- Amazon.co.jp ・本 (197ページ)
- / ISBN・EAN: 9784102118283
作品紹介・あらすじ
セシルはもうすぐ18歳。プレイボーイ肌の父レイモン、その恋人エルザと、南仏の海辺の別荘でヴァカンスを過ごすことになる。そこで大学生のシリルとの恋も芽生えるが、父のもうひとりのガールフレンドであるアンヌが合流。父が彼女との再婚に走りはじめたことを察知したセシルは、葛藤の末にある計画を思い立つ…。20世紀仏文学界が生んだ少女小説の聖典、半世紀を経て新訳成る。
感想・レビュー・書評
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ひとりの女性の純心な気持ちを傷つけておいて、それがきっかけで彼女が亡くなったかもしれないのに、その事を思い出して「悲しみよ、こんにちは」って言われてもなあ。飾りじゃないのよ、涙は。
主人公セシルのパパは、良い人なんだけれど、付ける薬が無いほどの女好き。ママが15年前に亡くなってから、美人でちょっとバカな愛人が絶えない。セシルはパパと同じように放蕩な性格で、そんなパパを愛し、気楽に暮らしていたのだが、セシルが17歳のある日、とうとうちゃんと再婚することを決意した。
相手の女性はアンヌ。美人で聡明で、40代とは思えないほどの引き締まったスタイルと肌艶が物語るくらい自己管理の行き届いた女性。放蕩者のセシルのパパとは価値観が正反対のはずだが、何処に出しても恥ずかしくない女性であり、娘の教育係としてもこれ以上ないアンヌと結婚したいパパ。そして、社会的な成功や女性としての称賛は既に得ていて、あと欲しいのはカッコいい男性の愛と家庭だけというアンヌもパパと結婚したかった。
アンヌがパパの友達であったころ、セシルはアンヌのことが好きであったが、アンヌが“母親“として家の中に入ってくると鬱陶しかった。「恋人とイチャイチャしてないで勉強しなさい」とかパパの友人たちの事を「下品」と言ったりする。アンヌは仕事や自分自身の生活を思い通りにしてきたのと同じように、セシルたちの家庭も“思い通り“の“上品な“家庭にしたかったのだ。
セシルはアンヌを追い出すために、巧妙な計画を練る。パパの直前の恋人エルザとセシルの恋人シリルにカップルのフリをさせ、パパの前にチラつかせて、パパの気持ちを若いエルザにもう一度向けさせるのだ。
計画は…成功。いや、成功を通り越してアンヌ自身が亡くなってしまった。事故なのだが、セシルは自殺だと思っている。
セシルはアンヌのことを素敵な女性だったと思う気持ちに変わりないし、好きだったし、パリで一緒に暮らす家の間取りを考えるのもワクワクしたというのも嘘ではなかった。だけど、本質的にセシルもパパも縛られるのが嫌いということを理解してほしかった。
ウーン、うっとうしい!!わたしがセシルなら、“グレる“か““家出“か“アンヌと正面対決“だよ!太陽燦々、海キラキラの南フランスの別荘地でなんとインケンな!
「朝起きたばかりの時にオレンジを食べながら、火傷しそうなコーヒーを口に入れるのが好き」だとかなんだとか、贅沢すぎてヒマなのか。
汗を拭くだけで忙しいこの日本で暮らしていては人の心がジワジワ傷ついていくのを楽しんでいる心の余裕などない。
眩しいくらい美しい中では“傷“や“悲しみ“や“苦さ“も美学であるようだ。セシルはアンヌが亡くなって初めて自分が夢中になっていた恋人“シリル“のことを全然愛していなかったことに気づく。“支配者“に見えたアンヌも実は“愛“や“夢“を持ってセシルたちの家族になろうとしてくれていたことを知り、そういうちゃんとした愛や夢がセシル親子には無かったということに気づく。それでも、セシルもパパも依然として刹那主義で人生楽しむ生活をやっぱり愛していた。
だけど、本当にセシル親子と家族になろうと思ってくれたアンヌの悲しい結末を思い出すとき「悲しみよ、こんにちは」なのだ。
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文学ってすごいー。
一人の少女の複雑で支離滅裂な感情が言語化されており、自分にも身に覚えがある、知ってるこの感情とかなり入り込んでしまった。思春期の時にも読みたかったな。
読後の感情は、まさに「悲しみよ こんにちは」であり、私も彼女と同じ境遇にいたら、きっとほとんど同じように感じるだろうなと、とても彼女に共感した。 -
サガン18歳の処女作。まだ、新潮文庫のロングセラー上位に入ってるらしい。ル・モンド20世紀の100冊にも選定されているとか。
薄くて、本棚でよく迷子になっているのよ。
ヒロインは17歳のモラトリアム中のセシル。(一世を風靡したセシルカットですよ)母親は亡くなり、自由で美貌の父と時折変わる父の愛人と気ままに暮らしていた。17歳の夏のバカンスに、、亡き母の友人・聡明で美しいアンヌが加わることで、今までの彼女と父のバランスが崩れようとする。
父親は、アンヌに夢中になり、プレイボーイを返上し、結婚まで考える。
愛する父親の喪失、彼女の自由への介入など思春期後期の葛藤から、二人の破局を策略する。
策略の中、アンヌの聡明さ、美しい秩序、人生の調和に傾く想いはあるが、退屈と平穏への恐れは、計画を止める事をさせない。
大人になりつつある少女の、若い残酷性に翻弄された子供のような大人達。
最終章の、小悪魔的なセシルが、憧れと羨望の作品なんだろうと思う。
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#木曜日は本曜日 という企画にて
上白石萌音ちゃんが紹介していた作品です。
「言葉にできないぐちゃぐちゃした感情を、サガンは見事に言語化している」と話されていたことが印象に残り、読んでみたいなと思って購入しました。
私が購入したものには、2022年の新潮文庫フェアの限定カバーが付いており、とても綺麗な装丁でした。
本書は、17歳の少女、セシルが南フランスの別荘にて、ひと夏を過ごす様子が描かれたお話です。
海辺に佇む別荘には、セシルとその父のほか、父の恋人・エルザ、そして亡き母の友人・アンヌがともに滞在することになりー。
愛されたいけど、縛られたくなかったり…
知性を身に付けたいのに、諦めているふりをしたり…
軽蔑している連中との関係性をなぜか断ち切ることができなかったり…
誰かを陥れながら、罪悪感を抱いてしまったり…
そして最終的には、世の中が嫌で嫌でたまらなくなってしまう…
人間って本当に面倒くさいよな〜と、思ってしまいます。
本書では、17歳のセシルが様々な感情の渦に飲み込まれる様が細やかに描かれていますが、
とびきり若い彼女でなくても、我々は皆、複雑に入り組んだ感情によってぐらぐら揺さぶられながら生きているんじゃないかと思います。
生きているだけで大変ですよね。。。
はぁ、な〜んにも考えずに生きられたら良いのになぁ〜〜〜(笑)
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コメント失礼しますm(_ _)m
私も同じYouTubeでこの本を知りました!
ただ、萌音ちゃんが言っていた「思っていることが言語化されてい...コメント失礼しますm(_ _)m
私も同じYouTubeでこの本を知りました!
ただ、萌音ちゃんが言っていた「思っていることが言語化されていてすごい」というのが理解できませんでした、、。(私にはまだ知性が足りないのだと思い知らされました)
なので、きちんと物語を理解されてるだけでも本当にすごいな、と素直に思いました。
ナッツさんの感想を読んで、しばらくしたらもう一度トライしてみようと思います、、!2023/02/16
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これを18歳で書いたんだ!すごいなー。心理猫写、きらめいてるけどおそろしくもある。
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カバー装画はイナキヨシコさん。思春期の不安定さを表すような三角と寒色が点在。フランス語のフォントが郷愁を帯びている。河野万里子さん訳、訳本独特の言い回しが少なくとても読みやすかった。
愛憎賞賛軽蔑混じる五角関係を南フランスの夏の海辺の眩しい自然と儚い思い出のように描き、思春期のあやうさと葛藤、残酷な感情が引き起こす結末。
セシルがバスタオルを体に巻いて鏡を見ながらヨガをしているところをアンナに見られ「インド哲学」と返したところが特に好き。
小池真理子さんの解説は日本の戦後時代背景と作家との交流について触れていて興味深い。
ゴダールが感動したというセシルカットを見るために映画も視聴してみようと思う。 -
小説を読むなら同年代の人間が活躍する話がベスト的なアドバイスを言う人がいたけど、本書を含めてそんなのはナンセンスだと思っている。同年代の頃に出会ったとしても当時の自分に恋慕の情なんぞ共感できっこない。(そもそも相関図の時点で落ち着けるわけがない)
おまけにその活躍(=行動を起こした)が間接的にとは言え、虚しい結末をたぐり寄せてしまった。
でも「活躍」以前の彼女に関しては見覚えがあり、無関心ではいられなかった。立板に水か、とめどなく溢れてやまないセシルの激情を黙って見ているだけじゃ受け止めきれなくて、声に出して読みたくなった。一方でセシルの方は言葉が出かかっているのに、扉で塞いじゃっているせいでガスみたいに下の隙間から漏れ出ている。今出来てしまっている現実は嫌だ、でも壊しちゃいけない。一人、弱々しくドアの向こうを見つめる。
誰かを愛したい。誰かにすがりつきたい。
本当の愛を見極めるひと夏の記録。
でも溢れんばかりの激情が濾過されていくうちに、愛を通り越して悲しみという形で結晶化されてしまった。(分かったような言い方…)
気持ちを堰き止めていたあの扉は、セシルも自分も今は取っ払っていると思う。
本当はそんな単純な話ではないのだろうけど、愛が悲しみに変わることが二度とないよう本当の愛にたどり着いていることを願っている。(おこがましくも…) -
「映画で見た セシルのように 嘘は言いたくない」
浅香唯の往年のヒット曲「セシル」の歌詞の一部分。
「セシル」が主人公であるこの小説(映画)の存在は知っていたが、今日まで読んだことはなかった。
セシルの嘘は大きな悲劇となったが、これを書いたサガンが当時19才の女性であったことに驚きを隠せない。
河野万里子氏の洗練された新訳もさることながら、最終章のタイトル回収となる結び文章の鮮やかさに敬服した。
あ!いよいよ積読本を卒業でしょうか?それとも積読本の殿堂入り?!
あ!いよいよ積読本を卒業でしょうか?それとも積読本の殿堂入り?!
中学生の時に、なんとなく本屋を物色して、安くて「俺サガン読んでいるんだけど」なんて言えそうな感じで選んだのがこの本で...
中学生の時に、なんとなく本屋を物色して、安くて「俺サガン読んでいるんだけど」なんて言えそうな感じで選んだのがこの本でした。数ページ読んで、日本語なのに外国語みたいで、読み進められなかった本の一つです。
そのあと、読むつもりはなかったけど、この本の中にもしかしたら夫であるサルトルに影響された実存主義の秘密が隠されているのかも‥‥という一点でずっと気になり続けていた本でもありました。やっとその呪縛から逃れたということです。
というわけで、読まなくても死ねる気がするので、これでさよなら、です。
中学生の時から!?
そんな長いお付き合いを終わらせるきっかけを作ってしまったなんて!
複雑な心境です。
中学生の時から!?
そんな長いお付き合いを終わらせるきっかけを作ってしまったなんて!
複雑な心境です。