ロリータ (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (623ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784102105023

作品紹介・あらすじ

「ロリータ、我が命の光、我が腰の炎。我が罪、我が魂。ロ・リー・タ。…」世界文学の最高傑作と呼ばれながら、ここまで誤解多き作品も数少ない。中年男の少女への倒錯した恋を描く恋愛小説であると同時に、ミステリでありロード・ノヴェルであり、今も論争が続く文学的謎を孕む至高の存在でもある。多様な読みを可能とする「真の古典」の、ときに爆笑を、ときに涙を誘う決定版新訳。注釈付。

感想・レビュー・書評

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  • 恋しちゃって、愛しちゃって、寝ても冷めてもそのことばかり。向こうは気付いてる?どう思ってる?ハラハラドキドキの日常。目線が合ったか?手と手とが触れたか?周囲にばれたら恥ずかしい。徐々に接近、嬉し恥ずかし家族友人に秘密のデート。有頂天の享楽はやがて紙をはがすような倦怠と幻滅と不信の季節を経て、傷ついて傷つけて色あせた別れと強烈な痛みに…。と書いちゃうとなんだか、そのままロマンチックなハリウッド映画になりそうなんですが、そうは問屋が卸しません。このふたり、ヘンタイな義理父と13歳の不良娘、だったのです。

    #

    「ロリータ」。ウラジミール・ナボコフ、1955年発表。もともとは英語。若島正訳、新潮文庫。

    あまりにも有名な、「ロリータ・コンプレックス」なる言葉の元ネタになった小説です。と、言うとだいたい想像がつくとおもいますが、どっちかっていうとヤバイ小説。中高生の推薦図書とかに絶対ならない部類の一冊です。
    でも読んでみるとサスガ。面白くなるまでに多少の苦痛はありますが、のってくると止まりません。そしてぜんぜんエロ小説ではありませんでした。これが駄目なんだったら、谷崎も三島も村上春樹もみんなアウト。

    #

    ナボコフさんという人は、経歴が目を見張るほどオモシロイ人ですね。ネットでかんたんにわかることなんですが、1899年ロシア生まれ、召使が何十人もいる大貴族の息子なんです。18歳、1917年にロシア革命。ひっくりかえっちゃいます。
    ただ、ナボコフさんは恐らく家族とかなりの財産とともに亡命、パリなどで大学生生活を送ったそうです。その頃からロシア語で詩や小説を書き始め、「亡命ロシア人コミュニティ」では有名な早熟の天才だったそうです。そしてフランス語でも書き始めます。そして、どうやら大学で文学などを研究することもしていたようですね。やがてナチスがきな臭くなってきて(奥様がユダヤ系だったそう)、第2次世界大戦。今度はアメリカに渡って帰化します。大学でロシア文学やヨーロッパ文学全般を教えたりする「大学の先生業」の傍ら、英語でも小説や詩を発表します。そして1955年に「ロリータ」を発表。

    …と、言うナボコフさん本人の履歴が強く主人公の設定に現れている物語なんですが、内容は完全にフィクションらしいです。

    #

    確か物語の設定年代は、ほぼ発表当時と同じだったと思います。主人公は「ハンバートさん」という、中年の大学教授。もともとはヨーロッパで金持ちのホテル経営者の息子として何不自由なく育って、いろいろあって今はアメリカ人、という設定。このハンバートさんの、一人称。一人語りの物語です。

    備忘録含めて、一応のあらすじ。

    もう、とにかく少年だった頃から、9歳〜14歳くらいの年代の少女にしか、ほんとのところのエロさとか執着を感じられないんです。このハンバートさんは。
    ただ、ハンバートさんが育った20世紀前半のモラルで言うと、それは同性愛と同じように反道徳で、法律上でも当然違法です。なので、そこンところの本音はひた隠しに生きています。その上、この人はどうやら、そうは言いながらも成人女性ともちゃんと(?)セックスできるんですね。ただ、本音はとにかく、思春期未満の少女にしか興奮しない。
    青年期から中年期にかけて、大学で文学とか研究してそれなりの仕事はしつつ、いろいろあって一度は結婚もしたんです。パリで。でもうまく行かなくて、奥さんが浮気したりして、離婚。渡米前後に精神科にかかったりもしている。そんなこんなをなるたけ隠している、ちょっと暗めの中年男性。見た目はイケメン、インテリ紳士。

    そんなハンバートさんがアメリカで。とある田舎町で未亡人の一軒家に下宿します。紹介されたときに、未亡人は全然好みぢゃないし、無教養でがさつだし、「ここに間借りするのはやめよう」と思うんですけれども、そこに、ロリータちゃんがいたんです。理想の少女。未亡人の一人娘。12歳。ちょっとわがまま、奔放、小悪魔。ハンバートさん一目惚れ大興奮。下宿を決めます。

    このまず下宿時代の描写が、スリリングでサスペンスで抱腹絶倒でたまりません。ハンバートさんは、毎日毎日、ロリータに首ったけ。ロリータの生脚。うなじ。二の腕。一挙手一投足が生きる喜び。ちょっと触れたり、匂いを嗅ぐだけでも、もうくらくらなんです。

    だけど、そんなことをひた隠しに暮らします。

    ところが、ロリータ母が、おんなじように日に日にハンバートさんに首ったけになってくる。もう、どう観ても岡惚れです。そして、ハンバートさんはロリータ母にはぜんっぜん何にも感じない。というか、もう生理的に嫌悪しているレベル。

    だけど、そんなことをひた隠しに暮らします。

    そしてとうとう、ロリータ母から求婚されちゃいます。さあ困った。だが、断るなら当然ながら下宿は出なくてはいけない。ロリータ母とはもう人生で2度とかかわらないようにしなくてはならない。それはむしろ大歓迎なんだけれど、そうなるとロリータとも会えなくなる。ロリータを抱きしめる、そんな機会ももう永遠になくなってしまう。

    求婚を受けれいます。結婚。ロリータの父親になります。さあ、ここでハンバートさんは、「ロリータを暖かく見守って愛して、父親として幸せにしてあげよう」などというまともな野心は全く持っていません。もう、クールでイケメンで教養深い中年の風貌の裏は微妙に壊れてきていて、家族の仮面をかぶって、いつかロリータに睡眠薬を投与してその間に触ったりなんだり心ゆくまでしてやろう、というスーパーウルトラ級に人間失格な妄想が、やがて願望に、そしてだんだんと計画に育っていきます。

    だけど、そんなことをひた隠しに暮らします。
    ところが。

    このあたりから、抱腹絶倒でサスペンスフルな物語は急カーブを描いて目が離せなくなります。

    もともとロリータとロリータ母の関係は険悪です。ロリータ母はお世辞にも寛大博愛な母でもないし、ロリータも皮肉で小悪魔なちょいワル少女です。ロリータを夏のキャンプに追い払っている間に、なんと、ハンバートのロリータへのヘンタイ的愛着が、母親にばれてしまうんです。確か、ハンバートさんがそういうことを綿々と書き連ねた手記を、読まれてしまうみたいな事件。さあ、えらいこっちゃです。

    激怒憤怒のロリータ母。「いや、あれは小説の草稿で」とかなんとか言い訳をしますが、説得力ゼロ。即刻出ていけと三行半を叩きつけられ、ロリータ母はすべてを告発する手紙を知人などに書いて投函します。一巻の終わり。社会的破滅。

    と、思いきや。
    家を飛び出して郵便ポストに走り出したロリータ母が、ポストの1m手前で、通りがかった自動車にはねられて、即死。駆けつけるハンバート。死体に抱きすがり、近所の人に同情されながら、そっとさぐって手紙を回収。急いで帰宅し焼き捨てる。助かった。そして、大ピンチは一転して、ヘンタイ犯罪計画者にとっては望んでもいない大チャンスになってしまいます。そもそも、「ロリータ母を殺してしまえば、俺はロリータと家族という名目の下でヘンタイ天国にひたれるのに」と幾度も願ってしまったことすらある。ドリームカムトゥルー。バンザイ三唱。

    さて、いろいろあってロリータと迎えた運命の夜。睡眠薬で熟睡の13歳の体をさあ、触り放題…と、その瞬間、ロリータちゃんの目がぱっちりと開きます。なんと、頑張って購入した睡眠薬は、効き目は眉唾ものだったんですね。がーん。その上、ベッドの上でもう、言い訳の効かない態勢になってしまっていたハンバートさん。大ピンチ。

    と、思いきや。
    パッチリ目を覚ましたロリータちゃんは、すべてを察して(あるいは以前から分かっていて)、なんとハンバートさんを誘います。そしてふたりはメイク・ラブ。13歳の美少女ロリータは、もうキャンプとかなんとかで、エッチ体験はとっくに済ませた小悪魔ちょいワル女の子でした。

    さて、晴れて「父娘の仮面をかぶった爛れた愛人関係」にたどり着いたふたりは、貯金をはたいてアテもない旅暮らしに入ります。ロリータに夢中のハンバートさんは仕事どころではないし、関係が社会にばれたら石を投げられたり投獄されるタイトロープな状況です。フロントを通さない仕組みの安モーテル、今風に言うとラブホテルを渡り歩きます。
    そして、大人への不信を脊髄に埋め込まれているロリータ。向こう見ずでセックスに目覚めている不良少女ロリータは、ちょっとでも目を離すとそのへんの男に色目を使って関係を持ちかねません。すぐにふたりの間は、じゃれつきあっていちゃいちゃしながらも、レコードのB面では険悪なギスギス感も孕んでいきます。
    ロリータとしては、友人も知人も持てない放浪、ハンバートに所有されるような社会との断絶が、子供なりのあまりにもストレスで堪らない。だけど、この義父に依存しないと、生きていく手段が無い。
    ハンバートからすると、万が一にもロリータに警察に駆け込まれたら。法律的なこともあるけれど、ロリータとの体の関係に溺れてしまった今となっては、ロリータなしの人生なんて、もう何の色彩も持たない灰色の恐怖としか思えません。
    甘やかし、依存し、懇願し、浪費して遊んで笑いあって。一方で脅して監視して…そして愛し合うという、見事なまでに歪みきったふたりの旅が続きます。ひと目を気にして、父娘を演じながら。ハンバートの脳裏は徐々に、ロリータが手元から逃げ出さないか、という警戒が膨らんでいきます。
    (その一方で、「でもあと3年〜5年もしたら、ロリータも少女ぢゃなくておんなになっちゃうんだよなあ」という思いもあります。それが余計、「まあとにかく今はこのままで」という刹那な思いに拍車をかけます)

    さて、そんな時期を終えて(金もなくなるし)。知人のいない街で暮らし始めたと思いきや、ロリータはハンバートのもとから失踪してしまいます。行方不明。生ける屍となったハンバートさん。ロリータの行方を探す不毛な日々。

    そして三年。とうとうロリータを発見します。訪れた工業街の安アパート。もう17歳とか18歳とかになってしまっているロリータは、若い職人さんだかとくっついて結婚して、妊娠しています。「あらあら久しぶり。あのときはごめんなさいね。あら?お金くれるのありがとうお父さん」てなもんです。
    今の夫の職人さんは、ロリータの失踪とは関係なくて。やはり、適当な色目使いで捕まった、どこにでもいる「ちょいワル男」に唆されて家出したんですね。その男のところでしばらく遊ばれて、あとは街から街へ、男から男へと流れ流れてこの街で、ささやかな幸せを掴んでいました。

    ロリータに涙ながらに金を渡して、みっともなくも「戻ってくれないか」とすがりつき。「それだけはできないわよ、お父さん」なんて言われちゃって。死の寸前の力石状態で別れを告げたハンバートさん。一路、ロリータを連れ出した憎い「ちょいワル男」の家を突き止め、対決して見事に殺して復讐を遂げると、逃げる気もなく警察につかまって…。獄中で聞いた便りは、「ロリータは出産で死んでしまった」。ハンバートさんも、獄中で手記を書くと、死んでしまうのでした…。

    #

    この小説が、「何を描き、何がテーマなのか?」という研究と議論はあまたあると思いますが、とにかく小説としてたいへんに面白かったです。めくるめく恋愛物語であり、ハラハラの犯罪物語であり、爆笑のコメディであり、胸が詰まる悲劇。笑い転げているうちに、ねじまがったふたりの緊張感と堕落感にぞっとして。次のページでどうなっちゃうんだろうとのめり込む。長いといってもたった一冊の文庫本なんですが、ハンバートさんが妊娠中のロリータと再会し、すがりつく場面ではなんだか長い長い歳月の苦しい孤独な航海がついに港に辿り着いたかの如く。思わず胸、打たれて涙ぐんでしまいました。感動。

    もちろん、イケナイ話です。悪い行為です。自分のことも、相手のことも、「社会の、世の中の実務的歳月の中で無事に幸せに、幸せそうに暮らして市民権を保っていく」という意味では、実に不毛で邪です。その上、犯罪は割に合わないと言うか、その異形の愛情のためにえらいこと抱腹絶倒な苦労、心労を積み重ねなくてはなりません。そしてなれの果てが経済的破綻、貧乏と刑務所です。だからもちろん、「具体的に実際的にハンバートのように生きよう!」という読後感は当然ありませんし(笑)、ナボコフさんだって履歴は似ているけれど、別段少女性愛者でもないし離婚もしていないようです。
    (「ロリータ」の世界的印税と名声を携えて、さっさと妻子とスイスに移住。趣味の蝶類研究や著作に勤しみ、長寿を全うされたようです。)

    やっぱりどこかで、個人としての欲望の追求と、社会っていう枠組みとの折り合いの軋轢の物語なんだなあ、と思いました。淋しかったり、欲しかったり、不安だったり。そこにもう一歩、もう一歩と、ブレーキに恵まれない偶然に流された姿っていうのは、多くの犯罪物語と同じく、どこかでとてもすがすがしく、みっともなくも「にんげんらしいなあ」という暗く温かい息づかい、匂いを感じます。
    ハンバートさんはただたんに、ロリータを愛して、愛されたいだけなんですね。(それが「ただたんに」で言い訳にならないところが、ヒトとヒトの世の中なんですが)。
    一方でロリータは。早くに父を無くし母に愛されず、いちおうの中産階級社会で育ちながら、あらゆる社会的な関係以前にセックスを媒介する関係の安楽と優位だけを知ってしまった孤独なジェットコースター人生なんですよね。
    そんな破滅の物語なんですが、見事なまでに情緒に溺れずハードボイルドに乾いたユーモアで切り刻む語り口。その語り口が随所で唐突に、ココロに突き刺さる意外性を積み上げて。曼荼羅のように繰り広げられる、知性と教養と皮肉に満ち溢れたロマンチックな衝動と、息を呑むほどの惨めな心情。熱くって冷たくて、甘くって辛くって苦くって。ついつい食べ過ぎちゃう凝りに凝ったフルコースの大ごちそうでした。脱帽。

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    小説でも言及されていますが、11歳〜14歳くらいの女性に恋し、肉体関係まで結んじゃったりするのは、当然ながら現在は違法な訳ですが、倫理的な議論はともかくとして歴史を紐解けば、ほんの19世紀くらいまでは別段珍しくもなかったんですね。日本だけでも、古代・中世・近世と、源氏物語を紐解くまでもなく「えっ、このときこの女性は13歳だったの?子供産んだのが15歳だったの?」みたいなことはざらにあります。(いや、だからといって「だから現代でもOKぢゃないか」とは、ゆめゆめ思いませんが)

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    どうやら原作はそうとうに言葉、文体に贅を尽くした小説のようです。数カ国後を自在に使えるナボコフさんですし、劇中でも主人公はフランス語も流暢な欧州生まれの大学教授。つまりアメリカ人からすると憧れの典型的インテリ紳士。言葉遊び、洒落、引用に満ち満ちた作品だそうで、つまりは日本語翻訳でどこまでその快楽が再現できるのか?という難物なんだと思います。
    翻訳物によくあるように、地理、言語、時代設定の違和感に慣れてくるまではそれなりに読むのに体力が必要でしたが、それほど読みにくいとも思わなかったので、翻訳作業としても悪くないと思いました。僕が読んだ新潮文庫版は、それほど昔の翻訳でもありませんでしたし。

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    今年は、しっかり長い夏休みを取ることができました。去年の休暇は「戦争と平和」でした。今年は「春の雪」「ロリータ」「ペール・ゴリオ」「幻滅」「異邦人」ということにしました。いつかは読もう、と思っているうちに、10年とか20年とか経ってしまった本たちです。まだまだいっぱいあるんですけれど。

    20年以上前に、友人が「少女が好き」みたいな話をしているときに(多分、映画「ミツバチのささやき」のアナ・トレントがどうのこうのみたいな。「エル・スール」だったかもですが)、「ナボコフを読んでいない人に、ロリコンだなんて言われたくない」と言われて、「ああ、まあそれは確かにそうだろうなあ」と思ったことを覚えています。まあ、言う側も言われる側も、恥ずかしくなるような若さ丸出しの会話だったんだと思いますが。それでまあ、「いつか読もう」と、本屋さんで巡り合うたびにちらちら眺めていたブツでした。

    でもちょっと、電車内とかで「このおっさん、ロリータを一生懸命読んでるの?」と思われるのも居心地が…と、文庫本カバーは外せませんでした(笑)。

    ナボコフさん自身が執筆中に、「やっぱりこれは、ヘンタイなだけで価値がない小説なんぢゃないか?」などと自己嫌悪に陥って、捨てようとしたそうです。そのときに、奥さんが「いや、これはオモシロイから完成させようよ」と押しとどめ。原稿ができてアメリカの大手出版社に送ったら、軒並み「こんなヘンタイ小説出したら、我が社が訴えられます」と全滅(1950年代のアメリカですから。ビートルズ以前です。道徳にうるさく、ヘンタイと共産主義には魔女狩りのように偏見と弾圧に満ちていました)。
    やっと本にしてくれたのはなんと、イギリスのエロ小説専門の出版社だったんですって。ナボコフさんも、「ちょっとやっぱりボク、大学で教えている身だし、ペンネームで出版したいな」と怖気づいたそうです。ところが出版サイドが「インテリさんが書いた本だから価値がある。匿名なら出さないよ」とへそを曲げ、すったもんだの末に実名出版に相成りました。
    世に出るとグレアム・グリーンさんなど有名作家が激賞し、アメリカに再上陸。今度は大手出版社が「文芸作品」として売り出してくれて、そこから誰も想像できない世界的ベスト&ロングセラーに…。という経緯があるそうです。
    そんな裏話も「へええ」に溢れて、オモシロイこと、この上なし。

  • ちょっとエロいロマンチック変態小説かと思って読んだら違ってた!
    確かに変質的なおじさんが出てくるし、それを上回るニンフェットとしての自覚があり意図的に煽ってくるのが14歳の女の子だしで単純なロマチック小説ではなかった。並行して読んでいるスティーヴン・キングの「死の舞踏」の影響のせいか一種のホラー・サスペンス小説として読んでしまいました。実際にあった事件をもとに描かれているらしいけれども、いやおぞましい。解説の大江健三郎氏も書いているけれど、さまざまな読み方ができる深みのある変態小説なのだと思う。私にはホラーにしか思えないけれども。ナボコフすごいね。

  • 流麗な文体やブラックユーモアは好みだけど主人公のハンバートには共感出来ず読むのがしんどかった
    若くして性被害に遭い、全米を連れ回されて学ぶ機会を奪われた少女のことを思うと不憫でならない

  • 結局のところわたしにはこの本を恋愛小説として読む程度の読書力しか備わっていない。ナボコフの無数の技巧あったればこそこの悲惨な愛憎物語がありきたりの生々しさや扇情性を退け20世紀の古典として成立している、と考えておく。自分には理解しきれないけれど。
    初読時は若かったこともあり犠牲者としてのロリータに感情移入しひどく傷ついた。12歳や13歳の頃の自分がどれだけ性やら異性やらを恐れていたかを思い出して。年を重ねると流石にそんな痛みはなくなるものの今度はハンバートの絶望的な愛に胸を詰まらされるのだった。特に再会場面の絞り出すような告白は電車の中で読みながら息が苦しくなった。
    研ぎ澄まされて自在な文体はハンバートが(としておく)自らの妄執を弄んでいるかのよう。彼の諧謔趣味についつい噴き出してしまいながら読み進めていくと次第に文章は蛇行し縺れて狂気の様相を呈し始める。そして最終場面、ハンバートの行き場を失った恋情と砕けて無数のかけらになった思念。
    ハンバートは愛に溺れる自身を語りながらその文章表現は感情と奇妙な距離を保つ。これは全篇に貫かれている。こういった捩れにまた翻弄される。そして今度も、これが本当は何を書いた本なのかつかめないまま終わる。
    今回は割合に時間をかけて少しずつ読んだ。そうするとますますこの小説の無数の顔が見えてくる。読みかけのページに栞を挟んで閉じた後、心に去来する感覚は毎回違う。同じ箇所を繰り返し読んでもそうなのかもしれない。
    いずれまた再読する。最後に本音。「美しいパズル」の要素はわたしには理解できなくてもいい。目がチカチカするような言葉の海に身を沈めているだけでいい。

  • 『テヘランで……』の前に読んでおかなきゃなぁ、と思い、一気読み。
    何かの書評で、読もうと思って積んでいた『ロリータ』が、棚にはちゃんとおわしました。
    さて、これを、どうレビューせえと?(笑)

    敢えて、綺麗な部分だけで再構築はしません。
    ロリータちゃんの言葉を借りて言うなら、ハンバート義父(パパ)、キモすぎる!

    ただ、ロリータを見事手中に入れるまでの、ドキドキ感と焦ったさ、我慢の出来なさが溢れんばかりの第一部はまだフィクションとして読める。
    エロくないという感想もあるけど、いや、じゅーぶん官能的。いや、ぬるいな、卑猥だと思います。

    そして、ハンバート目線で、ロリータを妖精視してしまっている自分と、そんなハンバート的自分を嫌悪しているメタ自分とが混在します。

    結局、少女時代の持つ蠱惑は分かるけど、我慢しなさいよ、という結論に至る。
    ハンバートが、もう少し我慢のきく(内面はドロドロであっても)オジサマであったなら、楽しめたのではないかと思う。

    第二部は、手に入れたものを逃がさない章なので、ただ辛かった。
    以下、ネタバレ含みます。

    ハンバートは最後、彼女に「自分と一緒に旅をして欲しい」と願う。
    勿論、ロリータはそれに従うつもりはないし、お金を貰うために愛を奉仕することと受け取る。

    そして、ハンバートにとっても、少しずつ「あの頃」のロリータとは違ってきていると分かってもいて、なぜ一緒になりたがったのでしょう。

    ロリータでいられるのは短い時間のはずが、実はハンバートにとって、そうでなくなっていたのか、とか。
    ロリータは最後、殺されることでしか終われなかったんだろうか、とか。色々、未消化。

  • ナボコフは好きな方なのだけれど、題材が題材なので絶え間なく嫌な気持ちになってしまい、読み通すのに苦労した。主人公の饒舌な自己正当化には小児性愛者としてだけではなく、他者を性的に消費する者に共通の思い上がりがあるようで、不愉快でたまらなかった。ナボコフなので読み返す楽しみがあるはず。違う読み方ができればよいのだが。

  • 主人公どヘンタイすぎワロタwww……と思いきや?感動のラストに魂が震える世界文学の傑作。解説:大江健三郎

    海外でどうなっているのかは知らないが、日本においてはすっかり定着したロリコン=ロリータ・コンプレックスという言葉。その語源となった本作は、ロシア出身、アメリカで活躍したナボコフの出世作だ。彼はロシア語と英語で多数の作品を残した。この『ロリータ』は当初英語で書かれ、アメリカでベストセラーになった。その後スタンリー・キューブリックによって映画化されたり、日本ではロリコン・ブームと呼ばれる現象になるほど、強いムーブメントを起こした。現在では一つの概念として、ロリコンという言葉が当たり前に使われているのはご存知の通り。

    そんな本作は、そのセンセーショナルな内容から各国で発禁処分を受けたりしたが、その後は文学的に評価されて、現在ではアメリカ文学の古典として認知されている。
    自分が今回、興味を持ってこの小説に取り組んだ理由はそこだ。単純に性的な倒錯を描いただけでなく、ミステリーやロードノベルなどの複合ジャンルになっていたり、さらに時代風俗や言語遊戯などの要素を含み、統合的に文学として非常に評価が高いところに注目した。

    さて、実際に手にとってみると、これはすごく読みにくい。ディティールの緻密さ、情報量の多さと、独白調文体が独特で、なかなか頭に入ってこない。さらに600ページオーバーの長編だ。ざっと通読するだけでもかなり読書的な体力が必要だった。しかし、読みにくさに反して、というかこれだけ読むのがつらかったにもかかわらず、本作は面白かった!

    基本となる主人公の性的倒錯の物語について。これは予想の3倍以上は倒錯していて笑ってしまった。タイトルを忘れてしまったけれど、むかし深夜放送で見た、40代の中年男が14歳の女の子と恋愛関係になってしまったという(フランス?)映画が印象に残っていて(女の子がプレゼントしようと思って美術館で絵画を盗んでしまうシーンを覚えているのだけど、この映画どなたかご存知ありませんか?)、そういう感じの話かと思っていたら、甘かった!本作の主人公はそんなレベルではなく、マジのガチでド変態なのだ。前思春期の少女にあらわれる性的な魅力を「ニンフェット」と名付け、特定の個人ではなく、ニンフェットたちの魅力そのものを愛する30代後半の男の人生が語られる。その言動には終始ニヤニヤしながら見ているしかなかった。ところが、これが感動への伏線のようになっていて、以外にも結末は泣けるところへ行き着くのが本作最大の魅力だと思う。

    本作がすごいのは、エロティックな倒錯小説というだけでなく、先にも述べたように多様な要素を含むところだ。全体を通して1940年代のアメリカの風俗小説ともいえるし、文学知識への言及や言語的な遊びが多用され、後半はロードノベルからミステリー的な展開となっていく。初読で読みにくいのはあまりに情報量が多すぎて頭がついていかないからなのだ。したがって、一回の通読だけでは多くの情報を読み落としてしまうため、物語の筋書きを知ったあとで、何度も再読する価値のあるタイプの作品といえる。というより、繰り返し読むことが前提になっているパズルのような小説といっていいかもしれない。

    これらのことも含め、恋愛小説としても感動したので、まさに世界文学の名作にふさわしい傑作だと納得した。
    巻末の解説には、先日亡くなられた大江健三郎さんの名が。小説家志望の若者に、本小説が参考になるとして研究を推奨していたのが印象深い。
    後世への影響も計り知れないが、本作自体も未だに謎とされている部分が残っていて、まだまだ読み継がれ研究されていくのだろう。

    ※巻末の注釈は、再読用のものとして書いているようで、ネタバレをさけるならば、まず一度は通読してからがベストのようです。(本作にはミステリー要素がある!)

  • 先に映画を見ていたので、流れはわかってしまっていましたが、映画より本の方が面白かったです。語り手の心情がとてもリアルで、引き込まれました。
    たまに背景描写が長くてちょっと読み飛ばしました。

  • ナボコフが1955年に発表した長編小説。少女性愛者ハンバート・ハンバートと少女ドロレス・ヘイズとの関係を、彼の手記という形で描いています。スタンリー・キューブリックが1962年に映画化しました。中年男性が少女を弄んでいるのか、それとも、中年男性が少女に弄ばれているのか、いかようにも受け取れます。また、読み方によって、喜劇にも悲劇にもなります。アメリカのロードムービーみたいな感じでも楽しめます。終盤は、こちらまでおかしくなってきます。タイトルからイメージする内容と違い、本作に官能小説を求めるのは間違いです。

  • 主人公ハンバートには幼い頃に相思相愛の少女がいたが、親に引き離され、さらに彼女は事故死してしまう。時を経てハンバートは大人という年齢になっても大人の女に興味が持てない男となっていた。ある日ハンバートは若い母娘の家に下宿することになり、そこに居たのが少女ドロレス・ヘイズであった。

    ハンバートの少女への倒錯した想いが情熱的に、そして変態的に綴られ、その心情に多くのページを費やしている。でもこの理解を越える想いが異常なまでの執着さに繋がるのかと納得もする。
    「ロリータ・コンプレックス」の語源となった作品であるし複数少女への偏愛小説かと思ったら、あくまでもハンバートから少女ドロレスへのある意味一途な恋愛感情だったので意外だった。とは言えその感情はあまりにも一方的で、ついにはドロレスすら不安定にさせるほど十分狂気ではあるのだけど。
    冒頭はやっぱり印象的。
    「ロリータ、我が命の光、我が腰の炎。我が罪、我が魂。ロ・リー・タ。舌の先が口蓋を三歩下がって、三歩めにそっと歯を叩く。ロ。リー。タ。」

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著者プロフィール

1899年ペテルブルク生まれ。ベルリン亡命後、1940年アメリカに移住し、英語による執筆を始める。55年『ロリータ』が世界的ベストセラー。ほかに『賜物』(52)、『アーダ』(69)など。77年没。。

「2022年 『ディフェンス』 で使われていた紹介文から引用しています。」

ウラジーミル・ナボコフの作品

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