赤毛のアン 赤毛のアン・シリーズ 1 (新潮文庫)

  • 新潮社
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  • / ISBN・EAN: 9784102113417

感想・レビュー・書評

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  • (たらたらと書いていたら、恐ろしく長くなりましたが、要は「赤毛のアン、という本を生まれて初めて読んだら、えらいこと面白かったです」というだけのことです。以下、「赤毛のアン」に興味の無い人は、あまりに長いのでくれぐれも読まないで下さい)

    ###########

    電子書籍で読みました。新幹線の中で読み終えたのですが、涙、泪。
    いい歳したおっさんが、ネクサス7を見つめてしゃくりあげている、という、かなりみっともない有り様。隣の席が空いてて、ほんとに良かった。

    お友達と続けている「ゆるい読書会」の課題図書。流石に「赤毛のアン」、読まないですからね…自分だけの興味では。

    でもまあ、それなりに面白いのだろうな、と。
    エンターテイメント、人情ものなんだろうし。
    自分の中のストライクゾーンをぎゅぎゅぎゅっ…と広げて。「楽しむぞっ」と読み始めた訳ですが。
    もう、そんな心配は読み始めてすぐに霧消しました。

    子供向きの小説、少女小説と思っている人も多いと思います。僕も正直、そういう偏見を持っていました。
    いやあ、とんでもない。
    この小説の豊饒さ、子供に味わい尽くせるわきゃぁ、ありません(でも、子供の直観的な咀嚼力っていうのは大人の比では無いので、子供時代にまず読むのは素敵なことですが)。
    また50代、60代になったときに、もっともっと美味しく読めるのでは、と思いました。

    まあ厳密に言うと、アンが登場するまで(ほんのちょっとですけど)が、やや読みにくかったですね。
    物語の舞台とか、世界観とか、言葉使いとか。まあ要するに「ゲームの規則」が、すんなりと入らない感じはありました。
    でもまあ、当たり前。だって、100年以上前にカナダ人の女性が書いたものですからね。
    モンゴメリーさんも、100年以上経って、ニッポンとやらの中年のおっさんが翻訳で読むだろう、と思ってはいなかったでしょう。

    ###

    カナダ。プリンス・エドワード島、という場所なんです。どんな場所なのかサッパリ判りませんが。
    時代は、どうやら1900年前後なんですね。
    日本だって、1900年前後っていうと、どういう暮らしの時代だったのか、すぐにはわかんないですよね。
    ましてや、プリンス・エドワード島の1900年前後ですから。よくわかんないです。
    でも、とりあえず人々は馬車に乗って移動してます。列車があって、駅があります。

    プリンス・エドワード島の、アヴォンリー、という村のお話です。
    マリラさん、という中年の独身女性が居ます。マシュウさん、という無口で不器用で、やっぱり独身の兄と、ふたりで暮らしています。
    どうやら、農場があって、一人か二人の使用人も使って農業を営んでいる様子(だったと思う)。
    一家の切り盛り役、主婦役であるマリラさん。それなりの良識と品格を持っている厳格な感じです。

    そんな、もう若くない、兄妹の二人所帯。「なにくれ家の労働のために、遠くの町の孤児院から、10歳くらいの男の子を貰って来よう」、という決意をする訳です。
    で、それを町に同様の用事のある知人に頼んだんですが。
    到着の日に、兄のマシュウさんが馬車をパカパカ、駅まで迎えに行くと。
    そこには男の子じゃなくて、赤毛のアンが待っていました。
    はじまりはじまり。

    単純な、勘違い、マチガイだったんです。男の子のはずが、女の子を貰ってきちゃった。

    厳格で品格のある、一家の主婦マリラさん。「気の毒だけど、男児じゃないなら要らない」と、孤児院に帰そうとします。
    ところが。

    とりあえずで一泊したりしているうちに。
    赤毛のアンが、しゃべること、しゃべること。
    機関銃速射砲のようなおしゃべり娘。
    アヴォンリーの村の豊かな自然の美しさや、そこから想像する色んな事。
    そう、アンは「想像力の申し子」。妄想暴走族なんです。

    そしてマリラさんが身の上を糾すと。
    まあ、可哀そうなんです。

    両親が早世して、親戚に預けられ。
    そこも不幸があって、子守下女奉公としてキッツイ辛い暮らしを舐めた挙句に、孤児院に入れられたんですね(多分)。

    「赤毛のアン」は、歴史の表舞台には決して出ない、最下層に近い貧困娘なんです。
    そして、10歳になる前から、子守労働に追い立てられて、何の娯楽も無く過ごしてきたんですね。
    アンの、唯一の娯楽は、「想像すること=妄想すること」だったんです。

    自分には親も無く、後見人も無く、財産も無く、誰ひとり、教養も教会もキリスト教も教えてくれず(当時のカナダ的には、市民階級であることの条件だった。のでしょうね)。
    キレイな服も、カワイイ髪飾りも、それどころが自分の家も無く、学校も行けず、友達もいません。
    その上、さほど美人でも無く、トドメは、赤毛な訳です。
    (さっぱりわかりませんが、どうもこの頃のカナダでは?赤毛というのはあまりカッコイイことではなかったようですね。アンはさんざん、「黒髪になりたい」と言います)

    でも、マリラさんとマシュウさんの前に現れた、痩せた赤毛のアンは、とってもキラキラ元気いっぱいなわけです。
    何しろ、降って沸いた幸運で、孤児院を出て美しい自然の村の家に引き取ってもらえる訳ですから。

    と、言う訳で、当然ながらマリラさんもマシュウさんも、アンを孤児院に突っ返すわけにも行かず。
    引き取ることになる訳です。
    マリラさんとマシュウさんが暮らす家は、緑色の屋根がある家。村では、屋号みたいな感覚で「グリーン・ゲイブルズ」と、呼ばれています。
    そこで暮らすことになったアン。「グリーン・ゲイブルズ=緑の切妻屋根の家 の、アン」が原題です。でもこれ、「赤毛のアン」の訳題、素敵ですね。村岡花子さんの功績でしょうかね。

    ###

    というのが、言ってみれば導入部の粗筋。

    そこからは、アヴォンリーの村の一員となったアンの引き起こす七転八倒。
    「赤毛である」ことを揶揄されたらキレて喧嘩腰になったり。教会に変な飾りをつけていき怒られたり。
    始めて友達ができて有頂天になったり。遊びで屋根から落ちて危なかったり。赤毛が嫌で、染めてみて大失敗したり。

    そして、家族でもなんでもない赤の他人の、マリラさんとマシュウさんと、家族のようになっていく物語です。

    なんとなく、細かい微笑ましいエピソードのぶっつなぎのような装いで話が進みますが。
    まさに大河ドラマ、大きなゆったりした流れになっていきます(NHKの時代劇のようだ、という意味ではありません)。

    で、これが泣けるんです。少なくとも僕には。
    (ただ、この10年くらい、めっきり涙もろくなっていますので、みんなに泣ける話なのかどうかは、知りませんけど)

    まずは、ホームドラマ、家庭内の葛藤を描くという意味で、実に強力。
    「ホームドラマっていうのは、仲の良い家族がいて過激な不幸も起こらないのであれば、面白いはずがない」
    という定説がありますが、「赤毛のアン」は実に王道。

    <結婚せずに生きてきた厳格な中年女性>

    <田舎町の社交からも背を向けた無口な中年独身男>

    子育てどころか、恋愛もほぼ、経験の無い、このふたり。
    このふたりが、

    <家族を持ったことのない貧しい孤児院あがりの娘>

    と、ぎこちない家族ゲームを繰り広げる訳です。

    そして、ヒロインのアンは、島の社会、学校、子供のサロンの中で適応するのに、心が傷だらけになる。けれど、前向きさと快活さを失ないません。
    もうそれだけでもキュンキュンなんです。

    それに加えておとなのふたり。
    マリラさんとマシュウさん。まあ、特にマリラさんなんですけど。
    恐る恐る、アンを躾ける、育てる訳です。
    なんだか時折、やっぱりキュンとしちゃったりするわけです。
    なんだけど。ここまで、島の狭い世間の中で。
    自分はそういう「愛を与える人情派のお母さんキャラ」で、生きてこなかったんですね。
    そんなことよりも、質素で敬虔に、モラルとルールに忠実に、他人に隙を見せずに。
    他人に笑われないように生きて来たんですね。
    そんなに裕福な家ではないということもあります。
    そして、なによりも、結婚して家庭を持たなかった。
    100年以上前であれば、田舎の地域社会ではそれだけで痛みを伴うでしょう。
    そういう、「うしろめたさ」みたいなものが根っこにあるからなんですね。
    なんだかとにかく、胸を張って厳しい顔をして生きて来たんです。
    でれでれしたことが無い訳です。

    だから、アンを引き取るのであれば、まずはこの子を「世間体の悪くない一人前の子供」にしなくちゃならない。
    そのためには、もちろん衣食住も、優しさも与えるけれど。
    デレデレのラブラブに可愛がってはイカンのだ、と。
    自分が威厳を保たねばならないし、この子の躾に良くないの。
    …なんだけど。

    めいいっぱい傷つきながら、めいいっぱい子供らしく生きているアンの、キラキラしているその、キラキラを前にして。

    これまで「自分はこういう人間である」と、決めてきたクールで厳格なキャラクターが、もう、ぐらんぐらんになっちゃうわけです。

    何だかよくわからないけど、ぎゅぎゅぎゅーっと、いっぱい抱きしめて。なんでもかんでも受け入れて。
    世界を敵に回してでも、ありとあらゆる痛みと労苦と雨アラレから、なりふり構わず守ってあげたくなっちゃうわけです。
    頼まれてもいないのに(笑)。

    と、いうこのマリラさんが、そんな風に、「アンのキラキラ暴風雨」に晒されながら。
    ぐぐぐっと耐える。土俵際でこらえる。
    負ケルモノカ、と顔を真っ赤にしながら力んで力む訳です。
    そんなマリラさんの物語だったりする訳です。
    それがまあ、笑えて笑えて、涙腺に来ますねえ。たまりません。

    僕は男性読者ですから、男性キャラのマシュウさんも、大好きです。
    中年で、働き者で、趣味も無く、恋愛経験も多分無く(失礼)、地味で無口でツマラナイ男なんです(ホントにすみません)。
    人間相手にしないで、作物とか樹木とか相手にしてるんです(多分)。
    で、こんなマシュウさんにも、アンは初対面から、妄想暴走族キラキラトーク炸裂なんです。

    あの川はなにかしら、あの花は素敵だな、
    あの雲がきれいだな、もし××だったらどうなっちゃうだろう、
    マシュウおじさんはそんなこと考えたことある?、エトセトラ、エトセトラ。
    マシュウさんは「さあ、わしにはわからんねえ」「そうだね、考えたことないね」の二つ文句を左右のパンチに繰り出す以外にない訳です。

    そうなんですけれど。
    田舎町の片隅で、結婚もしなかった兄妹ふたりで。
    肩を寄せて無口に暮らしてきた歳月があるわけです。

    作曲吉田拓郎、作詞岡本おさみ、名曲「襟裳岬」の世界なんです。
    「わけのわからないことで悩んでいるうち 老いぼれてしまう」
    「黙り通した年月を」「身構えながら話すなんて」
    「日々の暮しはいやでも 静かに笑ってしまおう」
    「いじけることだけが生きることだと」
    まあそういう世界なんです(多分)。
    ※知らない人は、youtubeあたりで是非。僕は森進一さんよりも吉田拓郎さんが歌ったのが好きです。

    そんなマシュウさん、そしてマリラさんにとっても。
    天が(偶然と間違いが)送ってくれた、キラキラ問題児の赤毛のアンは。文字通り、「通り過ぎた 夏の匂い」(襟裳岬より)なんです。
    (脱線しますが、「通り過ぎた 夏の匂い」なんて日本語、素敵ですねえ。歳を取ったからかなぁ…。)

    マシュウさんは一貫して、「アンを育てるのは、お前だ」と、妹マリラさんに「アンのしつけ」の、主導権を渡しちゃいます。
    超ヘタレの弱気の草食系です。
    (まあ、マリラさんがきっついですから。主導権を譲らないんですけど)

    なんですけど、主導権を完全に放棄した上で。
    徹底してアンに対して、穏やかに優しく、甘やかす訳です。もう、ぜーんぜん怒らない。なにやっても怒らない。
    もう、これはこれで、春琴抄のお琴と佐助のような。盲目ケッコウ、無茶苦茶ケッコウ、開き直ったあっぱれさ、なんです。
    そして、何ひとつ、アンに教育もしません。
    マシュウさんは、ひたすらアンのおしゃべりを興味深く聴くんです。それが愉しいんです。
    それが、アンにとっても大事なことなんです。

    そして、マリラさんに、ことあるごとに、言うんです。
    「そうさな、マリラ、お前はあの子を音楽会に行かせてあげなきゃならんよ」みたいに。
    「いけませんっ!あの子の躾は誰がやるんですか!」
    「そうさな、それはお前だよ。その通りだよ。でも、あの子を音楽会に行かせてあげなきゃならんよ」
    みたいなやりとり。
    もう、これだけで笑えて泣けちゃうんです。僕だけでしょうか?読んでみてください。
    (で…結局ぶつぶつ言いながら、マリラさんもアンの希望をかなえてあげる訳です)



    と、まあ、こういうことを書いているといくらでも…なんですけれども。

    小説として良く出来ているから、面白いんですね。当然。

    どれだけスバラシイ小説でも、神様が作った訳じゃなし。言葉を選んで並べる作業の結果なんです。

    僕はモンゴメリーさんについては、実はネット検索もしていなくて、トンと知らないのですが、「小説書くのが上手いなあ」と舌を巻きました。

    あんまり冗長になってもしょうがないので順不同に箇条書きにすると、

    ●アンの暴走する妄想力、という無数のディテール。草花、自然、お姫様的妄想から食べ物、服飾まで、そのディティールの強固さ。
    (ただしこれについては、僕が女子力は低いので、評価する資格はないかもですが)

    ●自然の描写、そして懐にすすうっ、っといきなり手を入れちゃうような、素直な素朴な、読み易い心情描写。
     ハッっとするくらいにストレートなんだけど、言葉のバリエーションと言い回しは、時折、レイモンド・チャンドラーかしらん、と思うほど豊富でバリエーション豊かです。
    (ま、これは訳の村岡花子さんの功績がどれだけあるのか、判りませんが)

    ●アンを軸にしながらも、お話を転がしていくうえで、読者の視点を細かく切り替えつつ、上手く省略していきます。
     これはどういうことか、と言いますと。
     例えば。アンが落ち込んでいる。落ち込んでいるんだよお、ということを、アンの気持ちで読ませる。
     ああ、アンは落ち込んでいるなあ、と読者は思います。
     そこに嬉しいニュースが来ます。
     親友・ダイアナから。××だからすぐ来てね、みたいな。アンは大喜びで飛び出していきます。

     …っと、ここで視点が、ばっくり切り替わります。
     同時に省略が起こります。

     時間経過があって。夜。
     ダイアナの家から戻ったアンが、マリラとマシュウに、夢中になって、今日の出来事を話している、という場面になります。
     これはつまり、
    「マリラとマシュウのいなかった場所で何があったかは省略して、マリラとマシュウに何があったのかを、アンが話している場面から語ることを、作者は選んだ」
     ということなんですね。
     こうなると、読者は、アンの喜怒哀楽に付き合っているようなんだけど…
     アンの喜怒哀楽を見つめているマリラとマシュウの気持ちに付き合っているような気も、してきます。

     こういうことを細かく細かく積み重ねていくんですね。

     結果として、アンが成功して成り上がっていくおとぎ話なように見えつつも。
     この物語は、ゼッタイに圧倒的に、アンとマリラとマシュウの三人の、もどかしくも幸せな愛情の歳月のおとぎ話なんですね。ま、わかりませんけど。
     この小説家、上手いです。ウマイ。

    ●プリンス・エドワード島の、アヴォンリーという田舎町。この田舎町の人間たちの描き方が上手いなあ、と思います。
     なにがって、要するに、「けっこう、嫌な奴らと愚かな奴らばっかりの、つまらない村だ」という側面もぐっさり描いているところですね。
     こういうことは、洋の東西、新旧時代を問わずに変わらないなあ、と思ったのですが。

     だってまあ、ド田舎っちゃあ、ド田舎なんですよ。
     お隣さんまで全力疾走で何分かかるか、馬車乗っていきますか?みたいな、田舎なんですよ。

     みんな顔見知り。プライバシー崩壊。噂話に尾ひれがついて。村人はたいがいが暇だし、どこにも行きやしないんですよ。
     教師やら牧師やらは偉そうにしているし、偉そうに扱われているけど、カスみたいな人だったりもします。
     村人たちも内心はそう思ってるけど、二枚舌、表裏。社交界。

     そんなような世界観も、ガッチリあるんですね。
     世界はやっぱりダークだし。ハードだし、シビアだし。弱肉強食いじめが横行。身分に格差に勝ち組負け組。既得権益者の権威が保守的で官僚主義なんです。勢いだけで書いてますけど。
     なんだか2015年の日本みたいですね。ま、それはさておき。

     そういう前提が確かにあった上での、アンとマリラとマシュウのおとぎ話なんだなあ、という読後感。
     コンなことはそりゃあ、現実にはね。難しい。少なくとも、難しいと考えるのが大人の分別。判ってる上での、ファンタジー。
    「一杯のかけそば」的な足腰の弱い人情噺じゃないんです。あの話、好きな人がいたらごめんなさい。

     そんなアヴォンリーの世間図に、アンというヒロインを投げ込むことで、オセロの黒が白に裏返っていく。そんなエンターテイメントですねえ。

    ●したがって、「アンみたいな良い子、居る訳ないじゃん。白けるよ」という拒否反応もあるかも知れませんが、勿体ないですね。
     別段、それが是とか非とか、ということは無いんですけど、勿体ない。
     どうしてかというと、「ゴルゴ13」というマンガがあって、マンガとしては程度はともかく文句なく傑作な訳です。
     日本人の男性なら説明する必要は一切ないんですが、ゴルゴ13という名で活躍する超人的な狙撃者の活躍するマンガなんです。
     この「ゴルゴ13」について、「あんな狙撃の上手いヤツが存在する訳が無い。白ける。面白くない」って言われても…。
     それは勿体ないじゃないですか。
     そこンところはお約束でひとつスルーしておいて、それで楽しめる訳です。フィクションという想像力に対する寛容さの問題とでも言いますか。
     だから、そりゃアンは良い子だし、勉強も結果的に出来ますけど。そこで門を閉じちゃうと、ほんとに勿体ないです。「ゴルゴ13」が嫌いな人は、この話は忘れて下さい。


    なんだかんだで恐ろしく長くなりました。
    自分が見返す備忘録にしてもあんまりなんで、端折りながら書きます。

    ●序盤の、「アンがマリラに濡れ衣を着せられるけど、遠足に行きたいために、嘘の告白をしちゃう事件」。もうあの辺から、ケッコウ泣けましたねえ…弱いなあ涙腺。

    ●学校の先生がアンポンタンで(死語?)、アンが登校拒否。なんだかんだ言いながら「あの先生もアンポンタンだからねえ」と、登校を強制しない、マリラたち。こういうのいいなあ。
     小学校の教室って、ある意味、ブラック企業並みに理不尽で不可解だったりしますからねえ。いつの時代でも。

    ●ところが、物語の後半、アンポンタン先生の入れ替わり?でやってきた女先生が、素敵な先生で、アンの人生に大きく影響を与えます。
     このあたり、前任者がアンポンタンだった前提があるから、おとぎ話としても用意周到、上手い。

    ●アンが10歳くらいから、16歳だか18歳だかくらいまでの話なんですけど。
     優等生のアンが、進学のために、アヴォンリーを離れることになる。
     そこンところの別れのあたりの、マリラとマシュウ。
     もう、この辺、泣けちゃって泣けちゃって…。

    ●赤毛であること、その外見を自己嫌悪していたアン。そんなアンが終盤の大舞台で、赤毛も含めて美しいと絶賛されます。
     貧しかった、裕福な暮らしや境遇を妄想して生きていたアン。そんなアンが終盤で、大きな町に行き、金持ちの人と懇意になり、視野がイッキに広がります。
    そして「あたしは、自分のほか、だれにもなりたくない。どんなお金持ちとも入れ替わりたくはない。グリーンゲイブルズのアンで満足だ」と言い切る。

    ●男の子じゃないから、という理由で捨てられそうだったアン。そんなアンに、終盤でマシュウさんが言う。「十二人の男の子よりもお前一人のほうがいいよ」。
     これ、1900年前後ですからね。まだまだ、世界中が男尊女卑の性差別が当たり前だった時代です。

    他愛もない、少年少女時代のきらきら挿話の積み重ねが、ゆったりと大きな川になっているんですねえ。パチパチ。

    そして、最終盤。全て成功めでたしめでたしじゃないんですね。
    でも、素敵な前向きな終わり方。

    他にも、ギルバートくんのこととか、ダイアナとの友情とか、素敵なことはいっぱいありますが、この辺で。
    この後、「アンの青春」以下、長い長い続編がありますが、すぐじゃなくても、いつか読みたいと思います。
    先々の愉しみが増えて、嬉しい限り。

    解説か何かで読みましたが、マーク・トェインさんが同時代に絶賛されているんですね。
    そりゃ、これだけ面白ければ、ねえ。

    ####

    思ったのですが。
    やっぱり自分が20代だったりしたら、この小説を、これほど面白いとは思わなかったかも知れませんね。
    やっぱり、想像力なのかも知れません。
    「孤児の可哀そうな女の子」「身寄りのない恐怖」
    「単純労働に追われる切なさ」「貧富の差」「老いていく孤独」
    「田舎の自然の美しさ」「田舎的な共同体の息苦しさ」…
    そういったことが、きっと想像しきれなかったかもなあ、と。
    上に書いたようなことは、実は21世紀のにっぽんの僕たちの身の回りでも、ぜんぜん普通に転がっている、当たり前のことなんですよね。
    でもそれが、恵まれて健康に暮らしている大都会の20代、だったころには、見えていなかったかもしれないな、と。
    そうすると、この小説のような味わいっていうのは、ただのお安いメロドラマ、なーんて切り捨ててしまっていたかもしれませんね。

    • koba-book2011さん
      本当にそうですね。何歳になったら、マリラさんやマシュウさんの目線で感じることができるんでしょうね。アンだけの目線でも面白いのですけどね。
      本当にそうですね。何歳になったら、マリラさんやマシュウさんの目線で感じることができるんでしょうね。アンだけの目線でも面白いのですけどね。
      2015/05/30
    • 春いちばんさん
      心のこもった素晴らしいレビューですね! 私も一度読みましたが、再読したくなりました。
      心のこもった素晴らしいレビューですね! 私も一度読みましたが、再読したくなりました。
      2017/06/14
    • anne5shirleyさん
      な、長い❗でもこれだけ赤毛のアンについて語れるのは素晴らしいと思います。しかも中年のおじさまが…
      かくいう私も中年のおばさんですが赤毛のア...
      な、長い❗でもこれだけ赤毛のアンについて語れるのは素晴らしいと思います。しかも中年のおじさまが…
      かくいう私も中年のおばさんですが赤毛のアン歴は数十年!何度も読み返してますが、そのつど新しい発見があります。プリンスエドワード島の自然描写だったり、島の人々のエピソードだったり、母親になったアンの目線だったり…
      とにかく、いったん読まれたからにはぜひ10巻まで読んでくださいね
      2017/10/15
  • 最後に涙を流すなんて想像してなかった!人生で片隅にも置いていなかったことに後悔。最初の数ページでアンが孤児であることを知る。グリン・ゲイブルスでマシュー、マリラの兄妹から愛情を一杯に受け、強く、優しく、賢く育っていく。アンの性格は本当に凄く、正義感に溢れ、負けず嫌いで、誰からも愛される。親友のダイアナとは結婚するんじゃないか?と思うほど仲良し。水晶を無くすし、粉と薬を間違えてお菓子作るし、足ケガするし、髪を緑に染めるしハラハラでした。最後にマシューが!おーマシュー!!是非男性に読んで欲しい本です。

  •  Betty Smithの「A Tree Grows in Brooklyn」を読んだら、かつて読んだ「赤毛のアン」のことを思い出してもう一度読みたくなりました。女の子が一人の大人に育っていく姿を描いているという点では、ふたつの物語はとてもよく似ているので。

     11歳のアンは孤児院からクスバート家のマシューとマリラの兄妹に引き取られます。働き手として男の子を欲しかったはずの兄妹のところに女の子がやってきて、突然「女の子のいる家庭」ができあがってしまいます。そして、長く独身を通してきた兄妹が、孫ほど歳の離れたアンを実の娘のようにして育てはじめます。

     これまで空想することでしか孤児のつらい境遇を乗り切ることのできなかったアンは、次々に心に浮かぶことを兄妹に話し続けます。これに対してマシューは、「そうさな、わしには、わからんな」、「そうさな、それも道理だな」などと相づちをうちながら、喜んで話を聞くのです。一方、マリラは愛情を言葉や顔にあらわすことができないのだけれど心の中では十分それを感じていながら、それでもアンを甘やかしてはいけないと考え、「黙っていなさい」とアンを厳しく叱るのです。兄と妹のアンへの接し方は対照的だけれど、アンのことを大事に思う気持ちは同じです。もちろんアンにとってもマシューやマリラは生まれて初めて持つことができた大切な「家族」なのです。

     全体で38章からなる小説ですが、アンが小さな冒険をしたり成功や失敗を繰り返したりして、アン自身や周りの人たちがハラハラドキドキしたり一喜一憂するという他愛もない話が続きます。そういった話のひとつひとつも面白いのですが、これらの積み重ねの後に本当に物語が盛り上がるのは第30章の辺りからです。そして物語の大きな転換の後に、アンは新しい歩みを始めます。
    「あたしがクイーンを出てくるときには、自分の未来はまっすぐにのびた道のように思えたのよ。いつもさきまで、ずっと見とおせる気がしたの。ところがいま曲がり角にきたのよ。曲がり角をまがったさきになにがあるのかは、わからないの。でも、きっといちばんよいものにちがいないと思うの」 ── アンのこの言葉どおり、これからもアンが自分の力で未来を切り開いて行くことを予感させて物語は終わります。

     ところで、この小説はアヴォンリーの入り口に位置する窪地の風景やレイチェル・リンド夫人の家のそばを流れる小川の様子の描写で始まっています。これらの舞台装置のおかげで読者は日常から物語の世界にあっという間に連れていかれます。その後も、プリンス・エドワード島の美しい自然が繰り返し描かれていて、読者は空想の世界にどっぷりと浸ることが出来ます。

     レイチェル・リンド夫人、ジョセフィン伯母さん、そしてマリラもある意味でそうなのですが、この物語には保守的な、あるいは口うるさく厳しい人たちが出てきます。でも、根っからの悪人やどうしようもなく駄目な人というのは出てきません。いわば性善説で書かれた小説です。だから安心して読めるのだと思います。仮に現代作家が「赤毛のアン」と同じような作品を書いたとしたら、「理想主義の絵空ごとでリアリティを欠いている」などといわれかねません。でも、「赤毛のアン」は古典だから、そんな批判は無用です。

     一般には児童書と思われているかもしれないけれど、この物語の本当の魅力を理解できるのは、むしろ人生の後半を迎えた人ではないでしょうか。

    • nejidonさん
      はじめまして。何だかとても懐かしい本に出会い、あまりに嬉しくてコメントします。
      アンの世界に憧れて、自宅の庭で「ボニー」を育てています(笑...
      はじめまして。何だかとても懐かしい本に出会い、あまりに嬉しくてコメントします。
      アンの世界に憧れて、自宅の庭で「ボニー」を育てています(笑)
      アップルゼラニウム、です。村岡さんの訳では「りんご葵」でしたね。
      駅で初めてマシュウと出会う場面が、国語の教科書に載っていたのですよ。
      その頃の私がどこまで理解していたかは謎ですが、言われる通り
      大人になってからの方が(それも人生後半を迎えた方の方が)深く味わえる
      作品だと思います。
      私も久々に読み返してみたくなりました。
      素敵なレビューをありがとうございます!
      2017/07/14
    • 春いちばんさん
       あたたかいコメントを有難うございます。

       「赤毛のアン」と同じような女の子の成長物語としては、ベティ・スミスの「A Tree Gro...
       あたたかいコメントを有難うございます。

       「赤毛のアン」と同じような女の子の成長物語としては、ベティ・スミスの「A Tree Grows in Brooklyn」(邦題:ブルックリン横町)、ハーパー・リーの「To Kill a Mockingbird」(邦題:アラバマ物語)もよかったですよ。

       私は特にアラバマ物語が大好きです。

       nejidonさんの方が私よりずっとたくさんの本を読んでおられるようですが、上記2作品を未読でしたら、僭越ながらお薦めします。
      2017/07/17
  • 最初に読んで25年程が経過していると思われる赤毛のアン。久々に読みましたがやはり素晴らしい本です。
    アンの存在がありありと感じられて、マリラとマシューのアンへの惜しみない愛情に胸打たれました。アンの明るく弾けるような若さがまぶしく、どちらかというと保護者として見守っているような気持ちで読みました。
    若いころ自分も命の輝きが強いころに読んだ印象と、どちらかというとマリラに年が近くなった頃に読むと受ける印象が全く違うことに驚きました。
    アンの羽ばたきに耳を澄まして、いつか旅立ってしまう彼女の姿を想像してさみしい気持ちになります。昔は自分が旅立つ立場だったのでアン側でしたが、今は完全に見送る方のマリラの立場に自己を投影して読んでいました。
    アンが実際に存在するんじゃないか、自分と同じ時空に居ていつか会えるんじゃないかと思うくらいに活き活きしていて、読み終わった後アンロスになってしまったので、このままアンの青春を読もうと思います。

  • アンの幼少期の壮絶な過去と、想像もできない逆境をものともせず、強く賢く優しい女性に成長していくストーリー。
    古く昔から世界で愛されてきたこの本には、誰しもが共感できる点がいくつも散らばっていて、特に自分の欠点や嫌いな部分を貶される悔しさや、さまざまな出来事があった際のそれぞれの感情の巡りがよく表現されている。
    立派なアンの姿に心を打たれる人も多いはず。
    昔も読んでいたけれど、大人になって読み返し、更に大好きになった作品!

  • 大人になってから読むのは2回目。
    ほんとアンはしゃべりすぎ(笑)
    でも、「この子のおしゃべりは気にいったわい」ってマシュウが思ったように、私もアンの表現力豊かなおしゃべりが大好き!
    『輝く湖水』や『歓喜の白路』など、美しいものに名前を付けるアンを真似て、小学生の頃、自分の家に名前つけたなぁ。
    アンのようなセンスはなかったけど(笑)

    死んだふりをして小舟に乗るシーンは覚えてたけど、ダイアナを酔っ払わせたり、髪を染めたら緑色になってしまったり、香料にヴァニラではなく塗り薬を入れてしまったり……っていうのは覚えてなかったから、再読して良かった♪
    アンは失敗のエピソードに事欠かない人だなぁ(笑)

    アンの時代の宗教や生活習慣、学校などについても知りたいと思った。なにかいい本ないかな。
    いま自分が生きている時代と違うところだらけなので、現実逃避にもってこいでした(笑)

    2018.11.27再読
    ちょっとした手違いから、グリン・ゲイブルスの老兄妹に引き取られたやせっぽちの孤児アン。初めは戸惑っていた2人も、明るいアンを愛するようになり、夢のように美しいプリンス・エドワード島の自然の中で、アンは少女から乙女へと成長してゆく――。
    1908年(明治41年)に出版された。
    何度読んでも大好きな物語。私もマシュウと同じようにアンのおしゃべりはずっと聞いていたいよ。

    最初は乗り気じゃなかったマリラがアンに惹かれていくところが好き。
    「おやまあ、あの子がきてから、まだ三週間しかたっていないのに、もとからずっといたような気がするじゃないの。あの子のいないこの家なんて想像もできませんよ。~中略~あの子を置いとくことを承知してよかったと思っていることや、あの子を好きになっていくってことはよろこんでみとめますがね」

    ダイアナとのお茶会のシーン。
    2番目にいい服を着て真面目に会話する2人が面白くて好き。
    大人みたいで嬉しかったんだろうなぁ。

    音楽会の夜、炉端に座ってアンの成長を噛み締めるマリラとマシュウ。
    「そうさな、うちのアンはだれにも負けないほどに、やってのけたよ」

    町で楽しい日々を過ごしたアンが言ったセリフ。
    「とてもすばらしかったわ。あたしの生涯で画期的なことになると思うの。でもいちばんよかったことは家へ帰ってくることだったわ」
    帰るべき家、帰りたい家があることの幸せが滲み出てるよね。

    最後は泣きながら読んだよ…。マシュウ…。
    赤毛のアンシリーズは、アンの愛情まで読んだんだけど、シリーズ9作に挑戦してみようかな!

  • 確か小学4、5年の時に「アンの青春」「アンの愛情」まで読んだ。
    アンが大人になってしまい、ギルバートと愛を育みはじめ子供心にもういいかなって思い読了。

     最近、二十歳位の可愛い知り合いの女の子が、全く本を読まないけど、「赤毛のアン」だけは大好きなんです。って言うから、そんな神本だったかしらと再読。確かに、村岡さんの訳も70年前とは思えない読みやすさ。前向きなアンの日常や美しい自然描写等読みどころは沢山ある。
     子供が小学生の頃、ハリーポッターの全盛期だった。もちろん、全巻揃えて私も読んだ。しっかり、面白く、ストーリーも親を亡くした少年が、才覚と努力と周囲の愛情で成長していくという、アンと類似したところもあった。しかし、「赤毛のアン」のポジションを得ることは無かったように思う。
     私にとって、長編小説への挑戦権を与えてくれた貴重な作品ではあるが、発表されてから100年以上経つ。この間、匹敵する作品は書かれなかったのかしら?若い作家さん達挑んで欲しい。

  • 赤毛のアンを読むと嫁に行き遅れないという噂に縋り読んで見た。
    動機が不純で申し訳ない。
    でもいざ読んでみたら面白いし、大好きになった。

    まだ嫁には行けてないけど、素敵な出会いがあったので噂はあながち嘘ではないのかも?
    なんてね〜。


    追記:赤毛のアンを10代のうちに読むと、幸せな結婚ができる、らしいです。
    でもきっと、今からでも遅くない。
    そして読んでも絶対後悔しない。
    と、30代のオンナがいうんだから間違いない。

  • 赤毛のアンはどの巻まで読んだのか定かではないが、なんと言ってもこの本で、アンがカスバート家に受け入れられるか?アンと共にドキドキし感動した私とアンたちとの出会いの記念すべき一冊です。

  • アンのロマンティックな空想のあとに入る、
    ソリッドなマリラの突っ込み。
    この関係性には、いつ読み返してもほれぼれします。

    児童文学と称されていますが、
    原文は聖書の引用や古典のパロディが効き、かなり難解らしい。
    こういうとき、英文学科に入ればよかったのに、と思う。

    <この詩も、ことしの冬の英文学の過程の中にあったもので、ミス・ステイシィは生徒たちに暗記させたのだった。

    たくましきもののふたちは、底知れぬ森の闇の深みへと進みに進みつ

    というところにきたとき、アンはうっとりして立ちどまり、目を閉じて、
    自分がその英雄の仲間にはいっているところを、もっとよく想像してみようとした。>

    • 猫丸(nyancomaru)さん
      「ソリッドなマリラの突っ込み」
      それがあって、バランスが取れているのでしょうね。
      「かなり難解らしい」
      松本侑子の著作を読もうと思いつつ、未...
      「ソリッドなマリラの突っ込み」
      それがあって、バランスが取れているのでしょうね。
      「かなり難解らしい」
      松本侑子の著作を読もうと思いつつ、未だに果たせず。
      2012/09/03
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著者プロフィール

●L.M.モンゴメリ
1874年カナダのプリンス・エドワード島に生まれる。1905年「赤毛のアン(Anne of Greengables)」を下記翳、1908年刊行、一躍人気作家になる。著作は「アン・シリーズ」10冊をふくめて21冊と詩集1冊がある。1942年逝去。

「2014年 『赤毛のアン』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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