- Amazon.co.jp ・本 (368ページ)
- / ISBN・EAN: 9784102185513
作品紹介・あらすじ
みんなは“内側”の人間だけれど、自分は“外側”の人間だから――心を閉ざすアンナ。親代わりのプレストン夫妻のはからいで、自然豊かなノーフォークでひと夏を過ごすことになり、不思議な少女マーニーに出会う。初めての親友を得たアンナだったが、マーニーは突然姿を消してしまい……。やがて、一冊の古いノートが、過去と未来を結び奇跡を呼び起こす。イギリス児童文学の名作。
感想・レビュー・書評
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孤児として育ったためか誰も信用できず、生きることに不器用なアンナを中心に物語は進みます。
ロンドンからノーフォークへ、アンナは療養も兼ねて預けられることになりました。
さて、そこでの暮らしに関わる人々とは何かが違う、マーニーという少女に出会います。
マーニーとは不思議と馬が合い、アンナは幸せを感じますが…。
人の優しさが溢れ、心が満たされる素晴らしい小説です。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
岩波少年文庫ではなく、新潮社文庫から別訳が出ていましたので読んでみました。
入江に建つ古い屋敷を通じて、マーニーとアンナだけに交錯する過去と今の時間。心を閉ざしたアンナがマーニーと過ごす間に、自分と同じ孤立した存在を鏡のように映し出す。
そしてマーニーと分かれた後、その記憶が薄らいでいくと共にアンナの心が周囲との関わりを保てるようになっていく。
”自分の物語が描けるようになる”これは、心理療法家、河合先生の言う統合と安定の過程。岩波の特装版には河合先生の書評も付いているようで、これも是非読んでみたい。 -
気になるなぁ、面白そうだなぁ、と10代の頃から読みたいと思い続けていたこの作品。躊躇していたのは、岩波少年文庫版が上下巻だったこと。それだけで尻込みしちゃって、読破できるか何だか自信がなかったのだ。
ようやく読んでみようと思い至ったのは、今回新訳が発刊されたこと(1冊にまとまったことでお財布的に嬉しい)、そのあとがきで、大好きなタイムファンタジーの金字塔、「トムは真夜中の庭で」と比較されていたこと。大人向けの新訳にも興味が湧き、手に取ってみた。
家族を亡くし、養父母と暮らすアンナは、ひと夏を自然豊かなノーフォークで過ごすこととなる。孤独な心を抱えるアンナは滞在先の近所の子供ともぎくしゃくし、ますます心を閉ざすのだが、そんな矢先、マーニーという不思議な少女と出会う。
マーニーと出会うきっかけとなる「湿地の館」周辺の描写にはそそられる。謎に包まれているけど、風格のある佇まい。潮の満ち引きで、周辺を水で満たされる館は独特の存在感だ。ボートの漕ぎ方を教わったり、あるときは館のパーティーに物乞いの少女として参入したり…マーニーとの交流により、頑なだったアンナの心は少しずつほぐれていく。
だけどやっぱり、マーニーって何者?という疑問は膨らんでいく。お金持ちの娘っぽいことは確かだが、二人の会話や感覚の微妙なずれから、どうやら時間軸もずれてはいないか?と、タイムファンタジー好きの読者なら気付くだろう。
とある事件を境に、マーニーと会えなくなるアンナ。心にぽっかり穴を抱えた彼女にまた新たな出会いがあるのだが、まさかその出会いがマーニーの謎を解き明かすきっかけとなるとは…。
全てが明らかとなるハイライトは圧巻。まさかまさかの連続である。全体的に見れば、冗長な部分もあり、登場人物の心情の変化の描写がもう少し欲しい部分もありだけど、そういったところを差し引いても十分読み応えのある作品に仕上がっている。神秘的かつ幻想的な「湿地の館」がイギリス児童文学っぽいなと。後半でアンナと出会う5人きょうだいは、ロビンソンの絵本作品を彷彿とさせました。末っ子のロリーポーリーがとてもかわいい!
そして訳者あとがきも興味深く読んだ。「トムは真夜中の庭で」に設定が若干似てるなと感じたのだが、「ロビンソンは古き皮袋に新しき酒を盛ることで、イギリス児童文学の伝統にまた一つかぐわしい花を添えた」には納得。似てはいても物語の方向性とかキャラクターの性格等は異なっており、その違いによるそれぞれの作品の個性も素晴らしく、勿論どちらもとても好きな作品であることは間違いない。
元祖である岩波少年文庫版、後発の新訳角川文庫版(こちらは表紙が素敵)と、本屋の店頭でちょこちょこ比べてみました。(表現の微妙な違いを見つけるのが楽しい。)そうなると、原書も気になるというもの。読破する気力も英語力もないので、チラ見するだけでも、原文の雰囲気を味わってみたい。
ひと夏の少女の心の成長物語としても秀逸なこの作品、何となく生きにくさを感じる少年少女は勿論、大人たちの心にも響くこと間違いなし。自分の存在を肯定することの大切さを、本書は教えてくれる。 -
ひと夏の間ノーフォークで過ごすことになった孤独な少女アンナ、そこでアンナはマーニーと名のる不思議な少女と出会い仲を深めていくのだが…
入り江の様子、海の近くの大きな館、そして風車小屋など情景が非常に豊か。そしてアンナの心理描写もしっかりと描かれています。
訳者あとがきによるとこの描写は著者自身の体験が投影されているらしく、そのためか風景描写も心理描写も非常に鮮やかに自分の中で想像できました。
アンナとマーニーは友情を深めていきながらも、ある日唐突な別れを迎えます。そして話は徐々にマーニーとは何者だったのか、という謎に話が移っていきます。
話としてはファンタジーの部類に入るのかな、と思いますが、マーニーの正体に徐々に迫っていく様子はミステリ的でもあります。そしてすべての謎が解けたとき、アンナが今まで抱いていた思いが鮮やかにひっくり返されます。
アンナとマーニーが友情を深めていく様子、マーニーの正体が明らかになるとともに感じる暖かさ、そしてアンナの変化は児童文学と言えども読みごたえは十分!
そして何より読み終えた後、心の中に暖かな風が吹いたかのように、爽やかで少し幸せな気持ちになれた一冊でした。 -
子供の頃、自分が孤立してると感じる時は、自分が「内側」で周囲の人間が「外側」だと思ってたな、ってことを思い出しました。
なので、疎外される自分が「外側」にいて、他の人たちを「内側」に一括りにまとめるアンナの心象が私とは正反対なのが面白かったなあ。
自分を中心にして考えてたって意味では、私の方が子供らしい可愛げあったんじゃないの~(笑)。
他人にどう見えるかを意識して表情を取り繕うところとか、大人の些細な言動を一つ一つ論うところとか、「ああ、こういうことが自分にもあったなあ」とノスタルジックな感傷に浸りながら読んでいくと、来ました、謎の金髪美少女、マーニー。
映画は見ていないのですが、予告版で見た映像と原作の世界観がかなりマッチしていたような気がしました。最初にあのビジュアルイメージが前提にあったからそう感じたのかな。そりゃそうなるか。
マーニーとアンナの脈絡のない会話や唐突な場面転換を、映画ではどう表現してるんだろう。と、ちょっと見たくなりました、映画。
ですが、不幸なのは私が既にネタバレを見てしまったことです。
ミステリアスなマーニーとの交流が描かれる前半と、
マーニーがいなくなった後で彼女とアンナの意外な接点が語られる後半という、
ファンタジーっていうよりこれ最早ミステリじゃないの~!というような作品のネタが既に割れていたという不幸…(ToT)うおー
ジャンル的にはミッシングリンクものかなあ。「何故、マーニーはアンナだけに見えていたのか?」という謎が、この秘められた繋がりの真相に辿り着いた途端に理解できるミステリです。
ジブリの宣伝にもあるように、「彼女」は「あの入江で、待ってい」たんですね…。
そして、アンナが亡き家族に対して抱いていた殺伐とした思いが、一気に氷解する謎解きのラスト。どうして私を置いていったの、という幼い頃からアンナが抱いていた悲しみが昇華していく様が心を震わせます。
アンナが最後に手に入れた未来への希望と、マーニーの辿った人生のコントラストに、悲しくも深い家族の愛を感じました。
親代わりのプレストン夫妻のはからいで、田舎で夏を過ごすことになったアンナ。そこで出会った少女マーニーと親友になったアンナは、ミステリアスでチャーミングな彼女に魅了されるが、やがて嵐の夜に2人の関係が一変する事件が起こり…。 -
映画を見てから読んだので、映画版と原作の違いがくっきり浮かび上がってきた。
もちろん、どちらも、思春期の入り口にいる女の子の繊細な感情を見事に描いているのだが、原作はイギリスの女の子、映画は日本の女の子、ということで、そのメンタリティの違いがとても興味深かった。
映画の杏奈は、「自分は普通じゃない」というヒリヒリした気持ちにとらわれていて、だから誰からも好かれていないのだと思っている。それは傍から見ると被害妄想のようにも見えるし、なぜそこまで頑なになってしまうんだろうと、痛々しく感じられるのだが、原作のアンナはもう少し積極的な感じがした。自分の方から他人を拒否しているのだ、という強い気持ちがあるようなのだ。だから、「あえて」一人でいる。
物語のクライマックスとも言える「マーニーがアンナ(杏奈)を置き去りにした(ように見える)事件」での、杏奈(アンナ)の反応は、似ているようで、でも少し違う。原作のアンナは「私を置き去りにした、という裏切りが許せない」と怒るのだが、映画の杏奈は「ひどいよ」と嘆くのだ。
後半のプリシラとの出会い編は、いかにも外国の児童文学という感じで、遊び方や付き合い方が、「赤毛のアン」を思い出させる。日本の子はあんなふうな付き合い方はまずしないだろうなあ。
小説は、幻想的で、かつ微笑ましい少女の成長物語である。先に読んでいたら、映画の印象もまた変わったかもしれないが、舞台を日本に移したことで、とても良く似ているんだけど、微妙に違う「日本の少女」の物語になっていて、ヒリヒリ感は映画の方が強かった。
いちばん大きな謎も、小説の方だとわりとあっさり扱われているし。映画ではとても重大なこととして描かれていたので、そういうイメージで読んでいたら肩透かしだった。
ああ、でも、これは、12才くらいのときに読みたかったなと思う。リアルタイムで疎外感を味わっている時に読んだら、どんなふうに感じただろう。 -
読み終わった後、不思議な感覚に襲われる。
「あぁ、そうか。そういうことだったのか」と直ぐに結びつく部分と、まだまだ理解し切れてない部分とがある。(これは私の読解力の問題)
ともかく、マーニーとアンナの不思議な繋がりに感動させられるし、登場人物達の他者を想う気持ちに心が温められる。
アンナの目線で描かれていた“外側”と“内側”の世界。きっと誰しもが感じたことのある感覚であって、いまだって感じている人もいるかもしれない。けど、これを読んだ後は、くっきり分かれていたこの二つの世界を、違った視点で見ることができるんじゃないかな。
世界は、思っているよりも、優しい気持ちで溢れている。そう思えた一冊でした。 -
世界には円の内側と外側に分かれている。主人公のアンナは外側でうまく周りの愛情に反応できずにいた。そんな彼女を自分の親戚であるペグ夫婦のもとへ夏休みを前倒しして向かわせることにした夫人と、列車の扉の前で分かれるところから物語は始まる。心配性の夫人に素直に別れを惜しめなかったことにどこか罪悪感を抱きながら遠くの海辺の町への旅を“つまらなそうな顔”を浮かべコミックを読み耽り揺られて進む。
アンナはこの夏休みに一人の不思議な少女マーニーと出会い、心を開いていく。夜の海で浮かべたボート、早朝のキノコ狩り、パーティーでの花売りの一幕、浜辺での二人の想像の家造り、そして風車小屋での嵐と、その時のマーニーの裏切りとそれでも消えなかった彼女との友情。別れ。
彼女を失って知っていくマーニーの秘密、孤独、そして伝えられる唯一の愛情の繋がりと、そこから広がっていくアンナの人生の光。
一人の少女の成長といつかの少女の救済の物語。
映画を見てからすぐ読み出し、最初は海外もの、しかも少女小説なんて久しぶり過ぎて時間かかりそうだなと思っていたのが、読みだして、小学低学年の時に夢中になった赤毛のアンの読みやすさを思い出した。
穏やかで瑞瑞しい文章と、少女たちの無理のない心の揺れ動き。読んでよかった。映画とはまた違うあたたかさ。