異邦人 (新潮文庫)

著者 :
制作 : 窪田 啓作 
  • 新潮社
3.67
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本棚登録 : 8459
レビュー : 1064
  • Amazon.co.jp ・本 (143ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784102114018

感想・レビュー・書評

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  • 本の解釈は個々人の自由だし、人の数だけ解釈があっていい。国語の試験で頻出の「筆者の考えに当てはまるものは次のうちどれか」「この時の〜の気持ちを答えよ」といった問いは、あくまで「『出題者が予想する』筆者の考え」なのであってそれが正しいとは限らない。本人が解説しているのでなければ、正解などない。
    己にとっての解釈、価値、意味が、他者にとってもそうであるとは限らず、またそれを押し付けるのはおこがましいことであり、誤りだ。

    そう前置きした上で、本書の背表紙のあらすじや各方面でのレビューで「主人公は通常の論理的な一貫性が失われている」という指摘や、有名な「太陽のせい」で殺人を犯したという供述に対してあれは嘘だ、とか、何かのメタファーである、といった、その「意味」を分析をするようなことがなされているのに違和感を感じてしまうこと、私の解釈はそれとは異なるということを述べたい。

    (あくまで個人的な見解だが)彼には彼の論理的一貫性が確かに存在し、また、「太陽のせい」と言ったことに我々読者が納得できるような理由などないのだと思う。
    検事や司祭の、価値観の押し付けがましさが殊更に目につくが、彼らこそが我々読者であり、大多数の人間の代表として描かれているように思う。

    我々はいつだって納得のいく理由を求めてしまう。
    他者の理屈は他者の理屈でしかなく、我々はそれを理解しようとする時、必ず己の物差しで物事を図ってしまい、捻じ曲げてしまう。
    「理解できないもの」は恐ろしく、また己にとって害悪であるから、人はそれを理解できるものに無理やり変えてしまうか、それが叶わないなら排除してしまう。
    本書は不条理小説と評されるが、世間の人々にとって、理解できないムルソーこそが「不条理」であり、ムルソーにとって、またカミュ自身にとってはそんな世間の人々、世界こそが不条理であるのではないか。
    「太陽のせい」は名文句だが、それはこの言葉の内容自体に意味があるのではなく、我々がその意味を理解できないことに意味があるのだと思う。

  • ブンガク(難解)
    かかった時間110分

    母の葬儀の翌日にデートをして喜劇映画を楽しみ、特別親しいわけでもない友人のために手紙を書き、太陽の暑さにやられて人を殺す。処刑を目前にして司祭にブチ切れ、あらゆることを終わってしまったことと考える。そんな主人公。

    解説によるとこの作品は、嘘をつかない主人公のある種の誠実さが、システマティックな世の中では受け入れられず、それをわかっていながらも抗い続け、命と引き換えに自身の真実を貫く姿を描いたものらしい。
    その意味で、「人間失格」的な、そして、嘘の拒否が悲劇?の発端となるところからは、「リア王」的なものとのつながりを感じる。

    ところで、読みながら、これはひとりの発達障碍者の物語じゃなかろうか?と思った。ムルソーの認知の歪みのようなものや、自己を自己としてまとめる結び目のようなものの「なさ」、暑さや音、色へのこだわりと、心情的なものへの無関心などは、そういった特徴と重なる気がする。

    また、個と社会の反転可能な対立関係みたいなものが読めた。

    解説がなんとなく作家の年譜や作品の受容史寄りのように思えたので、この作品の解釈をいくつかきちんと読んでみたいと思った。

  • 名作というか古典というか、自分の本棚のジャンルを考え直さなければぴったりなジャンルが見当たらない。

    絶望的なのだろうと思って読み始めたのは、現代までにファンが沢山いると知ったからで(勿論だ!当たり前だ!って言わないで)、絶望的なのにも種類があるなと思った。
    怖いかと思ったけど静かで激しくて人の本当ってこういうことかもしれないって思った。

    読み始めた時には想像もしなかったけど、何回も読み返したくなる一冊かも。

  • 私のは平成二年の九十刷で、
    表紙も違うけど中身は一緒なんだろうな。

    20年以上ぶりの再読。
    多分読んだのは10代の頃で当時はよく解らなかったし、
    深く考えませんでしたが、
    タイトルの「異邦人」、これはマイノリティと置き変えてもいいのかも。
    周りとの価値観の違い。人と違う振る舞い。
    だからと言って誰かに迷惑をかけたりすることもなく、
    感情に乏しいが真面目でむしろいいやつであろう主人公のムルソー。

    ムルソーは決して言い訳をせず偏見も持たない。
    自分には理解できない事を押し付けてくる者がいても、
    理解できないまま淡々と受け入れそれを認めようする。
    そのためにムルソーは結果的に死刑になってしまうのだけど、
    彼のような人物をわりと好ましく思う人は少なくないのでは?

    よそのレヴューで
    >ムルソーは行為に対して罰を受けたのではなく、
    その人間性によって罰を受けた。
    その意味ではムルソーは無実だったとも言える。
    したがって『異邦人』は間違いなく不条理小説である。
    この作品の肝は罪が正当に裁かれなかったことにあると考える。

    こう書いている方がいましたが、
    まさにこれなんじゃないでしょうか。

  • 何度目かの再読。自分で感じたことしか信じない、この瞬間に湧き出る欲望のほか確かなものなど何もない。ムルソーの情熱は分かりすぎるほど分かる。偽善と権力に汚されたこの世界で純実に生きることの疎外感。それに打ち克つ勇気がないのは私の問題で、ムルソーには灼熱の太陽の光こそが真実。太陽を裏切ることなどできやしない。偽りの観客の中で、最後まで偽りのない自身の死にざまを見せつけようと希求するムルソーの叫びにただ震えるばかり。これが幸福だと言い切るムルソーに、真の幸福とは何たるかを叩きつけられる。自分に嘘をつきたくない。

    〈追記〉
    ムルソーと太陽の関係について。他の方々の感想を読んで、太陽=権力の象徴という読み方があるのを知ってびっくりしちゃいました。私には太陽こそが真実の象徴で、その光の強さゆえに全てをさらけ出す、暴き出すという意味で捉えたので。それゆえにムルソーは引き鉄を弾いたのだと。だからといって自分の感想に修正を施す気は全くありませんが、読む人によってそれぞれの解釈があって面白いな~と。全肯定型の人間は思うわけです。

  • ムルソーって正直なだけだったんじゃないかな。その時代の人々が一般的に信じている道徳とか宗教から外れてて、通常の論理的な一貫性がうしなわれてるとみなされてああいうことになってしまったけど。友人の女性がらみで殺人を犯して裁判に、かけられるんだけど。ことごとく人々の機嫌を損ねてしまう。私は自分が世間の人と同じだということ、絶対に世間の尋常な人たちと同じだということを弁護士に強調したいと心では願ってたにもかかわらず。牢獄でマリィのことを想うが、だんだんどうでもよくなってくる。ひとが慣れてしまえないかんがえなんてないんだ。とか、ムルソーの考えはカミュの洞察を含んだ考えで大衆には理解できずうとまれたんだろうか。ムルソーの気持ちになり人が人を自分の思い通りにうごかそうとする様にウンザリした。

    読書会に参加して、関連本のバンド・デシネ異邦人やムルソー再捜査などと合わせていろんな感想を聞いた。バンド・デシネの訳者の青柳先生も交えて。フランスにおけるカフェ・オ・レの意味や、カミュの生い立ち、誰しもが自分の物語だと思いつつも、どこか受け入れられないない想いを抱くのは何故か。辻褄が合いすぎているけどムルソーに騙されているのかなどいろんな伏線がはってあり。アルジェの文化やアラブ人の立場。本を読むにもその国の文化や背景がわかるともっといいな。

    • keisukekuさん
      俺が人を自分の思い通りに動かそうとついしてしまうことに自覚的であろうと注意はしているんですけど...なかなか難しいです。
      俺が人を自分の思い通りに動かそうとついしてしまうことに自覚的であろうと注意はしているんですけど...なかなか難しいです。
      2019/02/22
    • ゆさん
      自分の事が一番わからないのに分析して客観的に表現してすごいです!
      自分の事が一番わからないのに分析して客観的に表現してすごいです!
      2019/02/22
  • ムルソーがアラビア人を殺害した、これといった動機はない。恋人とも言えないマリイと結婚したい理由もなく、それと同じようにママンが死んだことに悲しみを感じなければならない訳もわからない。
    ムルソーが感情を爆発させたのは死の間際。しかしそのれですら「死にたくない」などといった人間的な感情の破裂でもないような。
    ムルソーは動物的、というかなんというか、事象などに意味を持たせない人物なのかなと。それなりに自分の考えは持っているものの、おそらく世間一般が普通としていることに当てはまらない。もう1度最初から読みたい。

  • 母親の死に涙を流さず、葬儀の翌日には海水浴にでかけ旧知の女を抱き、喜劇映画をみて笑い転げ、そして一人のアラビア人を殺害した。
    その動機については「太陽のせいだ」と述べた男、ムルソー。
    不条理文学とか実存主義とかそういう難しいことはよく分からないけれど、それでも読み終わった後は「あぁこれがカミュか」と感慨に耽ってしまった。
    ムルソーは始めからただ厭世観、虚無感の強い性格なのかと思っていたのですが、物語終盤での司祭との面会でそれが見事にひっくり返されました。
    無神教を信仰しているということなのか。ムルソー彼自身こそが正義なのだという信念。
    死刑は単なる人為的な罰で、ムルソーの真理は何者をもってしても覆されない、脅かされない。
    彼の心臓があの瞬間だけ垣間みえたような気がする。
    順序だった感想や考察なんかはとても私にはできないけれど、「異邦人」というタイトルをもつこの小説から、重要な何らかの切れ端は掴めたのかなと思います。

  • どうして母が死んだのに悲しくなかったんだろう。どうしてひとりで出かけようと思ったんだろう。どうしてアラブ人を殺したんだろう。自分でもよくわかんない。太陽のせいかな。というお話。
    そういう、わかんないことってあるよね。あるある。ということをひたすら味わう小説である。と思っている。
    主人公ムルソーの一人称で物語が進むのに、そういうわけで悲しくない理由や殺した理由については全く触れられない。触れられないからこそ、なんとなくわかるような気がしてくる。よくわかんないんだな、ということがわかってくる。
    わかってくるからこそ、終盤の司祭のお説教は本当に頭にくる。ムルソーのブチ切れた叫びはそのまま読者の私の叫びである。
    そして読み終える頃には私はもうすっかりムルソーである。だとしたら、母親の死を悲しまず、さしたる理由もなしに人ひとり撃ち殺した、そんなムルソーは果たして我々にとっての「他者」なんだろうか?
    「異邦人」とは誰のことを指しているのか?
    ところで母親のお通夜の沈黙のなかで周りの老人たちがみんな口をペチャペチャペチャペチャ鳴らしてるシーンがすげーイライラさせられて好き。

    そういえば自分って何考えて生きてたっけと思い起こしたら、ただただふつうに暮らしてただけなんだけどなんかちょっとだけ罪悪感と開き直りをおぼえてしまう、それがカミュ。

  • 面白い…冒頭は主人公の無感動さが理解出来なくて不快だったのに読み進めるにつれて感化されたのか、はたまた自分の中にも共感する思考が元からあったのか、凄く主人公に魅力を感じた。人間的感情や世間の道徳観念から外れているようで彼は世界の真実の一端をみているんだろう…最後の数ページがほんとに素晴らしくて、斬首刑を受けることになった主人公が「私は初めて、世界の優しい無関心に心を開いた」って語るのが…最高に最高、どうやったらそんな美しい文章が湧き出るんだ?

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