- Amazon.co.jp ・本 (700ページ)
- / ISBN・EAN: 9784102179413
作品紹介・あらすじ
男は武装強盗で20年の懲役刑に服していた。だが白昼に脱獄し、オーストラリアからインドのボンベイへと逃亡。スラムに潜伏し、無資格で住民の診療に当たる。やがて"リン・シャンタラム"と名づけられた彼のまえに現れるのは奴隷市場、臓器銀行、血の組織"サプナ"-。数奇な体験をもとに綴り、全世界のバックパッカーと名だたるハリウッド・セレブを虜にした大著、邦訳成る。
感想・レビュー・書評
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ページを捲る指が止まらないような冒険小説をイメージして読み出したが、予想に反して読むスピードを鈍らせる本だ。
それは悪い意味ではなく考えながらじっくり味わいたい心の成長の話だった。
脱獄犯がインド(ボンベイ)でさまざまな人々から影響を受け心が成長していく。その過程で雑多で汚れたスラムがこの物語を強く印象的にしている。
まだ上巻だが中、下巻でどう変わっていくのか楽しみだ。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
投獄された刑務所の壁に縛り付けられ警官たちに殴られながら、自分は自由だとその時に気が付いた。
…という場面からこの小説は始まります。
著者の経歴が、
「オーストラリアで無政府主義運動に加わり、離婚で家族を失い麻薬中毒、銀行強盗で刑務所に入れられ20年の刑期を言い渡されるが3年目に脱獄。
その後インドに渡りスラムで無資格で無料診療所を開く。
ボンベイマフィアと関わりアフガニスタンに渡りゲリラ活動に従軍。
タレント事務所設立、ロックバンド結成、旅行代理店経営、薬物密売…の人生を送り、オーストラリアで脱獄した残りの刑期を務めて、正式な保釈後にインドの貧困層に対するチャリティ活動を行っている」
…とかいうもの。
なんというか、欧米映画で「主人公が発展途上国に行ったときに、現地の人たちと混じって暮らすワケアリ欧米人」が出てくることがあるが、この小説ではその「現地のワケアリ欧米人」を主人公とした小説というところでしょうか。
ということでまずは上巻。
ネタバレしていますのでご了承ください。
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オーストラリアの刑務所から脱獄しボンベイに入った主人公(“私”の一人称)は、出会ったガイドのブラバカルを直感的に信頼し、彼の案内でインドでの生活、言語を覚えてゆく。
インドには多くの人種、多くの宗教が入り混じる。
そんなところにいる欧米人たちも曲者揃い。
フランス人なんでも屋のディディエ、イタリア人詐欺師マウリッツオ、ロシア人と言わて娼館を仕切るマダム・チョウ、そして“私”が一目で恋に落ちたスイス人の魅力的な美女カーラ。
インドでの生活を固めてゆくうちに、ブラカバルは“私”に「リン」という名前を付ける。これは男性器を示す言葉で「素晴らしい名前でみんなが気に入ります!!」ということ。
ボンベイで暮らすことにしたリンだが、インドを知りたければボンベイ以外の町を見ることも必要だと、ブラカバルの出身の田舎町に招待される。
“私”はそこで「シャンタラム・キシャン・カレ」という新たな名前をもらう。
キシャン・カレはブラカバルの父の名前で、シャンタラムは「神の平和を愛する者」という意味だ。
祖国で重罪指名手配犯罪者の゛私゛は、新たに「リン・シャンタラム」として善き人間に生まれ変るチャンスを得た。
ボンベイに戻ったリンは強盗に会い現金をなくし、スラムに住居をもらう。
ある日リンは火事で怪我人の手当を行ったことから、スラムで無免許無報酬の医療活動を行うことになる。
ある日ボンベイ・マフィアの黒幕のアブデル・カーデル・ハーンと知り合い、その後親しく交わってゆくことになる。カーデルの助力でリンの診療所は医薬品の補充などがスムーズに行われるようになった。
カーデルの周りにいるのは、イラン人でリンと義兄弟の誓いを結ぶアブドラ、アフガニスタン人運転手のナジール、パキスタン人のアブドゥル・ガーニ、パレスチナ人のカレド・アンヘリなど、国は違うが強靭な心身を持つ男たちだった。
ある時、リンが恋するカーラから頼みごとをされる。
娼館元締めのマダム・チョウの元から、一人のアメリカ人娼婦を救うことだ。
リンは人身売買、売春、残虐な犯罪挑発者“サプナ”などを垣間見ながら、ボンベイに馴染んでいった…。
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私が学生の頃や、社会人になった頃(30年近く前になりますが)には、インド好きの人たちが一定数いました。
知り合いでも「夏休みはインドに現地の人と交わる個人旅行に行く」「インドに関わる仕事を計画中」「インド哲学を自分の根本にしている」という人はいたし、芸能人でもインドによく行っているような人がいたり、世間的にも「インドに行くと人生が変わる」「インドに行く人と一生行かない人は根本的に違う」みたいな言いまわしがあったような。
ここ10年位?はインド好き~という人はあまり聞かなくなったのですが、
インドがなぜここまで人々を魅惑してきたのか、インドの人々がなぜスラムなど狭くて不潔な環境でも生きてきたのか、それは「インド人の無償で深い愛」により成り立っているとう描写は、書かれていた内容からなんとなくうかがい知ることができます。
「スラムは町全体が自分の家。隣の人が困っていれば自分が餓えても食べ物を運ぶ。お互い自然に行い全く貸し借りという気持ちではない」「狭い場所に多くのインド人がひしめき合うから喧嘩は起こるが、同じ狭さに同じ数のフランス人がひしめいていたら喧嘩では済まずもっと酷いことになる。喧嘩で済むのはインド人の許容力の広さ」「人身売買された子供は、過酷に働かさせたり売春させられたりで酷い怪我や病気になるかもしれない。しかしそれでも生きているから幸運だ。人身売買されなければ餓えて苦しみ死ぬだけ」などなど。
また、スラム内での掟やいざこざ解決方法などは、法が行き届かない集落で良い意味での自治が動いているなあと思いました。本来人が集団で住むにあたっての決まりごととはこういうものなのでしょう。
上巻では、リンは信じた相手とは善い関係が築けていて、貧しくても心情的には良い環境に馴染みつつあり、ボンベイでは住民たちからも一目置かれるようになる…というところです。 -
文庫本カバーの粗筋をみても、どのような小説かは予想がつかない。
著者の経歴を読めば、自分自身の経験をもとにしているようであり、ピカレスク(悪漢)小説の類か?と思いきや、読み始めると主人公の魂の再生の物語だった。そして、それがとても面白い。
この波乱万丈の物語を魅力あふれるものにしているのは、汚濁にまみれながら魂の都市でもあるムンバイ(ボンベイ)という街とインドという国。
とにかく、ボンベイの街の混沌とした社会や生き方の描写が圧倒的。
欧米の価値観とは全く異なる世界で、主人公がもう一度自分の人生を再構築していく過程は面白く、どんどん読み進んでしまう。
謎めいた美女カーラとのロマンスもあり、次巻以降も楽しみ。
(次巻は、また予想外の展開となり、冒険小説の趣があるのだが) -
三島由紀夫が「人には二種類ある。インドに行かれる人と、行かれぬまま死んでしまう人である。そして行かれる人は、そのカルマによって、行く時期も定まっている…」と言ったとかゆー話で、実際自分のまわりでも1度行った人はスッカリ魅せられて何度も行ってたりするんだけど、そのインドの魅力って一体何なの?とずっと疑問だったコトがこの上巻でかなり理解出来た!
ちょうどANAの機内誌「翼の王国」で、インドのお弁当配達人の記事を読んだトコロとゆータイムリーさも手伝って、この電子時代に記憶力のみが頼りってゆープロ意識て何なんだー!
上巻はまず、インドてこうゆうトコロなんだよね、てゆー紹介っぽい。
上巻だけでも、700頁の大作なので最初は尻込みするけども、読み始めたら面白くスリル満点で哲学的な部分もあり、ドンドン読み進む。
甘いチャイとカレーナンを用意してお香を焚いて読みたい。 -
ジョニー・デップが映画化権を獲得した超大作と言われたときに買おうかなと思ったもののその長さとダークっぽい予感に躊躇し、新潮社が「ジョニー・デップ(の映画化)を待ってられるか!」という帯をかけたときにまた買おうかな、と思ったものの同じ理由で躊躇していた本。今回は養老先生の帯を見て、これなら間違いなしと思って購入。養老さんにハズレなし(私の場合)。上中下と一気読み。そして下巻にあった養老さんの解説の見事さに再び感心。レビューとしてここに転載したいと思いました。
作家自身の体験をもとにした大いなる小説。犯罪者。そして深い思索をする男。読みだしたら止まらない。オーストラリアの重罪刑務所を脱獄してボンベイにやってきた男と、インド(ボンベイ)の物語。インドには行ったことがなく、たぶん行く機会は無さそうだけれど、この本を読んだら混沌としたイメージのインドを少し理解する手掛かりが得られたような気持ちになりました。常識と思っていたことが表面的な薄っぺらな偽善かもしれないと思わされるような、こうあるべき的机上の正論が吹き飛ぶような、「理由も何も世の中とはそういうもんだ」という現実を突きつけられたような、圧倒されるような読書体験でした。アジア万歳。ただ字を読んでいるだけですが、疑似体験したような気持ちになりました。インドだけでなく、アフガニスタンやパキスタン、ムスリムの男たちの理解をする一助になる本です。ミステリ小説の要素もふんだんにありつつ、冒険小説でもあり、自伝的小説でもあり、恋愛小説でもあり、、、保存版にします。でもこの本を映像化するのは相当困難だと思う。-
わー、おもしろそうですね~。気になっていたんですが、わたしも、ダークそう、相当へヴィーそうと思って読んでなくて。それほどでもないんですかね?...わー、おもしろそうですね~。気になっていたんですが、わたしも、ダークそう、相当へヴィーそうと思って読んでなくて。それほどでもないんですかね? おもしろさのほうが勝っていそうですね。いろんな要素がある小説ってすごく惹かれます。2012/11/01
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niwatokoさん。まさに「おもしろさの方が勝っている」という感じです。暴力も犯罪も出てくるし人はいっぱい死ぬしかなりヘビーな内容もあるの...niwatokoさん。まさに「おもしろさの方が勝っている」という感じです。暴力も犯罪も出てくるし人はいっぱい死ぬしかなりヘビーな内容もあるのですが表現がしつこくなく淡々としているので後を引きません。それと救いもちゃんとあります。乱暴に言ってしまうと、「ミレニアム」のエンタメ度を減らしてその分哲学的にした、みたいな感じです。「死者の書」「黒いカクテル」の著者、ジョナサン・キャロルも絶賛したそうです。2012/11/02
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文庫本上・中・下巻、全部で1,870ページの疾走する大作を、疾走する勢いで読了。これはしびれた。
家庭の破綻からラリって武装強盗をはたらき、オーストラリアの刑務所に投獄。そこから白昼堂々脱走してインドのボンベイ(当時、原文のまま)に逃亡。そのスラム街に住みついて無資格で無料の診療所を営業。その後、ボンベイのマフィアに入り、アフガニスタンに出陣。こう書くと、これがこの長編小説の主人公の略歴と思われるかもしれないが、実はこれは作者本人の略歴。そして、この大作はこの略歴を元にした一大スペクタクル小説なのだ。
客観的な自伝として書いても十分面白い内容にちがいないが、自分を主人公にして、思い切り主観的に、うぬぼれて、自己愛にあふれた小説に仕立てたことで、この大作の面白さが格段に増している。これだけの長さなので冗長なところもなくはないが、それはうぬぼれ男のご愛嬌と受け止めて読み進める。表現は時に文学的であり、時に哲学的であり。悩める友に、愛する人にそのまま使えそうな心に刺さるフレーズが随所に。そして、特に印象的なのは、登場人物の瞳、顔、表情の表現。わずかな鼓動も見逃さない優れた観察力と繊細な表現力を持ち合わせた者ならでは、と思わせる表現がなんとも美しい。
分厚い文庫が三冊並ぶと、読むのに勇気がいるかもしれないが、一旦始めてしまうともう止まらない。あふれる疾走感に、読んでいるこちらの疾走も止まらない。これはしびれた。 -
これはなんといったらいいかな。ギャング小説でもありハードボイルド的でもあるがそれだけでもない。しいていえばインド小説か。そうとしかいえない。重罪脱獄犯がオーストラリアの刑務所を脱獄し、インドはボンベイに潜伏して土地のマフィアに加わり波乱万丈の活劇を繰り広げるというあらすじから思い描いていたものとは全く違った。舞台はほとんどボンベイの魅力的な街やスラムで、そこでの人間模様というか逃亡犯であるリンと現地の多様な人との交流が主題。マフィアのボスに見い出されてドンパチもやらかすのだがそれはエピソードに過ぎず、読み終わって残るのはインドとインド人の魅力ばかりだ。作者の実体験が基になっているらしいが、よほどインドが気に入っているとみえる。あとは、各所に散りばめられた登場人物たちの内省的というか警句めいた言辞の数々。それを彩りとみるか鼻につくとみるかで評価がわかれるかもしれない。ちょっとマット・スカダーを思い出してぼくは嫌いではない。ただしこういうのは訳者の実力が如実に現れるのだから、原著を読んで書いたらしい養老孟司の解説は不適切だろう。
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旅先で読了。実話に基づいた波乱万丈な大河小説。上中下巻1800ページ超えの長編だが、最初から世界にどっぷりハマり、途中グロいシーンがあるもそれを凌駕する面白さがあった。
壮絶な事件が次々と起こり、主人公はダイハードな人生を歩んでいく。その中に哲学的な思考、恋愛、人間愛が織り込まれている。
スペクタクルなシーンが満載なのに深みを感じるのは、著者が繊細な心を持っているから?描写もリアルに想像が出来るし、文書も美しい。
登場人物も皆活き活きとしていて魅力的。特にマフィアのドン、カーデルの懐は深く魅了された。そして彼の吐く哲学的な言葉は印象的だった。
『人は正しい理由から間違った事をする』
『あらゆる高潔な行いは暗い秘密から生まれるものだ』など。
何気ない伏線が後から意外なオチになっていて驚いたり、ラストを読むとまた再読してあれこれ答え合わせがしたくなる。
インドムンバイのスラムでのディープな記述は貴重な実録で、インドの牢屋や警察やマフィアとの日々には心底身震いする。兎に角おっかない。
壮絶な疑似体験から帰還して読後ホッとしたものの、ネットで著者を検索してみるとyoutubeでCNNのインタビューなんかもあり、更にシャンタラムの世界が広がった。
ジョニー・デップが映画化するという話が10年以上も流れている様だが、映画がチープにならないといいなぁと心から思う。 -
実は上巻では、まだ物語は動いていない…と言っていいと思う。それにも関わらず、この膨大なページ数を、他の作品には脇目も振らずに読破した。時間はかかったが…もっと時間をかけてもよかったかもしれない。
シャランタムは主人公につけられたホーリーネームのようなもの。彼の複雑な人間性とその奥に眠る純粋で神聖な魂が孕む怒りのエネルギーに触れるだけでも、この小説に手を出した価値はある。
それにもまして…隅々まで克明に描かれてゆく、本当のインド。それは多様性などという言葉では表しきれないほどに豊かで猥雑で美しくて…ありとあらゆる連体修飾の限りを尽くしたとしても、どれひとつ外れることなく、またどれもインドの一欠片さえも言い得ていないだろう。
そこで私の主観というフィルターで、二次的な見解を試みるならば…言い古されたことだが
…かつてインドを訪ね、そのまま虜となって帰国しなかった先人たちの気持ちが、行かずして少しわかったような気がするのである。
愛の国。今の私の心はそう感じている。言葉どおり。
しかしまた、苦しみとは何か、幸福とは何かを常に自分自身にも問い続けながら読まずにはいられない。
大いなる哲学に触れ、私の価値観もまた試されているような気がする。
なのにまだ…本編は始まってもいないのである。