カリギュラ,誤解 (新潮文庫 カ 2-5)

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  • Amazon.co.jp ・本 (222ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784102114056

感想・レビュー・書評

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  • 衝撃

    読み終わり(6/26)
    p.222迄(6/26)
    読み始め(6/26)

  • もはや絶版。ローマ皇帝の狂気における冴え。傍で見ている分には楽しいんだろうなー。中入るのは嫌ですけど。人物の強弱、セリフ回しに考慮した歴史?戯曲。「誤解」の方も切なく血縁と当たり前に過ごせることのありがたさを感じました。

  • カリギュラは、不条理を・自由を・自己否定に到るまで徹底した否定を、生きる。

    「この自由がなかったら、おれも満ち足りた人間になっていただろう。その自由のおかげで、おれは孤独な人間の、神のごとき洞察力を身につけたのだ。おれは生き、おれは殺す、おれは破壊者として気違いじみた力をふるう。これに比べれば創造主の力など、滑稽な猿真似にすぎない。まさにこういうことだ、幸福であるとは。まさにこれなのだ、幸福とは。この耐えがたいほどの解放感、あらゆるものに対する軽蔑、流される血、おれを取巻く憎悪、己れの生涯をあますところなく見据えている人間のこの比類なき孤立、罰せられることなき殺戮者のはてしない歓び、人間たちの命を打砕くこの無慈悲な論理、この論理が、セゾニア、お前を打砕き、おれの求めた永遠の孤独をついに完成するのだ。」

    「だが、どこで癒せというのだ、この心の渇きを? どんな心が、どんな神が、おれにとって湖の深さをたたえているのだ? この世にも、あの世にも、おれの力に匹敵するものは何もない。だが、おれは知っている、そうだ、お前も知っているはずだ、ただ不可能なことが可能になればそれで十分だということを。不可能なこと! それをおれは世界の果てまで、このおれの内側のすみずみまで探し求めた。おれは両の手をさし延べた、今もこうしてさし延べている、ところが、おれが出会うのは貴様だ、いつでもきまって貴様なのだ、おれの前に立ちはだかるのは。おれは貴様に対する激しい憎悪に燃えている。おれは進むべき道を進まなかった、おれはどこにも行き着かない。おれの自由は呪わしい自由だ。」

    これは、自由というものの・否定というものの、極限の姿だと思う。更にここには、"他者に対する怯懦な自尊心"という否定運動の舞台裏も垣間見えるような気がする。

  • 古代にカテゴライズしたけれど、もちろん舞台がそうであるだけ。なんだかすごく暗い、絶望するような内容でした。だって不条理なんですもの。

  • 2008-11-04

  • 新潮よ、これを再版せずしてなんとする。

  • 「おれが寝てしまったら、誰がおれに月をくれる?」
    これが絶版なんて、犯罪だ・・・。

  • 世の不条理に対する思いからここまでできるものなのか・・・。文中に、人は、いつか死ぬことは割り切っている。そんなことで明日を思い悩む人はいない、といっていたけれど 私は、人は死を割り切って考えているんじゃなくて、明日死んでしまうかもしれないって考えないと思う。

  • カミュによる戯曲。権力を持つものの悲劇、悲しい暴君カリギュラ。印象的な台詞の数々にドキリとする。「おれが寝てしまったら、誰がおれに月をくれる?」<br>なんでこんなに面白いのに絶版なの。再販してよ新潮社!

  • 2篇の戯曲。
    ローマ歴史ものの『カリギュラ』、設定を絞りこまない『誤解』ともに血縁から起こる不条理劇を見事に描ききっている。
    近年、漸く上演されはじめてきたのは誠によろこばしいかぎりである。

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