マルテの手記 (新潮文庫)

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  • 新潮社 (1953年6月12日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (352ページ) / ISBN・EAN: 9784102175033

感想・レビュー・書評

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  • 久々に主だった筋のない、断片を繋ぎ合わせたタイプの小説を読んだ。そうして思うのは、私はこういったタイプの小説に非常に安堵感を覚えるということだ。人生は物語ではない。断片を継ぎはぎしたものである。そう言った方が私の実感と合っているし、結局のところなまの人生をより広く肯定しているように感じられる。

    内容であるが、意外と明るい。死という絶対無の恐怖に怯えながらも、全体としては生への肯定が貫いているという印象を受ける。特に終盤などはそうである(ちなみにストーリーらしきストーリーがないにも関わらず、終盤にかけて明らかにボルテージは上がっていき、興奮する)。ところが並々ならないのは、この生の肯定を産み出しているのが死の恐怖なのだということである。〈僕たちにとって、死の恐怖は強すぎるに違いないが、それでも本当は僕たちの最後の力だと、僕はそんなふうに考えている。〉この一文には大変な衝撃を受けた。
    他にも閃き悟すような言葉がたくさんあった。それらはまさに一瞬にして閃光をもたらす詩の力と、蓄積の末に静かなる地響きをもたらす小説の力の合わせ技という感じがした。これは何度も読み返すと思う。

  • 「僕は『マルテの手記』を訳して、つくづくこのような小説を書かねばならなかったリルケを不幸な作家だと思った」
    訳者大山氏のあとがきの一文目に、この小説の全てが表されているように思う。

    マルテの精神的苦痛の話であり、愛の話であり、神の話であり、信仰の話。また、贖罪であり遺書。私が受けた印象はこうだ。
    マルテはモデルがいるものの、明らかにリルケの人生を追っている。幼少期に少女の服装をしていたこと、比喩・暗喩や人間を表す時に用いられる「人形」という言葉への執着。
    そして、のちに発表される『ドゥイノの悲歌』を予感させる、舞踏家、俳優、天使、人形といった断片的な手記。
    マルテ(およびリルケ)の、幼年期から大人であろう今まで、さまざまな年代の瞳から見つめられた景色、読まれた本、浮かび上がった情景が、時系列もなく書き続けられる。
    とても重い本だったが、誰かのレビューで読んだ「プルーストが何冊もかけて書いた愛の話を、リルケはこの本を書くことにより一冊で表現した」という言葉は、『失われた時を求めて』を読了するまで断言できないが、おそらく、正しい。とても重い本だった。愛について考える時に、マルテの手記なしに語ることはできない。ただ、再読に至るには、若輩者ゆえ、途方も無い時間を要する気がする。

  • 果たしてこれを物語としてよいものか。
    なんて孤独で乾いているのか。まるでランボーが書きえないものを書こうとして時空から立ち上がり、筆を折ったみたい。きっとこれを書き上げたリルケも筆を持てなかったに違いない。
    ゲーテは理解されないのを知ってことばを選んで紡いだ。だが、彼は理解されないのを知りつつも、あえてことばを変えなかった。表現や訳、ことばが難解なのではない。彼が書こうとしたそのものが難解なのだ。普通の三文作家なら挑むことさえ思いたてない、そんなものを書こうとしたのだ。こんな世の中ですべてのひとに理解される方が恐ろしい。
    たったひとりで、ことば以前の存在を追い求めて、マルテはパリを彷徨う。孤独は悲しかったりさびしかったりするものではなく、孤独であり続けられるそのことが難しい。彼は「わかって」しまったひとだった。書かれているものは断片的な手記ではなく、すべて「心」の一縷の流れから生まれたきわめて連続的なものなのだ。
    書くにつれて、徐々にリルケとマルテの境界が溶けていく。これだけ壮大な独り言だ。区別できる方がおかしい。マルテがリルケであり、リルケがマルテなのだ。
    絶望や悲しみよりももっと遠い、真実に至るために孤独であり続けることの難しさ。受難。これが狭き門なのだろう。ジッドが共鳴するのにも納得がいく。

  • リルケ自身がこの小説について語った言葉の一部を掲載させていただきます。

    ~~~

    ぼくは『マルテの手記』という小説を
    凹型の鋳型か写真のネガティブだと考えている。
    悲しみや絶望や痛ましい想念などがここでは一つ一つ
    深い窪みや条線をなしているのだ。しかし、もしこの鋳型から
    ほんとうの作品を鋳造することが出来るとすれば
    (たとえばブロンズをながしてポジティブな立像をつくるように)、
    たぶん大変素晴らしい祝福と肯定の小説が出来てくるにちがいない。
    ~~~

    何かしらちょっとでも感じるものがあったなら読んだ方がいい。
    リルケは読み手に静かに一つの方角を教えてくれているんだ。

    余談。リルケは薔薇の棘に刺された傷がもとで急性白血症となり死去したらしい。生と死に苦悩し続けたリルケ、些細な出来事が死に繋がってしまったとはなんと儚く、彼らしい…と思ってしまうのは失礼かな。

  • 小説というべきなのか、定義するのが難しい寄せ木細工のような作品です

    国文社が廃業すると聞き、真っ先に『リルケ書簡集』を思い出した。リルケの創作の中心は詩で、小説とされる『マルテの手記』も散文詩のよう。書簡も有名な『若き詩人への手紙』に限らず、思索と詩情に富み、忘れ難い。優れた西欧文学を翻訳し紹介してきた出版社がまた一つなくなるのは残念でならない。 t.co/P3JPkJr6be

    リルケのマルテの手記は抽象的で筋があまりないから難解って言われてるけど、これはインスピレーションを受ける為のもので理解する為のものではない気がする。何事も色んなゴールがあって、理解する事が芸術鑑賞の唯一の目的じゃないと思う。分からないからこそ何回も読みたくなったりするし。

    『マルテの手記 (新潮文庫)』 ライナー・マリア・リルケ #ブクログ #読書
    https://booklog.jp/item/1/4102175032

    リルケ
    Rilke,Rainer Maria
    著者プロフィール
    (1875-1926)プラハ生れ。オーストリアの軍人だった父によって入学させられた陸軍士官学校の空気に耐えきれず約一年で退学。リンツの商業学校に学びながら詩作を始める。二度のロシア旅行の体験を通じて文筆生活を決意し、詩の他、小説・戯曲を多数発表。後にパリに移り住み、一時ロダンの秘書も務めて大きな影響を受けた。また生涯を通じて数多くの書簡を残している。代表作に『マルテの手記』『若き詩人への手紙』など。


    「ぼくは見ることを学んでいる。どういうわけか知らないが、すべてのものが、いっそう深くぼくのなかへしみ込んで、今まではいつもそこで終点となっていたところに、とどまらなくなってしまった。自分でも気がつかなかった内面の世界を、ぼくは持っていたのだ。今ではすべてのものが、そこへ入っていく。そこで何が起こっているのか、ぼくはまだ知らないけれど。」

    —『マルテの手記』ライネル・マリア・リルケ

    「考えてみると、たとえば、どのくらいの数の顔があるかなどということは、一度も意識したことがなかった。人間はたくさんいるが、顔のほうは、それよりも、うんとたくさんある。というのはひとりひとりが、いくつかの顔を持っているからだ。一つの顔を何年も持ち歩いているような人たちもいる。そういう顔は、もちろん使い古され、よごれてしまい、皺だらけとなって、旅行中はめていた手袋のように、ぶくぶくにのびてしまう。そういう連中は、つましくて、無神経な人たちなのだ。彼らは顔をとりかえようとしない。一度だって、洗ってさえもらわない。これでたくさんなのだと、彼らは言い張る。かと言って、その反対を、彼らに言いきかすわけにもいくまい。ところで、たくさん顔を持っている人もいるのだから、そういう人たちは余分の顔をどうしておくのかということが、おのずから疑問になってくる。彼らはそれをしまっておくのだ。子どもたちに持ちあるかせておこうというのだろう。ところが、ひょっとすると、彼らの犬どもが、それを持ちあるくかもしれない。それがいけない、という理由もあるまい。顔は顔なのだから。」

    —『マルテの手記』ライネル・マリア・リルケ著

    リルケ『マルテの手記』

    独りパリで暮らす若きデンマークの詩人の苦悩と思索を日記や手紙、過去の追憶・散文詩などで綴った作品

    〜思い出はいくらでもあるけど
    こうして並べられるうちは
    まだ ただの思い出に過ぎない
    忘れてしまわなければ
    そして 再びこの手に帰る時を
    辛抱強く待つことだ

    #読了

    「マルテの手記」
    #リルケ #読了

    「マルテという詩人が書いた手記」という小説。パリでの孤独な生活や少年時代の思い出など、主人公の内面の記録。実際のリルケの孤独や不安が投影されている。話があちこちに飛び、構成は無きが如し。詩人の魂からの言葉に吸い寄せられ何度も立ち止まった。

    #読了
    『パリの異邦人』鹿島茂

    リルケ、ヘミングウェイ、オーウェル…、パリの底知れぬ魔力にとりつかれた作家たち。これほど世界の文学に影響を与えた都市は他にないのでは。読み進むうちにパリの薄暗い通りをトボトボ歩いてる気分になった。大昔に挫折した『マルテの手記』、読んでみようかなぁ。

    「マルテの手記」は
    部屋の中で読んではいけない 
    曇り空の下で読むものだ

    マルテの手記は楽しみ方がわからなくて何度挫折したかわからない

    地下室の手記はこんなにおもしろいのに

    「マルテの手記」(リルケ著 松永美穂訳)
    初読み。随筆のような小説?
    “この夜を乗り越えさせてください。‥そして、愛を乗り越えられるように“
    Moi aussi.
    #読了

    リルケ『マルテの手記』#読了
    断片的なテクストの集まりながら、だからこそその手記を一つ一つ紐解いていくごとにマルテという一人の青年の内面を通してパリの街や人々、またもっと根源的な人というもののあり方やゆらぎを感じさせられます
    死と読書についての部分が特に好きです

    入院していると時間ばかりある。色々と考える時間ばかりある。それでたとえば考えてみると、自分に大きく影響を与えた小説って、結局、若い頃に読んだカミュの『異邦人』、『シーシュポスの神話』、それからリルケの『マルテの手記』あたりなんだなと。退院したらもう一度読んでおきたい。無性に。

    『マルテの手記』(リルケ/松永美穂 訳)将来が見えず、不安を抱えながらパリを歩きまわるマルテ。街で見たもの、そこで思い出した子供時代の記憶が断片的に描かれる。■光文社古典新訳文庫読書エッセイコンクール(大学生・一般対象)

    本日のインスタ!1回読むだけじゃもったいない『マルテの手記』。若き詩人の魂の記録。instagram.com/p/CBUcydjDCz5/

    『マルテの手記』(リルケ)
    「ヨーロッパ文化の中心地であるパリで目にする繁栄と雑踏。都市で浮遊する彼の精神がとらえた不安げで不確定な世界の印象を、ぜひ味わっていただきたい。」(訳者・松永美穂)

    リルケの『マルテの手記』を読んでいると悲しみ色に包まれた甘い過去が蘇ってくる。両親や祖母や妹達と過ごした永遠に消え去った日々。もう会えない死者達の何気ない仕草が深く染み込んで来る。それは私の人生にとってかけがえのない記憶であり、宝石よりも高貴な詩のように生き続けている。

    『マルテの手記』(リルケ/松永美穂訳)kotensinyaku.jp/books/book190.…「見る」ことを学ぼうと、パリをあてどなくさまよい、街路の風景やそこに暮らす人々を観察するマルテ。短い断章を積み重ねて描き出される詩人の苦悩と再生の物語。

    本日のインスタ。リルケ『マルテの手記』はあらゆるジャンルのアーティストを目指す若者は必読の書です!instagram.com/p/Ccy5l1WPBG7/…

    たった1行の詩のために
    たくさんの街を訪ねなければ
         リルケ「マルテの手記」


    「マルテの手記」は、非常に難解でした。マルテという青年のパリでの孤独な物語だと思ってたんですけど、ほとんどパリのことは出てきません。少年時代の回想や歴史の断片ばかり。が、その文章の美しさには惹かれました。

    (外国人滞在者が味わう)パリの孤独というのは、一種隔絶したものがあり、他のどんな都でもそれは感得不可能なのである。『マルテの手記』が今日でも読み継がれているのは、パリにおけるこうした絶対的孤独が見事に表出されているからにほかならない。 鹿島茂『パリの異邦人』

    「詩は、じっと待つべきものだ。生涯をかたむけて、それもできることなら、ながい生涯をかたむけつくして、意味と蜜を集めねばならない。そして、やっと最後に、十行くらいのすぐれた詩が書けるだろう。なぜなら、詩は、世間の人たちが考えているように感情ではないからだ。(感情なら、だれでも、早くからありあまるほど持っている)……詩は体験なのだ。一篇の詩をつくるためにも、詩人は多くの都市を見、人間や物を見なければならないし、動物を知り、鳥の飛ぶさまを感じなければならない。」

    —『マルテの手記』ライネル・マリア・リルケ著

    リルケの作品を愛読している、または影響を受けたとされる有名人をジャンル別に紹介します。



    【文学・思想関係】

    村上春樹(作家)
    リルケの詩をたびたび引用し、その精神性や孤独に共感を示している。特に『若き詩人への手紙』は村上作品にしばしば影響を与えているとされる。

    三島由紀夫(作家)
    リルケの『マルテの手記』を愛読。自己存在や死へのまなざし、芸術至上主義的な世界観において共鳴点が多い。

    マルティン・ハイデガー(哲学者)
    リルケの詩に深く関心を持ち、実存哲学との関連性を探った。特に「存在」と「詩作」の交差点について論じている。

    アナイス・ニン(作家)
    リルケの感受性と内面への探求を愛し、自らの日記やエッセイの中でたびたび言及している。



    【芸術・映画関係】

    ヴィム・ヴェンダース(映画監督)
    映画『ベルリン・天使の詩』はリルケの『ドゥイノの悲歌』に着想を得て制作された。人間存在や孤独へのまなざしが詩的に表現されている。

    ルキノ・ヴィスコンティ(映画監督)
    ヨーロッパ精神の崇高さを描く作風において、リルケの詩的世界に影響を受けているとされる。



    【音楽関係】

    パティ・スミス(ミュージシャン・詩人)
    リルケを「詩の師」と公言。ステージ上で詩を朗読するなど、リルケへの深い敬意を示している。

    ニック・ケイヴ(ミュージシャン)
    死、愛、救済といった主題においてリルケに強く影響を受けており、歌詞やエッセイでその名を挙げることがある。



    【俳優・その他】

    レオナルド・ディカプリオ(俳優)
    『若き詩人への手紙』を愛読していると語ったことがある。ただしエピソードの信頼性には諸説あり。

    ユマ・サーマン(俳優)
    インタビューでリルケの詩を愛読していると述べたことがある。



    現代の日本人著名人に絞った情報や、リルケの特定の著作に惹かれた人物など、さらに掘り下げたい場合はリクエストしてください。

    「時おり、ぼくは、セーヌ街にあるような、小さな店の前をとおる。所せましと飾窓に品物をつみあげた古物商、小さな古本屋、銅版画商などなど。そういう店に客の入ったためしがない。明らかに商売にならない。が、なかをのぞくと、主人たちがすわっている。すわって、のんびりと本を読んでいる。あくせくと明日を思いわずろうこともなく、売行きを気にかけることもない。飼犬がいる。犬は主人の前に、気もちよさそうにすわっている。ときには、猫にもお目にかかる。背革の題名を消すように本の並びを猫がかすめると、静寂がいっそう深くなる。」

    —『マルテの手記』ライネル・マリア・リルケ著


    「ぼくはパリに住んでいる。それをきくと、人は喜んでくれる。たいていの人は、ぼくを羨んでいる。もっとものことだ。パリは大都会だ。大きい上に、不思議な誘惑にみちている。ぼくはどうかというと、いろいろな点で誘惑に負けていると、告白せざるを得ない。ほかに言いようがないと思っている。いろいろな誘惑に負けているが、それがみな、結果としてある種の変化をもたらしている。ぼくの性格にまでとは言えないが、すくなくとも世界観に、何はともあれ、生活自身のなかに。これらの影響をうけて、すべての事物にたいするまったくちがった見解がぼくの心のなかに形成せられ、ある種の相違が生まれて、それが在来のすべてのもの以上に、ぼくを人間から引離すこととなった。まったく変容した世界だ。新しい意味にみちあふれた、新しい生活だ。すべてが目新しいので、当座はちょっと面くらっている。ぼくは、自分自身の環境のなかの初心者なのだ。」

    —『マルテの手記』ライネル・マリア・リルケ著

    『マルテの手記』リルケ #読了

    長い長い詩が手記となって凝縮されたかのよう。これを理解するのは難関だ。そもそも、すっかり理解できるようなものではないのかもしれない。それでも、3本指でぎゅっと掴み取れるものがありそうにも思う。僕は、見ることを始めるのだ。自分の内側と外側を。

    「みんなが探しているものが、腫物のようにぼくの体内から急に吹出すんじゃないかという気がしてきた。そうすれば、みんながそれに気づいて、ぼくのほうを指さすだろう。すっかり絶望的な気もちになって、ぼくはママンのほうを見た。ママンは、一風変わったまっすぐな姿勢ですわっていた。ぼくを待っているんだな、とぼくには思えた。ママンのそばへ駆けよると、ママンが心のなかでふるえていたのが、すぐ感じられた。そこでぼくは、家がいまようやく、ふたたび消えてしまったのがわかった。」

    —『マルテの手記』ライネル・マリア・リルケ著

    「他人の不幸をほくそえむような意地わるさを持っていた。」

    —『マルテの手記』ライネル・マリア・リルケ著

    「あるいは、その男を口説いて話をしてもらえるかも知れない。彼にせがんで、古い旅の日記を見せてもらうような娘が、きみたちのあいだにいるかも知れない。その同じ娘が、サッフォーの詩のいくつかの断片がいまに伝わっているのを、ある日彼からききだすことに成功する。彼女はとうとうその男の秘密のようなことまで、きかせてもらうようになる……世間から隠れて住んでいるこの男は、時おり、ひまな時間を、こういう詩句の翻訳にあてて楽しんでいたのだ。だが、ちかごろはすっかりご無沙汰したままになっているのを、彼は認めなければならない。それに、手元に翻訳してあるものも、問題になるほどのものではないと確信している。だが、この無邪気な娘たちの前でぜひにとせがまれて、詩の一節を読むのは、やはりうれしい気もちである。記憶のなかにあるギリシア語のひびきなどを思いだして、それを口にだして言ってみたりする。なぜなら、彼の考えによれば、翻訳は原詩のかおりを少しも伝えないので、このうら若い娘たちに、このような烈しい情炎と化した、壮重な詩語の、美しい純粋な断片を示してやりたいと思ったからだった。」

    —『マルテの手記』ライネル・マリア・リルケ著

    「父は朴訥な人間で、かざりを知らぬ正直者であった。母は性格が派手で、社交好きだった。こういう両親の性格の相異は、ついに融和することなく、とうとう破局を迎えねばならなかった。詩人は後年つぎのように述べている。「私の子供のころの家は、プラハの借家でした。私が生まれたときには、両親の結婚生活はもう冷却していました。私が九つのとき、不和が爆発して、母は父のもとを去りました……」  リルケの生いたちは、このようにさびしかった。」

    —『マルテの手記』ライネル・マリア・リルケ著

    「こういう詩人として成熟した時期を迎えたとき、彼は二回にわたってロシア旅行をこころみた。この旅行は彼の生涯に言いつくせない大きな影響をあたえた。それは、リルケ自身烈しい恋を感じたルー・アンドレアス・サロメ女史の案内によるものであった。女史はロシア生まれであったため、ロシアの深い内在的意味を若い詩人の心にそそぎ込むには、もっとも適した人であった。第一回目は、一八九九年四月下旬から六月下旬まで、第二回目は、翌一九〇〇年五月十一日から八月二十三日にわたるものであった。この旅行中トルストイを訪問したことは、また、いろいろな意味で彼には深い体験となった。」

    —『マルテの手記』ライネル・マリア・リルケ著
    https://a.co/ij4GzTE

  • 言いようがなく哀しくて滑稽で身につまされる。

  • 言語表現の極地。
    人生の一冊。

  • 数年に及ぶ苦しい読書だった。本を開けど開けど進まない。言いたいことがわからない。そんな苦しさがあった。終盤は少し面白い話が出てくるが、それまではどうでもいい話に溢れていて、リズムも掴めず、わからない文章をただガリガリと引きずりながら我慢して読み進めるという感覚で大変辛かった。しかしこれでひと通り読みおおせたので、心置きなく他の作品に移れる。すっきりした。

  • 作者自身が散文を目指して執筆しているのだからこれはもう読みにくて当たり前です。第一部はマルテのパリでの生活や幼児期の思い出を描いておりそこそこ読めましたが、後半、特に歴史と絡めて語る文面がとても読み難い。詩人なる作者の作品であるがゆえ詩を連ねたような文章により解釈を読み手に任せるような場面の連続で、歴史にも詳しくない者としては終盤はかなり読み飛ばしてしまいました。
    素敵な文章表現に酔える人、沢山の時間をかけて読むことを苦痛に思わない人向けでしょうか。
    また、難解な本に慣れる事で読書の幅が広がるかもしれません。

  • 本棚にあるのは昭和44年8月10日第22刷。正確に言えば、筑摩書房の世界文学体系第53巻収録の生野幸吉訳で読み返し、ところどころ大山定一訳を参照しながら再読した。大学に入ったはいいが、授業も始まらずぶらぶらしていたときに読んだ本。改めて再読してみると、この何とも表現しにくい不安感は、ひょっとすると若者の特権であるのかもしれないという気がしてきた。

  •  ” 彼らはいずれも自分だけの「死」を待っていた。(中略)子供たちも、いとけない幼な子すら、ありあわせの「子供の死」を死んだのではなかった。心を必死に張りつめて────すでに成長してきた自分とこれから成長するはずだった自分を合わせたような幽邃な死をとげたのだ。”(p23)

     私はふと、東日本大震災の津波で亡くなった子供たちを思った。
     自然災害の死は戦争の空襲での死に似ている。理不尽で不条理な死。
     突然に、誰彼構わず、いっぺんに死に追いやってしまう。
     リルケが言うような「死」が彼らにはない。不慮の唐突な死に襲われた人たちを思うと私は胸が痛くなる。
     想像力が逞しすぎると笑われるかも知れないが、私は時々亡くなった子供たちの叫びが見える。感じるように心に伝わってくるように見えてしまう。それは私をひどく混乱させる。私は現実から乖離していき、自己が消失してしまう。


     『マルテの手記』は、私にはとても合っていた。
     あまりにもしっくりとぴったりとし過ぎて本の中からうまく戻って来れなくなった。
     どの文章(文章という形の感覚や感情が)も、すごく、とても、よく分かる。
     言葉ではなく感覚として私の体の中にすうーっと入ってきて、あっさりと私を「僕」の住む世界へ引きずり込んでしまう。

     文章なんだけれど文章ではなく、それはもうそのまま感覚として在る。
     つまり、たとえば、私がどうしようもない淋しさというのを表そうとすると絵が生まれるように、言葉が感情を表すのではなく、感情が文章に成っている。
     うまく説明ができなくてもどかしいのだが、そこに書かれたことは「心」であって、文章の意味が感覚として伝わるのである。
     リルケの言葉を借りるならば、
     『言葉の意味が彼の血にしみとおり、細かく分かれてゆくような気持ちがするのだ』
     『事物の諸印象は血液の中に溶け、何か得体のしれぬものと一つになり、すっかり形をうしなってゆくみたいだ。たとえば、植物の吸収の仕方がきっといちばんこれに近いだろう』
     そういうふうにこの本の文章は私の心に溶けてゆく。

     これは素晴しい傑作だと私は思う(とはいえ、恥ずかしくなるくらい仰々しい大袈裟な感があるのは否めないが...)。


     『マルテの手記』は『山のパンセ』のように短い話の連続で、物語というのとはちょっと違う。日記、断片的感想、過去の追想などが雑然と並んでいる。無秩序にその断片は並んでいるようなのに、しっかりとマルテという人物の物語として成立している。
     リルケはこの構成についてこのように言っている。
    『今度の小説は抜きさしならぬ厳格な散文を目ざしている。』
    『どの程度まで読者がこれらの断章からまとまった一人の人間生活を考えてくれるか、僕は知らない。僕がつくり出したマルテという青年作家の内部の体験は途方もない大きなひろがりを持っているのだ。彼の手記は根気よく探したらどれくらいあるかちょっと見当もつかない。ここで僕が一冊の書物にまとめたのは、わずか全体の幾割かにすぎぬだろう。机の引出しをさがしてみるとどうやらこれだけ見つけることができた、まず差しあたって、ただいまはこれだけでまあ我慢しておこうというぐあいの小説なのだ。こんな小説は芸術的にみれば大へんまずいでたらめな構成にちがいないが、直接人間的な面からみて結構ゆるされる形式だとおもっている』(訳者あとがきより引用)

     主題は「死」と「愛」と「自己の存在」にある。
     一部では、死を軸にした「大都市で今を生きるということ」(リルケの書いた現代は100年前だけれど、100年後の現代でも生や死の問題というのは変わらないものである)。そして、そのなかで生まれてくる「孤独」や「不安」や「恐怖」。
     二部では、死を軸にした「愛」。

     『マルテの手記』は自分の心を自分でうまくコントロールできない、常に不安と恐怖を抱えている、今を生きることに馴染めていない人でないと分かりにくく、ちっとも共感するところのないつまらない作品かもしれない。

  • 孤独・死についての青年詩人の独白のような小説。
    哀しくて陰気だけど何故だかとても優しい。
    孤独に生きる人間達への愛に満ちている。
    ベン・シャーンの描いた挿絵も併せてお勧めです。

  • マルテの手記が好きって人は、ちょっとヤバい。
    何故なら、孤独者の視点が身に浸みてしまうから。
    悲しみや苦しみ、そして孤独や不安、影や暗闇、そういったものたちに美しさや豊かさを見出してしまうから。
    だけどもリルケが好きって人はそれでいいんです。
    少しずつ読んで、隣にマルテがいるような感覚を覚えるまで、じっくり付き合っていくのも良いと思います。
    私も実は五年くらい読んでるけど、まだ、終わりません。
    リルケ自身も書きあげるのにものすごく時間がかかりました。そういう小説です。
    何か面白いことを期待して読み始めると、きっと、面白くないと感じて投げ出してしまう人も多いと思います。
    だけど、これらをじっと見つめてきたリルケのことを思うと胸が痛くなるのです。
    そういうリルケ自身が詰まった一冊です。






  • マルテ・ラウリツ・ブリッゲの手記。マルテという若い詩人の様々な種類の断片を集めた「手記」、という形式を取った、リルケ唯一の長編小説。「詩人リルケの沈痛なる魂の告白の書」(カヴァーより)であることに、疑問の余地はありません。だけど、ここに記された絶望や敗北を作者自身と重ね合わせるだけではなく、その底にある純粋や、細部に宿る叙情を存分に味わいたい、と、私は思います。「死」や「恐怖」「孤独」に怯えることができるのも、また敏なる感性です。決して悲惨なだけの作品ではない、そう信じます。

  • 20代のうちに何度も読み返したい

  •  本作は小説に分類されるが、実際に読んでみると通常の小説のように、物語としてまとまりがなく、淡々と主人公が見た風景や回想が一方的に描写される。主人公マルテの心情に関しても、特別変化はなく、ただひたすら孤独に苛まれる様を読者に見せつける。そのため、本作は予想外の展開や刺激的な話を求める人にはおすすめしにくい話であるが、その一方で、周囲に馴染められず、一人である人が読むと何かしら共感できる箇所があると思われる。ひとりで過ごすからこそ見えてくる世界があるのかもしれない。

  • 3.65/566
    『青年作家マルテをパリの町の厳しい孤独と貧しさのどん底におき、生と死の不安に苦しむその精神体験を綴る詩人リルケの魂の告白。』

    原書名:『Die Aufzeichnungen des Malte Laurids Brigge』(英語版『The Notebooks of Malte Laurids Brigge』)
    著者:ライナー・マリア・リルケ (Rainer Maria Rilke)
    訳者:大山 定一
    出版社 ‏: ‎新潮社
    文庫 ‏: ‎302ページ

    メモ:
    ・松岡正剛の千夜千冊  46夜
    ・20世紀の100冊(Le Monde)「Le Monde's 100 Books of the Century」
    ・西洋文学この百冊

  • 難しかった。正直意味は理解できていない。
    リルケが力の限り産み出した作品なんだろうということは分かった。
    なかなか理解できるものではないと思います。

  • ◆3/7オンライン企画「その相談、あの本なら、こう言うね。F/哲学の劇場」で紹介されています。
    https://www.youtube.com/watch?v=1K0qT4_6lEk
    本の詳細
    https://www.shinchosha.co.jp/book/217503/

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ライナー・マリア・リルケの作品

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