Yの悲劇 (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (463ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784102137024

感想・レビュー・書評

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  • 私の海外ミステリ〝初体験〟は「Yの悲劇」(1932)だった。まだ十代の頃、気ままに選んでいた国内/海外文学の流れで出会った。各種ランキングで長らく不動の首位に輝いていた本格推理小説黄金期の名作。これは、後になってから知ったことで、学校の図書室で何気なく手にした本作に関して、予備知識は全く無かった。
    一気に読み終えた。それまでの文学とは次元が異なる感動を覚え、しばらくは興奮状態にあった。同時にミステリへの興味/好奇心が大きく膨れ上がった。物語が進行するほどに深まる不可解な謎が、緻密な論理に基づく鋭敏な推理によって、鮮やかに解き明かされていく。それは、味わったことのない〝快感〟だった。必然、私は片っ端から海外ミステリを読み漁ったのだが、本作は常に原点としてあり続けた。

    ニューヨークの悪名高い富豪ハッター家を襲う災厄。発端の事件以外は同家邸内のみで起こり、核となる老婦人エミリー・ハッター殺害の容疑者は幕開けから絞り込まれている。いわば密室劇に近い構造のため、読み手は集中してストーリーの流れを追うことができる。元シェイクスピア俳優が探偵役を務めることが象徴しているように、戯曲になぞらえた章立て/構成をとり、アクの強い人物を揃えた配役と時代掛かった舞台装置によって独特の雰囲気を創り出している。ケレン味たっぷりの演出を施した愛憎劇。この〝舞台〟にはミステリの醍醐味が凝縮されていた。

    今回、数十年を経て再読したのだが、当然のこと大筋と真犯人は記憶していた。それでもなお面白さが色褪せることはなかった。あらためて感じたことは、状況を的確に伝える卓越した文章力、精緻且つ大胆なトリックを生かす高度な技巧、そして隅々までこだわり抜いた構成美だった。人物造型についてはデフォルメ過剰な部分もあるが、これは本格物としては許容範囲だろう。本作執筆時、エラリイ・クイーン(フレデリック・ダネイ/マンフレッド・リー)は、まだ20代後半の若さだが、やはり天才的な技倆を備えていたとしか言いようがない。

    「Yの悲劇」の有名な謎のひとつに、老女撲殺の凶器となる〝マンドリン〟がある。邸内には幾らでも〝適当〟な鈍器があるにも関わらず、殺人者はなぜ殺傷能力が低い楽器を選んだのか。極めて計画的な犯罪に見えながらも、奇妙な凶器が表象する意想外の粗/矛盾が積み重なり、さらなる迷宮へと導く。だが、パズルが複雑に入り組むほどに、老探偵は解明の鍵を手にし、扉の向こう側で息を潜める犯人へと迫っていくのである。最も効果的な〝最後の一撃〟を生むように張り巡らされた伏線。それを丹念に回収していく過程は明瞭に示されており、クイーンのいわゆる〝論理のアクロバット〟がどのように為されるのか、その剛腕ぶりを実感できる。実は「第三幕」の早い段階で凡その種明かしをしているのだが、初読で気付く読者は相当なツワモノだろう。
    物語では、三重苦のヘレン・ケラーを想起させる女が、触覚と嗅覚によって殺人者を示唆する重要な役目を担う。加えて探偵自身も聴力を失っている。障害があるが故に、限られた能力がより鋭敏になり、難事件を解決する突破口にも成り得る。この着想の妙が光る。

    ただ、少年期に読んだ時には感じなかった〝引っ掛かり〟があった。鋭い識者も指摘していることだが、ハッター家は遺伝的な欠陥を持つ血統という前提の上に、物語が構築されていることだった。現在では大いに問題となる要素で、本作の土台を崩しかねない〝亀裂〟でもあると感じた。これは、真相に辿り着いた後、探偵が殺人者に下す最終的〝決断〟への重要な動因ともなっている。「Yの悲劇」発表時の時代背景を考えれば致し方ないことなのだが、精神疾患に関して遺伝学などの科学的根拠がないままに、優生学擬きの通念を取り込んでしまっている。
    あくまでも私の推測だが、来日時のフレデリック・ダネイが、しきりに「Yの悲劇」をクイーンの最高傑作に挙げる日本人の偏った称賛を〝喜ばなかった〟訳は、作家として成熟しきれていない倫理的な甘さが露呈している同作に対して、少なからず自責の念があったからではないか。

    苦い結末には、罪と罰のあり方、探偵自身が制裁を加えることが許されるのかという重い命題が内包され、初読時には大きな衝撃を受けた。だが、今回の再読では、呪われた血縁による悲劇を断ち切るために選択せざるを得ない、いわば歪んだ宿命論に基づく終幕だったのだと捉え直した。これは、本作が本国アメリカでの評価が決して高いものではなく、〝戦後〟の日本でのみ至宝の如く崇められていた理由のひとつかもしれない。公然たる差別の対象、狂気に呪縛された家/社会の闇。つまり、概ね暗く陰湿だった国内〝探偵小説〟が軸とした因果との親和性を、本作に認めたのではないだろうか。

  • 非常に論理的で読んでいて気持ちいい。

  • ミステリーの頂点と言っていいと思います。もちろん内容の紹介という野暮はしませんが、とにかく凄い。ドルリー・レーンが探偵役の4連作の2作目。これ連作そのものにも仕掛けがあるんですよね。

  • (1983.09.04読了)(1979.11.18購入)
    *解説目録より*
    悪名高きハッター家を次々と襲う不吉な死の影。腐乱死体となって海から引きあげられた主人、夜中マンドリンで殴殺された女主人、絶えず狙われている唖で聾で盲の娘。サム警部の依頼で出動した名探偵ドルリー・レーンの顔も今度ばかりは憂えがち。クイーン得意の論理の技巧が極致に達した一大犯罪絵図。

    ☆E.クイーンの本(既読)
    「Xの悲劇」E.クイーン著・大久保康雄訳、新潮文庫、1958.10.30

  • 途中でレーンの行動が加速したり、かと思うと突然止まったりと動きのある小説で、けしてそれは明るいものではない。結末なんてとくに。何よりエピローグ、に入るタイミングなんて、映画が全然ラストシーンでなさそうな、まだ場面が続きそうな場面でふっと終わってしまったみたいな唐突さで、説明を求めるように最終章は一息に読むほかない。
    Xの悲劇も探偵の横顔に影はさしていたが、今回は以前にも増して、見えない。サム警部みたいに何も知らないままでいたほうが人生悩まなくてすみそうだと思った。

  • これは絶対読めって意味がわかった。なんとも論理的にすべてが回収されていくにも関わらず度肝を抜くクライマックスと、レーン探偵のあまりに悲しい決着のつけかたに心臓止まりそうになった。家族の設定の根幹自体がちょっと物足りないというか薄っぺらに感じたのだけは残念。

  • 翻訳小説は、どの訳者で読んだか、ということがすごく大きいと思う。やはり最初に読んだ版というのは、一番愛着がわくものだろうと思う。……英文の専門家からは何かと批判の多い大久保康雄だが、こと小説の訳としては、たとえば最近読んだ宇野某の翻訳した版などは、大久保版に遠く及ばないように感じる。本作は他にも何種類かの翻訳があるけれど、ぼくの読んだ限りでは、この大久保版がもっとも、小説文体として、作品の持つ魅力を引き出すものになっていると思う。
     ミステリ史に残る、ほとんどパーフェクトに近い傑作だからこそ、未読の方には是非(甲乙付けがたい前作『Xの悲劇』とともに)、この大久保版でお読みになられることをお奨めする。

  • ロジックの見事さに脱帽。

  • ドルリー・レーン・シリーズ

    ハッター家連続殺人事件。
    自殺した当主の夫。卵酒による毒殺未遂、なしに注射された毒。
    夜中に殺害された当主ハッター夫人、凶器に使われたマンドリンの謎。
    爆発した薬品庫。
     
     2009年12月25日読了

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