奇跡の人 ヘレン・ケラー自伝 (新潮文庫)

  • 新潮社 (2004年7月28日発売)
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  • 本 ・本 (208ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784102148211

感想・レビュー・書評

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  • 原題は「The Story of My Life」。
    あっ「ストーリー・オブ・マイ・ライフ/わたしの若草物語」と同じだ。
    ヘレンも「若草物語」好きだと言ってるし。

    読んだのは新潮文庫、小倉慶郎による訳。2004年。
    角川文庫の「わたしの生涯」のカバーイラストが印象深い。1966年訳。
    (角川文庫の訳者の岩橋武夫もまた社会事業家で、ヘレンと直接の面識があるみたい。)

    映画「奇跡の人」でヘレン7歳を見た。
    コテンラジオでヘレンの生涯を知った。
    で、本書ではヘレン22歳当時の考えを読んだ。
    不用意な表現かもしれないが7歳で再度世界に対して「開かれて」、いかに世界を知ったか、いかに学んだか、大学生としての考えはどうか、といったところまで。

    コテンラジオリスナーとしては、後年貧窮して半ば見世物小屋出演せざるを得なかったが意外と本人は楽しんでいたことや、スウェーデンボルグへの接近などを期待して自伝に手を伸ばしてみたが、ずっと手前の22歳の執筆なのだ。
    自分より100年くらい年上なので歴史の遠近感覚が狂い、もう歴史上の偉大な人物という予断で読んでしまうが、22歳なんて意外と若僧なんだなと、むしろ親しみを感じた。
    いや率直にいえば「萌え」を感じた。

    200ページ近い本だが、例の「water」は30ページくらい。
    映画ののち、いかに頑張って「得た」かがつらつら書かれている。
    敢えてこんな表現をするが「上り調子アゲアゲ」だなー、と。
    そして大学生現在の記述として思わず笑ってしまったのが、好き嫌いハッキリしとるなー、ということ。
    とにかく数学は苦手、を通り越してたぶん嫌い。
    大学生活も思い描いていたものと随分違う。
    文学作品が至上で、批評なんて大した価値ないよ、とまで。
    わざとこう書いちゃうが、ツイッターで「#名刺代わりの小説10選」を挙げた上で「理由は長文になるので note に書きました」とリンク張っちゃう、新進作家のような、微笑ましさを感じた。

    第21章で、自分の好きな本について書いているのだが、ちょくちょく「好きじゃない」本についても書いていて、この書きぶりが辛辣で面白い。
    好きな作品の中にも嫌いなところがあったり、聖書を最初は苦手だったがいつしか特別に愛読しているとか。
    うんうん、読書ってそういうものよね。
    そして末尾に「要するに、文学は私のユートピアなのだ」と。
    三重苦だとか人類への業績だとか、かたや読んでいる私は木っ端のような庶民であるとかいった、時空の垣根を、ガバッと取り払ってしまう一文がある。
    これだけで読んだ価値あり。162p。以下引用。

    「要するに、文学は私のユートピアなのだ。文学の世界では、私はふつうの人と変わらない。障害があっても、本という友人との、楽しく心地よい会話から締め出されることはない。本は、恥ずかしがらずに、気さくに私に話しかけてくれる。私がいままでに学んだことも教えられたことも、かすんでしまうほどの大きな愛と慈しみを、本は私に注いでくれたのである。」

    少し戻るが、「霜の王様」事件(第14章)については、ヘレンにとって相当なインパクトがあったのではないか。
    ちょっと憶えておきたいところ。

    今後は、10を超える著作があるのでもちろん作家追いは難しいが、その後の自伝や、コテンラジオ参考文献にある「ヘレン・ケラーはどう教育されたか―サリバン先生の記録」あたりを読みたいな。
    「Midstream: My Later Life」は「The Story of My Life」と合本されて、先述の「わたしの生涯」になっているらしい。
    (wikipediaでは新潮文庫の本書が合本になっている、と誤った記述。)
    村岡花子「伝記 ヘレン・ケラー」(偕成社文庫)とか。
    あとは塙保己一について調べるか。

  • 読む前は暗く思い作品のイメージでした。けど実際は幼少期の思い出やサリバン先生どの出会い、失敗談がとても軽妙な文章で書かれており一気読みしてしまいました。

  • 図書館。直感的に読んでおくべきだと思ったから。また、本人について概略的なことしか知らず、本人の言葉をもって知りたいと思ったから。

    結局ヘレンの元々もっている頭脳は何の綻びもなく、シナプスがしっかり働いてるがゆえ、サリバン先生やその他の人々の教育が行き届いたのだなというのはある。
    でも、一歳七ヶ月までに一度享受していた光と音を失う恐ろしさは、どれほどだったか。また、サリバン先生や親は、本人に対する絶望や諦めを難度感じたことか。そこからの復活が、やはり「奇跡の人」と言われる所以だし、人間の希望とも言える。
    相手を諦めない。

  • 貸出状況はこちらから確認してください↓
    https://libopac.kamakura-u.ac.jp/webopac/BB00262780

  • 見えない聞こえない世界を想像できない。
    嗅覚味覚触覚はある。運動能力はある。
    この状況を頭の中ではどのように構築するのか。
    言葉を獲得し,文法を獲得し,それを運用する。
    指文字,点字,タイプライター,さまざまな道具や方法で知識を入れ,思考を出力する。
    本当にそんな人がいたのか。まさに奇跡の存在か。
    ヘレンケラーはその時代の中では恵まれた環境にいたのだろうが,環境がよいからといって本人の努力なしではなし得ないことである。世界を知ろうとする好奇心の追求なのか。
    ・知識は力なりという。しかし,私は知識とは幸福だと思う。 (p.143)

  • ただただ、素晴らしかったです。
    自分が見失っている事、気付かず染まっている事をヘレンが直接教えてくれているように感じました。
    早く読み進めたい気持ちと、読み終わってしまうのが惜しい気持ちが交差する書籍。本書から得た学びと幸せは、一生の宝物と思えます。おすすめです。

  • 「ものに名前が存在することを知らなかった。」
    この一文に衝撃を受けた。
    ヘレンの家庭教師であるサリバン先生が、ヘレンの片手に井戸水をかけ、もう片方の手にwaterと綴った時に、「言葉の神秘の扉が開かれた」。それまでも手に文字を綴り単語を覚えていたが、ただの形遊びだった。実物の水とwaterという言葉が対応している事を知ったことで、言葉によって世界を構築することができるようになった。
    私はこの本を読みながらどのようにするとヘレンケラーを追体験できるか、ということを考えていた。目をつぶって冷たい水を触りながら、手の感覚だけで頼りに感じるままにできるかどうかを確かめた。すると、"冷たい"とか"流れる"とか、どうしたって水を形容する言葉が浮かんでくる。それでもそれらの言葉を封じ込め、どうにか感じるままに"こんな感じ"と思うようにしても、"これはこんな感じである"と言葉で表現していることに気がついた。指示語もまた言葉であった。私たちは感じるままにはできない。そして言葉で考えている。
    ヘレンは単語を覚え外の現実の世界を内面に描いていった。驚くべきことに全てが想像の世界に生きていたことを知った。
    「私が住む音と光のない世界には、悲しみや後悔などという胸をつく思いも愛情もなかったのである。」「愛情とは、愛にあふれることばや行為に接し、人と心が結ばれてはじめて芽生えるものだからだ。」
    それまでヘレンは、手で触れられるものが世界の全てだった。抽象的な世界を知らなかった。言葉を覚えてからは、頭の中であれこれする事が"考えること"だと初めてはわかった。
    いろいろな想像が駆け巡る。
    私たちも赤ちゃんの時にきっと同じ体験をしてたんじゃないか?目が見え、音が聞こえることで、ヘレンよりもはるかに早いスピードで、そして一人で世界を構築してきたんじゃないか?
    思えば目と耳が健常な者だって、現実の光の情報を目から、音の情報を耳から取り入れて、脳で世界を認識している。私たちは実はパーソナルな想像の世界に生きている。そう考えると潜水艦の中にいるような閉塞感を感じる。潜水艦にはもちろん乗ったことがないけど。(潜水艦に乗ってみたい気もするけど、閉所恐怖傾向なので多分無理だ。)なおのことヘレンの世界を追体験するのは恐ろしい。
    耳をふさぎ目を覆うだけではヘレンケラーの苦労は追体験できないだろうと思う。五感を使ってもなおわからないということを体験する事の方がより近いような気がする。例えば、私たちはデジタルハイビジョン映像で美しい風景を目で見ることができる。その風景を再現する、TVが受信した0と1の情報を紙に印刷しその羅列からハイビジョン映像を翻訳するようなことではないかと想像する。000101010が海を意味し、他の配列は山や木を表すということをAIサリバン先生に教わり。0110010100111に続く情報がそれらの色や質感を表す。などということも逐一教わりながら、0と1だけのテキストを読み解きハイビジョン映像が頭の中で再生されるようになるまで繰り返して、世界を認識していく。こんなことをヘレンケラーはやってきたのではないかと想像した。頭が下がる。どころか顎が外れそうだ。何よりもサリバン先生の忍耐は本当に奇跡としか言いようがない。
    『「つながり」の進化生物学: はじまりは、歌だった』に引用されていたヘレンケラー自伝をいつかは読まなきゃと思っていたが、思った以上の衝撃だった。

  • ヘレン・ケラーと言えば、高校生の時、見た演劇で知ってるだけだったが、彼女が如何にして概念を獲得していったかに興味が湧き、読んでみた。
    彼女の場合、1歳数か月までは目も耳も正常で、世界をそれなりに認識していたという事が、その後の勉強に大きく役立ったのではないかと思った。
    有名なウオーターという言葉は、実際に覚えかけていたのを思い出したからであって、全くの生まれつきであったらきっと難しかったのではないかと思う。
    それでも、彼女のやり遂げたことは偉業と言わざるを得ない。
    弱冠22歳でこの自伝は書かれているということは本当に驚き。
    内面の豊かさが生き生きと伝わってくる。
    障害を持つ人に大きな希望を与えたのは事実だろうと思う。

  • 今まで名前だけ聞いたことがあったが実際にどんな人か全く知らなかった。ある本で、ヘレンケラーについて簡単な紹介がありどのようにして言葉を学んでいったのか想像がつかず興味を持って読むことにした。
    ヘレンケラーは1歳の頃病気で目も耳も聞こえなくなってしまい、徐々に成長するも自分の考えを伝えることができずよく癇癪を起こす少女であったが、7歳の頃サリバン先生に出会うことで「ことば」の存在を知り、世界が大きく広がり、愛にあふれた人生を歩んでいくようになった。
    この本は22歳の時に書かれた本の翻訳ではあるが、サリバン先生に出会う前の記憶から19歳でハーバード大学の女子部に合格し、大学に通っている現在のことまでが描かれている。
    目も見えない、耳も聞こえない中、ことばを習得するのは並大抵の努力ではできないと容易に想像がつくが、言葉は英語だけにとどまらずフランス語やドイツ語など5ヶ国語もマスターしている。それだけでなく、歴史や地理、聖書など多岐にわたる分野についても心から興味をもち勉強をし、勉強だけでなく、自然の中での体験や絵や骨董品、演劇などの芸術も好きだったと。普段あまり意識していないと目と耳から情報を得ることが多いが、ヘレンはその両方が遮断されており、残された感覚をフルに使ってそれらを感じ感動するのだと。都会の道と田舎の道が全然違うことも感じるし、しゃべっている人の口にふれることで何と言っているかもわかるのだ。
    自分が同じ状況ならここまでできるものなのか全く想像できないが、出会った人に感謝し自然に感謝しあらゆることに感謝して全てのことに愛情をもって接することが、ヘレンを亡くなって50年以上経つ今も世界的に有名な偉人した大きな要素だったかもしれない。
    愛情に溢れたヘレンを感じて、今までよりも身のまわりのものに愛情を感じられるようになった気がした。

  • ヘレン・ケラーが偉人と言われる意味がよくわかった。
    大学入試や入学後の猛勉強ぶりのタダ者でなさ。
    周りの助けもあったとはいえ、例えば数学で図形を学ぶために、針金で模型を作り、触って理解できるようにするなど、学ぶために労力や工夫がいる。
    授業や講義にはサリバン先生がついていて、教科書の内容と教授の話を絶えず指文字で翻訳してくれる。
    でも、それは時間に連れて進んでいくもの。
    ノートも取っていたようだが、かなりの部分を頭に入れていたようだ。
    凄まじい吸収力。
    子どものころの汚点として書かれている盗作疑惑事件も、この吸収力のなせる業なのかと思った。

    サリバン先生との出会いで、よく語られるのが、あの「ウォーター」のエピソード。
    演劇などでは野生児のようだったヘレンに体当たりで教育する姿が有名だけれど、この本ではほとんどそんなことは出てこない。
    出会って間もなくまず、人形という言葉を指文字で覚え、言葉に魅了されて次々と覚えていく。
    二十一歳の彼女の自伝だからか、むしろサリバンの教育をほとんど抵抗なく受け入れたような印象だ。

    水という言葉は、最初に獲得した言葉ではないようだ。
    それは、彼女が大病によって障害を負うまでに、つまり一歳の赤ちゃんの時には、すでに理解し、それを発音できそうなところまで達していたことがこの本を読むとわかる。
    恐ろしく知的に恵まれていた人だったようだ。
    この自伝で語られるのは、むしろ言葉を獲得し、知識を得ていくことの喜びと、周りの人々への愛だ。
    家庭環境に恵まれなかったサリバン先生が、ヘレンに「あなたを愛している」と伝え、愛というものを教えていく姿は感動的だ。

    最後に、この本で最も驚き、印象も深かったのは、文章の美しさだ。
    「夜明けとともに起きて、こっそり庭に出かけることもある。草花はしっとりと露に濡れている。バラの花を手でつつむと、柔らかな弾力のある感触がする。朝のそよ風に揺れる、ユリの美しい動き――この喜びを知る人はまずいない。花を摘んでいると、花の中にいる虫を捕まえてしまうこともある。花ごとつかまれたことに気づくと、虫は慌てて二枚の羽根を動かす。その時のかすかな振動を私は手に感じることができる。」
    子どものころの思い出を語ったくだりだ。
    全身で世界を感じているせいか、彼女が文学を好んだせいか、描かれる世界が何とも美しい。

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著者プロフィール

●社会福祉活動家、教育者。1880年アメリカ生まれ。三重苦を乗り越え、障害者福祉の前進に貢献した。日本へも3回訪れたことがある。1968年87歳で逝去。

「2017年 『ヘレン・ケラー自伝 (新装版)』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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