泥棒日記 (新潮文庫)

制作 : 朝吹 三吉 
  • 新潮社
3.47
  • (38)
  • (48)
  • (139)
  • (10)
  • (1)
本棚登録 : 665
レビュー : 50
  • Amazon.co.jp ・本 (426ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784102119013

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
  • 高校1年の夏休み、
    これで読書感想文を書こうとしたら「職員室を混乱に陥れてどうする」と
    友人に止められたのでやめた。
    代わりに何を選択したのか思い出せない、覚えていない。

    作家・詩人・政治活動家でもあったジュネの自伝的回想録。
    「泥棒」であることを宿命的にアイデンティティとして身に負った男の
    悲哀・惨めさ・滑稽さが、行間から汗のように滲み出す。

    養家で空腹に耐えかね、台所にあったリンゴを食べようと手に取ったところを
    家人に見つかり「泥棒!」と叫ばれた瞬間、
    その言葉が天啓のように頭に鳴り響き「そうか、俺は泥棒だったのか」と納得した少年は、
    以来、そうやって生きようと心に決めた――
    というイメージが、ずっとこびりついていたが、
    幾星霜を経て(笑)久々~に再読したら、そんな場面は存在しなかった。
    脳内で勝手に印象を補足・増強していたらしい。
    補完の結果、自主的に闇の世界に足を踏み入れた青年の、
    貧しいけれど、お気楽極楽自堕落生活……みたいな、
    傍目にはみっともなく映ろうとも当人はゴキゲンといった愉快な物語であるかのように、
    長らく錯覚していた模様。
    何故ジャン少年がリンゴを盗もうとしたと思い込んでいたのかというと、
    単純に絵になるからとも、
    ジャガイモやニンジンを生のまま皮も剥かずに食べるはずはないからな~、と
    考えたから、とも言えるのだけど。
    でも、それは恐らく傷だらけで瘠せた感じの、
    多分、食べてもあまり美味しくないヤツだったんじゃないかな、
    しかも、彼は手に取って口に運ぼうとしたところを見つかってしまい、
    盗みを完遂できなかったんだよね、きっと。
    あくまで想像だけど、大した値打ちのないものを盗もうとして盗み得なかったことが、
    人生の進路を決めてしまったのではなかろうか。
    食べ損なった酸っぱいリンゴを求めての窃盗と放浪、
    犯罪者未満から正真正銘の盗人を目指す諸国行脚……なんてね。

  • 困難で苦しい汚辱へと導く上昇(彼は堕落をそう呼んだ)を遂行。真の犯罪者は刑において輝くとする。完全な人でなしに出会った眩暈。ジュネ版「罪と罰」みたい。到達不可能な無価値性。監獄は囲繞してくれる城、浮浪者の巣窟は奇跡の庭、乞食生活は澱むほど、不動で透明な湖、唯一な表現は煌めき、盗み、同性愛、悪事の概念を塗り変えられた。16〜30歳の間、刑務所や酒場で探求した美しく不幸な犯罪者達との同一化。サルトルやコクト-、三島が絶賛する文学の秘密は反社会の魅力と数多に惚れ愛することに尽くした寂しさの片鱗に読む。

    スリッパを丸める」というスラングを覚えた。「舌を丸めて差し入れながらキスをする」意味。

    D.ボウイのThe Jean Genieは、Jean Genet(ジャン・ジュネ)をもじったものだったらしいです。

  • 再読です。ちなみに十数年前の自分がこれを読んでどう思ったかは全く記憶にないです(苦笑)。ジュネの小説はほとんどがある意味私小説と呼べるんじゃないかと思いますが、そのなかでもとくにこれは私小説っぽい印象。そしていつも思うけれど、このジュネの教養(と言っていいのか)は、天才というよりほとんど突然変異だなあと。彼の生い立ちからして、まともに教育を受けられたとは思えないのに、文才というのは学歴とは関係ないんですよね。(お門違いかもしれないけど、最近読んだ本だと西村賢太とかもある意味ジュネ的なのかも)。

    ジュネには独自の思想や哲学があって、それは社会一般的に見てけして「善」の側に属するものではないのだけれど、その思想の独自性はもとより、それをキチンと他人にわかる言葉に変換して表現することができるというのは、簡単なことじゃないと思います。

    えてして「行動」するタイプの人間は「思索」が苦手で「記録」にも拘泥せず、「思索」するタイプの人間はそれを「表現」するのが不得手だったりしますが、それでも後者がそれを表現する手段を手に入れれば作家や芸術家として成功するのに比べ、前者が表現者として成功する例は稀有なのではないでしょうか。ジュネを突然変異だと思う由縁です。

  • 内容は言わずともがな。読んでない方も大体想像がつき、大体その通り。手に取るか、取らないか、そういう本であります。ここまで突き抜けてる本は、個々で好き勝手言おうが思おうが、けして揺らがない、孤高のさみしさがあるね。

    自分が感じたのは、どうしてここまで自分の内側のもの「気持ち」「個人的」なものをあからさまにむきだしにしてしまうのか。もう1つは登場してくる女性が鮮烈に勇ましくカラッとしており、泥風呂でもがくような描写が続く中で印象的に感じられて「手に入らないもの」への羨望のように感じられた。

  • 泥棒をしながら欧州各地を放浪して半生の大部分を牢獄で過ごしたジュネの自伝。あちこち右往左往する文章のためか最後までのめりこめなかったけどフランスの刑罰制度だとかスラングにはやたらと詳しくなれたり・・・w

  • ”泥棒.” 群は、滅する.

  • 2012.4.4 読了

  •  1949年発表、ジャン・ジュネ著。泥棒としてスペインやフランスなどを放浪した著者の自伝的小説。社会の底辺に生きる様々な犯罪者達との男色を交えた関係が描かれる。
     いかにもフランス文学といった感じの小説だった。文章はゴテゴテしていてきらびやかで、読んでいてクラクラしてくる。犯罪や男色関係の生々しい描写はほとんど見当たらない。むしろ、それに関する美学の説明がこの本をぶ厚くさせている。
     犯罪をせざるを得ないがために、価値観を引っ繰り返し、それを極限まで美しくさせようとする。いわゆる犯罪小説の中には、そういった思想をもったものは多くあるだろう。だが、これほどまでに、執拗に哲学的に考察しきって、ほとんど反論できない領域に上ってしまったものはほとんどないのではないだろうか。それもやはり、著者自身が根っからの泥棒で、あくまで泥棒の視点で物事を考察しているからだろう。真似できないオリジナリティーだ。
     それにしても、本当に、いつどこで著者は詩的表現を学んだのであろう。普通は、このような犯罪者には学ぶ機会などほとんどないだろう。考えれば考えるほど不思議に思えてくる。

  • 「悪いこと」「みすぼらしいこと」を勝利者の優美な文体で綴っているジュネの半生記のような一冊。
    「徒刑囚の服は薔薇色と白の縞になっている」この一文にジュネの価値観が圧縮されている。犯罪者になる資格、汚いものへの微笑、、、とてもフランス文学的。

    それにしてもこの本を読むと登場人物に同性愛者が多すぎて世の中こんなに多いのかと。笑

  • 普通の人間にとって正真正銘の別の世界の住人である筆者が送る言語という道具を最大限に駆使した自伝的文学。彼の紡ぎ出す言葉の連なりは独創的で繊細な彼の感受性によってたっている。偽ることなくありのままに描き出されている豊穣で粘りつくような世界は目も眩むばかりで底なしに壮麗である。

全50件中 1 - 10件を表示

著者プロフィール

ジャン・ジュネ(Jean Genet)
1910年、パリで生まれる。父は不詳。七ヵ月で母親に
遺棄されモルヴァン地方の指物師の家の養子となる。
小学校卒業後わずか一〇日で職業訓練校の寄宿舎から
逃走。放浪する間の微罪のため一五歳で少年院に収監
される。一八歳で軍隊に入隊、中東、モロッコなどに
配属されたのち、1936年脱走する。訴追を逃れるため
贋の身分証でスペイン、イタリア、ユーゴスラヴィ
ア、チェコスロヴァキア、ポーランド、オーストリ
ア、ドイツ、ベルギーを転々とする。

1937年フランスに戻り、以後七年間に窃盗などの罪で
一二回告訴される。1942年、フレンヌ刑務所在監中に
詩集『死刑囚』を出版、以後矢継ぎ早に『花のノート
ルダム』『薔薇の奇蹟』『葬儀』『泥棒日記』など、
犯罪者の、また同性愛者の立場を公然と引き受けた特
異な小説群を発表、コクトー、サルトルらの賞賛を受
け作家としての名声を獲得する。1949年に最終恩赦を
受けたのち六年間沈黙。

1955年から戯曲『黒んぼたち』『バルコン』『屏風』
を発表し劇作家としてカムバックする。1968年以降は
アメリカ黒人解放闘争、パレスチナ解放闘争、移民運
動などに加担、ときおり特異な政治評論を発表してい
たが、1986年パリで死去。パレスチナ滞在期の追憶を
中心とする長編回想記『恋する虜』が絶筆となった。

「1999年 『アルベルト・ジャコメッティのアトリエ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

泥棒日記 (新潮文庫)のその他の作品

泥棒日記 (新潮・現代世界の文学)の詳細を見る 単行本 泥棒日記 (新潮・現代世界の文学) ジャン・ジュネ

ジャン・ジュネの作品

泥棒日記 (新潮文庫)を本棚に登録しているひと

ツイートする