本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
Amazon.co.jp ・本 (192ページ) / ISBN・EAN: 9784102114018
みんなの感想まとめ
人間の存在や倫理について深く考えさせられる作品で、主人公ムルソーの独特な人格と行動が印象的です。物語は、彼が母の死に対して無関心な態度を示し、さらには殺人を犯すまでの過程を描いています。裁判を通じて、...
感想・レビュー・書評
-
有名だけど題名以外なにも知らない本を読んでみたくて読んだ。(ときめきトゥナイトのヒロイン江藤蘭世の語源がフランス語の異邦人[Etranger]であることは知っていた。)
主人公ムルソー君の人格は、21世紀人をみているようだった。死刑を宣告されなければいけないような人格破綻者の要素は希薄で、「私」の視点で語られる「事実」と裁判で語られる筋書きとでは、天と地の差があった。
これで死刑判決を貰ってしまうのは、検察の弁論のうまさと弁護側の弁論の下手さが理由の大半ではないか、と感じた。そういう意味では法廷ドラマの印象が強い。
引き金を引いたのが一発目だけであれば、高い確率で過剰防衛で済んだのではないかと思う。後の四発も「気が動転していたので。。」で済みそうな気が。。何といっても相手が先にナイフを抜いたわけだし。
裁判で「太陽のせいだ」と殺人の理由を述べる場面は名場面だ。自分も、明確な理由もなく何かをやらかしてしまった場合に使ってみたいものだ。ムルソーと同じようにイカれた奴と思われるだろうか。
詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
1957年、ノーベル文学賞を受賞したフランスの作家、アルベール・カミュの代表作。「異邦人」というタイトルは記憶の中にありながら、今まで読んでいませんでした。
読み始めて「これは自分には合わないかも?」と思ったのも束の間。短文がどんどん、たたみかけられるかのように頭に入ってきて、ページをめくる手がとまりませんでした。
主人公の男、ムルソーが殺人を犯すまでにいたる過程が記された第一部を読み終えたのはあっという間。第二部の刑務所での生活、裁判、死刑宣告....読み応えありました。自分が陪審員になったかのような気持ちで読んでいました。
最後まで不可解なこと、この上ないのですが、一人の人物について、小説の中でこんなに深く考えたこと、あまりなかったです。
人が人を裁くことの怖さ、真実がいかにして事実から引き出されるべきなのか、考えさせられました。死刑制度の在り方についても頭をよぎりました。長編に匹敵する重厚さをもった小説でした。
-
本当は「ペスト」を読みたかったのだが、家人の本棚にこちらがあったため、こちらから読んでみることに
注!)ネタバレ有
「あらすじ」から
ママンが死んだ翌日に海に行き、女と関係を持ち、映画を観て、「太陽のせい」で殺人を犯し死刑となる
何やら破天荒な主人公らしいが…
意外なほど読みやすく、あっさり完読
主人公ムルソーは「あらすじ」から派手なパフォーマンスを好むイカれたサイコかと思いきや、別にそうでもない
それなりに人付き合いもでき、仕事もしていた
結婚には興味を持たないが、恋人ともそれなりに仲良くやっていた
厄介な話になると面倒くさくなり、自分の興味のない考え方を押し付けられるのをとても嫌がる
死刑になり、ムルソーを救いたいと独房に訪れる司祭の神に救われる話に、無神論者のため、全く受け付けず珍しく感情が爆発
この辺りによく表れる
一貫して太陽がじりじり照りつけ、尋常ではない暑さを常に感じる
前半のムルソーと他の登場人物との関わりは穏やかで、彼自身も多少の異端性は感じるものの、そこまで不穏な空気はない
それが突発的に殺人を犯し、「あらすじ」を読んでなかったら読者はビックリしてしまうのではないだろうか
知っていてもちょっと展開が謎である
感性と想像力が足りないせいか
残念ながらふーんという感じで終わってしまった
読み込み方もよくわからない
恐らく時代背景やカミュ自身をもうすこし掘り下げる必要があるのだろう
ママンが死んで、涙一つ流さず、翌日に女と海水浴に行った…
その行動が「異邦人」であるという、これが死刑とされる主要因
(殺人を犯さない限り、現代では、こういう考え方の人なんて五万といるだろう)
だが、ムルソーは人生や物事をあるがままに受け入れる
世間とはかけ離れるほど正直で不器用な人物と映る
もちろん殺人は論外だが、他は共感するほどでもないながら、随所に理解できるキャラクターであった
この時代ではムルソーは「異邦人」とされるが、カミュは彼の個性や生き様を肯定しているのだろう
-
著者、カミュ、どのような方かというと、ウィキペディアには、次のように書かれています。
---引用開始
アルベール・カミュ(フランス語: Albert Camus、1913年11月7日 - 1960年1月4日)は、フランスの小説家、劇作家、哲学者、随筆家、記者、評論家。
---引用終了
フランス領アルジェリア(当時)出身です。
そして、46歳にて亡くなっています。
で、本作の内容は、次のとおり。
---引用開始
母の死の翌日海水浴に行き、女と関係を結び、映画をみて笑いころげ、友人の女出入りに関係して人を殺害し、動機について「太陽のせい」と答える。判決は死刑であったが、自分は幸福であると確信し、処刑の日に大勢の見物人が憎悪の叫びをあげて迎えてくれることだけを望む。通常の論理的な一貫性が失われている男ムルソーを主人公に、理性や人間性の不合理を追求したカミュの代表作。
---引用終了
そして、本作の書き出しは、
---引用開始
きょう、ママンが死んだ。もしかすると、昨日かも知れないが、私にはわからない。養老院から電報をもらった。「ハハウエノシヲイタム、マイソウアス」これでは何もわからない。恐らく昨日だったのだろう。
---引用終了
それから、本作の訳者は、窪田啓作さん。
本作が日本語に翻訳されたのは1951年で、その時の翻訳者は窪田啓作さんでした。
窪田啓作さん、ウィキペディアには、次のように書かれています。
---引用開始
窪田 啓作(くぼた けいさく、1920年7月25日 - 2011年)は、日本のフランス文学者、詩人、銀行員。本名・開造。窪田般彌の兄。カミュ『異邦人』の翻訳で知られる。
---引用終了 -
古典文学は、いつもあまりサクサク読み進められなくて、行き詰まってしまうことが多々。
一ヶ月くらいかかってしまうこともあるけれど。
人殺しを太陽のせいにしたことで、この小説は有名だけれど、わたしの中には、それだけの印象が残らなかったような。
個人的には、サラマノ老人と犬とのやりとりが、すごく好き。 -
物語は終始、淡々とした語りで話が
進んでいく
カミュの作品がそうなのか、
訳がそうなのか、
この主人公に合わせて、そうしてるのかは
他のカミュの作品を
読んだことないから分からない
正直に生きることの難しさや不条理
執筆されたWW2の時代は
更にそうだったから
評価されたのかなぁ
と思いを馳せた -
本の解釈は個々人の自由だし、人の数だけ解釈があっていい。国語の試験で頻出の「筆者の考えに当てはまるものは次のうちどれか」「この時の〜の気持ちを答えよ」といった問いは、あくまで「『出題者が予想する』筆者の考え」なのであってそれが正しいとは限らない。本人が解説しているのでなければ、正解などない。
己にとっての解釈、価値、意味が、他者にとってもそうであるとは限らず、またそれを押し付けるのはおこがましいことであり、誤りだ。
そう前置きした上で、本書の背表紙のあらすじや各方面でのレビューで「主人公は通常の論理的な一貫性が失われている」という指摘や、有名な「太陽のせい」で殺人を犯したという供述に対してあれは嘘だ、とか、何かのメタファーである、といった、その「意味」を分析をするようなことがなされているのに違和感を感じてしまうこと、私の解釈はそれとは異なるということを述べたい。
(あくまで個人的な見解だが)彼には彼の論理的一貫性が確かに存在し、また、「太陽のせい」と言ったことに我々読者が納得できるような理由などないのだと思う。
検事や司祭の、価値観の押し付けがましさが殊更に目につくが、彼らこそが我々読者であり、大多数の人間の代表として描かれているように思う。
我々はいつだって納得のいく理由を求めてしまう。
他者の理屈は他者の理屈でしかなく、我々はそれを理解しようとする時、必ず己の物差しで物事を図ってしまい、捻じ曲げてしまう。
「理解できないもの」は恐ろしく、また己にとって害悪であるから、人はそれを理解できるものに無理やり変えてしまうか、それが叶わないなら排除してしまう。
本書は不条理小説と評されるが、世間の人々にとって、理解できないムルソーこそが「不条理」であり、ムルソーにとって、またカミュ自身にとってはそんな世間の人々、世界こそが不条理であるのではないか。
「太陽のせい」は名文句だが、それはこの言葉の内容自体に意味があるのではなく、我々がその意味を理解できないことに意味があるのだと思う。 -
第一部は「私」(ムルソー)の祖母の死と、翌日の道楽、隣人の暴力沙汰に巻き込まれた末のアラビア人への発砲・殺人を、第二部は殺人の罪による逮捕、そして数々の尋問を受け裁判~判決に至るまでを描く二部作。
“不条理文学”として一世を風靡した作品なのでどれだけ筋が通らず読みにくいかと身構えて手に取りましたが、なんと読みやすい作品か。
シンプルなストーリーながら、とにかく興味をそそられるのは主人公であるムルソーという人物について。読めば読むほど彼の新しい一面を発見したり、人物像が変化を重ね、繰り返し読みたくなる面白さがあります。作中での彼の評価は「冷徹で無感情で何を考えているか分からない非道な人物」です。しかし大半の読者はきっと別のイメージを彼に見出すように思います。
ムルソー自身も自分という人間を掴みかねているようでした。だからこそ彼自身も――被告人席にいるとは言え、裁判官の、証人の、大衆の、自分のことをを客観的に語る声(非難や罵声も含めて)を耳にするのは興味深かったように思います。冷徹というより極端なほど冷静で、無感情というより不器用なほど正直な人、というのが今の私の印象です。
肉親の死を前にしたら嘆き悲しみ、塞ぎこむもの。
社会の良しとする行動をしない者、つまり社会から逸脱した者――「異邦人」は徹底的に弾圧と排斥の的になる。では自分の心のままに行動をしたムルソーは「悪」なのでしょうか。肉親の死を前に例え心は穏やかであったとしても、社会の良しとする哀しみを否応でも見せる人は「善」なのでしょうか。
先日読んだ『コンビニ人間』(村田沙耶香/著)と主たるテーマが重なるとは思いませんでした。名作です。 -
-
佐藤史緒さん、こんばんは。
お久しぶりです!
お気に入りポチと嬉しいコメントありがとうございます!
カミュの『異邦人』は確か1...
佐藤史緒さん、こんばんは。
お久しぶりです!
お気に入りポチと嬉しいコメントありがとうございます!
カミュの『異邦人』は確か16歳で読んだのですが、
太陽が眩しいから殺人を犯したというワケのわからなさ、不条理なストーリーが
青臭さかった思春期の自分にはかなりの衝撃で、
いまでも自分の内側に刺さり抜けない一冊となってます。
今の時代って小説の世界以外でも
圧倒的にシンパシーの時代ですよね。
共感できるものしか愛されないし認めないし、
共感を強制するような音楽や映画や物語が増えてるような気がします。
少なくとも僕が青春期の頃までは、「誰も見たことがないものを見たい」とか、
「自分がそれを最初にやる」というようなワンダーの価値が大きかったと思うけど、
それがここまで値崩れしたのがショックで(笑)
「見たことがない、聴いたことがない」ものへの憧れって、どこに行っちゃったのかなって思います。
カミュの作品のように分からなくても確実に
胸に刺さって抜けないものって昔は沢山あったし、
分からないから駄作だとか、
分からないから支持しないという今の時代の考えは
なんか不安に思っちゃいます(^^;)
とりとめないことダラダラと書いてしまいましたが(汗)、
僕の本棚の『生きるために人は夢を見る』にも返事書いているので、
お暇な時間にでも覗いて見てくれたらと思います。
ではでは良い週末をお過ごしください。
2015/06/19
-
-
「異邦人」アルベール・カミュ(20251013)
ムルソーは感情が薄く論理的で合理的な人間(のように見えやすい)
母親の死でも特に何も感じなかった様子は、私の実家の犬が死んだ時や祖母が死んだときの自分とよく似ていた。
別に死んだからといって何もない。私の人生がそいつの死で何か大きく変わるわけではない。(葬式とかは出ないといけないから1日くらいは影響する)特に感動するような死に方でもない。そんなことを思い出した。
ムルソーには彼女がいて結婚しようかどうかを尋ねられた時に「好きではないが君が結婚したいなら結婚しよう」と言う。
私の場合はおそらく「うーん」等と濁してしまうだろう。
ムルソーのように自分に正直に言えた方がずっと楽だろう。
それは同時に無神経にならなければならない。
ムルソーは果たして無神経だったのだろうか?
それともそんな言い回しをすると相手に失礼だ というのは私の認識している世間の一般常識なんだろうか。
ムルソーは圧倒的素直さだけでその常識に楯突いたのだろうか
ムルソーは太陽の暑さから逃れるために岩陰に座りナイフを向けていた男を撃つ。
撃った理屈は 岩陰に座っていた男の場所に移動し太陽から逃れたかったからだ。
しかし実際に撃ってしまった意味はムルソー本人にもわからない。
法廷で彼はなぜ撃ったかと問われた際「太陽のせいだ」と言う。
敵が起き上がったから、ナイフを持っていたから など いくらでも理由をあげようと思えばいくらでもあげられる。
でも彼は正直な男だ。彼女に「愛していない」と言い、母の死に対しても形式的な涙や悲壮感は出さないほど正直な男だ。
撃った理由は無限にあり、それら全てを上げるのが面倒くさくなったのではないだろうか?
また彼は世界を愛して恐れていた。太陽はこの世界の本質だ。
太陽が生まれてなければ地球自体 存在しえないものだったであろうし そういった意味合いでも「太陽」と言う言葉に全てを集約させた。そんな回答だった。
ムルソーは
わからないことを分かった気にしない
周りの正解を自分の正解にしない
自分に嘘をつかない
まともな人間 異常な人間 その区別すら己でつけることはない。
この世界では
空気を読んで単純な理由で納得する それがまともで
自分に嘘をつかない人は空気が読めない人となり 異常とされる
だが実際には
生きる目的も与えられず勝手に産み落とされただけのこの世界に正解などあるはずがない。
であるくせに人間は何事にも意味を見出そうとし、
なぜだか「死ぬ事」は辛く悲しいこととされている。
だが元々目的もない意味不明な世界だ。
死ぬことが良いか悪いかすら実際は誰にも決められない。
最後の
「サラマノの犬にはその女房と同じ値打ちがあるのだ。機械人形みたいな小柄な女もマソンが結婚したパリ女と等しく、また、私と結婚したかったマリィと等しく罪人なのだ。」
この部分えぐいほど共感したけど共感の方向性が違うかも。
普段からすごくよく思うのは 私の数少ない友人や家族とその辺の道端のホームレス の命の価値は 私にとっては全く一緒だということ。どこでどう死のうが構わん。どこでどう生きようが構わん。私にとっては全くどうでも良いことなのだ。と思う。
ムルソーはそこに需要を見出し、私はそこに空虚を見出している。
「私は初めて世界の優しい無関心に心を開いた」
彼があの男を撃った日も世界と太陽は無関心で彼を焦がしていた。
独房で彼が世界に心を開いたこの日も全く同じくこの世界は誰に対しても無関心で存在していた。
世界はいつだって無関心である。
受け取り手がどう思うかは当の世界本人には知ったこっちゃない。
INTPでスキゾイド気質の私には非常に共感できる内容であった。
カミュの他の作品も読んでみたくなった。
また「異邦人」というタイトルは「違法人」とも掛けられているのではないかと感じた。
調べてみたが特に言及はなく、あくまで私自身の推測に過ぎない。 -
-
人は死刑の判決にならない様に「嘘をつく」、だが、ムルソーはその演技が出来なかった。ムルソーは不条理であったが避ける事なく罪を受けた。所謂「罪は罪」として裁かれて当然である、それが正当防衛、虚い申告であっても。だが、現代はずる賢い、権力を持った者が優勢であり、例え相手が真実を訴えても覆ることはさせない、のが現実だ。
-
この作品の何が不条理なんだ…あ、この世界かと思いながらの読書でした。
ムルソーではなく、彼を取り巻く世間のほうが不条理なんだなぁと…この人は「全ての事柄に抵抗しない」のかな。自分の行動に嘘つかないし、諦めも早いし。。。
殺人は法に反するから、罪を償わねばなりません。
でも、「母親の葬式で涙を流さない」や「神はいない」で重罪人みたいに言われるのは違うのでは…と。
キリスト教、それもカトリックの観念が強い世界で、「すべては虚妄」とかいう仏教みたいなこと言ってたらそりゃ“異邦人”として異物扱いされてしまうよな、と思います。
裏表紙とか、紹介でよくあるあらすじで、読む前は「その辺の人を“誰でもよかった”みたいに殺したのかな…」と思っていたけれど、そうではなかったです。
暑さでイライラしてたのはあったけれど、相手も全く知らない人ではなかったし。現行犯逮捕でなかったとしても、容疑者として取り調べられる関係ではありました。
やっぱり、これキリスト教圏の人々には衝撃なのかなぁ。司祭から「“わが父”と呼んでよ」と言われても、「父じゃないし…」としかならない。宗教的に埋められない溝があって、この感覚がわからないのがわからないです。 -
「ママンが死んだ」と「太陽のせい」くらいしかしりませんでしたが…。
「太陽のせい」については、読んでみるとp24からp78でその過程が克明に書かれています。
しかしだからといって殺人が許されるわけがありません。
周囲に理解されない作者自身が『異邦人』だと言いたかったのでしょうか。
*
解説で太陽は〈真実〉の象徴とありました。主人公の生き方に共感はしませんが、少なからずわかる部分もありました。
世間の常識を押しつけられて嘘や演技をする生き方をするのではなく、自分に対して〈真実〉である生き方は、人間の普遍的な何かを揺さぶります。
カミュがノーベル賞をとったは、その辺りに理由があるのかもしれません。 -
不条理小説として名高いカミュの代表作だ。
この作品を読了して感じたのは、自分が生きていくなかで、社会に対して不条理だと感じる部分が多いということです。主人公のムルソーは人を殺してしまい罪人となった、理由は「太陽のせい」私は、不条理な理由だなと感じました。
-
共同体がなんとなくの合意で形成した「人間らしさ」みたいな物差しで測ることのできないムルソーの行動原理。ムルソーは「精神的に母を殺害した男としてその父に対し自ら凶行の手を下した男とおなじ意味において、人間社会から抹殺される」。
文庫本の背表紙のあらすじにもある通り、ムルソーは「通常の論理的な一貫性が失われている」人間として描かれている。しかし、本作の狙いはいわゆるふつうの人間にもムルソー的側面があると警鐘をならすことにあると感じた。
主人公の社会への馴染めなさ的な部分は村田沙耶香の小説の主人公にも似たものを感じた。もちろん、コンビニ人間は不条理を扱った小説ではないが。
人間社会から抹殺されることはないにしてもある種魔女狩り的な、多数派が少数派を裁判する構造自体はありふれている気がする。
犬とか猫とか小さい子供とかが嫌いというと冷血だと言われるのとかその典型かと、、。
みんなどこかしら異邦人なんだろうなあ。
-
150Pほどで文章量はそれほどでもないので、サクッと読もうと思えば読める。
古い作品だが、そこまで読みづらい部分はなく、主人公にも感情移入しやすいのはさすがノーベル賞作家の代表作だと思えた。
全2章で構成されており、1章は特徴のある登場人物たちが物語を動かしていくストーリーでわかりやすい。
2章になると裁判と主人公の内面を深掘りしていく話になり、一度読むだけでは頭に入ってこない箇所もあった。
「異邦人」というタイトルは作中では一度も出てこなかった。
このタイトルは主人公のことを指すのだろうが、読んでいてもそこまで主人公が特異な人物だとは感じられなかった。
周囲の人間たちが、主人公を異常性を持つ人物と仕立て上げ、それに合わせてストーリーを組み立てているだけだった。
全体通して、自分の行動は他人次第でどうとでも評価されるということの恐ろしさが印象づけられた。
-
ぶっさんにおすすめされて手に取る。
ミーハー読書家としては、避けては通れない不朽の名作。
偶然にも本書の一つ前に読んでいたのが「コンビニ人間」だったので、古倉恵子とムルソーが重なった。
個人的にはコンビニ人間の方が読みやすかった。
もちろん、和書であり時代が現代であるというのも読みやすい理由だが、現実感があり身近に感じやすいというのが大きい。本書の主人公ムルソーはあまりにもぶっ飛びすぎていたかな笑
また、コンビニ人間が正社員として働かず結婚しないという社会のマニュアルからの逸脱に関してであるが、
異邦人は殺人という一つ道徳的なルールからの逸脱がある。ここをどう捉えるかであるが、それに対して一貫性の欠如を責められ死刑を宣告されても仕方ない気はする。
<登場人物>
ムルソー 主人公
マリー 彼女。
レエモン 倉庫屋。-
僕も読んでいて、コンビニ人間みたいだなあと思ったのでこちらの感想には共感しっぱなしでした!!
社会からのズレ加減が似ている気がします。一方は...僕も読んでいて、コンビニ人間みたいだなあと思ったのでこちらの感想には共感しっぱなしでした!!
社会からのズレ加減が似ている気がします。一方は死刑で命まで奪われるのに一方はコンビニバイトを粛々と続けていけるのは理解できないものへの社会のリアクションが異なるだけで二人は本質的には似通った人間なのかなと。2021/02/14
-
-
「私は自分が世間のひとと同じだということ、絶対に世間の尋常なひとたちと同じだということを、彼に強調したいと願った。」
ほぼ一気読みさせられたが何か気分が晴れるものではなく、ムルソーのこの思いに、やるせなさを感じてしまう… -
ムルソーは、友人の敵を銃殺する。
裁判において動機を聞かれると、太陽のせいだと言う
ムルソーは非情な男なのかどうか。違うだろう
葬式なんて、案外泣けないものだし、介護というのは表現のしようのない感情が付きまとう
実際銃殺してしまうというところで、ある種の非情さはあるのだろうが、母の死にも無感動であると言われる点は違うだろうと思う。
名作と言われ、時の流れに淘汰されずに残っているのがよくわかる作品。
-
カミュは1957年当時史上2番目の若さでノーベル文学賞を受賞したフランスの作家。本書『異邦人』はサルトルの『嘔吐』とともにフランス小説史上の傑作である。そんな世界的名著をたまたま家の本棚で見つけたので読んでみた。
第一章は小説のストーリーとして面白くも可笑しくもない...それが第二章になるとがぜん読むスピードが上がる。人殺しをしたのは太陽のせい、斬首刑が言い渡されれ司祭に向かって、いま死のうが100年後に死のうがどこに違いがあるのかなどなど...この辺りがカミュが実在主義と言われた所以なのかな。
著者プロフィール
アルベール・カミュの作品
本棚登録 :
感想 :
