月と六ペンス (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (440ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784102130056

感想・レビュー・書評

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  • 後期印象派の画家、ポール・ゴーギャンのお話かと思って読み始めたが、彼の一生にヒントを得たとはモーム自信が序文の書き出しに記していても、実際の共通点はあまりないとのこと。

    「ぼく」という人物の口を通して語られている主人公チャールズ・ストリックランドの生き方は随分無茶苦茶で、文中に天才と何度も語られているけれども、それでも実際にこういう生き方が可能なのだろうかと考えるとなんだか怖くなった。
    しかも最後のエピソード(最後の大作についても)もなんだか凄すぎてぞっとしたというか、心が穏やかではいられなかった。
    ストルーブのお人好しさやそのあらゆる悲劇、(ぼくはいちいち可笑しがって吹き出しそうになっているけれど)ストリックランド夫人の最初から最後の振る舞い、ストリックランドに最後まで添い遂げたアタ、その他様々な登場人物はみなある意味極端で、総じて読後感はなんとも言い難いんだけどすごく心が揺さぶられた、ということについては確かな一冊だった。

    とにかく「月と六ペンス」というタイトルがすごくかっこいいと思う。

  • 芸術に取り憑かれた男、チャールズ・ストリックランドの一生を描いた小説。
    彼のその世間の反感を買うような言動から、自己中心的な人物のように見えるが、何かしら常人にはない魅力があるようだ。
    その潔さには、思わず拍手を送りたくなってしまう。その情熱が羨ましいとさえ思ってしまう。

  • 人間の大きさ、を書いた話なのではないかと思う。

    ストリックランドその人の巨大さ、というよりは、人間というものが持ちえるある種の極限、を描いているがゆえに、「人間である私たち」が読むと、その可能性に、なんというか、夢を見ることができる。
    「私」はこう生きることはできないだろうし、こんなに「巨大」であれないけれど、でも、ここで描かれている「人間」は、間違いなく自分と同じ種類の生き物なのだ、と思える。

    作中で、晩年のストリックランドを見知っていたある人物がこう言うセリフがある。
    「いくら私だって、夢を持つ気持ちくらいはわかっている。私にだって幻はある。私は私なりに、これでも芸術家のつもりなんだからねえ」
    この話が、ひどく通俗的である、と言われる理由は、もしかしてここなのではないかと、私は思う。多くの、ほとんどの人は、決して「ストリックランド」ではない。しかし、作中の人物が言うように、多くの人がその人なりに「ストリックランド」のつもりであり、それはまた、嘘ではないのではないだろうか。

    傲岸であると同時に崇高で、利己的であると同時に無欲で、信仰でありながら俗者である。
    大きな、大きな矛盾。
    けれど、それは「私たち」そのものであり、また「彼」にしか持ちえないものではないだろうか。

    • yuu1960さん
      大きく俯瞰したような柄の大きなレビューですね。
      成程、モームはそういうことを言いたかったのかと納得させられました。
      大きく俯瞰したような柄の大きなレビューですね。
      成程、モームはそういうことを言いたかったのかと納得させられました。
      2013/07/20
    • 抽斗さん
      この本はなかなか感想が書けなかったのですが、yuuさんのコメントで、モームが言っているのはどんなことだったのか自分なりにちょっとは想像できた...
      この本はなかなか感想が書けなかったのですが、yuuさんのコメントで、モームが言っているのはどんなことだったのか自分なりにちょっとは想像できたのかな、と思えてとても嬉しくなりました。
      私はたぶん、このお話を「ストリックランド(あるいはゴーギャン)」という一人の人物の伝記としては読まなかったのだと思います。
      2013/07/21
  • 20世紀イギリスの小説家・劇作家サマセット・モーム(1874-1965)の代表的長編小説、1919年。画家ゴーギャンの生涯をモデルとした作品として知られる。

    「観念に憑かれた者」「内面性に憑かれた者」「本来性に憑かれた者」 の姿がここにある。

    個人の外部で拵えられた社会の自己都合としての社会性の桎梏を、それが無意識下に根を下ろしたところのものである超自我による自己抑制を、何の顧慮も無しに断ち破っていく、美へのデモーニッシュな如何ともし難い意志。社会に於ける小市民的な秩序安定に寄与するだけの倹しい善意や良心や分別なんぞ、薙ぎ倒し吹き飛ばしてしまう。そこには、他者に理解可能な卑俗な理由なんぞ峻拒する不条理が、暗々と横たわっている。俗世間なんぞ、所詮は「六ペンス」に比せられる程度の代物なのだ。彼を天才と呼ぶか狂気と呼ぶか敗残芸術家と呼ぶかは、当人とは無関係な社会の側の都合・眼差し如何でしかない。しかし、市民的規範の一切に背を向けるストリックランドの行動に困惑を覚えてしまうたびに、自己の内なる「社会性」「小市民的俗物性」の根深さを思い知らされる。

    「だが、君はね、僕から時々いい物を摂取する機会があるかぎり、決して心から僕を憎みきれるもんじゃない」

    美的陶酔の隠喩である「僕(ストリックランド)」に人間が抱かずにおれない畏怖と憧憬の ambivarence というものが確かにある。

    「僕は言っているじゃないか、描かないじゃいられないんだと。自分でもどうにもならないのだ。水に落ちた人間は、泳ぎが巧かろうと拙かろうと、そんなこと言っておられるか。なんとかして助からなければ、溺れ死ぬばかりだ」

    小市民的俗世間は、自分の水準に落とし込めるようにしか、物事を捉えることができないのだ。

    「彼にとっては、言葉というものが、最初からもう思想の媒体ではないらしく、話すことはひどく苦しそうだった」

    「われわれは、この世界にあって、みんな一人ぽっちなのだ。青銅の塔内深く閉じこめられ、ただわずかの記号(しるし)によってのみ互いの心を伝えうるにすぎない。しかもそれら記号もまた、なんら共通の価値を持つものではく、したがって、その意味もおよそ曖昧、不安定をきわめている。笑止千万にもわれわれは、それぞれの秘法をなんとか他人に伝えたいと願う。だがかんじんの相手には、それを受け容れるだけの力がない。かくして人々は肩を並べながらも、心はまるで離れ離れに、われわれも彼らを知らず、彼らもまたわれわれを知らず、淋しくそれぞれの道を歩むのだ。たとえていえば、美しいこと、神秘なこと、それこそ限りなくさまざまの語りたいものをもちながら、ほとんど言葉も通じない異郷の人たちの間に移り住み、やむなく陳腐な会話入門書の対話を繰返しているよりほかない人間、それがわれわれの姿なのだ。頭の中は思想で煮えたぎっている、そのくせ口に出して言えることは、園丁の叔母さんの傘が家の中にあります程度の、くだらない会話にすぎないのだ」

    「彼にとっちゃ、絵を描くことは地獄の苦しみだったんだ」

    「人間の中には、ちゃんとはじめから決められた故郷以外の場所に生まれてくるものがある・・・。なにかの拍子に、まるで別の環境の中へ送り込まれたのだが、彼らはたえず、まだ知らぬ故郷に対してノスタルジアを感じている。生まれた土地ではかえって旅人であり、幼い日から見慣れた青葉の小道も、かつては嬉々として戯れた雑踏の街並みも、彼らにとっては旅の宿りにすぎないのだ。・・・。よく人々がなにか忘れがたい永遠なものを求めて、遠い、はるかな旅に出ることがあるが、おそらくこの孤独の不安がさせる業だろう」

    「世の中には、真理を求める激しさのあまり、目的を達することが、かえって彼らの拠って立つ世界を、その根底から覆してしまうような結果になる、そういった人間がいるものだ」

    彼はタヒチを得た。しかし現代の時代精神に、帰る場所などあるのだろうか。本来性の観念に取り憑かれた者は、無限に内面を遡行していき、その運動自体が無限循環へと陥らずにはいない。何処も彼処も異郷で在る以外に在り得ないのではないか。私はここにモームの思想的限界を見出す。最早我々には、「タヒチ」すら無いのだ。

  • 会社の仕事の後、絵画教室へ。妻にはそれを秘密に。なぜ南の島を選んだかのところで、妻が北部の地域の出身だからというのだから、これは絵を画く前の問題で、家出が南の島にまで及んだのだろう。それが、名画を描かせたんだな。ペンスはお金のことだろう。絵と絵の売られ方とそのお金がどこへいったかみたいな話でもあるようだな。月というのは、暦のことなのか?どこからでも見える月なのか?絵を描く時の光りなのか?

  • 1919年に出版されたサマセット・モームの小説。画家のポール・ゴーギャンをモデルに、絵を描くために安定した生活を捨て、死後に名声を得た人物の生涯を、友人の一人称という視点で書かれている。この小説を書くにあたり、モームは実際にタヒチへ赴き、ゴーギャンの絵が描かれたガラスパネルを手に入れたという。題名の「月」は夢を、「六ペンス」は現実を意味するとされる。
    出典:Wikipedia

    芸術とは情熱なのだ.表に出てくる意識など、おさえることのできないほどの情動なのだ.

    ということなのだろう.私は芸術家ではないから、その情動がどれほどのものなのかは分からないけれど.ただ、ものを創る人というのは、他の人が見える部分では常識のないように見えるのだろう.ただ、本人の中では、矛盾はなくただ欲するところに正直なだけなのだろう.

  • 月に魅せられた男の果て

    主人公は画家のゴーギャンをモデルに描かれている。
    証券会社に勤め、家庭を持ち何不自由ない生活を送るストリックランド。
    ある時そんな中年オヤジの彼が圧倒的な衝動に突き動かされ、家庭や仕事などの世俗的なしがらみ(六ペンス)を一切かなぐり捨てて、芸術(月)に傾倒する。

    世間の非難を潔く受け容れながらもそれらを冷笑すること憚らないストリックランドが印象的。

    月に魅せられた男の人生の果て。そこに広がる景色は至福の煌めきか虚無の暗闇か。

  • 名前だけは知っていたけどずっと読んでなく、たまたま目に入ったので読んでみた。
    ストリックランドは全部捨てて自分の好きなことだけやって、どんな事を考えながら日々を過ごしていたのだろうか、幸せだったのだろうかとか考えたけど、幸せとかそういうことじゃないんだろうなあと思った。
    名前からもっと幻想的な物語を想像していたけど、全然違った。
    自分の中では割と早く読み終わったので、結構面白かったんだと思う。

  • 難しい漢字、いいまわしを調べながら読み進めた。集中して頭をすごく使った。ゴーギャンのことを書いてると途中で気づいてからは、そんな人だったのかと思って読んでいたが、全くの小説だそう。

  • 再読したい1冊。いや、一度再読しているので、また何年後かに読みたい。本というものは、読む歳によって受け止め方が違うから。

    • すけさん
      再読したい1冊。いや、一度再読したので、また何年後かに読みたい。
      再読したい1冊。いや、一度再読したので、また何年後かに読みたい。
      2020/11/13
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