- Amazon.co.jp ・本 (624ページ)
- / ISBN・EAN: 9784102200513
作品紹介・あらすじ
大きな政府か、小さな政府か――。経済と政治を百年にわたって揺るがし続ける大命題をめぐり、対立した経済学の二大巨頭。世界恐慌からの回復期にあって、二人の天才はなぜ真っ向から衝突したのか。正しかったのは一体どちらなのか。学界から政界へ、イギリスからアメリカへと舞台を移しながら繰り返された激しい抗争、そして知られざる信頼と友情の物語を巧みに描いた力作評伝。
感想・レビュー・書評
-
学生時代に経済学を学ばず、近現代史の高校教科書レベルしか持っていない私でも、充分に経済学の2人の偉大な巨人を理解でき、本当に素晴らしいです。
マクロ経済学史の成立過程だけでなく、ミクロな視点である、生い立ちや当時の背景を著述することにより、歴史的な著作や論理に至った背景を鮮明にしてくれたのは、理解しやすく本当に良かったです。これで文庫は安い!
専門外の方が、2人の名著を読む前には、必読です。因みに、挫折する可能性がありますが、私は、2人の代表作にチャレンジしたくなりました。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
日本語版の副題に「資本主義を動かした世紀の対決」とありましたが、まさにこの二人の思想は多かれ少なかれその後の経済学者に影響を及ぼし、実際の経済政策にも二人の思想の痕跡が見られます。本書を読んで一番腑に落ちたのはケインズとハイエクの育った環境の違いが思想に及ぼしたであろう影響です。
ハイエクはオーストリアの比較的裕福な家庭に生まれましたが、第一次大戦での敗戦後にオーストリアを襲ったハイパーインフレや隣国ドイツでのナチスの台頭を経験しています。青年時代にこのような環境を見ているハイエクからすれば、国家というものは極力小さくすべき存在であっただろうなと思います。本書の中にも書かれていましたが、ハイエクは資本(巨大企業)が牛耳る世界の方が、国家が牛耳る世界よりマシだと考えていました。そこまで国家に対する嫌悪感があったわけですが、これはまさに彼の若かりし頃の実体験があればこそだと思います。
他方、ケインズは英国で生まれ育つわけですが、彼の基本的な価値観は、善意で運営される国家は良い結果を生み出すということで、国家性善説といいますが、国家に対して肯定的なわけです。これはやはり英国で育ったからこそではないかと思います。タラレバ論ですが、もしケインズが当時のドイツで生まれ育っていたら、国家に対する嫌悪感はハイエク並みに育っていたのではないか、と想像しました。
また両者の論争は大部分かみあわないところがあった訳ですが、本書を読むと、ハイエクは家計や企業を主体とした議論をしているのに対して、ケインズは国全体を対象とした議論をしているということで、後にミクロ経済とマクロ経済という分類が出来るわけですが、経済をボトムアップで見るか(ハイエク)、トップダウンで見るか(ケインズ)の違いがあったことなど、非常にわかりやすく書かれていました。
現代の経済学者も多かれ少なかれ二人の思想に影響を受けていると思うので、本書を読むと、現代の経済学者を見る目も多少変わってくるのではないかと思います(例:あの人はケインズ的だな、でもこの点に関してはハイエク的なことを言っているな、といった具合です)。本書オススメです。 -
アメリカではケインズ的な政策とハイエク的な政策のバランスをとりつつ、今日に至るまで成長を維持し続けていることがわかる。翻って日本はこの30年ハイエク的政策を通り越した緊縮政策一辺倒で、一人負け状態。このままでは国が滅びる。
-
激しい直接の論争もあったケインズとハイエクだが、その主張は真っ向から対立するものでなく、別の側面とも言える主張。一見、大きな政府と小さな政府と対比して捉えられがちであるが、「大きな政府」は、資本主義の景気循環の不況に対する一時的な対策として、金利低下・減税・公共投資を主張したもので、ケインズ自身、アメリカの長期にわたる財政出動には疑問を投げかけていた。一方、「小さな政府」は、そのような政府の介入は必然的に経済全体をコントロールする形式にならざるをえないため、全体主義や社会主義の独裁と結びつき、民主主義が危機に陥ることを警告したもので、ハイエクもケインズ的な政策を全否定するものでなく、ケインズもこれを有益な意見として受け止めていた。
実際、ハイエクの後継者とされるフリードマンは、政策的にはケインズ的であり、思想的にはハイエク的である。
----------------------------------
第一次世界大戦後の世界大恐慌
→景気循環を放置することへの危機感
不況対策として
●戦勝国イギリス・ケインズ:「失業者を一人でもなくさなければならない」
大きな政府→低金利・公共事業→マクロ経済学
ニューディール政策(ルーズベルト)→ケインズは、不況期以外の政府の財政出動には反対していた。→社会主義への移行段階
ケインズ自体は自由党所属の中道。社会主義陣営とは一線を画していた。
●敗戦国オーストリア・ハイエクには母国であるオーストリアの悲劇的な歴史を踏まえ「国家が経済を統制できるという思い上がりを許容すれば、そこには自由がなくなり、最終的には共産主義や全体主義を許容する社会になってしまう」
社会主義→価格決定権が消費者にない
フィードバックが効かないため、需給バランス不均衡
事業評価が公正にできない
→リスクと責任の一致がない
小さな政府→政府が金利政策、価格決定に関与するのは危険(長期的には困難→人工的な需要増大はまやかしに過ぎない)
民主主義は資本主義のもとでしか成立しない。計画経済を支持すれば、包括的に全体を支配させることになり、独裁を認める結果となる。→隷従への道「双子の悪:社会主義とファシズムの批判」
自らは保守主義者ではないと主張。なぜなら、革新。
文化的自由主義(リベラル)と政府干渉を廃する経済的自由主義は異なる。
ジョン・ロック→法の支配・社会契約→自由の条件
●フリードマン「マネタリズム」
ケインズ的だが政治信条はハイエク
→レーガン・サッチャー→ブッシュ→クリントン(第三の道)
ケインズ対策→減税(ケネディ)・公共投資・マネタリズム -
ケインズとハイエクの対立、のように見えるが、ケインズを引き合いに出しつつ実はハイエクをクローズアップした評伝であると私には感じる。確かにハイエクとケインズは真っ向から対立しているように見えるが、目指す方向は同じであったことが、本書から強く感じ取れる。
-
経済学の素人で読了までやや時間を要したものの、それでも自分程度でも理解しやすく書かれた本であるとの印象。解説にもあったが、経済書というより、両方の陣営のせめぎ合いの様子をスリリングに?描いており読み進めるのが楽しかった。
内容として踏み込んだものではなかったのだろうが、ケインズとハイエクの意見の対比を通じて少しでも経済学史を概観できた?のと、現代までもその流れの延長上にあることがわかり、興味深い知識を得ることが出来た読者経験だった。 -
20世紀の政治・経済を貫く大きな思想対立とも言える「大きな政府か、小さな政府か」という命題を生み出したケインズとハイエクという経済学の2大巨頭を巡り、彼らの半生やその対立と和解、アメリカを中心とする先進国の経済政策における彼らの思想の影響などを広範にまとめあげたノンフィクション。
友人や弟子筋の研究者を巻き込みながらも激しい論争を繰り広げた両者ではあるが、実はケインズの晩年にはその対立を和らげ相互に理解するそぶりがあったことなどは、こうしたノンフィクションならではの面白さ。また、こうした両者の半生を踏まえてその思想を考えると、そのバックボーンとしてケインズには「失業者を一人でもなくさなければならない」、ハイエクには母国であるオーストリアの悲劇的な歴史を踏まえ「国家が経済を統制できるという思い上がりを許容すれば、そこには自由がなくなり、最終的には共産主義や全体主義を許容する社会になってしまう」というそれぞれの信念があることに気づかされる。 -
図書館貸出の単行本の時は時間切れで読みきれなかった。文庫本になったので通勤の合間にチビチビ読み進めて完了!
実体経済は、今でも経済学者の理論の手にあまる部分が多そうだ。自然体でプラグマティックな処方箋をデザインするケインズと、システムの定式化イメージにこだわるハイエクに代表される、制御かリバタリアンかの思想の差異が、どこにでも顔を出すことに気づく。