情事の終り (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (380ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784102110010

感想・レビュー・書評

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  • この小説を初めて読んだとき、
    「はっ!」となって、

    「すごいものを読んだ気がする、
    でも私の読解力が不足していて
    逆にそんな風にとらえてしまっているのかも?」と
    不安になり、
    「また、しばらくしてから読み直そう…」と思い、
    そう思いながら時は流れ流れて…

    この度、本当に久しぶりに読み返しました。

    主人公は友人の妻と不倫の関係にあったが
    空襲のあったある夜に…

    この主人公の作家ベンドリクスが、
    高級官吏の友人のことを心の中で
    間抜けなうすのろ扱いしている描写が好きなんだ。

    この作品はキリスト教がふかく関わっているから、
    詳しい人ならもっと深遠な意味もくみ取ることが
    できるのだろうけれど、

    キリスト教にはほぼ素人同然の女(わたしです)でも
    二回目読んだ今、
    一回目と比べるとそれ以上に、
    「はっ!」となるくらいの、ある種の驚き、

    この吃驚はもしかしたら、なにかの「気付き」
    なのかな?って。(そうなの?)

    「ほぇ~…、でも、そうなのかな?」となって
    「また今度読み返そう…」となり、
    そんな感じでずっと、何回も読み返して、
    いろんなことがわかって、
    今度はまた別のまたわからないことがでてくる、
    というような不思議な、
    でもやっぱり圧倒的に素晴らしい小説、
    と言う気がする!

  •  キリスト教はあまりよくわからないので、絶望の描き方に注目した。漱石の『こころ』を思い出しながら読んだら少し興味深く読めた。

     この二作間に共通するのは、まず一人の女性をめぐる三角関係が描かれていることだ。しかし、この三角関係を構成する三人が、『情事の終り』は一味違う。『こころ』では、先生・K・お嬢さんという、男性2人が同じ女性を好きになるタイプのオーソドックスな三角関係なのだが、『情事の終り』ではモーリス・ヘンリ・サラァ……と見せかけて、モーリスの恋のライバルはサラァの夫ヘンリではなく、神様なのだ。恋のライバルがカミサマですよ。なんかそんな感じのラノベありそうじゃない? ないか。
     仏壇と神棚が両方家にあり、クリスマスにはケーキを食べてお祝いをする典型的無宗教日本人な私としては、ちょっと馴染みがなさすぎてピンと来なかったのだけど、なんとなく、サラァがベンドリクスを愛すれば愛するほど、神への愛をも深めていくのかなあと思った。いや、よくわからん。

     三角関係を構成する一人が死んでしまうのも、『こころ』との共通点だ。『こころ』では恋に敗れたKが自殺し、先生もやがて自殺を選ぶ。『情事の終り』で死ぬのは悪い風邪にかかってしまったサラァで、小説は「永久に私をお見限り下さい」というモーリスの絶望で締めくくられる。人間が自ら死を選ぶときは少なからず人生に絶望しているものだと思うが、先生の絶望は自分の内面へ向かって深く深く突き刺さっていくのに対し、モーリスのそれはサラァのいなくなった世界へ向かい、サラァを連れ去った神へと向かう。わたしなんかは、モーリスがサラァを追い立てなければサラァは悪天の中外出しなかっただろうし、病気をこじらせることもなかったんじゃないかと思ったんだけど、自分のせいでサラァが死んだのだとは思ってもみないのだ。でもそれはモーリスが無責任だからというわけでは少しもない。彼らは神を信じ、愛していて、人間の運命を左右するのは神にだけ可能なことなので、他人の死の責任を自ら負うなど彼らにとってはかえっておこがましい考えなのだろう。

     宗教が生まれたのは、結局のところ人間がこの世に生きる救いを求めたからだと思う。しかしながら、神を愛する人は、この残酷で不公平な世界にあっては同時に神を憎まなければならないのだ。


    ※2012年秋 紀伊国屋書店新宿本店「本のまくらフェア」にて紹介されていた本。
    ※私が読んだ版は表紙が新しくなっていました。

    原題:The End of the Affair

  • 主人公の視点からだと、熱烈に愛し合ったのに、急に心変わりした薄情な女だったのが、手記を見つけてからは、誰よりも愛されていたことが分かり、ひっくり返るところが好き。彼を救うという奇跡を願い、代償に全てを神に捧げる。

  • 高校時代に読んだ。
    映画も良かったはず

  • 島本理生が好きな本として挙げていたり、江國香識の小説の中に登場したりと、恋愛小説家の支持が高い作品だったので積読リストにいれてました。

    舞台は第二次世界大戦末期のロンドン。
    無人攻撃機による爆破が相次ぐ状況の中、小説家で無神論者の男と高級官吏の人妻の恋愛小説です。

    が、タイトルからイメージするような官能的な香りは全くせず、ひたすら男の心理描写が続いてゆきます。
    しかもその心理が愛ゆえに、ではありますが女への憎悪と嫉妬が大部分なのでげんなりしてしまいました、こういうのかなり苦手です。

    そうでなくてもカトリックについての基礎知識がないと深い理解が出来ず、そういう意味でも読むのに苦労する作品でした。
    神を憎む、ってことは神の存在を認めはじめた、ってことになるんですって、確かに。
    テーマは恋愛ではなく、信仰への開眼、ではないでしょうかね。

  • 遠藤周作が影響を受けていた作家ということで、目を通してみることに。

    愛=神の図式は無神論者には少々とっつきにくい。

    まだ結婚が幾分でも儀礼的な意味合いを持っていた時代。
    真に愛とは何なのかを不倫を通して浮かび上がらせる。

    神を信じない主人公の怒りや嫉妬の行き先が、
    不倫相手や夫、他の姦通相手に届いていたうちはまだ手の打ちようもあった。
    だが、相手が神に変わってしまうと途端に雲行きが怪しくなってしまう。
    神を憎むということは、すなわち神を信じるということと同義だからだ。

    この作品は前半と後半で愛の質が大きく変わる。
    前半の恋愛についての割り切った説明は、これ以上ないくらいに恋愛を分解したものだろう。
    後半は神を相手にする不毛さが、時として愛をも不毛にさせてしまう危うさを感じてしまった。

    私自身は無宗教ですが、
    神はいるのか、いないのか、
    神は残酷なのか、愛なのか、
    といった話が大好きです。

    この主人公が作者かのような設定は
    うろ覚えではあるけれども、
    遠藤周作『スキャンダル』
    に通じてるのかな、と思う。

    自分は
    例え将来的に大きな幸せを得られなくても、
    俗物的な愛だけが欲しいと思ったりして。

  • 表題の「情事」は、affairの訳語として選ばれたのだが、訳者「あとがき」によれば、それは「終りのあるもの」であるらしい。確かに「愛」と言ってしまえば、それは無限の大きさを持つものであろうし、有限ではない。とりわけ「神の愛」という時には。モーリスの愛は逆説的に「憎む」ことにおいてしか確認できないし、サラアの愛もまた徹底して現世的である。この小説は「愛」を語りながら、愛の不毛をこそ示唆するかのごときである。複数のナレーションが駆使されるが、小説が深化するほどに読者たる我々は「愛」を見失いそうになるのである。

  • 2012年12月 読了

  • 「およそ小説には始まりも終わりもない。」

  • 非常に読ませる。映像的な情景描写も見事である。
    不倫の恋と信仰の目覚めを扱いながら、倫理的判断を徹底的に排した視点が見事だと思う。神への信仰によって良心が不倫を咎めるという安易な構図には決して陥らない。
    物憂い、抑制の利いた中年男性の一人称視点も居心地がよい。

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著者プロフィール

Henry Graham Greene (2 October 1904 – 3 April 1991)

「2012年 『なぜ書くか』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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