転落・追放と王国 (新潮文庫)

著者 :
制作 : 大久保 敏彦  窪田 啓作 
  • 新潮社
3.61
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本棚登録 : 416
レビュー : 40
  • Amazon.co.jp ・本 (377ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784102114100

作品紹介・あらすじ

パリでの弁護士生活を捨て、暗い運河の町・アムステルダムに堕ちてきた男、クラマンス。彼の告白を通して、現代における「裁き」の是非を問う、『異邦人』『ペスト』に続くカミュ第三の小説『転落』。不条理な現実、孤独と連帯といったテーマを扱った六篇の物語からなる、最初で最後の短篇集『追放と王国』。なおも鋭利な現代性を孕む、カミュ晩年の二作を併録。

感想・レビュー・書評

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  • 噛み応えのある一冊。「転落」。孤独な寒々しい話だった。友だちや恋人がいればあんな風に呪いをかけ続ける人にならずにすんだのでは、と反射的に思ってしまうけれど、人間関係は作ろうとすれば作れるというものでもない。

    短編集の「追放と王国」は、どれもどこかから追い出されてしまった人の話。最も印象が強かったのは「背教者」。苛烈で幻想的で美しい。最初から最後まで純粋にむごたらしくて、結晶の美しさがあった。「ヨナ」は他者を受け入れ続けて自分を損なってしまう人の話。求められるのはたしかに幸せなことで、ときとして麻薬的でさえあるけれど。

  • これらの作品に見られるのは、カミュが欲した肯定的な孤独ではなく追放された者の孤独だ。

    『転落』の語り手クラマンスには、裁く側と裁かれる側の両方の人間の内面が見てとれる。裁く者の正体とそれへの批判、そして裁かれた者の苦しみとが一人の人物によって表現されていてとても巧みだ。

    『追放と王国』は短編集。
    『ヨナ』という画家の物語に心が痛くなった。

    ヨナは自分の星を信じて探し続ける。孤独から連帯へ、でもいつしかそれは不鮮明になっていく。多くの人間の中で疲れ果てた作者の姿を思わずにはいられなかった。

  • 「わたしはあと何年残っているかを数えてみました。()そしてわたしには自分の義務をまっとうするだけの時間がないという考えに悩まされたんです。なんの義務かですって?分かりません。」
    「最後の審判を待つのはおやめなさい。それは毎日行われているんですから」
    カミュの場合、ジュネの場合を考えて、サルトルという人のことを考えてみたりする。サルトルの何を?わかりません。

  • これでもうカミュは読まないと決めた

  • 大好きな作品。
    とくに「転落」は、人に紹介されて出会った。
    人生観が変わる、わかる物語だった。

  • 「転落」を読む。当初の印象よりずっと有意義な印象を伴う読書体験だった。

  • 転落の絶望感は独特

  • 「この男のばかげた罪は彼を憤慨させる。しかし、この男を引き渡すのは信義にもとる振る舞いだ。それを考えただけでも恥ずかしさに気が狂いそうだった。そして、同時に、このアラビア人を自分のところに送りつけた仲間たちと、あえて殺人を犯しながら逃げることもできなかった男との両方を呪っていた」(新潮社文庫、pp.262-262)

    いきなりですが、映画が三度の飯よりも好きな自分が2015年に選んだ「最も良かった映画」は、ヴィゴ・モーテンセン主演『涙するまで、生きる』でした。

    この映画の原作が、カミュによる『客』なんですね。

    実際に読んでみると、分量も短いですが、お話自体もシンプルです。

    冬のアルジェリア、辺境の地で小学校教師をやっているダリュは、やってきた友人の憲兵から、1人のアラビア人を預かるよう頼まれる。しかも、一晩預かるだけではなく、彼がとある街まで連れて行かなければならないという。アラビア人は、殺害容疑で捕まっていたのだ。目的地の街で、彼は裁判にかけられることになっている。

    どこかしら超然とした小学校教師ダリュが、ひょんなことからアラビア人を預かり、彼を遠くの街に送り届けるだけの話です。

    でもこの短いお話に見られる寓話性の深度は、かなり深いところまで続いているような気がします。

    ダリュはアルジェリア系フランス人かと思いますが、それは同じくアルジェリア生まれのカミュ自身と重なります。

    1954年から1962年にかけては、アルジェリア戦争の時代でした。フランス本土と、フランス植民地であったアルジェリアが繰り広げた内戦です。フランス植民者の父を持つアルジェリア生まれのカミュは対立する二つの世界の中にあり、まさに引き裂かれる思いだったと言われています。

    二つの世界の狭間でカミュが取った行動は、停戦への可能性を見出すことでした。1956年、カミュはフランス側のリベラル派とイスラム穏健派と協力して市民休戦委員会を組織し、停戦を呼びかけてアルジェリアを訪れます。

    ところが、これを自分たちに対する挑戦だと捉えた極右植民地主義勢力は強い抗議を示し、独立主張側でも、テロを辞さない強硬派が主導権を握ってカミュに非難を浴びせたのです。

    つまり、「両方とも殺し合うのはやめて話し合うんだ」と訴えたカミュは両方の側から憎まれることになってしまったのです。以後、カミュはアルジェリア問題について語ることをやめてしまいます。

    『客』におけるカミュ的精神の真髄は、アルジェリア問題に巻き込まれる自身の運命を預言しながらも、それに引き裂かれてある様態を、そのまま受けいれる覚悟を示している点に見出せそうです。

    争いとは関わりたくない小学校教師は、アラビア人を死刑台へと導く仕事を唐突に任ぜられてしまう。アラビア人を逃がせばフランス側は許さない、反対に、アラビア人を街に引き渡せばアラビア側から報復されてしまう。

    この究極の選択を迫られる男が小学校の教師ということは、その職業が、なによりも現代人の精神を広く長く次世代へと継承させていく象徴的な存在であるという意味で、事態の深刻さはいや増します。彼が身を以て示す選択が、彼の次の世代へと受け継がれていってしまう恐れがそこには込められている。彼の選択が汚点であったとしても、それは次世代に引き継がれてしまう。

    そこでカミュが大事にするのは、信義や人情といった人間らしい判断であって、政治的イデオロギーとはまた違う次元の価値観なのです。冒頭の引用にあるように、「この男を引き渡すのは信義にもとる振る舞いだ」とダリュは人知れず述懐します。

    もちろん、「フランスの仲間たち」にも「アラビア人」にも、彼は呪いの念を思わず抱いてします。なんでこんなことをおれがやらなきゃいけないんだ、といわんばかりのダリュの腹立ちが伝わってきます。

    けれども、彼はそこから逃げない。

    引き裂かれてあるなら、そのまま受け入れてやる。不条理がなんだ、おれはそれを生きてみせる。

    説明過多に陥らないカミュの筆によるためか、ダリュ自身の口数は決して多くはありませんが、背中で語り行動で示す男の覚悟がそこに自然と立ち上がってくるのです。そしてそれは、アルジェリア戦争において、リスクがあると心底理解していながらも「争いをやめよう」と言い切ったカミュの背中に重なるのです。

    そして2015年、フランスは、まさにこのカミュ的な問題を突きつけてくる事件に直面したのでした。https://www.youtube.com/watch?v=77G5AmsL9xQ

  • 2010.3.6 読了

  • 転落だけ読んだ

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