ。

  • 人生の最後に過去を思い出して書いた日記のような作品。ヘミングウェイを知らない人にはお勧めできません。しかし、ヘミングウェイのファンにはその人生について考えさせられるものがあります。

  • 恥ずかしながらヘミングウェイの作品を初めてきちんと読んだ。
    The Greatest Authorと呼ぶに相応しい巨匠であり、世界の愛読者がパパ・ヘミングウェイと敬愛する存在なのは読んでいなくても勿論知っていた。その大作家が若く無名な一時期、パリで過ごした時代の回顧物語だ。一読して私が驚いたのは、これほどの大物が貸本屋の会費も払えず、毎日腹を空かせ、パン屋やカフェの食べ物の匂いを避けるためにあえて公園の中をうろついて空腹を紛らわせていた、というようなエピソードだ。

    戸塚真弓さんのパリの街にまつわるエッセイを三冊ばかり読んだうちに、チェルリー公園を歩きながらパリで暮らし小説家を志していたヘミングウェイが、いろいろ苦悩していた想いを偲ぶというくだりがあった。それを読んではいたけれど、先年チェルリー公園を訪れたときどうしてもこの公園とアメリカ文学の巨匠とのイメージが重ならなかった。

    第一次大戦の直後の1920年代、パリにはアメリカ人の音楽家や作家など「パリのアメリカ人」だとか「ロスト・ジェネレーション」と呼ばれる一群の若者がいた。映画音楽の大家コール・ポーターや『華麗なるギャツビー』のフィッツェラルドで、後に『老人と海』で一世を風靡することになるヘミングウェイもその一人だ。この本と、たまたまほぼ同時に観たウッディー・アレンの映画『ミッド・ナイト・イン・パリ』でそのことを知った。どうして彼らは母国よりパリを活動の場として選んだのだろうか。あるいは逆になぜパリは多くの優れた芸術家を育み送り出しつづけているのだろう。

    ともかく、この物語(あえて物語といいます)の中で自伝的に語られる「貧しく腹を空かした」無名時代の大作家が創作に苦悩する姿は、それだけでも読む者の胸を打つ。貧しい彼から会費を取ろうとせず、終始支援し続けたシェイクスピア書店の女店主(同書店の貸出本で世界古今の読み物を無名時代の彼は仏語圏にありながら母国語で望むだけ読むことができたのだ)。次の大戦末パルチザンの一員としてパリ入城後真っ先に突入し、「ナチスから解放」したのがそのシェイクスピア書店だったというエピソードなど誠に真っ当に感動物語ではある。しかし、巻末に収められた「解説」を読むと、成功物語の感動は複雑な思いに変わっていく。その中では当時一人目の妻であるハドリーと暮らしていたヘミングウェイは、地方紙の特派員としての安定収入を捨て創作に専念しようとしたことは事実だが、妻のハドリーは大資産家の娘であり、そのときすでに相続していた財産の利息収入だけで当時の平均的パリ市民の年収の十倍に匹敵していたと暴露されてしまっている。彼ら夫婦が実際に質素極まる暮らしぶりだったことも事実であるらしいが、それは「強いられた」貧しさではなく「自ら望んだ」ライフスタイルであったことが解説されている。だから、就職氷河期にフリーターやニートか、良くてもワーキングプアたることを運命づけられた現代日本の「ロス・ジェネ」たちと、元祖「ロスト・ジェネレーション」とよばれた1920年代のパリのアメリカ人たちとは、見かけ上自堕落な世代であること、前の世代の権威も価値も心の底から嫌悪していることなどの点においては共通しているかもしれないが、根本のところで全く違うと言えるだろう。

    中学の歴史で「第一次大戦後米国は債務国から債権国に転じた」と教えられたとき、「サイケンコク」って一体なんだ、それがどーしたというんだと思った疑問が、今なら解る。毎月毎月マンションと車のローンを私は払っている。利息を払うためだけに働いているとさえ言える。夢見るのは宝くじで3億とか当てて、その利息だけで生きていけたらどんなにいいだろうということだ。

    ここで債権国から来た資産家の夫ヘミングウェイの話に戻ると、解説では触れられていないもうひとつの事実に私は注目する。この『移動祝祭日』が書かれたのは1960年。翌61年に猟銃自殺を遂げた彼の実質的な遺作であるのだ。本邦のノーベル文学賞作家2人中1人も自死した。ヘミングウェイの場合も何故というのは、薄学の私には測りかねる。ただ、私にも言えるのは、この一冊は功なり名遂げた60歳のノーベル文学賞作家が、人生の最後に自身の若き日はこんなにも貧しく美しかった、そう描きたかったということであり、彼が遺した作品以上に、彼自身の人生そのものが偉大な物語であったといえる。偉大な作家の人生を自ら生きたのがヘミングウェイだったのではなかろうか。
    私はそれを「演じた」というような軽いものではなく、彼が偉大と信じた人生を最後の瞬間まで貫こうとしたという、けっして軽くはないものだったと信じる。

  • 若いころの楽しかった、幸福な日々を振り返る、その心情がすごくよくわかる。彼にとって本当に思い出深い時期だったんだろうな。中身も面白かった。

  • 一言でまとめてしまえば、「その昔、ごく貧しく、ごく幸せだった頃のパリの物語である」という最後の一文が当てはまる。有名になる前の、1921年から26年までのパリでの生活を綴った本。実質的な遺作だという。
    当初、ヘミングウェイは文学修行の場としてイタリアを考えていたが、シャーウッド・アンダスンに諭されてパリに住むことになった。書店兼図書室のシェイクスピア書店店主のシルヴィア・ビーチの厚意で、入会費もままならない状態のヘミングウェイは各国の文学作品に接することになる。
    先日読んだ「シェイクスピア&カンパニーの優しき日々」の流れで読んでみようと思ったのだが、後半の三章はパリで出会ったスコット・フィッツジェラルドとゼルダ夫妻に割かれていて、たぶんここがこの本のハイライトなのだろう。
    酒に溺れる生活から抜け出そうとするスコットと、逆に引き戻すゼルダ。世間の風潮にあわせて軽妙にアレンジするスコットと、その俗っぽさを批判するヘミングウェイ。注釈や解説も丁寧で、当時のパリの模様が頭に浮かんでくる。もっとも、「この本はフィクションと見なしてもらってもかまわない」そうだが。

  • 齢40過ぎにして、はじめてヘミングウェイを読んだ。時に狭小、時にフランク、そして万年腹ぺこボクサー。天才然としていない普通の人っぽくて好感が持てた。

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著者プロフィール

Ernest Hemingway
1899年、シカゴ近郊オークパークで生まれる。高校で執筆活動に勤しみ、学内新聞に多くの記事を書き、学内文芸誌には3本の短編小説が掲載された。卒業後に職を得た新聞社を退職し、傷病兵運搬車の運転手として赴いたイタリア戦線で被弾し、肉体だけでなく精神にも深い傷を負って、生の向こうに常に死を意識するようになる。新聞記者として文章鍛錬を受けたため、文体は基本的には単文で短く簡潔なのを特徴とする。希土戦争、スペインでの闘牛見物、アフリカでのサファリ体験、スペイン内戦、第二次世界大戦、彼が好んで出かけたところには絶えず激烈な死があった。長編小説、『日はまた昇る』、『武器よさらば』、『誰がために鐘は鳴る』といった傑作も、背後に不穏な死の気配が漂っている。彼の才能は、長編より短編小説でこそ発揮されたと評価する向きがある。とくにアフリカとスペイン内戦を舞台にした1930年代に発表した中・短編小説は、死を扱う短編作家として円熟の域にまで達しており、読み応えがある。1945年度のノーベル文学賞の受賞対象になった『老人と海』では死は遠ざけられ、人間の究極的な生き方そのものに焦点が当てられ、ヘミングウェイの作品群のなかでは異色の作品といえる。1961年7月2日、ケチャムの自宅で猟銃による非業の最期を遂げた。

「2023年 『挿し絵入り版 老人と海』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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