ワイオミングの惨劇 (新潮文庫)

  • 新潮社
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感想 : 12
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  • Amazon.co.jp ・本 (544ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784102139219

感想・レビュー・書評

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  • 謎の作家トレヴェニアンの西部劇映画のパロディ。パロディといってもトレヴェニアンだけあって一筋縄にはいかない。西部劇映画のフォーマットに則っているふうに見えて細部はかなりひねってあります。ゴールドラッシュも終わりかかり町も寂れ果てるところが多くなってきた頃、刑務所から脱獄する凶悪犯のシーンで始まり、どこからか流れてくる古めかしい銃を持つ若者、銀鉱山の麓の寂れた小さな町、なんとかやっていきたいと思う者、なんの希望もなく生きている者、それぞれがちょっとずつ脛に傷をもつ者たちの生活が交錯して西部劇的事件が起きます。前半はなんの事件も起こらないのですがこの重なり具合がいやーな雰囲気を醸し出していきます。これはちょっとハズれたかなと思っていると知らない間にどんどんはまっていきトレヴェニアンのトラップにすっかりかかってしまいます。なんだこの深み。1800年代の人々の話なのに今を生きる人間の闇が描かれているように思えます。

    最後に載っている作者の執筆用資料の登場人物設定の緻密さにも驚きます。
    さらにさまざまな作風の秘密は執筆に入る前にまず作者から創造するのだそうです。どのような教育を受けてきた人物なのか正確なのかなどを設定した上で執筆するのだとか。なんという作家だ!自分の役どころを明確にして徹底するのだ。プロだ!自分もこの手法を実生活に取り入れてみよう。

  • まぁ惨劇だわなぁ。読めばわかるよ!

  • 悪い奴が村にやって来てわうわうしちゃう、って話は良くあるっちゃあ良くあるんだけど、このやりたい放題の悪党に感情移入するか、それとも村人に感情移入するかってのが運命の分かれ道。なんかあんまり悪すぎるやつでもひいちゃうしね、難しいところよね。死霊のはらわたみたいになっても困るしね。
    というわけで、今回は一般向けの小説だからそこまで悲惨な事にはならなくて一安心。
    それ、死亡フラグ立ってる!とか、それやったらアカンやつやで、とかいうイベントをコツコツとこなしながら、確実にエンディングに向かっていくのはある種の既定路線というか、予定調和というか。でも盛り上げ方を間違えなきゃいつものやつを頼んでも普通に美味しいってことかな。

  • 惨劇というわりに読後感が爽やかなんはなんでやろ?

  • 2011.11.21 一日で読了。

    「バスク、真夏の死」以来のトレヴァニアン作品。
    登場人物の会話や思考に引き込まれていく冒頭から、現在進行形で進む危機が息つくまもなく続き、ラストでそのすべてが遠い過去に終わってしまった物語であったことに気づく。
    読後に寂しさを感じるのは、最初に引き込まれた魅力的な世界が、こちらから二度と踏み込むことのできなかった世界であることを、改めて思い知らされるからかもしれない。
    次回は長編「SIBUMI」に挑戦したい。

  •  ワイオミングが準州から正式の州になった頃、炭鉱と町の間の小さな街を舞台にした、西部劇っぽい話。
     この作者、めったに作品書かない、そんでもってものすごい覆面作家なんだそうで。しかも、1作1作で作風を全くかえてくるらしい。テクニシャンってことですか?
     中盤までが、なかなかのれなくて(もともと、西部劇みたいなの好きじゃないので)しんどかったが、中盤以降がすごかった。特に、事件が終わったあとがね。ふっと、テンション落とされて、うむ、って思ったらまたじわじわと。最後の1行まで、本当にすごかった。
     しかし、この邦題はどうなんだろうねぇww

  •  『ワイオミングの惨劇』は『MONSTER』のラスト近くの展開のようです。冷酷な作家の目と暖かい人間観察。ユーモアと皮肉。

  • 非常に複雑な想いを抱く読後である。
    少なくとも昨日の、マシューが無頼漢リーダーとその一味を殺し、そして二十マイルの保安官に、いやヒーローに成り損ねた所までを読んだ時には、安易な予定調和に流れず、これが現実だろ?と突きつけたトレヴェニアンの現実を透徹する視座に身震いを憶えたものだが、今日のこの物語の創作メモめいたパラグラフを読むに当って、これら登場人物が実在したという事実に戸惑いを感じた。
    この部分はこの小説にとって果たして必要だったのだろうか?
    あとがきで語られるべきエピソードではなかったのだろうか?
    ここに至り、今まで語られたストーリーの結構というものが揺るぎを持ち、何とも評し難い思いが渦巻いている。
    結局、何が語りたかったのだろう、作者は?
    恐らくはハリマンの贈ってきた『デスティニーの最期』とペダーゼン氏が綴った二十マイルとデスティニーでの出来事に触発されて書かれたのだろう。とにかく通常ならばヒーローとなるべきマシューが二十マイルの走り使いとして描かれ、最後も保安官になり損ね、しかも後日談では愛していたルース・リリアンとも結ばれず、単に彼女の家の雑用として余生を過ごすといった具合である。これは事実であるから、既に決められた結末なのだ。
    今に至って私は思う。
    このルース・リリアンという女性に最後まで付き添って亡くなったマシュー・ダブチェクとは一体何者なのか、そしてその墓碑銘に何故「リンゴ・キッド」と書かれているのか、この点に作者は非常に興味をそそられたのではないか?
    だから主人公はマシューでありながらも最後までヒーローにはなり得なかったのだ。

    感想としては最後の一文に救われる思いがしたが、やはり後味が何とも悪いのである。

  • 4-10-213921-4 538p 2004・12・30 2刷

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