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Amazon.co.jp ・本 (336ページ) / ISBN・EAN: 9784102142110
みんなの感想まとめ
多様な文化に適応しながら生きるインド系移民を描いた短編集は、9つの物語を通じて、親しい関係の中に潜む不安や孤独を繊細に表現しています。著者の独自の視点から、夫婦の継続や別れ、日常生活における人との交差...
感想・レビュー・書評
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数年前、某書店の「本と珈琲のセット」で購入したシークレットブック。長い熟成期間を経て読んだ本書は、ピュリツァー賞(フィクション部門)など、著名な文学賞を総なめにした名作なのでした。
著者のジュンパ・ラヒリさんは、インド系アメリカ人作家で、本作がデビュー短編集というから驚きです。9編のいずれにも、外国で暮らすインド系の移民や周辺人物が登場します。彼女自身の来歴に関係しているのでしょうか?
共通するのは、夫婦など親しい関係の中にある不安や孤独です。新たな環境や文化へ適応するための奮闘、そこから次第に生じる関係の行き詰まりに端を発する状況を、微妙な心の機微を細部にわたり丹念に描いています。まるで深煎りエスプレッソのような苦味とコクが広がります。
ただ、不安や孤独を描くだけでなく、その状況を脱する切望や再生も匂わせます。大きな希望を持たせない匙加減も絶妙で、そういう意味では、エスプレッソに少しのシュガー? この苦味と甘味のバランスが見事です。
これらの不安や孤独は、移民等の出自に関係なく、現代人誰にも当てはまると思います。価値観の違いを超えて分かり合えるのは理想ですが、近しい人同士でも不明点が多いのも普通でしょう。
この不安定さを支えるのは「信頼」か、それとも「諦念」か? ある意味「知らぬが仏」も、幸せでいられるスタンスかも、と言ったら身も蓋もない?
どうでもいいのですが、歳とともにコーヒーは、浅煎りの豆をていねいにドリップで淹れた一杯が、至高と思える此の頃です。 -
同じ方向を向いていると思っていた夫婦の継続か、別れか
人生で交わる人とそうでない人
日常の中での、人と人との交差を巧みに表現している短編集です
私は最後の「三度目で最後の大陸」が好きでした
この本の中にも、戦争が出てきます
戦争の時は人を殺したり、女性に暴行するのが許されるのはどうしてだろう
世界中の戦争が終わりますように
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インド系の主人公がアメリカで暮らす
が、基本になっている9編
著名な文学賞を総なめにした作品たち
アメリカ人でない主人公たちが
戸惑いながらも
生き生きと暮らす中での
いろいろな出来事が時に楽しく、
時に悲しく、せつなく
なんだかホッとするような
温かい文章がスッと入ってくる感じ
落ち着く読書のひとときを過ごせた
なぜかインドに惹かれるところがある
だからかな
インドを感じつつ読めて
今までにない感覚をおぼえた
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インド系作家のデビュー作でピュリツァー賞(2000)。テイストの異なる9篇からなる短編集。①表題作②ビルザダさんが食事にきたころ③病気の通訳④本物の門番⑤セクシー⑥セン夫人の家⑦神の恵みの家⑧ビビ・ハルダーの治療⑨三度目で最後の大陸。どの短篇も良かったが、後半の作品につれて感動が深くなった。新潮クレストブックスから文庫化された。
雰囲気は異なりますが、アリス・マンローの作品に出会った時の感動を思い出しました。他の作品も読んでみたいです。 -
新年一冊めは年末からはまったラヒリを遡って読む。どれも印象深い。一番不穏な表題作『停電の夜に』少女の気持ちをつぶさに表現『ピルザダさんが食事に来たころ』ドキンとした『セクシー』『三度目で最後の大陸』が訳者同じく一推し。
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111108さん♪
こちらにもお邪魔します(^^)
私も単行本で読んだのですが、全く覚えていないので、過去に書いた自分のそれを読んでみた...111108さん♪
こちらにもお邪魔します(^^)
私も単行本で読んだのですが、全く覚えていないので、過去に書いた自分のそれを読んでみたら、作品自体にラヒリ自身がよく表れているのが切なくもなるようなことが書いてあって、デビュー作なんですけど、既にラヒリ自身の真摯な人柄や未来への願望が表れている点に、彼女は作品を書くことで自分と向き合っているのだなと改めて感じました。2025/01/02 -
たださん♪
こちらもコメント嬉しいです♪
たださんのレビュー見てきました!確かに全部ではないのですが、ラヒリや家族がモデルになっていそうな...たださん♪
こちらもコメント嬉しいです♪
たださんのレビュー見てきました!確かに全部ではないのですが、ラヒリや家族がモデルになっていそうな話が多かったですね。
描かれたのはちょっと昔の時代かも知れませんが、民族間の争いの歴史など踏まえたうえでの物語は今の「多様性」という言葉があまりにも軽く感じられるくらい深みがあって味わい深かったです。2025/01/02
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どこか切なく、人生の苦味を感じさせる短編集。短編なのに余韻が深い。
毎夜一時間の停電の夜に、隠し事を打ち明けあうことにした夫婦の物語『停電の夜に』は、全然予定調和ではない結末に裏切られ、人生のままならなさについて考えさせられた。苦しいけど好き。
『三度目で最後の大陸』は、最初は印象が良くなかった人たちをいつしか好きになってしまう、切ないけれどあたたかく、好きな短編。ミセス・クロフトの予想外の一言に、これも気持ちよく裏切られ、嬉しい気持ちになり、ふっと泣きそうになる。
ジュンパ・ラヒリさん、他の作品もまた読みたい。 -
九つの短編集
人と人との繋がりが損なわれていく物語が
多かった
冷静な語り口のなかでも
感情の移ろっていく様が際立ち
まるで舞台を見ているような臨場感を感じました
最後に畳み掛けるように
夫婦の絆が壊れていくのを目の当たりにした
表題作がとても切なく
一番心に残った
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インド系アメリカ人作家のデビュー短編集。
『停電の夜に』
心が離れていく夫婦。
すれ違っていく様がじわじわくる。
修復したくて歩み寄ってもどうにもならないこの感じ。
『三度目で最後の大陸』
未来に向かっていく、希望がある終わり方が好き。
人間の関わりの話。
言葉にするのが難しい、心の繊細な動き。
最後の話で前向きな気持ちになって救われた。 -
いい短編集だった。好きなのは「停電の夜に」「三度目で最後の大陸」(また読みたいと思うくらい好きだし、また読むと思う)。
なんで良いのかを考えていた時、高畑勲監督の言葉をふと思い出す。「大切なのはそこに人間が暮らしているということ(ものを食べたり、何か行動しながら話すなど)、その人がちゃんと生きているんだなというのがあって初めて次の飛躍が用意される。ただ飛躍しているだけだと地についてないから信じられない。良いものにならない。」いいお話は、人間が地についている。 -
ささやかな日常生活における人生の機微を、平易だけど精緻な言葉で描いた九編からなる短編小説集。どの作品も、心が浮き立つような高揚感はなく、むしろ、侘しさや物悲しさを強く感じます。
けれど、作者であるインド系アメリカ人のジュンパ・ラヒリの実体験を強く反映してか、多くの主人公が、ラヒリと同じくアメリカ暮らしのインド系移民の人々であり、ルーツと現実の生活の狭間で何かに悩んだり傷ついたりながらも、静かに淡々と生きる人々を、愛情を持って描いているのがわかり、胸に染みます。
特に、「三度目で最後の大陸」は、後年執筆されるラヒリの「その名にちなんで」の土台になっているのを強く感じました。
「その名にちなんで」はインド移民家族の一世と二世それぞれの姿を瑞々しくもじっくりと慈しむように書いた長編で、涙だけでなく鼻水を流しながらも読んだ大好きな作品なので、これは個人的にとてもじんわりきました。
収録作は、子供を死産して以来生じた溝を埋められない若夫婦が停電によってそれぞれのことを語り心を近づけたようでなかなかうまくいかない様を描いた表題作「停電の夜に」をスタートとして。
インド、パキスタン、バングラデシュの複雑な政治情勢に翻弄されて家族と離れ離れに暮らす両親の友人のために、ある特殊な儀式で祈りを捧げた少女を描いた「ビルサダさんが食事に来たころ」。
かつて人生の挫折を味わったインド在住のツアー通訳の男が家族連れで訪れたインド系アメリカ人の家族に儚い妄想を働かせてしまう「病気の通訳」。
世間の片隅で生きる貧しい女が打ちのめされてしまう「本物の門番」。
妻子ある男と束の間の逢瀬を楽しみながらも、知り合いの子供の言葉に目を覚ます若い女を描いた「セクシー」。
インド系のベビーシッター女性との束の間の時間を過ごした少年の体験と成長をとらえた「セン夫人の家」。
購入した家から現れるキリスト教系グッズに翻弄される夫婦を描いた「神の恵みの家」。
病気持ちでつまはじきの人生を歩んできた女性を襲ったある事件の顚末を描いた「ビビ・ハルダーの治療」。
インドからイギリス、アメリカへと渡り、根を下ろした移民1世の視点で過去と現在を描いた「三度目で最後の大陸」。
繰り返しになりますが、劇的な展開も心躍る爽快感もなく、物悲しさが勝る作品集ですが、ラヒリの全てを慈しむような文体と場面切り取りの巧みな技巧のおかげか、これも人生、という感じがしみじみとする良質な短編集。 -
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心に静かに波紋が広がった。9話短篇集。
表紙の内側の写真、ラヒリ氏のなんて美しいこと!
ロンドン生まれアメリカ育ち。両親はカルカッタからの移民で、インド系アメリカ人のルーツをもつ。
9話ともにインド人とその家庭料理が出てくるが、物語の視点は様々だ。
作者に近いと想像する『ピルザダさんが食事に来たころ』
作者の両親がモデルに感じる『三度目で最後の大陸』
私の好みは表題『停電の夜に』と『セクシー』
熱量が低く、大きな出来事が起こるわけでもない。サラッと事柄中心の描写。
なのに、人の心の機微や感情がジワジワ浸食してくる。
物語の着地点、読者の予想をちょっとハズす秀逸さも楽しめた。 -
ここ最近、インドに関する旅行記を多く読んでいます。
インドは私たち日本人にとっては(特に私にとっては)未知の国であり、魅惑的な国で、さらに手軽に行ける国ではなかったりします(おなかを壊す可能性が高くて長期滞在がちょっとこわい)。そんななかで、本で行ける(知ることのできる)インドは私が知らないところの別世界であり、ほんとに楽しいです。
この本からは、インドの香りがしてきます。いいです。スパイスの香りですね。移民ならでは、カーストならでは、インドの男女としての考え方・感じ方、そうしたものが伝わってきます。
またいつか読み返そうと思います。 -
9篇どれも面白いが、印象深いのは、『本物の門番』と『三番目で最後の大陸』。
どの作品も、異国で生きるマイノリティが主人公。自分が初めて上京した時とか、海外赴任の時の、全面的に不安な気持ちを思い出して、心がざわついた。
今度は長編を読んでみようかな。 -
尊敬している年上の友人から勧められ、初めて手にしてから10年近く経った。その間折に触れて読み返しているけれど、少しずつ好きな話や共感する登場人物が変わってくる。
20代の初めに読んだ頃は、『セクシー』のミランダの取った選択に励まされ、『ピルサダさんが食事に来たころ』の「わたし(リリア)」に自分の幼い頃を重ねた。その後は、表題作の『停電の夜に』がとても好きになり、カップルが迎えるどうしようもないすれ違いに、自身の恋愛を投影して胸を痛めたりもした。
そして30代に入り、たまたま結婚もし夫のいる生活になったいま、頭から全部読み返すと、それぞれの話の機微がより解像度高く理解できるようになった気がして、嬉しく思った。人の体温のあたたかさと冷たさ、周囲にひとり馴染めないことの哀しみ、異質なものを排除する人間のありふれた残酷さ、一方でそれを垣根なく受け入れる包容力、異国の地でも家族を築いていける人間の強さ。それぞれの短編の人々は誰もがとても人間らしく、だからこそ哀しくて、優しい。
インドの文化はもちろん、イギリスやアメリカ文化さえもわたしにとっては異文化だけれど、こうして人間同士として相手の感情に思いを巡らすことのできる想像力こそが、ラヒリの小説が引き起こしてくれるものなのだろうと思う。
編によって一人称、三人称と視点が変わるのも、読むたびに新鮮な視点を楽しめる要因なのだろう。今回、改めて凄さに気づいたのがラストの『三度目で最後の大陸』だった。こんな短い文章で、夫婦の歩んできた人生が垣間見えるほどの厚みがある。ラヒリは長編もいくつか読んでいるけれど、それらの核になるものは既にここにあったんだな、とようやく気付いた。
最後に。”A Temporary Matter”を『停電の夜に』と訳された小川さんはとても素敵だと思う。これだけで売り上げがだいぶ変わったんじゃないか。そういえば、この本を初めて読んだのは3.11の直後で、日本のあちこちが停電していた頃だった。 -
ロンドンで生まれ、アメリカで育ったベンガル系女性の作者。
先祖の国から離れた寄る辺なさ、新たな文化の中での違和感や融合、
そしてそんな背景で暮らす人々の、時には残酷さも現れる人間の心の機微。
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臨時の措置。復旧作業による五日間の一時間だけの停電。
インド系の若い夫婦は妻の流産により心が通わなくなっている。
こんなはずじゃなかったのに。
身嗜みを調えなくなった妻と、ただ家にいる夫。
だが最初の停電の日、妻は蝋燭の下で秘密の打ち明け合いを提案する。
目線を合わせる、手を取り合う、微笑みあう、夫婦の危機は去ったのか。
そして五日目、夫の耳にそそがれる妻の言葉…
/「停電の夜に」
短編集の最初がこれってかなりのインパクト。
人の心の機微の残酷さを見事に捕えた秀作。
最終日に夫が妻に伝えた秘密は心に刺さり続けるだろう。
ビルザダさんは私のうちに通っていた。
ビルザダさんの家族のいるダッカは独立を求めた内乱で混乱状態。ビルザダさんは連絡の取れない家族の安否を知りたくて、うちにニュースを見に来ていた。
いつも私にキャンディをくれた。
私はビルザダさんの家族の無事を祈ってキャンディを口に入れるの。
/「ビルザダさんが食事に来たころ」
祖国を離れて案ずる者、残った者、そして異国で生まれ育ったために親の国の情勢が分からなくなっている者…。
インドで観光客相手の運転手をしているカパーシーは、平日は病院で通訳を行っている。
彼の車に乗った家族連れ。夫婦はアメリカ生まれのインド人。たまにしか来ないインドは里帰りと言うより観光。
夫婦の妻は、病気の通訳という仕事をロマンチックと言う。
カパーシーは夢想する。奥さんともっと関われるだろうか。もう少し時間をとれるだろうか。
そして観光の合間、家族と少し離れた妻はカパーシーに家族の秘密を打ち明け…。
/「病気の通訳」
カルカッタのアパートの階段掃除人のブーリー・マー。
でまかせであろう昔の栄光を語る彼女は、まるでアパートの門番だ。
/「本物の門番」
ミランダはインド系男性デヴと知り合う。
デヴの妻がインドに帰っている間は毎晩会った。
デート、食事、散歩、「きみはセクシーだ」という囁き、そしてセックス。
デヴの妻がインドから戻ってくると、デートも囁きもお洒落もない。ただ日曜日にジャージーとジーンズで会ってセックスするだけだ…。
/「セクシー」
エリオットは放課後セン夫妻の家に預けられる。
夫妻はインド出身。セン夫人はインドにいた頃の魚料理を作る。祖国の家族のテープを聞いて涙を流す。車の運転は苦手。
国を離れて暮らすことが当たり前であってもなかなか馴染めなく郷愁の想いが溢れる。
エリオットはそんなセン夫人の家にいるのが嫌ではなかった。
/「セン夫人の家」
祖国から離れて過ごす者の静かな郷愁がしっとりと語られる。
インド系の新婚夫婦。アメリカの新居に引っ越してきた。
家中のあちこちからみつかるキリスト教の小道具。
うちはヒンドゥー教だ。飾るなんてとんでもない。だが妻は宗教も含めてアメリカに馴染もうとしつつあるんだ。
/「神の恵みの家」
ビビはしょっちゅう発作を起こすし家事は出来ないし引きこもって自分の不幸を嘆くだけだ。
何人目かの医者は言った。「この人は結婚すれば治るよ」
ビビの夢想はますます深くなってしまった!
/「ビビ・ハルダーの治療」
他の作品と同じようにすれ違いや孤独に進むかと思えば…一応解決したので却って驚いた(笑)
私はインドを離れイギリスで学んだ。仕事はアメリカで見つかった。
一度インドに帰り、妻をもらった。
アメリカでの下宿の女主は百歳を超えたミセス・クラフト。
彼女は私が最初に交流したアメリカ人だ。
彼女との決まりごとのような六週間。
その後は妻とのあらたな生活。
そしてそれから三十年。
最後にして三番目のこのアメリカ大陸で自分は骨を埋めるだろう。
私は特別なことをしたわけではない。だが祖国から旅をして多くの人を知り、一歩一歩進んできた行程を振り返ると、想像を絶する想いがするのだ。
/「三度目で最後の大陸」
短編最後の締めくくりに相応しい作品。最後の2ページ分文章が素晴らしいです。
P218
息子の目の中には、私が地球の裏まで飛び出したくなった時の野心が見て取れる。わずかな年月のうちに、息子は大学を出て、自分の力で道を拓いていくだろう。でも私は、こいつには生きている父親がいて、しっかりした母親がいるではないか、とも思う。息子が落胆したとき私はいってやる。この俺は三つの大陸で生きたのだ。おまえだって越えられない壁があるものか。
あの宇宙飛行士は、永遠のヒーローになったとはいえ、月にいたの他はたった二時間かそこらだ。私はこの新世界にかれこれ三十年は住んでいる。なるほど結果から言えば私は普通の事をしたまでだ。国を出て将来を求めたのは私ばかりではないのだし、もちろん私が最初ではない。それでも、これだけの距離を旅して、これだけ何度も食事をして、これだけの人を知って、これだけの部屋に寝泊まりしたという、その一歩ずつの行程に、自分でも首をひねりたくなる。どれだけ普通に見えようと、私自身の想像を絶すると思うことがある。-
この作品は男と女で感想がかなり違うんじゃないかな?
以前読んだ時には 愛は長く続かないト 感じましたヨこの作品は男と女で感想がかなり違うんじゃないかな?
以前読んだ時には 愛は長く続かないト 感じましたヨ2016/03/15 -
だいさん
おお!男性からの感想ありがとうございます!
表題作は、”言葉”と言う意味では妻→夫より、夫→妻の「肌は黒と言うより赤だった...だいさん
おお!男性からの感想ありがとうございます!
表題作は、”言葉”と言う意味では妻→夫より、夫→妻の「肌は黒と言うより赤だったよ」がグサーーーーっときたのですが、
男性だとどうなのでしょう。
不倫の話は、男性側は失ったもの無いわけですからねえ、これも男女感想違うのかな。2016/03/15
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夜にちびちび読んで、けっこう時間がかかったのだけど、そんな雰囲気が似合う気もした。
「三度目で最後の大陸」何も変わらないような日常に、静かに時間が流れていく。時が変わり、場所が変わり、他人のようだった夫婦が、いつしか慈しめる関係になる。
一方で「停電の夜に」で語られる夫婦は、夫婦の間に秘密が横たわる。秘密をわかちあったとて、うまらないものもある。それもまた、年月がもたらしたもの。
時間と距離は密接で、その作用もさまざま。こんな風に、夜に灯る明かりの一つ一つに物語があるのだと、電車の窓を眺めながら、感じた夜です。 -
初版は‘99年でまさにミレニアム目前!
と言いつつ、ふた昔(!)も前だから各短編に見られる多少の古めかしさは否めない…
それでも淡々と語られる、一見日常茶飯に思われる話たちに見え隠れするメッセージはどれも普遍的なもので、必ず引っかかるものが出てくる、はず。
インドとアメリカ、またはその両国が短編たちの舞台。テイストは(自分からしたら)後味が悪い。登場人物の後日譚が欲しくなるようなラスト、はたまた希望を感じられるものなど様々。スパイスが表紙になったバージョンを読んだのだけど、様々なストーリーはまさに多種多様なスパイスを連想させた。
短編『セン夫人の家』で、夫人がつぶやいた「ここの人はみんな自分だけの世界にいる」には一番ハッとさせられた。
やむを得ず渡米した夫人を除いて、『セン夫人の家』や他の短編に出てくる人たちのほとんどが「自分だけの世界(あるいは価値観)」にしがみついているような気がする。(『三度目で最後』の主人公は、その点では一番対極にあるように思う)
今回短編集と知らずに飛び込んだ。
短編への耐性がなくて前の作品の余韻に浸っていたいと何度も思ったけど、その文沢山の人生に出会えた。「自分だけの世界」にそれらの出会いを取り込めたこと、感謝したい。 -
短編集ですがタイトルの停電の夜に だけを読んでの書評です。
何故か住んでいる地域で夜だけ停電になります。
初めは時間を持て余していた夫婦がお互いに隠し事を打ち明けるようになり最後に亡くなった子供のことを打ち明けます。
自分はそれ以上のことに思いを馳せることができませんでしたが読む人が読むとその後のことにまで考えが及ぶと知りました。
そんな読み方をできるようになりたいものです。
この書評は、都甲幸治先生の「21世紀の世界文学30冊を読む」を参考にさせていただきました。 -
クレスト・ブックスの短編集『記憶に残っていること』ではじめてジュンパ・ラヒリを読んだ。いずれの作家さんの作品も素晴らしく、特に彼女の作品に印象が残ったわけではなかったが、その後彼女の評判を聞き『低地』を読みたい本リストに入れた。今回図書館で借りるにあたり、初期の本からと考え直し本作品を手にとった。
海外小説は新刊で話題にならない限り、予約せずに図書館で借りられるのがいい。今回も『停電の夜』『その名にちなんで』『低地』の三冊を含め借りた。予約なしで。読み切れなければ延長すれば良いのだからと軽い気持ちから。ところが後にオンラインでチェックすると『低地』以外みな予約が入っておりびっくり、慌てて読みきったため、余韻に浸ることが出来なかった。偶然か、文庫本だったせいか、いやつい最近も新作が新聞の書評で紹介されるような作家さん、納得!
この短編のどの作品も、インドかインド人が関わっているのだが、不思議と私がイメージするようなインドくささがなく、すんなりと読めた。唯一再読となる『ピルサダさんが食事に来たころ』は初読のときよりじっくり、しみじみ読めた。おそらくラヒリの幼い頃の思い出をもとに彼女の視点から書いた作品なのだろう、ういういしくも何処かせつなさを感じた。彼女にとって、少女から大人になっていく大切な時期の体験だったろうと想像しながら。
そして最後の『三度目で最後の大陸』は訳者あとがきにもあるように、『その名にちなんで』を予感させる内容。登場人物のそれぞれが魅力的に描かれていて、本当に続きが読みたくなるような内容だった。
この本が好きな人におすすめの本
ジュンパ・ラヒリの作品
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感想 :

まあ、お気に入りの喫茶店にコーヒーだけだなく、
雰囲気と過ごす時間への対価だと思えば、惜しくは...
まあ、お気に入りの喫茶店にコーヒーだけだなく、
雰囲気と過ごす時間への対価だと思えば、惜しくは
ないですけど…
やっぱり読書にコーヒーは欠かせません(^^)
いつも いいね ありがとうございます♪
分かります、池袋の某店☆
私、かなりの常連だったりします、笑。
大好きな場所です♪...
いつも いいね ありがとうございます♪
分かります、池袋の某店☆
私、かなりの常連だったりします、笑。
大好きな場所です♪
同じ空間、同じ時間に、お互い本と向き合っていた瞬間があるのかも、、、
なんて思うと嬉しくて、コメントしちゃいました☆
あら〜〜そうなんですかぁ…世の中狭い?
一時、ブックカフェを巡っていた時期がありました
今ではホント多いですね...
あら〜〜そうなんですかぁ…世の中狭い?
一時、ブックカフェを巡っていた時期がありました
今ではホント多いですね(^^)