シーシュポスの神話 (新潮文庫)

著者 :
制作 : 清水 徹 
  • 新潮社
3.63
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本棚登録 : 1350
レビュー : 94
  • Amazon.co.jp ・本 (257ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784102114025

作品紹介・あらすじ

神々がシーシュポスに科した刑罰は大岩を山頂に押しあげる仕事だった。だが、やっと難所を越したと思うと大岩は突然はね返り、まっさかさまに転がり落ちてしまう。-本書はこのギリシア神話に寓してその根本思想である"不条理の哲学"を理論的に展開追究したもので、カミュの他の作品ならびに彼の自由の証人としてのさまざまな発言を根底的に支えている立場が明らかにされている。

感想・レビュー・書評

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  • 読んでも読んでも結論にたどり着けないこの内容自体がシーシュポスの神話を表してるのかと思って、よく名付けたなあと思ったらシーシュポスの神話って章が後半にあった。

  • 自分なりにカミュの「不条理の哲学」を要約すると以下のようになる.人間はその理性から,世界の全て,万物の理を知ることを欲する.しかし,世界は自ら何も語らず,そこに存在する.人間の理性では,世界を理解することは到底敵わない.つまり,人間は世界に産み落とされた段階で,わかるはずのないものを知ろうとするという絶望を体験することになる.この二つに引き裂かれた状態を「不条理」と呼ぶ.この不条理な状態に対しては二種類の対応の仕方が思い浮かぶ.一つは,不条理を生きることであり,もう一つは,不条理な世の中から逃避する,即ち,自死である.究極の選択である自死に対して,生きることを選択するということはどういうことか.それこそがこの本の主題である.例えば,実存主義の哲学者キルケゴールは,その不可知であるという性質から,世界に神を見た.つまり,全能の神を用意し,それに跪くことで,不条理を克服した.しかし,カミュはこれを逃避だと断じた.では,シュストフはというと,彼は,世界をわからないものだと諦め,それによって不条理を懐柔する.しかし,カミュは,人間の理性を信頼しているため,この姿勢を受け入れない.カミュにとってこれらの思想は「哲学上の自殺」なのだ.そして,カミュは以下の三つのものを提示する.一つ目としては,意識的であり続け,反抗し続ける姿勢である.不条理を生きるためには,現在その一瞬において醒めており,自分の内面から世界を知り尽くそうという努力が求められる.それは安住とは対極の緊張感を孕む,反抗である.二つ目は,死の意識によってもたらされる自由である.死は絶対不変の帰結点として存在する.それを思えばこそ,人は生きているその瞬間に意識的であると言える.三つ目は,生きている現在時から得られる経験を多量に感じ取ろうとする情熱である.世界は同じ年数生きた人間に同等の経験を授ける.しかし,そこから何を得るかはその瞬間の生き方に依存する,と考える.これら三つがカミュの主張する,不条理から出発した,反抗,自由,そして熱情である.しかし,カミュの不条理の哲学は現在という一時点に重きを置きすぎていると考えられなくもない.この哲学には未来への希望や,過去の反省といったものの介在する余地がないのだ.

  • シーシュポスの神話のカミュは全宇宙どころか爪切り一個にも押し潰されそうなところがあって、そこがいい。痛みというのは理解不能で、カミュはその上になにものも築かない。あれだけ慎重に結論を避けながら、しかも、爪切りのもたらす身体的な痛みには耐えない(耐えられない、耐えようとしない、耐える必要を考えない)。これは素晴らしい姿勢だと思う。ある苦痛に耐える者は彼にとっての必要上、あくまでそれに耐えようとするのだが、それより卑小と感じられる苦痛にもつい耐えてしまうものだ。せっかく耐えがたい苦痛を耐え忍んでいるのだから、それよりずっと耐えやすいとみえるものに耐えないことで自分の負った苦痛を台無しにしたくないと考える。このようにして彼は耐えないことに耐えられないのだが、それこそが彼の負った苦痛を台無しにするのである。
    しかし、カミュはつねに耐えている。ただ耐えるべきものを耐え、踏みとどまっていることが誠実さだと感じさせてくれる。
    痛みを耐えない僕にとってシーシュポスの神話は鎮痛剤として必要なものだ。胃に優しくて早く効く。

  • 表題作はたった6ページだが、とても力強い。人生の不条理の一端に触れることができた身として、私も言おう、「すべてよし」と。

  • 生きるための古典

  • 少しずつ読み進めてますが、若いときの読書体験の影響力とは凄まじいもの

    僕が普段、何気なく心の芯においてる在り方みたいなものの多くはここに書いてあったことなのだなーと発見をしている

    「人間の尺度を超えている、だから超人間的なものでなければならぬ、という。しかし、この、「だから」は余計だ。ここには論理的確実性などいささかもない。経験的蓋然性もいささかもない。僕の言い得るのは、なるほどこれは僕の尺度を超えている、これだけだ。そこから僕は否定を抽き出しはしない。いや、少なくとも僕は、理解不可能なものの上にはなにひとつ築きたくない。自分ははたして、自分の知っているものとともに、ただそれだけとともに生きられるだろうか、ぼくはそれを知りたい。」「不条理とは意識的人間の形而上的状態であり、神へとひとを導かぬものなのだ」

    これだよ、まさに、ここから出発して、この後、カミュが言うシーシュポスの状態こそが、僕が10年以上前、この本こそ僕の本だと思ったそのことだ

    言いたいこと全部書いてあるし、ここでカミュが保つ態度がカッコよすぎ

    不条理を凝視しながら、意識を途切れさせず、神や永遠などに逃げ道を見つけず、ただひたすら生きることにしか価値はない、そう生きればそれが王だろうがサラリーマンだろうが、価値に差はない、生きる長さだけが価値になる、という最も過酷な生き方のみを推奨する

    凄くざっくり言うと、神仏をバカにしながらも認める鷲巣のように生きるよりも、アカギのようであれ、ということかと

    いや、ほんとに

  • 論の繰り返しが多いなーと思ったので
    全部は読んでいないが。

    がんばれ、カミュ。一緒にがんばろう、カミュ。
    人生に対して "すべていいよ"と言えるように。
    そんな気持ちになった。

  • 難しくて歯が立たなかった。入門書が欲しい。

  • カミュ 「 シーシュポスの神話 」 不条理をテーマとした重厚エッセイ。前半難しくてキツイ。不条理の本なのに生命力や幸福感を感じる。カミュ凄い。ペストも読む予定

    不条理な論証(筋の通らない論証)
    自殺を 哲学上の重要問題として、不条理ゆえに自殺するのか(不条理に基づき生きることはできるのか) 論証。「不条理な自由」は 論証に対する結論、生きる力がすごい

    不条理と自殺
    *哲学の根本問題=人生が生きるに値するか→人生が生きるに値しないから 自殺する
    *自殺に至る不純分子=人の心の内部を食い荒らす虫
    *自分を異邦人と感じる→人間と生の断絶の感覚=不条理の感覚→死に至るまで 論理的か

    不条理の壁
    不条理は 人間と世界から生まれる
    *人間と世界を結ぶ唯一の絆
    *人間的な呼びかけと世界の不当な沈黙が対置

    不条理な自由
    *人生は 意義がないほど、よく生きられる
    *生きるとは 不条理を生かすこと〜不条理を生かすとは 不条理を見つめること

    反抗とは
    *不条理を見つめる哲学的姿勢のひとつ
    *運命に伴う諦めを切り捨てた確信
    *自殺は 反抗の論理的到達点をなすものではない
    *自殺は 不条理への同意→反抗と正反対

    不条理とは 死を意識しつつ死を拒否すること→こうした反抗が生を価値あるものにする

  • 生きるため信仰や希望が必要なのは、ドストエフスキーの引用にあるように、それが「人類の正常状態」であるとしても、それは不条理な人間には異常にも映るのだろう。
    不可避である死が無いもののようにされている不思議さ。そんな飛躍(哲学上の自殺)も肉体的な自殺もカミュは拒否する。
    無意味な人生、不条理から意識をそらさず死に至る、彼にとって生きるとはそれ以外にあり得ないのだろう。
    訳者あとがきで触れている「入り江の曲線、輝く海、大地の微笑」は私も、おっ…と思ったところ。
    「希望を永久に回避することはできない」も名言じゃないかな。

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