異邦人 (新潮文庫)

著者 :
制作 : 窪田 啓作 
  • 新潮社
3.67
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本棚登録 : 8464
レビュー : 1064
  • Amazon.co.jp ・本 (143ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784102114018

感想・レビュー・書評

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  • 「異邦人なのはどっちだ?」

    養老院に預けていた母を亡くしたばかりのムルソーは、女友だちのマリィらと訪れた海岸でアラビア人を殺害する。逮捕され裁きの場に引き出されたムルソーに、本人すら確たる動機もわからぬまま判決は下される…

     名作と謳われるカミュの代表作だが、正直なところよくわからなかった。なんら説得力のない動機でピストルの引き金を引くムルソーはもちろんだが、母の弔いに涙ひとつこぼさぬというだけで被告を「人非人」と断じる法廷、その処刑に興奮する人々に感情移入できず、この小説世界に出てくる全ての人が、まさに私にとっては「異邦人」だった。

     どこまでも割り切れぬ数字のようなこのストーリーはいわゆる不条理小説。だが世の中なんでもかんでも道理が通ることばかりなわけではない。不条理は不条理としてあるがままを描いたカミュは現実を良く知っていたということなのだろうか。不条理を納得いかないものとして自分の内に落とし込めない自分こそが実は「異邦人」なのか?

  • 何度目かの再読。自分で感じたことしか信じない、この瞬間に湧き出る欲望のほか確かなものなど何もない。ムルソーの情熱は分かりすぎるほど分かる。偽善と権力に汚されたこの世界で純実に生きることの疎外感。それに打ち克つ勇気がないのは私の問題で、ムルソーには灼熱の太陽の光こそが真実。太陽を裏切ることなどできやしない。偽りの観客の中で、最後まで偽りのない自身の死にざまを見せつけようと希求するムルソーの叫びにただ震えるばかり。これが幸福だと言い切るムルソーに、真の幸福とは何たるかを叩きつけられる。自分に嘘をつきたくない。

    〈追記〉
    ムルソーと太陽の関係について。他の方々の感想を読んで、太陽=権力の象徴という読み方があるのを知ってびっくりしちゃいました。私には太陽こそが真実の象徴で、その光の強さゆえに全てをさらけ出す、暴き出すという意味で捉えたので。それゆえにムルソーは引き鉄を弾いたのだと。だからといって自分の感想に修正を施す気は全くありませんが、読む人によってそれぞれの解釈があって面白いな~と。全肯定型の人間は思うわけです。

  • 「意識下の悪意と、無意識の悪意」について最近よく考えています。
    そのテーマにぴったりかも、と思って読んでみました。

    最初はサイコパスみたいな犯人を追い詰める話かと思いきや、この話の怖さと言うか深さは
    「ある特定の共通認識をクリアしないと悪の認定を受けてしまう点」じゃないかなと思う。

    死刑になりたくないからと嘘を吐きそれが認められて刑が軽くなるのと、
    本当のことを話して死刑になること。
    どちらが正しいのか、何が正義なのか、全く分からなくなります。

    主人公ムルソーは、老いた母親の面倒を見ず、養老院へ入れた→養老院の方が友人に囲まれて幸せだろうと思った。実際にそうだった。

    こんな風に、やることなすこと「それはムルソーの性格が残忍なせいだ」と決められていく過程に気味の悪さを感じました。
    ムルソーと母親の関係は淡泊です。ですがムルソーは他の人に対しても奥まで踏み込んでいくことをしません。これはもう、そういう性格なんだと思うんです。
    葬儀の時にコーヒーを勧められ、好きなので受け取って飲むとか、わりと好き勝手に生きていますが、少なくともそこだけを切り出して「悪い」とは言えない。

    確かにムルソーは人を殺していますので、そこは責められても仕方ないと思うのですが、悪いのはそこだけです。
    その他のことを悪いと言われたら、この世の中は悪人だらけのような気がします。
    ムルソーは些細なことが悪意認定されていくのに、演技をせず、最後は死刑を受け入れます。
    そこへ司祭が訪れ、「貴方を哀れに思う。あなたの考え方は間違っている。本当は別の生き方を望んでいるはずで、神の救いを求めているはずだ」みたいなことを言います。
    この後に続くムルソーの台詞は宗教(多分当時は大事なものだった)を全く無視していて、最後は他の者たちの生き方も死刑囚である自分と同じだ、と叫ぶ。
    また、ムルソーは、母の葬儀で泣かなかった理由について
    「死に近づいて、ママンはあそこ(養老院)で解放を感じ、全く生きかえるのを感じたに違いなかった。何人も、何人と言えども、ママンのことを泣く権利はない」と独白しています。
    宗教についてあまり詳しくはないんですが、これはキリスト教の一つの考え方に近いような気が。一つの考え方であり、ある意味間違ってはいないのです。
    なのに、母の死を嘆かないことによって謗られてしまう。

    あとがきでは「ムルソーは一つの真理のために死ぬことにした」とあります。
    作者のカミュはこのムルソーの真理を「存在することと、感じることの真理である。(略)これなくしては。自己も世界も、征服することはできないだろう」
    と言っています。
    自己を貫けなければ生きている意味はないと思った。最後に「死刑を見に来てほしい」と思ったのは、死の恐怖に打ち勝って自己を貫く選択をした自分を見てほしいと思ったのかもしれません。
    世間を混乱させないために、社会のために、多くの人は嘘をついていて、それをしないと「異邦人」と言われて弾劾される。

    太陽が暑かったから殺したと言われる場合と、仮にムルソーが上手い嘘をついた場合。
    ああ、こういう理由だったんだ、安心するのは後者です。
    前者だといわゆる「理由なき殺人」のような感じでモヤモヤする。何故モヤモヤするのかと言えば、もしかして自分にもこの動機で殺人を犯したりするかもしれないとか、周りの人がこうかもしれないという恐怖があるから。
    でもよく考えてみると、嘘をついて真理を隠して納得してしまう社会はとても怖いです。

    この世界には、多分思ったより「異邦人」が多いんじゃないでしょうか。

    • ピッポさん
      花丸ありがとうございます!レビュー拝見しました。まったく同感です。
      花丸ありがとうございます!レビュー拝見しました。まったく同感です。
      2015/08/24
    • 相沢泉見さん
      seikun0224さんコメントありがとうございます! 深い話でした!
      seikun0224さんコメントありがとうございます! 深い話でした!
      2015/08/24
  • ムルソーは「希望」に意味を見出さず、現実の刺激に従って行動している。また、母の葬儀中や裁判中にも世間的な演技をせず自分の感情に素直な言動をしている。
    ムルソーを見ていて幾度も「上手くやってその場を凌げばいいのに」と思ったが、彼は彼の感情と社会の道徳的、慣習的なルールとの間に差があることを理解しつつ、嘘をつくことを拒み、惰性の生ではなく真実の生の中に幸福を見出したのだろう。

  • えええ…
    何が面白いのかよく分からない話でした。
    頭のネジが何本か足りない男の日常?
    読み始めた時、一人称が「私」なのも相まって、主人公は女で「主人」とは旦那のことを言っているのかと思って混乱してしまいました。雇い主ってことかい。

    • Ayumuさん
      僕も最初そうでした、なるほどですスッキリしました。ありがとうございます
      僕も最初そうでした、なるほどですスッキリしました。ありがとうございます
      2019/03/12
  • ムルソーって正直なだけだったんじゃないかな。その時代の人々が一般的に信じている道徳とか宗教から外れてて、通常の論理的な一貫性がうしなわれてるとみなされてああいうことになってしまったけど。友人の女性がらみで殺人を犯して裁判に、かけられるんだけど。ことごとく人々の機嫌を損ねてしまう。私は自分が世間の人と同じだということ、絶対に世間の尋常な人たちと同じだということを弁護士に強調したいと心では願ってたにもかかわらず。牢獄でマリィのことを想うが、だんだんどうでもよくなってくる。ひとが慣れてしまえないかんがえなんてないんだ。とか、ムルソーの考えはカミュの洞察を含んだ考えで大衆には理解できずうとまれたんだろうか。ムルソーの気持ちになり人が人を自分の思い通りにうごかそうとする様にウンザリした。

    読書会に参加して、関連本のバンド・デシネ異邦人やムルソー再捜査などと合わせていろんな感想を聞いた。バンド・デシネの訳者の青柳先生も交えて。フランスにおけるカフェ・オ・レの意味や、カミュの生い立ち、誰しもが自分の物語だと思いつつも、どこか受け入れられないない想いを抱くのは何故か。辻褄が合いすぎているけどムルソーに騙されているのかなどいろんな伏線がはってあり。アルジェの文化やアラブ人の立場。本を読むにもその国の文化や背景がわかるともっといいな。

    • keisukekuさん
      俺が人を自分の思い通りに動かそうとついしてしまうことに自覚的であろうと注意はしているんですけど...なかなか難しいです。
      俺が人を自分の思い通りに動かそうとついしてしまうことに自覚的であろうと注意はしているんですけど...なかなか難しいです。
      2019/02/22
    • ゆさん
      自分の事が一番わからないのに分析して客観的に表現してすごいです!
      自分の事が一番わからないのに分析して客観的に表現してすごいです!
      2019/02/22
  •  高校時代に新潮文庫で読んで皆目理解できなかった。それから幾星霜。この度気まぐれで原文で読み始めたら、冒頭のワン・フレーズで本書のテーマが即座に了解できた。
     広く「きょう、ママンが死んだ。」と読まれている部分である。

     原文”Aujourd’hui, maman est morte. ”を英語に逐語訳するなら、Today, Mom is dead。
     ”is dead”と現在形。”died”ではない。「今はもう死んじゃってる状態にある」と。

     フランスはカトリックの国。と言えば、”maman(お母様) ”の暗示はもう分かる。
     先取りすれば、来世まで面倒を見てくれる筈だったその「お母様」はもういない。

     続く”Ou peut-être hier, je ne sais pas.” は、英単語逐語置き換えだと、”Or, maybe yesterday, I don't know”。冒頭部は、だから、次のような意味合いとなる。

     「母さんはもう居ないんだ。いや、とっくに死んじゃってたのかもしれない。けど、どうでもいいや」

     届いた電報は「母死す。埋葬 明日。敬具」。
     とうとう「埋葬」されることになった。地中深く埋め去られるのだ。末尾のSentiments distinguésはビジネス文書結語の決まり文句の一つで、「敬具」。お悔やみの意味合いは一切ない。

     電報の発信元はl’asile 「収容所(大勢の人間が居る建物)」とある。ここまで原文だと、人が大勢いる収容所の中でいつの間にか「お母様」が死んでいたようだけど、ぼくにとってはどうでもいい、的な意味にも取れる。

     その「収容所」が養老院”L’asile de vieillards”と分かるには、次の段落を待たねばならない。

     徹頭徹尾無機質な、そしておそろしく周到に言葉が組み立てられた出だしである。

     第一部は「ぼくの生き方」。「世間の視線」のフィルタを通した、ガラス越しのような淡々とした一人語り。
     第二部は「ムラからの追放」。「裁判」は共同体の根幹即ち、十字架の恩寵に背を向ける「異端」の抹殺こそが主眼であった。ムルソーは裁判の途中で呟く、みんなはぼくのことが嫌いなんだ。

     本書のタイトル、L'Étranger(よそもの)とはそういう意味であった。
     「太陽」は随所で「眩しさ」と「熱」をムルソーに投げかける。苛むほどに。

     本書はカトリック(キリスト教)との決別宣言である。周囲はムルソーを懸命に「共同体の秩序」に引き戻そうとする。独房の中でムルソーは母さんの言葉を思い出す、「人はね、結局何事にも慣れてしまうものなんだよ」。
     が、彼は「狎れる」ことを拒む。理性こそが己の未来を決めるのであると、自ら「死刑台」への道を選ぶ。

     本書にはraison(及びその派生語raisonbale)が多用されいる。英単語に置き換えればreasonなのかどうかぼくには正直分からないが、「理屈に合っていること」といった意味合い。
     本文中に”J'avais eu raison, j'avais encore raison, j'avais toujours raison. ”という下りがあるが、これを「ぼくは正しかった、ぼくはいつも正しいんだ」と訳すのは大間違い。
     raisonの対がabsurde(馬鹿げている、不合理)。

     「異邦人」と「ママン」。意味不明なこの二つの訳語こそがこの翻訳書の商業的大成功を収めたキーワードではあったのだろうが、若い時分のぼくは、その商業的キーワードのために本書を読み誤ってしまっていた。

     最後に「ママン」
     大人は聖母マリアをmamanとは呼ばない。であれば、カミュは何故mamanという語を使ったのだろう。
     訳者はこれを主人公ムルソーの幼児性を表すと注釈する。この物語が一人称で書かれている理由を感得できなかったようだ。
     「お母様(おかあちゃん)」と呼んでいるのは「ぼく」即ち読者。

     盲目的に(本当はもう疑い始めている)キリスト教(カトリック)の、慣習的でしかない甘美な抱擁から抜け出せない人々を皮肉った語とぼくには読めるのだが。

  • 頭おかしい人の話。

  • ムルソーがアラビア人を殺害した、これといった動機はない。恋人とも言えないマリイと結婚したい理由もなく、それと同じようにママンが死んだことに悲しみを感じなければならない訳もわからない。
    ムルソーが感情を爆発させたのは死の間際。しかしそのれですら「死にたくない」などといった人間的な感情の破裂でもないような。
    ムルソーは動物的、というかなんというか、事象などに意味を持たせない人物なのかなと。それなりに自分の考えは持っているものの、おそらく世間一般が普通としていることに当てはまらない。もう1度最初から読みたい。

  • 裏表紙を見て、主人公はなんて冷血な男なのかと思って読んでみたけれど、なんてことない。ただ普通で人間らしくて不器用なだけの愛すべき存在じゃないか?ちょっとしたずれ、ちょっとした食い違い、ちょっとした不運が重なってこんなことになる。ぐるぐる悩んだけどムルソーは自分のことをちっとも不幸なんて思ってない。そこが唯一理解できず、しかしこの作品を名作足らしめたポイントかもしれない。彼は悪人だったのだろうか。理解できない者を悪者にする社会とそこで異邦人とならざるを得ない存在。重々しく、しかし面白く読んだ。

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