停電の夜に (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (327ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784102142110

作品紹介・あらすじ

毎夜1時間の停電の夜に、ロウソクの灯りのもとで隠し事を打ち明けあう若夫婦-「停電の夜に」。観光で訪れたインドで、なぜか夫への内緒事をタクシー運転手に打ち明ける妻-「病気の通訳」。夫婦、家族など親しい関係の中に存在する亀裂を、みずみずしい感性と端麗な文章で表す9編。ピュリツァー賞など著名な文学賞を総なめにした、インド系新人作家の鮮烈なデビュー短編集。

感想・レビュー・書評

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  • 同じ方向を向いていると思っていた夫婦の継続か、別れか

    人生で交わる人とそうでない人

    日常の中での、人と人との交差を巧みに表現している短編集です

    私は最後の「三度目で最後の大陸」が好きでした

    この本の中にも、戦争が出てきます
    戦争の時は人を殺したり、女性に暴行するのが許されるのはどうしてだろう

    世界中の戦争が終わりますように


  • ささやかな日常生活における人生の機微を、平易だけど精緻な言葉で描いた九編からなる短編小説集。どの作品も、心が浮き立つような高揚感はなく、むしろ、侘しさや物悲しさを強く感じます。

    けれど、作者であるインド系アメリカ人のジュンパ・ラヒリの実体験を強く反映してか、多くの主人公が、ラヒリと同じくアメリカ暮らしのインド系移民の人々であり、ルーツと現実の生活の狭間で何かに悩んだり傷ついたりながらも、静かに淡々と生きる人々を、愛情を持って描いているのがわかり、胸に染みます。

    特に、「三度目で最後の大陸」は、後年執筆されるラヒリの「その名にちなんで」の土台になっているのを強く感じました。
    「その名にちなんで」はインド移民家族の一世と二世それぞれの姿を瑞々しくもじっくりと慈しむように書いた長編で、涙だけでなく鼻水を流しながらも読んだ大好きな作品なので、これは個人的にとてもじんわりきました。

    収録作は、子供を死産して以来生じた溝を埋められない若夫婦が停電によってそれぞれのことを語り心を近づけたようでなかなかうまくいかない様を描いた表題作「停電の夜に」をスタートとして。

    インド、パキスタン、バングラデシュの複雑な政治情勢に翻弄されて家族と離れ離れに暮らす両親の友人のために、ある特殊な儀式で祈りを捧げた少女を描いた「ビルサダさんが食事に来たころ」。

    かつて人生の挫折を味わったインド在住のツアー通訳の男が家族連れで訪れたインド系アメリカ人の家族に儚い妄想を働かせてしまう「病気の通訳」。

    世間の片隅で生きる貧しい女が打ちのめされてしまう「本物の門番」。

    妻子ある男と束の間の逢瀬を楽しみながらも、知り合いの子供の言葉に目を覚ます若い女を描いた「セクシー」。

    インド系のベビーシッター女性との束の間の時間を過ごした少年の体験と成長をとらえた「セン夫人の家」。

    購入した家から現れるキリスト教系グッズに翻弄される夫婦を描いた「神の恵みの家」。

    病気持ちでつまはじきの人生を歩んできた女性を襲ったある事件の顚末を描いた「ビビ・ハルダーの治療」。

    インドからイギリス、アメリカへと渡り、根を下ろした移民1世の視点で過去と現在を描いた「三度目で最後の大陸」。

    繰り返しになりますが、劇的な展開も心躍る爽快感もなく、物悲しさが勝る作品集ですが、ラヒリの全てを慈しむような文体と場面切り取りの巧みな技巧のおかげか、これも人生、という感じがしみじみとする良質な短編集。

  • ここ最近、インドに関する旅行記を多く読んでいます。
    インドは私たち日本人にとっては(特に私にとっては)未知の国であり、魅惑的な国で、さらに手軽に行ける国ではなかったりします(おなかを壊す可能性が高くて長期滞在がちょっとこわい)。そんななかで、本で行ける(知ることのできる)インドは私が知らないところの別世界であり、ほんとに楽しいです。
    この本からは、インドの香りがしてきます。いいです。スパイスの香りですね。移民ならでは、カーストならでは、インドの男女としての考え方・感じ方、そうしたものが伝わってきます。
    またいつか読み返そうと思います。

  • 9篇どれも面白いが、印象深いのは、『本物の門番』と『三番目で最後の大陸』。

    どの作品も、異国で生きるマイノリティが主人公。自分が初めて上京した時とか、海外赴任の時の、全面的に不安な気持ちを思い出して、心がざわついた。

    今度は長編を読んでみようかな。

  • 尊敬している年上の友人から勧められ、初めて手にしてから10年近く経った。その間折に触れて読み返しているけれど、少しずつ好きな話や共感する登場人物が変わってくる。

    20代の初めに読んだ頃は、『セクシー』のミランダの取った選択に励まされ、『ピルサダさんが食事に来たころ』の「わたし(リリア)」に自分の幼い頃を重ねた。その後は、表題作の『停電の夜に』がとても好きになり、カップルが迎えるどうしようもないすれ違いに、自身の恋愛を投影して胸を痛めたりもした。

    そして30代に入り、たまたま結婚もし夫のいる生活になったいま、頭から全部読み返すと、それぞれの話の機微がより解像度高く理解できるようになった気がして、嬉しく思った。人の体温のあたたかさと冷たさ、周囲にひとり馴染めないことの哀しみ、異質なものを排除する人間のありふれた残酷さ、一方でそれを垣根なく受け入れる包容力、異国の地でも家族を築いていける人間の強さ。それぞれの短編の人々は誰もがとても人間らしく、だからこそ哀しくて、優しい。

    インドの文化はもちろん、イギリスやアメリカ文化さえもわたしにとっては異文化だけれど、こうして人間同士として相手の感情に思いを巡らすことのできる想像力こそが、ラヒリの小説が引き起こしてくれるものなのだろうと思う。

    編によって一人称、三人称と視点が変わるのも、読むたびに新鮮な視点を楽しめる要因なのだろう。今回、改めて凄さに気づいたのがラストの『三度目で最後の大陸』だった。こんな短い文章で、夫婦の歩んできた人生が垣間見えるほどの厚みがある。ラヒリは長編もいくつか読んでいるけれど、それらの核になるものは既にここにあったんだな、とようやく気付いた。

    最後に。”A Temporary Matter”を『停電の夜に』と訳された小川さんはとても素敵だと思う。これだけで売り上げがだいぶ変わったんじゃないか。そういえば、この本を初めて読んだのは3.11の直後で、日本のあちこちが停電していた頃だった。

  • 初版は‘99年でまさにミレニアム目前!
    と言いつつ、ふた昔(!)も前だから各短編に見られる多少の古めかしさは否めない…
    それでも淡々と語られる、一見日常茶飯に思われる話たちに見え隠れするメッセージはどれも普遍的なもので、必ず引っかかるものが出てくる、はず。

    インドとアメリカ、またはその両国が短編たちの舞台。テイストは(自分からしたら)後味が悪い。登場人物の後日譚が欲しくなるようなラスト、はたまた希望を感じられるものなど様々。スパイスが表紙になったバージョンを読んだのだけど、様々なストーリーはまさに多種多様なスパイスを連想させた。

    短編『セン夫人の家』で、夫人がつぶやいた「ここの人はみんな自分だけの世界にいる」には一番ハッとさせられた。
    やむを得ず渡米した夫人を除いて、『セン夫人の家』や他の短編に出てくる人たちのほとんどが「自分だけの世界(あるいは価値観)」にしがみついているような気がする。(『三度目で最後』の主人公は、その点では一番対極にあるように思う)

    今回短編集と知らずに飛び込んだ。
    短編への耐性がなくて前の作品の余韻に浸っていたいと何度も思ったけど、その文沢山の人生に出会えた。「自分だけの世界」にそれらの出会いを取り込めたこと、感謝したい。

  • ロンドンで生まれ、アメリカで育ったベンガル系女性の作者。
    先祖の国から離れた寄る辺なさ、新たな文化の中での違和感や融合、
    そしてそんな背景で暮らす人々の、時には残酷さも現れる人間の心の機微。

    ===
    臨時の措置。復旧作業による五日間の一時間だけの停電。
    インド系の若い夫婦は妻の流産により心が通わなくなっている。
    こんなはずじゃなかったのに。
    身嗜みを調えなくなった妻と、ただ家にいる夫。
    だが最初の停電の日、妻は蝋燭の下で秘密の打ち明け合いを提案する。
    目線を合わせる、手を取り合う、微笑みあう、夫婦の危機は去ったのか。
    そして五日目、夫の耳にそそがれる妻の言葉…
     /「停電の夜に」
    短編集の最初がこれってかなりのインパクト。
    人の心の機微の残酷さを見事に捕えた秀作。
    最終日に夫が妻に伝えた秘密は心に刺さり続けるだろう。


    ビルザダさんは私のうちに通っていた。
    ビルザダさんの家族のいるダッカは独立を求めた内乱で混乱状態。ビルザダさんは連絡の取れない家族の安否を知りたくて、うちにニュースを見に来ていた。
    いつも私にキャンディをくれた。
    私はビルザダさんの家族の無事を祈ってキャンディを口に入れるの。
     /「ビルザダさんが食事に来たころ」
    祖国を離れて案ずる者、残った者、そして異国で生まれ育ったために親の国の情勢が分からなくなっている者…。


    インドで観光客相手の運転手をしているカパーシーは、平日は病院で通訳を行っている。
    彼の車に乗った家族連れ。夫婦はアメリカ生まれのインド人。たまにしか来ないインドは里帰りと言うより観光。
    夫婦の妻は、病気の通訳という仕事をロマンチックと言う。
    カパーシーは夢想する。奥さんともっと関われるだろうか。もう少し時間をとれるだろうか。
    そして観光の合間、家族と少し離れた妻はカパーシーに家族の秘密を打ち明け…。
     /「病気の通訳」


    カルカッタのアパートの階段掃除人のブーリー・マー。
    でまかせであろう昔の栄光を語る彼女は、まるでアパートの門番だ。
     /「本物の門番」


    ミランダはインド系男性デヴと知り合う。
    デヴの妻がインドに帰っている間は毎晩会った。
    デート、食事、散歩、「きみはセクシーだ」という囁き、そしてセックス。
    デヴの妻がインドから戻ってくると、デートも囁きもお洒落もない。ただ日曜日にジャージーとジーンズで会ってセックスするだけだ…。
     /「セクシー」

    エリオットは放課後セン夫妻の家に預けられる。
    夫妻はインド出身。セン夫人はインドにいた頃の魚料理を作る。祖国の家族のテープを聞いて涙を流す。車の運転は苦手。
    国を離れて暮らすことが当たり前であってもなかなか馴染めなく郷愁の想いが溢れる。
    エリオットはそんなセン夫人の家にいるのが嫌ではなかった。
     /「セン夫人の家」
    祖国から離れて過ごす者の静かな郷愁がしっとりと語られる。


    インド系の新婚夫婦。アメリカの新居に引っ越してきた。
    家中のあちこちからみつかるキリスト教の小道具。
    うちはヒンドゥー教だ。飾るなんてとんでもない。だが妻は宗教も含めてアメリカに馴染もうとしつつあるんだ。
     /「神の恵みの家」


    ビビはしょっちゅう発作を起こすし家事は出来ないし引きこもって自分の不幸を嘆くだけだ。
    何人目かの医者は言った。「この人は結婚すれば治るよ」
    ビビの夢想はますます深くなってしまった!
     /「ビビ・ハルダーの治療」
    他の作品と同じようにすれ違いや孤独に進むかと思えば…一応解決したので却って驚いた(笑)


    私はインドを離れイギリスで学んだ。仕事はアメリカで見つかった。
    一度インドに帰り、妻をもらった。
    アメリカでの下宿の女主は百歳を超えたミセス・クラフト。
    彼女は私が最初に交流したアメリカ人だ。
    彼女との決まりごとのような六週間。
    その後は妻とのあらたな生活。
    そしてそれから三十年。
    最後にして三番目のこのアメリカ大陸で自分は骨を埋めるだろう。
    私は特別なことをしたわけではない。だが祖国から旅をして多くの人を知り、一歩一歩進んできた行程を振り返ると、想像を絶する想いがするのだ。
     /「三度目で最後の大陸」
    短編最後の締めくくりに相応しい作品。最後の2ページ分文章が素晴らしいです。

    P218
    息子の目の中には、私が地球の裏まで飛び出したくなった時の野心が見て取れる。わずかな年月のうちに、息子は大学を出て、自分の力で道を拓いていくだろう。でも私は、こいつには生きている父親がいて、しっかりした母親がいるではないか、とも思う。息子が落胆したとき私はいってやる。この俺は三つの大陸で生きたのだ。おまえだって越えられない壁があるものか。
    あの宇宙飛行士は、永遠のヒーローになったとはいえ、月にいたの他はたった二時間かそこらだ。私はこの新世界にかれこれ三十年は住んでいる。なるほど結果から言えば私は普通の事をしたまでだ。国を出て将来を求めたのは私ばかりではないのだし、もちろん私が最初ではない。それでも、これだけの距離を旅して、これだけ何度も食事をして、これだけの人を知って、これだけの部屋に寝泊まりしたという、その一歩ずつの行程に、自分でも首をひねりたくなる。どれだけ普通に見えようと、私自身の想像を絶すると思うことがある。

    • だいさん
      この作品は男と女で感想がかなり違うんじゃないかな?
      以前読んだ時には 愛は長く続かないト 感じましたヨ
      この作品は男と女で感想がかなり違うんじゃないかな?
      以前読んだ時には 愛は長く続かないト 感じましたヨ
      2016/03/15
    • 淳水堂さん
      だいさん

      おお!男性からの感想ありがとうございます!
      表題作は、”言葉”と言う意味では妻→夫より、夫→妻の「肌は黒と言うより赤だった...
      だいさん

      おお!男性からの感想ありがとうございます!
      表題作は、”言葉”と言う意味では妻→夫より、夫→妻の「肌は黒と言うより赤だったよ」がグサーーーーっときたのですが、
      男性だとどうなのでしょう。

      不倫の話は、男性側は失ったもの無いわけですからねえ、これも男女感想違うのかな。
      2016/03/15
  • 「あんな女には絶対ならないと言っていた、そんな女になってきた。」

    「すべてがていねいに包まれているこの部屋で、むだ毛処理した膝から上が、やけに丸出しになっている」
     
    ドキリとする箇所が度々あり油断ができない。
    アメリカでイギリスでインドで、ひっそりと暮らす人々のささやく様な生活の一幕。
    インド文化がこんなに濃い物語を読むのは初めてで新鮮。
    どれも薄曇りの空に包まれているようなじっとりとした空気の中、淡々と話がすすむ。
    優しさ、おろかさ、したたかさ、たくましさ。
    人種は関係ない部分もあるけれど、異文化同士の確執や孤独もあり、日本以外で暮らしたことのない私ってぬるい生活なのね。
    暗い結末を迎える話もあるけれど、どれも読後がさわやかなのはなぜだろう。
    みんな何かに区切りをつけて再スタートをしているようにみえるからかな。
    ラストの「三度目で最後の大陸」がホッコリして更に気分よい読後。

    「あの宇宙飛行士は、永遠のヒーローになったとはいえ、月にいたのはたった二時間かそこらだ。私はこの新世界にかれこれ三十年は住んでいる。」

  • クレスト・ブックスの短編集『記憶に残っていること』ではじめてジュンパ・ラヒリを読んだ。いずれの作家さんの作品も素晴らしく、特に彼女の作品に印象が残ったわけではなかったが、その後彼女の評判を聞き『低地』を読みたい本リストに入れた。今回図書館で借りるにあたり、初期の本からと考え直し本作品を手にとった。

    海外小説は新刊で話題にならない限り、予約せずに図書館で借りられるのがいい。今回も『停電の夜』『その名にちなんで』『低地』の三冊を含め借りた。予約なしで。読み切れなければ延長すれば良いのだからと軽い気持ちから。ところが後にオンラインでチェックすると『低地』以外みな予約が入っておりびっくり、慌てて読みきったため、余韻に浸ることが出来なかった。偶然か、文庫本だったせいか、いやつい最近も新作が新聞の書評で紹介されるような作家さん、納得!

    この短編のどの作品も、インドかインド人が関わっているのだが、不思議と私がイメージするようなインドくささがなく、すんなりと読めた。唯一再読となる『ピルサダさんが食事に来たころ』は初読のときよりじっくり、しみじみ読めた。おそらくラヒリの幼い頃の思い出をもとに彼女の視点から書いた作品なのだろう、ういういしくも何処かせつなさを感じた。彼女にとって、少女から大人になっていく大切な時期の体験だったろうと想像しながら。

    そして最後の『三度目で最後の大陸』は訳者あとがきにもあるように、『その名にちなんで』を予感させる内容。登場人物のそれぞれが魅力的に描かれていて、本当に続きが読みたくなるような内容だった。

  • インド系アメリカ人女性による9編からなる短編集。驚くような展開や事件などはないのですが、読み進むうちに何とも言えない、哀歓というか、だれもが行方の知れない旅人なのだなと、進んできた道のりを振り返るような、そんな光景を懐かしむような心境にさせてくれる。淡々と、静謐とした筆致と、装飾のない文体が心地よく、エンディングも切り捨てるような鮮やかさです。スパイス香る異国料理や風になびくサリーなど、女性らしい描写が作品に美しい彩を添えています。

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