- 新潮社 (1968年1月1日発売)
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感想 : 330件
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Amazon.co.jp ・本 (159ページ) / ISBN・EAN: 9784102118016
感想・レビュー・書評
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恋多き父親と二人暮らしの17歳の娘が、父親の再婚相手を遠ざけ、死に追いやってしまうという話。全世界でベストセラーになったサガンの処女作とされているが、正直自分には合わなかった。他の訳者の本を読んでもそこまで印象は変わらないと思う。
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10代×フランスに才能がプラスされるとこうなるんだな。
10代特有の残酷さと無邪気さを持つセシルと、大人になりきれない父親と、
聡明で高慢なアンヌと。
このいびつな三角関係が、真夏の太陽にうなされるようにくずれていく様がおもしろい。
恋愛青春小説かと思っていたら、むしろファザコン少女でしたけど
繊細な機微が鮮やかな印象として残りました。
今時の小説になれきっているので、ちょっと読み疲れたけど
たまにはこういう名作を読むのっていいですね。
19歳で処女作でこんなの書いちゃうのってすごすぎるけど。
夏の南仏のぎらぎら感、いいなー。ニースの海岸を思い出します。 -
最初、日本語訳が1955年のものということでちょっと古くて読みづらいと思った。
だけど、セシルちゃんの大人びた感じと、感情に素直になれない部分を一見回りくどいような日本語訳が微妙に表現しているような気がして、最後のほうは癖になる感じがして、面白かった
衝撃と面白みがありすぎて、処女作というのが信じられない -
小悪魔的。文章美しすぎる、原文はもっとかな〜。
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サガンが18歳で書いた処女作。
気怠い空気感で鋭く繊細な作品。
巧みな心理描写で少女の危うさが見事に表現されていると思う。
17歳の主人公セシルは、これを書いた18歳のサガンの投影なのかもしれない。
色々な経験が少ない少女だからこその残酷さで相手を傷つけ、失って初めて犯した罪の重大さを知ることになる。
セシルほど残酷なもので無いにしろ、私も随所で主人公セシルの気持ちに似た感情を過去に感じていた事を思い出す。
心の奥、遠く消えかけていたその感情が、サガンの言葉を読むごとに蘇ってくる。
サガンの言葉はリアルでとても鮮やかだ。
朝吹登水子さんの訳も素晴らしく、少し難しさを感じる箇所はあったが、サガンの雰囲気にとても合っていると思った。 -
何度読んでも、いい。主人公のセシルは父と父が代表する自由を愛しており、その自由は退廃的で、時に下品かもしれないけれど、そんな底抜けの自由が彼女の理想である。ところが、そんなセシルのところに母を代替するアンヌが現れる。彼女はきちんとした知性と品を持った人間で、父とセシルの自由奔放な生活を一変させてしまう力を持っている。父が若さを捨て、アンヌの方向へ行ってしまうこと、私たち2人の蜜月的生活が失われてしまうことが、セシルには耐え難くて…といったところか。セシルvsアンヌの構造が根底にあるが、これは単なる対立だけではなく、憧れも含んだ愛憎まじりの感情を呼び起こし、結果的に継母殺しのプロットをたどっていく。
10代の少女というのは多かれ少なかれ自分が何を本当に求めているのか全然分かっていない生き物だが(経験談)、そのへんの頭のネジがひとつ飛んでしまっている感がまこと見事に描かれている。そして、フレッシュな描写のみずみずしさ。朝起きてオレンジとコーヒーを交互に飲み食いするところや、シリルの部屋から戻ってきてアンヌの前で上手くマッチを扱えず手が震えてしまうところなど、鮮やかなイメージが脳内にバッと広がり、この物語に私たちをどうしようもなく引き付ける力を持つ。セシルの行動原理はいつも単純で即物的だからこそ、物事が破局に陥った時の残酷さも極まる。主要な登場人物5人の動きは、空虚な戯れと言えるかもしれないけれど、この虚無感をビシッと描くところがサガンの素晴らしいところだ。 -
サガンの処女作。
これを18で書いたなんて。
フランス人らしいというか、軽妙というか。
人をみる目線や感情の深さなどそういうところには若さを感じるけど、それがいい。
自分の未熟さと葛藤と浅はかさと失敗。
夏の暑さと、そのせいで溶けそうになるほどの体と心と意地悪な策略。
女性らしい、ある意味重たい文章。 -
いつのことだったかは忘れてしまったが、とにかく大昔、いちど読みかけてやめてしまっていた。なのに今回、本当にひさびさに手をとってみたら、ぐいぐい引き込まれて、あっという間に読んでしまった。
なぜなのか考えてみるに、大昔に読むのを途中でやめてしまったときは、私はまだセシルの年齢の方に近かった。でも今回は、アンヌの年齢を超えている。つまり今回、私はむしろ、アンヌの側に立って読んでいたように思う。アンヌの気持ちを推し量りながら、自分もかつて持っていて、今は失ってしまったセシルのような若い娘の微妙な感情の動き、大人に対する生意気でかつシニカルな視線、残酷さと優しさの共存…それらを思い出していたような気がする。かつて自分の中にあったセシルのような感情、それがひさびさに動き出してすごくワクワクするのと同時に、それは若さの特権であり、若さの特権であるがゆえに、それを手放すことが大人になるということであることを確かめていた。私にとっては、「今」がまさにこの本を読むべき時だったのだろう。
これと同じようなことは、映画「卒業」でも感じたことがある。初めて観たときはベンに感情移入していたのが、何度も繰り返し見て、年齢を重ねていくうちに、私はいつの間にかロビンソン夫人に感情移入するようになっていった。昔読んでいた本で、若い主人公と自分を重ね合わせていたものが、今読み返すと、全く違った感想を抱くということは他にもありそうなので、大昔読んだ本をこれからも読み返してみようと思う。
それから、朝吹 登水子さんの翻訳はすばらしいが、やはりどうしても日本語としての限界を感じる個所がないわけでなかったので、せっかくフランス語を勉強しているのだし、原書にも挑戦してみたいと思う。 -
冒頭から頭をガツンと殴られたような衝撃。
そして、これを書いたサガンは当時18歳という事実にまた衝撃。
…が多用されていたり、日本語訳の好みが分かれそうだけど、自分としては原文のリズムが感じられて心地よかった。
小説の冒頭大賞を選ぶならダントツのNo. 1。 -
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すごく好き
なんでかわからないけどピタッとハマった感じがした
全然ピュアなお話じゃないのに -
室外機の音だけで茹だる10代最後の夏の始まりに読んだ。若さゆえの残酷さに共感できる時分にぎりぎり読めた気がする。
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「悲しみよこんにちは」
斉藤由貴の同タイトル曲を思わせる名前に惹かれ、手に取った作品。
図書館で何度か借りて、読み終えました。
結構古い時代の翻訳なので、読みにくかったですが…。
パパっ子の娘セシルと、娘っこラブの父レエモン、父の愛人エルザは、それなりに幸せな関係を築いていた。
だが、父が亡き母の友人アンヌに恋をしたことで、その関係が崩れていく。
「義務」として母のように接するアンヌに反抗するセシルは、エルザを巻き込んで父の愛を取り戻そうとする…という話。
フランスには行ったことないですが、海辺の涼しげな風が吹いてくるようです。
甘酸っぱくて爽やかな青春。古い時代の映画みたいな、でもすっごく繊細で美しい、そんな感じがしました。 -
主人公の気まぐれなとこが『女の子』って感じ
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恋よ さよなら
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17歳の女の子だけがもつ美しさと脆さと残酷さが
地中海の白い砂と一緒に瓶詰めにされています。
開けてはいけません。それは一瞬で失われてしまうから。 -
主人公が意地悪でひねくれているけど表面的にはいい子で、とても魅力的だった。スリリングな展開で一気に読んだ。
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わたしはこの本がほんとうに大好きで、それはわたしが女の子だからなのかなんなのか、わからないのだけれど、ほんとうに大好きだと思う。
この本のことを想像するときに思い出すのはすごく暑い夏の空気と、残酷という言葉。あっ!と始まってすぐに終わる感覚。なんなんだろう。全然見知らぬ国のサガンという女の子の感覚を理解したがってしょうがないわたしがいる感じ。 -
別府の新古書店にて購入。
装丁があまりにひどいと思ったら、どうやら別のもあるらしい。
本当に恋はしていなかったし罪悪感にしても後悔にしても、そういう状態にある新鮮さに酔っていたという少女っっぷりにソワソワする。なによりそれらに“本物”があると信じているところも少女だ。まわりを振り回しても、結局少女っていうのは自分の感情にしか重量を感じない生き物なんだと思う。
朝吹登水子の作品
