異邦人 (新潮文庫)

  • 新潮社
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本棚登録 : 9454
レビュー : 1130
  • Amazon.co.jp ・本 (143ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784102114018

作品紹介・あらすじ

母の死の翌日海水浴に行き、女と関係を結び、映画をみて笑いころげ、友人の女出入りに関係して人を殺害し、動機について「太陽のせい」と答える。判決は死刑であったが、自分は幸福であると確信し、処刑の日に大勢の見物人が憎悪の叫びをあげて迎えてくれることだけを望む。通常の論理的な一貫性が失われている男ムルソーを主人公に、理性や人間性の不合理を追求したカミュの代表作。

感想・レビュー・書評

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  • 本当は「ペスト」を読みたかったのだが、家人の本棚にこちらがあったため、こちらから読んでみることに


    注!)ネタバレ有

    「あらすじ」から
    ママンが死んだ翌日に海に行き、女と関係を持ち、映画を観て、「太陽のせい」で殺人を犯し死刑となる
    何やら破天荒な主人公らしいが…

    意外なほど読みやすく、あっさり完読
    主人公ムルソーは「あらすじ」から派手なパフォーマンスを好むイカれたサイコかと思いきや、別にそうでもない
    それなりに人付き合いもでき、仕事もしていた
    結婚には興味を持たないが、恋人ともそれなりに仲良くやっていた
    厄介な話になると面倒くさくなり、自分の興味のない考え方を押し付けられるのをとても嫌がる
    死刑になり、ムルソーを救いたいと独房に訪れる司祭の神に救われる話に、無神論者のため、全く受け付けず珍しく感情が爆発
    この辺りによく表れる

    一貫して太陽がじりじり照りつけ、尋常ではない暑さを常に感じる
    前半のムルソーと他の登場人物との関わりは穏やかで、彼自身も多少の異端性は感じるものの、そこまで不穏な空気はない
    それが突発的に殺人を犯し、「あらすじ」を読んでなかったら読者はビックリしてしまうのではないだろうか
    知っていてもちょっと展開が謎である
    感性と想像力が足りないせいか
    残念ながらふーんという感じで終わってしまった
    読み込み方もよくわからない
    恐らく時代背景やカミュ自身をもうすこし掘り下げる必要があるのだろう

    ママンが死んで、涙一つ流さず、翌日に女と海水浴に行った…
    その行動が「異邦人」であるという、これが死刑とされる主要因
    (殺人を犯さない限り、現代では、こういう考え方の人なんて五万といるだろう)
    だが、ムルソーは人生や物事をあるがままに受け入れる
    世間とはかけ離れるほど正直で不器用な人物と映る
    もちろん殺人は論外だが、他は共感するほどでもないながら、随所に理解できるキャラクターであった

    この時代ではムルソーは「異邦人」とされるが、カミュは彼の個性や生き様を肯定しているのだろう

     

  • 古典文学は、いつもあまりサクサク読み進められなくて、行き詰まってしまうことが多々。
    一ヶ月くらいかかってしまうこともあるけれど。

    人殺しを太陽のせいにしたことで、この小説は有名だけれど、わたしの中には、それだけの印象が残らなかったような。

    個人的には、サラマノ老人と犬とのやりとりが、すごく好き。

  • 第一部は「私」(ムルソー)の祖母の死と、翌日の道楽、隣人の暴力沙汰に巻き込まれた末のアラビア人への発砲・殺人を、第二部は殺人の罪による逮捕、そして数々の尋問を受け裁判~判決に至るまでを描く二部作。

    “不条理文学”として一世を風靡した作品なのでどれだけ筋が通らず読みにくいかと身構えて手に取りましたが、なんと読みやすい作品か。
    シンプルなストーリーながら、とにかく興味をそそられるのは主人公であるムルソーという人物について。読めば読むほど彼の新しい一面を発見したり、人物像が変化を重ね、繰り返し読みたくなる面白さがあります。作中での彼の評価は「冷徹で無感情で何を考えているか分からない非道な人物」です。しかし大半の読者はきっと別のイメージを彼に見出すように思います。

    ムルソー自身も自分という人間を掴みかねているようでした。だからこそ彼自身も――被告人席にいるとは言え、裁判官の、証人の、大衆の、自分のことをを客観的に語る声(非難や罵声も含めて)を耳にするのは興味深かったように思います。冷徹というより極端なほど冷静で、無感情というより不器用なほど正直な人、というのが今の私の印象です。

    肉親の死を前にしたら嘆き悲しみ、塞ぎこむもの。
    社会の良しとする行動をしない者、つまり社会から逸脱した者――「異邦人」は徹底的に弾圧と排斥の的になる。では自分の心のままに行動をしたムルソーは「悪」なのでしょうか。肉親の死を前に例え心は穏やかであったとしても、社会の良しとする哀しみを否応でも見せる人は「善」なのでしょうか。

    先日読んだ『コンビニ人間』(村田沙耶香/著)と主たるテーマが重なるとは思いませんでした。名作です。

  • 本の解釈は個々人の自由だし、人の数だけ解釈があっていい。国語の試験で頻出の「筆者の考えに当てはまるものは次のうちどれか」「この時の〜の気持ちを答えよ」といった問いは、あくまで「『出題者が予想する』筆者の考え」なのであってそれが正しいとは限らない。本人が解説しているのでなければ、正解などない。
    己にとっての解釈、価値、意味が、他者にとってもそうであるとは限らず、またそれを押し付けるのはおこがましいことであり、誤りだ。

    そう前置きした上で、本書の背表紙のあらすじや各方面でのレビューで「主人公は通常の論理的な一貫性が失われている」という指摘や、有名な「太陽のせい」で殺人を犯したという供述に対してあれは嘘だ、とか、何かのメタファーである、といった、その「意味」を分析をするようなことがなされているのに違和感を感じてしまうこと、私の解釈はそれとは異なるということを述べたい。

    (あくまで個人的な見解だが)彼には彼の論理的一貫性が確かに存在し、また、「太陽のせい」と言ったことに我々読者が納得できるような理由などないのだと思う。
    検事や司祭の、価値観の押し付けがましさが殊更に目につくが、彼らこそが我々読者であり、大多数の人間の代表として描かれているように思う。

    我々はいつだって納得のいく理由を求めてしまう。
    他者の理屈は他者の理屈でしかなく、我々はそれを理解しようとする時、必ず己の物差しで物事を図ってしまい、捻じ曲げてしまう。
    「理解できないもの」は恐ろしく、また己にとって害悪であるから、人はそれを理解できるものに無理やり変えてしまうか、それが叶わないなら排除してしまう。
    本書は不条理小説と評されるが、世間の人々にとって、理解できないムルソーこそが「不条理」であり、ムルソーにとって、またカミュ自身にとってはそんな世間の人々、世界こそが不条理であるのではないか。
    「太陽のせい」は名文句だが、それはこの言葉の内容自体に意味があるのではなく、我々がその意味を理解できないことに意味があるのだと思う。

  • 世界は無関心で、それゆえに人は自由なのだろう。
    これぞ小説!とうならされた。
    歴史に名を残す小説のなかにも、正直「よくわからないけど、すごいんだろうな」といった感想を抱いてしまう物が少なからずあったがこれは違った。心が震える感触がある。

    批判を恐れず申しあげると、最後の2ページ以外はいくぶん退屈かもしれない。それは、邦訳するとどうしても違和感を伴ってしまうフランス語のせいもあるだろう。だからといっていきなり最後の2ページだけ読んだところで感動は無いだろう。めでたしめでたしではなく、それどころか何かの終わりですら無く、また、1番重要なことだが、安っぽいどんでん返しでも無いラストである。とにかくその2ページがものすごくいい。世界は無関心で、それゆえに人は自由なのだろう。孤独はただの自由、というある詩人の言葉を思い出した。

    もう一つ。裏表紙のあらすじは、たしかに何一つ間違っていないが、少しも的を得ていないかもしれない。
    たいていの小説は、あらすじから主題や雰囲気は把握できるものだが、この小説ほどそれらとの奇妙な乖離を感じ、そこに心なしかうれしい驚きを覚えながら読んだ本も無かった。ムルソーは奇人でもなんでもないのだ。

  • すこし前に読み返した時に、ここにはもっと何か今のわたしにとって必要なものがあるんじゃないかと感じたので、またしても。昔読んだ時は意味不明だったのに、今読み返してみたらほんとうに好きだとしみじみ思った。この小説世界のすべてが今のわたしにとって心地良く感じられる。
    すべてが他人事のような、この奇妙な主人公と、訳文のわざとらしい直訳というか奇妙な言い回しの手触りも合致していて、奇跡的な味わいをもたらしていると思う。

    さて、今回読んでみて感じたのは、ムルソーは自分自身から疎外されているのだ、自分自身が彼にとって理不尽なのだ、ということである。『異邦人』においては理不尽な出来事が起こるのではなくて、自分自身が彼にとって理不尽なのである。カミュの不条理は外ではなくて内側にある。すべてがどうでもよくて、体はだるくて感情を麻痺させてしまって、太陽が眩しかったというのは嘘偽りのない真実なのに、彼自身にとっての真実を言うこと、彼が嘘をつかずに誠実であることこそが彼を追い詰めてしまう。コミュニケーションが噛み合わない。世界との不調和。彼自身が彼を世界から疎外させる。

    ひとには何にも感動できなくなる時が、心動かされなくなる時が、自分自身がどれほど誠実であろうとしてもまるで周囲と噛み合わない時が、存在するのである。噛み合わないコミュニケーションのその感覚は非常に身に覚えがあるもので(今回読んでいて、俗っぽい言い方するけどムルソーは発達障害のモードと近いのではないかと思った)、虚無感にまみれた様は今現在の自分の状態と非常に合致しているもので、ひとまず今回はそれがとても心に響いた。ラストシーンのムルソーの激昂とその後の幸福については、まだあまり言葉にできるものがなくて、また考えたい。とにかくすべてが好きだと思った。こんな風に『異邦人』という小説を愛するようになるとは思わなかった。なんだか意外で、でもかつてよくわからなかったものを愛せるようになって、とても嬉しいなと思う。

  • L'Etranger(1942年、仏)。
    常識も道徳も信仰心も、社会と摩擦を起こさずに生きてゆくため、長い年月をかけて人々が作り上げてきた処世術である。それらは生活の知恵ではあるが、同時に欺瞞であり、枷でもある。真理に到達するためには、その枷を一度は外さなければならない。しかし、共同体の維持を優先する者(=圧倒的多数派)にとっては、それは社会の存続を危うくする行為であり、葛藤のない人生を脅かす許しがたい罪である。ゆえに真理を優先する者は、異端者(=異邦人)と呼ばれ、往々にして迫害される。

    • 円軌道の外さん

      佐藤史緒さん、こんばんは。
      お久しぶりです!
      お気に入りポチと嬉しいコメントありがとうございます!

      カミュの『異邦人』は確か1...

      佐藤史緒さん、こんばんは。
      お久しぶりです!
      お気に入りポチと嬉しいコメントありがとうございます!

      カミュの『異邦人』は確か16歳で読んだのですが、
      太陽が眩しいから殺人を犯したというワケのわからなさ、不条理なストーリーが
      青臭さかった思春期の自分にはかなりの衝撃で、
      いまでも自分の内側に刺さり抜けない一冊となってます。

      今の時代って小説の世界以外でも
      圧倒的にシンパシーの時代ですよね。
      共感できるものしか愛されないし認めないし、
      共感を強制するような音楽や映画や物語が増えてるような気がします。

      少なくとも僕が青春期の頃までは、「誰も見たことがないものを見たい」とか、
      「自分がそれを最初にやる」というようなワンダーの価値が大きかったと思うけど、
      それがここまで値崩れしたのがショックで(笑)

      「見たことがない、聴いたことがない」ものへの憧れって、どこに行っちゃったのかなって思います。

      カミュの作品のように分からなくても確実に
      胸に刺さって抜けないものって昔は沢山あったし、
      分からないから駄作だとか、
      分からないから支持しないという今の時代の考えは
      なんか不安に思っちゃいます(^^;)

      とりとめないことダラダラと書いてしまいましたが(汗)、
      僕の本棚の『生きるために人は夢を見る』にも返事書いているので、
      お暇な時間にでも覗いて見てくれたらと思います。

      ではでは良い週末をお過ごしください。


      2015/06/19
  • ブンガク(難解)
    かかった時間110分

    母の葬儀の翌日にデートをして喜劇映画を楽しみ、特別親しいわけでもない友人のために手紙を書き、太陽の暑さにやられて人を殺す。処刑を目前にして司祭にブチ切れ、あらゆることを終わってしまったことと考える。そんな主人公。

    解説によるとこの作品は、嘘をつかない主人公のある種の誠実さが、システマティックな世の中では受け入れられず、それをわかっていながらも抗い続け、命と引き換えに自身の真実を貫く姿を描いたものらしい。
    その意味で、「人間失格」的な、そして、嘘の拒否が悲劇?の発端となるところからは、「リア王」的なものとのつながりを感じる。

    ところで、読みながら、これはひとりの発達障碍者の物語じゃなかろうか?と思った。ムルソーの認知の歪みのようなものや、自己を自己としてまとめる結び目のようなものの「なさ」、暑さや音、色へのこだわりと、心情的なものへの無関心などは、そういった特徴と重なる気がする。

    また、個と社会の反転可能な対立関係みたいなものが読めた。

    解説がなんとなく作家の年譜や作品の受容史寄りのように思えたので、この作品の解釈をいくつかきちんと読んでみたいと思った。

  • 感情が欠如しているサイコパス男、ムルソー。母親の死後、彼に起こった出来事を通じて、世の中の不条理を描いた作品。


    ある日、老人ホームから母の訃報が届いた。
    その老人ホームは離れたところにあるため、ムルソーは以前から、母親に会いに行くのを面倒だと感じており、またせっかくの休日を無駄にしたくないという理由から、母親が生きている間もほとんど会いに行っていなかった。

    葬式のために来たムルソーに対し、施設関係者や司祭が慰めるように話しかけてきたが、ムルソーは落ち着き払って淡々と答え、司祭の「あなたの母は歳をとっていたかね?」という質問にも、実際年齢を知らなかったこともあり「まあね」とだけ答えた。更に亡き母の前で、門衛の男とミルクコーヒーを飲んだり、煙草を燻らせたり、柩の中にある母の顔を見ようともしない態度に周囲の人は違和感を感じていた。

    葬式の翌日、ムルソーは不謹慎にも海水浴場へ出かけ、そこで元同僚の女性マリイ・カルドナと再開する。それから2人は喜劇映画を観て笑い、ムルソーの部屋で一夜を共にした。

    その後、親しい隣人のレエモン・サンテスという男のいざこざに協力し、彼はムルソーとマリイを、自分の友人マソンの、浜辺にある別荘に招待する。
    そこでレエモンに恨みを持つアラビア人たちと遭遇。揉み合いになり、撃退はしたもののレエモンは刃物により負傷させられてしまう。

    彼の治療が終わってから浜辺を散歩していると、再びアラビア人と遭遇した。ムルソーは彼が早まった行動に出ないようにピストルを預かり、結局アラビア人たちは逃げていったが、その後ムルソーは1人でアラビア人と遭遇し、相手が刃物で攻撃してきたことと、太陽による暑さで判断力が鈍っていたこともあり、正当防衛でピストルの引き金を引く。加えて、身動きしない体に4発撃ち込んでしまう。


    そうしてムルソーは逮捕され、警察や予審判事によって尋問を受ける。そのうち弁護士もついたが、人の感情が欠如している上に馬鹿正直で異常なムルソーに対して弁護士は嫌悪感を抱いた。判事はムルソーに神の存在を認めさせようと熱心に説得するが、そういうことには興味がないと言って否定する。

    法廷では、ムルソーの知人や恋人のマリイも無罪を訴えるために証人台に立つが、検事が長広舌をふるい、母親の葬式での態度や翌日の行動についても言及し、周りに無関心なムルソーは不利になっていく。最終的に判決は有罪。ムルソーは広場で斬首刑をうけることが決まる。

    死刑が決まり、自問自答を繰り返すムルソーの下に司祭が訪れ、特赦請願をチラつかせ神の存在を認めさせようとするが、彼はそれを否定する。それでも身勝手な説得を繰り返す司祭に対して、彼はついに激怒し、罵り、心の底をぶちまけた。

    ムルソーは落ち着きを取り戻し、大きな憤怒の後で冷静になった感情と、星々とに満ちた夜を前にして、世界について思った。この世界の優しい無関心は自分と似ていると。世界との親近感を感じ、自分が幸福であることを悟った。そして、処刑の日に大勢の見物人が、憎悪の叫びをあげて迎えてくれることだけを願った。



    母親の葬式から逮捕までの第一部と、刑務所での生活から死刑確定までの第二部とに分かれていたが、第一部では何の物語が全く理解できず、変わり者の主人公が、変人の知り合いたちの不思議な生活を観察して日々過ごしているような感じで退屈な内容だった。レエモンに恨みを持つアラビア人たちに遭遇して、ようやく物語が動き始めたように感じた。

    ムルソーが逮捕された後の尋問によって、今までの意味深なやりとりが、物語にどう繋がってくるかを理解して、確かに不条理で人の世の異常さをうまく表現していると思った。

    ムルソーは自分なりに人生について考え、真理を捕らえ、正直に生きてきたが、正当防衛による殺人と様々な事象が重なったことで、彼の特異な性格が晒され、それ自体が悪だとして裁かれてしまう。

    死刑の理由は、母の埋葬に際して涙を流さなかったこと。周囲に対して無関心であること。動機は太陽のせいだと答え、興奮して倒した相手に4発撃ち込んでしまったことなどがあったが、それぞれの事柄が必ずしも罪だとは言い切れない出来事で、それだけで彼を悪人だと決めつけるには不十分だという事は誰でも理解できることだと思う。

    ただ一つ言えるとすれば、ムルソーは世間一般と違った性格を持った「異邦人」であるということ。

    人間によって造られた社会で、周りと違うことが本当に悪なのか?死を前にして世界の真理と真剣に向き合ったムルソーと、社会に溶け込み盲目的に神を信じる姿勢を崩さない司祭。本当に正しい、あるいは幸福と言えるのはどちらなのか?

    言い換えると、自分を信じて早死にするか、他人に合わせて長生きするかという究極の選択。物語の流れ的には不条理な世の中は間違っており、ムルソーはその犠牲者だと言いたいところだが、多くの人は自ら死に向かうほどの信念は持ち合わせていないだろうし、そうするべきだとも思えない。

    最近俳優の三浦春馬が自殺した事が話題になっているが、演技も歌も踊りも何に対しても真剣でストイックな印象を持っていたこともあり、その正しさ、真面目さが自殺という選択をする要因になってしまったのではないかと、勝手ながらに想像してしまった。

    話が脱線したが、結局この問題は、自分の信念は内に秘めておき、不条理な世の中に合わせるフリをして自分の人生を生きることが正解だと思った。

  • まず、あらすじ読んで笑って、本編もあまりのサイコっぷりに4回くらい声出して笑った。真面目に、前頭眼窩野の損傷で、理性がぶっ飛んでるのかなとか考察したけれど、気づいたら主人公に感情移入していたからビックリ!彼は自分と向き合うことを頑なに避け、自分の意思を抑圧してきたからこそ、こういう感じになっちゃったのかなと思い始めたからだ。言動と反してどんどん人間らしさが垣間見えて、すごく良かった。

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