マルテの手記 (新潮文庫)

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感想 : 50
  • Amazon.co.jp ・本 (302ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784102175033

感想・レビュー・書評

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  • 久々に主だった筋のない、断片を繋ぎ合わせたタイプの小説を読んだ。そうして思うのは、私はこういったタイプの小説に非常に安堵感を覚えるということだ。人生は物語ではない。断片を継ぎはぎしたものである。そう言った方が私の実感と合っているし、結局のところなまの人生をより広く肯定しているように感じられる。

    内容であるが、意外と明るい。死という絶対無の恐怖に怯えながらも、全体としては生への肯定が貫いているという印象を受ける。特に終盤などはそうである(ちなみにストーリーらしきストーリーがないにも関わらず、終盤にかけて明らかにボルテージは上がっていき、興奮する)。ところが並々ならないのは、この生の肯定を産み出しているのが死の恐怖なのだということである。〈僕たちにとって、死の恐怖は強すぎるに違いないが、それでも本当は僕たちの最後の力だと、僕はそんなふうに考えている。〉この一文には大変な衝撃を受けた。
    他にも閃き悟すような言葉がたくさんあった。それらはまさに一瞬にして閃光をもたらす詩の力と、蓄積の末に静かなる地響きをもたらす小説の力の合わせ技という感じがした。これは何度も読み返すと思う。

  • 「僕は『マルテの手記』を訳して、つくづくこのような小説を書かねばならなかったリルケを不幸な作家だと思った」
    訳者大山氏のあとがきの一文目に、この小説の全てが表されているように思う。

    マルテの精神的苦痛の話であり、愛の話であり、神の話であり、信仰の話。また、贖罪であり遺書。私が受けた印象はこうだ。
    マルテはモデルがいるものの、明らかにリルケの人生を追っている。幼少期に少女の服装をしていたこと、比喩・暗喩や人間を表す時に用いられる「人形」という言葉への執着。
    そして、のちに発表される『ドゥイノの悲歌』を予感させる、舞踏家、俳優、天使、人形といった断片的な手記。
    マルテ(およびリルケ)の、幼年期から大人であろう今まで、さまざまな年代の瞳から見つめられた景色、読まれた本、浮かび上がった情景が、時系列もなく書き続けられる。
    とても重い本だったが、誰かのレビューで読んだ「プルーストが何冊もかけて書いた愛の話を、リルケはこの本を書くことにより一冊で表現した」という言葉は、『失われた時を求めて』を読了するまで断言できないが、おそらく、正しい。とても重い本だった。愛について考える時に、マルテの手記なしに語ることはできない。ただ、再読に至るには、若輩者ゆえ、途方も無い時間を要する気がする。

  • 果たしてこれを物語としてよいものか。
    なんて孤独で乾いているのか。まるでランボーが書きえないものを書こうとして時空から立ち上がり、筆を折ったみたい。きっとこれを書き上げたリルケも筆を持てなかったに違いない。
    ゲーテは理解されないのを知ってことばを選んで紡いだ。だが、彼は理解されないのを知りつつも、あえてことばを変えなかった。表現や訳、ことばが難解なのではない。彼が書こうとしたそのものが難解なのだ。普通の三文作家なら挑むことさえ思いたてない、そんなものを書こうとしたのだ。こんな世の中ですべてのひとに理解される方が恐ろしい。
    たったひとりで、ことば以前の存在を追い求めて、マルテはパリを彷徨う。孤独は悲しかったりさびしかったりするものではなく、孤独であり続けられるそのことが難しい。彼は「わかって」しまったひとだった。書かれているものは断片的な手記ではなく、すべて「心」の一縷の流れから生まれたきわめて連続的なものなのだ。
    書くにつれて、徐々にリルケとマルテの境界が溶けていく。これだけ壮大な独り言だ。区別できる方がおかしい。マルテがリルケであり、リルケがマルテなのだ。
    絶望や悲しみよりももっと遠い、真実に至るために孤独であり続けることの難しさ。受難。これが狭き門なのだろう。ジッドが共鳴するのにも納得がいく。

  • 数年に及ぶ苦しい読書だった。本を開けど開けど進まない。言いたいことがわからない。そんな苦しさがあった。終盤は少し面白い話が出てくるが、それまではどうでもいい話に溢れていて、リズムも掴めず、わからない文章をただガリガリと引きずりながら我慢して読み進めるという感覚で大変辛かった。しかしこれでひと通り読みおおせたので、心置きなく他の作品に移れる。すっきりした。

  • 作者自身が散文を目指して執筆しているのだからこれはもう読みにくて当たり前です。第一部はマルテのパリでの生活や幼児期の思い出を描いておりそこそこ読めましたが、後半、特に歴史と絡めて語る文面がとても読み難い。詩人なる作者の作品であるがゆえ詩を連ねたような文章により解釈を読み手に任せるような場面の連続で、歴史にも詳しくない者としては終盤はかなり読み飛ばしてしまいました。
    素敵な文章表現に酔える人、沢山の時間をかけて読むことを苦痛に思わない人向けでしょうか。
    また、難解な本に慣れる事で読書の幅が広がるかもしれません。

  • 本棚にあるのは昭和44年8月10日第22刷。正確に言えば、筑摩書房の世界文学体系第53巻収録の生野幸吉訳で読み返し、ところどころ大山定一訳を参照しながら再読した。大学に入ったはいいが、授業も始まらずぶらぶらしていたときに読んだ本。改めて再読してみると、この何とも表現しにくい不安感は、ひょっとすると若者の特権であるのかもしれないという気がしてきた。

  • リルケ自身がこの小説について語った言葉の一部を掲載させていただきます。

    ~~~

    ぼくは『マルテの手記』という小説を
    凹型の鋳型か写真のネガティブだと考えている。
    悲しみや絶望や痛ましい想念などがここでは一つ一つ
    深い窪みや条線をなしているのだ。しかし、もしこの鋳型から
    ほんとうの作品を鋳造することが出来るとすれば
    (たとえばブロンズをながしてポジティブな立像をつくるように)、
    たぶん大変素晴らしい祝福と肯定の小説が出来てくるにちがいない。
    ~~~

    何かしらちょっとでも感じるものがあったなら読んだ方がいい。
    リルケは読み手に静かに一つの方角を教えてくれているんだ。

    余談。リルケは薔薇の棘に刺された傷がもとで急性白血症となり死去したらしい。生と死に苦悩し続けたリルケ、些細な出来事が死に繋がってしまったとはなんと儚く、彼らしい…と思ってしまうのは失礼かな。

  •  ” 彼らはいずれも自分だけの「死」を待っていた。(中略)子供たちも、いとけない幼な子すら、ありあわせの「子供の死」を死んだのではなかった。心を必死に張りつめて────すでに成長してきた自分とこれから成長するはずだった自分を合わせたような幽邃な死をとげたのだ。”(p23)

     私はふと、東日本大震災の津波で亡くなった子供たちを思った。
     自然災害の死は戦争の空襲での死に似ている。理不尽で不条理な死。
     突然に、誰彼構わず、いっぺんに死に追いやってしまう。
     リルケが言うような「死」が彼らにはない。不慮の唐突な死に襲われた人たちを思うと私は胸が痛くなる。
     想像力が逞しすぎると笑われるかも知れないが、私は時々亡くなった子供たちの叫びが見える。感じるように心に伝わってくるように見えてしまう。それは私をひどく混乱させる。私は現実から乖離していき、自己が消失してしまう。


     『マルテの手記』は、私にはとても合っていた。
     あまりにもしっくりとぴったりとし過ぎて本の中からうまく戻って来れなくなった。
     どの文章(文章という形の感覚や感情が)も、すごく、とても、よく分かる。
     言葉ではなく感覚として私の体の中にすうーっと入ってきて、あっさりと私を「僕」の住む世界へ引きずり込んでしまう。

     文章なんだけれど文章ではなく、それはもうそのまま感覚として在る。
     つまり、たとえば、私がどうしようもない淋しさというのを表そうとすると絵が生まれるように、言葉が感情を表すのではなく、感情が文章に成っている。
     うまく説明ができなくてもどかしいのだが、そこに書かれたことは「心」であって、文章の意味が感覚として伝わるのである。
     リルケの言葉を借りるならば、
     『言葉の意味が彼の血にしみとおり、細かく分かれてゆくような気持ちがするのだ』
     『事物の諸印象は血液の中に溶け、何か得体のしれぬものと一つになり、すっかり形をうしなってゆくみたいだ。たとえば、植物の吸収の仕方がきっといちばんこれに近いだろう』
     そういうふうにこの本の文章は私の心に溶けてゆく。

     これは素晴しい傑作だと私は思う(とはいえ、恥ずかしくなるくらい仰々しい大袈裟な感があるのは否めないが...)。


     『マルテの手記』は『山のパンセ』のように短い話の連続で、物語というのとはちょっと違う。日記、断片的感想、過去の追想などが雑然と並んでいる。無秩序にその断片は並んでいるようなのに、しっかりとマルテという人物の物語として成立している。
     リルケはこの構成についてこのように言っている。
    『今度の小説は抜きさしならぬ厳格な散文を目ざしている。』
    『どの程度まで読者がこれらの断章からまとまった一人の人間生活を考えてくれるか、僕は知らない。僕がつくり出したマルテという青年作家の内部の体験は途方もない大きなひろがりを持っているのだ。彼の手記は根気よく探したらどれくらいあるかちょっと見当もつかない。ここで僕が一冊の書物にまとめたのは、わずか全体の幾割かにすぎぬだろう。机の引出しをさがしてみるとどうやらこれだけ見つけることができた、まず差しあたって、ただいまはこれだけでまあ我慢しておこうというぐあいの小説なのだ。こんな小説は芸術的にみれば大へんまずいでたらめな構成にちがいないが、直接人間的な面からみて結構ゆるされる形式だとおもっている』(訳者あとがきより引用)

     主題は「死」と「愛」と「自己の存在」にある。
     一部では、死を軸にした「大都市で今を生きるということ」(リルケの書いた現代は100年前だけれど、100年後の現代でも生や死の問題というのは変わらないものである)。そして、そのなかで生まれてくる「孤独」や「不安」や「恐怖」。
     二部では、死を軸にした「愛」。

     『マルテの手記』は自分の心を自分でうまくコントロールできない、常に不安と恐怖を抱えている、今を生きることに馴染めていない人でないと分かりにくく、ちっとも共感するところのないつまらない作品かもしれない。

  • 孤独・死についての青年詩人の独白のような小説。
    哀しくて陰気だけど何故だかとても優しい。
    孤独に生きる人間達への愛に満ちている。
    ベン・シャーンの描いた挿絵も併せてお勧めです。

  • マルテ・ラウリツ・ブリッゲの手記。マルテという若い詩人の様々な種類の断片を集めた「手記」、という形式を取った、リルケ唯一の長編小説。「詩人リルケの沈痛なる魂の告白の書」(カヴァーより)であることに、疑問の余地はありません。だけど、ここに記された絶望や敗北を作者自身と重ね合わせるだけではなく、その底にある純粋や、細部に宿る叙情を存分に味わいたい、と、私は思います。「死」や「恐怖」「孤独」に怯えることができるのも、また敏なる感性です。決して悲惨なだけの作品ではない、そう信じます。

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