ムーン・パレス (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (532ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784102451045

感想・レビュー・書評

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  • 長い小説だったが、話の展開は先が読めない面白さがあり飽きずに読み切れました。
    不遇な生い立ちが何かしら影響している主人公の青年の厭世観、その後運命的に出会う人々の生き様から受ける強烈なもの…青年にとって大きなうねりのような濃い数年間を共に味わった気分です。

  • 一人の若き青年の物語。思いもよらぬ偶然の出来事が次々と起こり、物語が複雑に展開してゆく。
    登場人物の男逹の物語は、主人公の肉親の物語でもあったのです。
    この物語には「月」が一つの象徴となっています。それは、主人公の人生の幸運であったのかもしれません。
    そして主人公が本当の意味での人生の新たな幕開けを得たことに、深い安堵を感じました。若き青年の人生はこれからはじまるのです。
    愛と別れの、青春の感動の一冊。

  • 「人類がはじめて月を歩いた夏だった。」
    書き出しのこの一文で、私はこの小説を絶対に好きになる、とすぐわかった。信じがたいしめったに出会えるものではないのだけれど、そういう小説ってちゃんと存在している。

    主人公のマーコ・フォッグは11歳の時に母親を交通事故で亡くしてから、唯一の血縁であるクラリネット奏者のビクター伯父さんと共に、土地を移り住みながら生きてきた。父親の顔は知らない。
    成長しコロンビア大学に進学したのを機に一人暮らしを始めるが、そのうちに伯父さんも突然亡くなってしまう。
    マーコはあまりの絶望に我を失い路頭をさまよって破滅の一歩手前まで追い詰められるが、そこを旧友のジンマーとキティ・ウーに救われることとなる。
    二人に支えられながら少しずつ回復してくると、マーコが社会復帰のためとみつけてきたのは、とある屋敷に住む全盲かつ両足不全の老人の話し相手になる、という奇妙な仕事だった。

    マーコめがけてやってくる不可思議な偶然と、その偶然が次から次に解き明かしていく運命の連鎖のようなものに、ただただ目を見開きながら読んだ。ここでは偶然は奇跡であり、奇跡はまた偶然だった。マーコの人生はいったいどうなってしまうのか、行き着く先はどこなのか、終盤にすすんでも展開はまったく予測できなくて、魅力的な登場人物とリーダブルな文章に手をひっぱられ夢中でページをめくり続けることしかできなかった。
    ビクター伯父さん、キティ、エフィング、ソロモン・バーバー。たくさんの出会いがあって、別れがあって、でも失うことでまた新しく知って、ユタからカリフォルニアまでの砂漠をひたすら歩いて、ようやく人生というものが始まる。マーコの人生はそうして今も続いている。
    読後には切なさと苦しさが喉元までせりあがってきて、私は、と思わずにいられなかった。私は、私の人生は、もう始まっている?あるいはまだ始まっていない、あるいはちょうど焼け石のように丸く黄色い満月の下の砂漠を歩いている?

    月が随所にモチーフとして出てくるところも好き。
    コロンビア大学すぐそばの中華料理店「ムーン・パレス」は、きっと優しい光でマーコを明るく照らしてくれる月みたいな場所なのかもしれない。原点のような。いつも静かに変わらずそこにある。
    中でも個人的にものすごく心に刺さったのは、老い先短いエフィングがマーコの将来を心配して今後の計画について訪ねるシーン。「君は夢想家だからな」「君の心は月に行ってしまっておる。たぶんこれからもずっとそうだろう」
    マーコは実際何も考えていなかったが、コロンビア大学の図書館学科に願書を出して司書になるつもりです、と嘘を並べて答える。「考えてみれば、図書館というのは現実世界の一部じゃありませんからね。浮世離れした、純粋思考の聖域です。あそこなら僕も一生、月にいるまま生きていけますよ」
    この会話を読んで、ぶわっっっと全身に新鮮な酸素のようなものが行き渡るのを感じた。
    私も図書館でずっと働いてて、誰かになぜ図書館なの?と問われてもただ好きだから、としか返せなかったのだけれど、そういうことだったんだって答えを手に入れたかのような気持ちになった。
    私の心もとっくに月に行っていて、そして私は月にいるまま生きていたかったんだって気づいた。そうか、図書館って、そういうことだったんだ。

    序盤にしか登場しないビクター伯父さんもすごく素敵な愛すべき人物なので言及しておきたい。
    マーコ・スタンリー・フォッグという本名をからかわれ続けてきたマーコが15歳の時にM.S.Foggと短く名乗るようになった一件について、それがmanuscript(原稿)の略称でもあることから、ビクター伯父さんは「人はみな人生の作者だからね」と言って喜んでくれる。「お前が書いている書物はまだでき上がっていない。ゆえに、それは原稿である。だとすりゃこれ以上ぴったりの名があるかね?」
    伯父さんはいつだって、あらゆる物事から隠された真理を読み取ることが得意なのだ。
    マーコがその後の人生でたくさん散らばっている偶然や予兆を見逃さないで、見失わないで自ずからつかまえてこられたのは、きっとこうした伯父さんの姿にずっと学んできたからなんだろう。

    ポール・オースターという作家の小説を初めて読んだけれど、とにかくとても良かった。
    それこそ偶然がつれてくる先の遠く向こうにある何かへの予兆を信じてしまいそうになるほど。
    柴田元幸さんの訳文も素晴らしいですね。読者が登場人物たちを、ストーリーを、小説そのものを愛さざるを得なくさせる魔法がかかっているみたい。

  •  冒頭の珠玉の一文から一転、誇大妄想癖の鬱屈した青年の青春物語が始まる。冗長な独白や蛇足のようなエピソードなど読み進め難くなる部分もあるが、機智に富んだユーモアのセンスや、感傷的かつ暗喩的な表現の美しさに魅かれた。
     度重なる偶然とともに物語は進展し、終幕に向かって奇妙で散らかった個人的な物語は収斂していき、主人公は普遍的とも言える出来事により喪失を迎える。評価が別れそうだが、ある種のあっけなさが私は好みだった。
     もしも多感な10代の頃に読んでいたら、どう感じただろう、読んでみたかったなと思う。読んだ後に反芻したくなる作品。

  • 特別な一冊になればと思って購入したが、今の自分にとってはあまり響かなかった。

    時折見せるユーモラスな表現や、物語の山場には何かを期待せずにはいられなかったが、内容の割に文字が多めで話のテンポが遅く感じ、途中読み疲れてしまった。

    初めは、両親がいない主人公マーコ・スタンリー・フォッグが、育ての親であるビクター伯父さんを亡くしたことで人生に絶望し生活が悪化、敢えて何もせずに貧しい生活を送り命の危機にさらされる。

    そこでルームメイトのデイビット・ジンマーと、以前1度だけ面識がある中国人女性キティ・ウーに救われ、その後ジンマーの部屋に居候し、衰弱した肉体を回復、そしてキティと関係を持つ。

    ここまでは、不器用な若者が己の過ちに気付き再生するまでの物語、そして青春の幕開けという感じだったが、マーコが人生をやり直すためトマス・エフィングという老人の介護のアルバイトを始めたことで次のフェーズに突入する。

    その老人は掴み所が無く、ある日は呪詛と罵倒が飛び、またある日には深い共感のこもった温かい言葉が出てくる。本心なのか全てが演技なのか…エフィングの屋敷に住み込み、看護師兼家政婦のリタ・ヒュームと生活を共にしていく中で、マーコはこの精神的鍛錬の日々に適応していく。そんな中、エフィングは自分の先が短いことを悟り、今まで秘密にしてきた過去をマーコに打ち明ける。

    この老人が語った壮絶な過去によって、トマス・エフィングの存在感はより大きなものとなり、まるで別の物語を読んでいる様な印象を受けた。
    死が迫っている老人の行動は無意味に感じるが、もし自分が年老いてその時期が来た時に、エフィングの様に選択する気力を保てるのか、意味が無くても行動を起こす原動力は何なのか考えさせられた。

    彼の死後、マーコはエフィングの息子だと明らかになったソロモン・バーバーという男へ手紙を送るが返事は無く、キティと共に新しい生活を始める。エフィングが亡くなってから4ヶ月ほど経ってから、バーバーから返事が届き、ようやく会うことに。

    バーバーは相当な巨漢でハゲているが、ウィットにあふれる魅力的な人物だった。お互いの情報を交換し、意外な真実が明らかになる。エフィングの息子であるバーバーは、当時教え子だったマーコの母エミリー・フォッグと関係を持ち、2人は別れる。その後、マーコが産まれる。つまりバーバーは実の父親であり、介護していたエフィングは祖父だった。

    意図せず父親との再会。だが、キティが妊娠したことで、出産に対する意見の違いからマーコとキティは別れることになる。落ち込むマーコを元気付けようと旅に誘ったバーバーだったが、旅の途中、2人でエミリーの墓参りに寄った際に墓穴に落ちてしまい、しばらくして亡くなる。

    孤独の身となったマーコは、1人エフィングが語っていた洞穴を探し続けたが見つからず、ついには陸の果ての浜辺までたどり着き、夜空の闇に浮かぶ月を見つめる。悲しみの果てに彼は何を思うのか…

    全て読み終えて、この作品は何が伝えたいのか自分には分からなかった。また不幸な登場人物が多いが、なんとなく強引にバッドエンドにしているように感じた。主人公の孤独を演出にするために、最愛の恋人とは別れ、父親が穴から落ちたことが原因で亡くなるという間抜けな最後。感情移入もあまり出来なかったし、心も動かされなかった。

    もしかしたら、この感想は読み手の自分に原因があって、条件さえ整えば今回理解できなかったこの作品の魅力に気付けるかもしれないため、またいつか読み直したいと思う。

  • 悪くない…悪くはない。むしろ良いと思う。
    けど好みじゃない。
    数冊読んで好みが出てきたからなんですが…

    たくさんの大事な人を得てそして失ってきたこの主人公の心はとても繊細で破滅的。
    主人公なのに彼のエピソードの部分だけが好きになれない。
    そして希望を見出したように見える最後のあのシーン…
    あのあと彼は色々な事とちゃんと向き合えたのか、これからの人生でおこるであろう様々なことに立ち向かえたのか。
    1冊分の彼の人生をみてきた後では不安が残る…

    キャラが好きじゃないなと思いつつこんなことを思ってしまうのは共感してしまったのか作者の描写がとても上手なのか。
    ああいう感じに終わるのはいいんですが、彼のキャラクターを考えるともう少し違うエンドが欲しかったかな。

    この作者は4作目ですが自然に読める翻訳には毎回感心してしまいます。素晴らしい。

  • 柴田元幸という翻訳者を知った小説。それ以来、オースターの新作を積読する日々。村上春樹っぽい今作を超えるものは個人的にはない。柴田元幸は翻訳はもちろん、エッセイが面白い。東大でのお仕事はどうなっているのでしょうか。

  • 主人公マーコ・フォッグが盲目の老人トマス・エフィングの見回りの世話をするバイトをするところを読んで、これは映画『セント・オブ・ウーマン』ではないかと思いました。アル・パチーノがアカデミー主演男優賞を取った映画、面白かった。1回目見た時はタンゴを踊るシーンしか覚えてないのですが、何十年後かに見た時はアル・パチーノの演説シーンの迫力に驚いたものです。こちらの2人は言葉と食べ方が汚い老人と青年が口論するような関係で、そもそも見た感じがだいぶ違います。ですが、青年が成長して老人が少し考えが変わっていくところは一緒です。

    途中からマーコ・フォッグとトマス・エフィングの本当の関係が判明していく過程がこの小説のひとつの面白さです。ポール・オースターはNY三部作でも推理小説の要素をちらつかせて読ませてきましたが今作でも同じです。

    マーコ・フォッグにとって月とは社会情勢にも人間関係にも影響されない場所という意味があると思います。それでマーコが月に行くための決断がすべて間違っています、ビクター伯父さんにもらった本を売る、お金がないのでセントラルパークで生活をする、トマス・エフィングのところでバイトを始める、妊娠したキティ・ウーと分かれる、ソロモン・バーバーを穴に突き落とす等々。彼のずれた言動、突発的な行動力、飛躍した思考が楽しいのです。

    • cybeleさん
      失礼します。
      セント・オブ・ウーマンとあり嬉しくなりました。
      脚本も素晴らしいし、
      ガブリエル・アンウォーですね。
      失礼します。
      セント・オブ・ウーマンとあり嬉しくなりました。
      脚本も素晴らしいし、
      ガブリエル・アンウォーですね。
      2023/04/07
  • 三人の男の一筋縄ではいかない人生が描かれている。なんというか、濃い。全体を通して、すっきりする訳じゃないけど、エフィングの話が始まってからは引き込まれていった。最初のほうの文章は、村上春樹っぽいだるさがあってよい。

  • 15年ぶりに読み返した。
    失い続けることによってしか「生」を実感できずに生きてゆく主人公が、ようやくリアルな生命感に至るまでの旅路。
    自分も旅をしたかのような読後感を得た。

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