リヴァイアサン (新潮文庫)

制作 : Paul Auster  柴田 元幸 
  • 新潮社
3.60
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本棚登録 : 959
レビュー : 90
  • Amazon.co.jp ・本 (413ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784102451076

感想・レビュー・書評

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  • ポールオースターの本は、読後、寂しくなるというか
    空虚感に包まれる気持ちになってしまう印象があった。
    だが、この本は最初から結末が分かっている。
    親友が死に、親友について主人公が語るのだから。
    ラストシーンも淡々としておらず、最後まで読ませる。

    様々な人物、出来事が絡んでくるが、何度か語られる
    人生が人を捉えてしまう、という言葉は、我々が
    生きていく上で、あまりに哀しい事実だ

  • とある男の爆死を知った私。
    それはかつての親友だった男だった。

    その男はなぜ爆死などしなければならなかったのか。
    オースターらしい因果律と偶然、共時性で語られる、
    滑稽さと狂気と、孤独の物語。

    オースター版「グレートギャッツビー」という読後感でした。

  • 個人的メモ的感想


    読みやすい。
    過去の物語をどんどんひもといていく、という感じでいろんな事件が語られるから、頭んなかで整理できていない部分はあるが、まぁ読みやすかった。納得いく作品だった。柴田さんの翻訳も多大に貢献していると思う。
    ホントに、様々なことが順を追って語られるが、「主人公が書き進めている」という作品の構造上無駄な部分は一切ない。何気ない、なんてことないシーンでも、この「リヴァイアサン」においてはすべて考えるに値するものだし、必要なものなのだ。読み進めてそれを理解すると、ただ読むだけでも、楽しさが増す。これはなかなかうまいなあ。

    オースターの作品を読むのは久しぶりだが、やっぱりおもしろかった。『偶然の音楽』、『ミスターヴァーティゴ』よりよかった。

    主人公の親友サックスは、大小様々な事件に遭遇することで、それらの偶然が自分にとってどんな意味があったのか考えずにはいられなくなり、どんどん思考が飛躍し、自分というものが変化していく。考える事それ自体は人間にとっていたって当たり前のことなんだけども、サックスの世界の捉え方はちょっと歪。少し前の自分では想像もしないほうへ、変貌していく。
    サックスは、そうなったからにはそうなるしかない、そうなるべきだった、とも言えるかも知れない、的なスタンスで、ひとつひとつの事件に翻弄されていく。つまり彼にとって、偶然はほとんど必然だったのだろう。
    偶然や運命というものはなんておそろしく、魅力的なのか、っつー感じのオースターっぽい話。

    主人公、あんまり売れてない作家ピーター。は、なんだか他の人物に比べて、いわゆる「普通」にみえる。誠実で真面目なんだが、彼の考えは、他の登場人物より後手にまわっているというか、まぁ普通というか。
    そういう意味で、彼の語り方は読者にとって入りやすく、わかりやすい。サックスがわけのわからん理論(でも本人にとっては完璧にスジが通っている)を披露するときも、ピーターは「そんなこと普通は考えへんよ。普通に考えたらこうするべきだよ、そんなことで悩むのはおかしいよ」って感じで対応する。だから彼が「普通」っぽく見えるし、サックスとかマリアみたいな「変わった奴ら」を見る視点が、読者と同じ高さにあるので、安心して読める。オースターはそういう構造を意識したのだろうか。
    もちろんピーターはただの阿呆じゃなくて、後手に回ったとしてもそこからちゃんと考える。なんとか自分なりの答えを出そうとする。なんとか自分なりの解釈を拵えて、現実に向き合う。それは、偶然に翻弄される人間として当たり前の姿で、同時にすごく大切なことであると思う。

    いまこれを書いていると、この作品をもうちょっと好きになってきた。不思議な感じ。もういちど読むともっとおもしろくなるタイプの作品だな、これは。たぶん。
    よい読書体験でした。

  • マイブーム中の柴田元幸訳ポール・オースター。今回は文庫本400ページの長編。
    製作中の爆弾の暴発により一人の男が死に、物語は彼と彼の周囲にいた女性達を回想する形で進む。訳者あとがきの中で、これまでのオースター作品は「基本的に誰々の物語であると規定できた」が本作は異なる、という指摘がされているが、これはワタシも同感。本作は爆死した男と「私」だけの話ではなく、様々な登場人物がいて、さらにその関係性において矢印の向きが複雑に絡み合う。少しつめ込み過ぎな感じもしないではないが、ストーリーテリングという観点では申し分なく、ぐいぐい引っ張られる。
    ただ、物語を最後まで描ききらずに読者の想像に任せる部分が大きい、というワタシがオースターにハマったポイントが本作では少し薄れている。

  • アメリカ各地の自由の女神像を爆破し続け、最後は道端で突然に爆死した”自由の怪人”は、実は自分の大事な作家仲間であったーなぜ優れた作家であった友人が”自由の怪人”と化していったのか、そこの潜む数々の奇跡的な偶然の連なりを、主人公が事件後に執筆されたノンフィクション小説という形式で描く。

    オースターの多くの作品では”偶然”というモチーフが、あたかも必然的な連なりをもって物語をドライブさせていくが、本書でのこの連なり方は、他作品に増してドラマティックに展開される。その点で、本書は自らの想像を超える奇跡的な偶然の連鎖に人が遭遇したときに、どのような反応をするのかという一種の思考実験としても面白く読める。

    「そこで起きた出来事を伝えることがいまだ私にとってショックを与えるのは、現実というものがつねに、我々が想像しうることの一歩先を行っているからにほかならない。(中略)この教訓はいまや私には逃れようのないものに思える。どんなことでも起きうる。そして、いずれは何らかの形で、事実どんなことでも起きるのだ。」
    (本書p266より引用)

  • 英文が難しくて掴みきれなかったけど、暗い重いトーンがよかった

  • 読みやすかった。
    けどモヤモヤ。
    なんで サックスが死んだか
    読んでて分からないのは
    きっと自分の理解不足。
    何度か読み返さないとだめだなこりゃ。

  • 友人目線から、サックスが自由の怪人として生涯を閉じる迄の、流転の人生が綴られている。
    心がひび割れテロリストになったとは言え、心の平安の代償に無辜の人達を傷付ける事が無いのが、せめてもの救いか。
    ラストのサインの下り、グラントの挨拶が思い出されて本当に切ない。
    「そしていま、私たちはいつもたがいに味方しあうのだ。」

  • 読了後もすっきりせず、もやもやしている感じなのですが…。
    なんとなく、サックスという人物が、作家にも、女たらしにも、テロリストにも、結局なんにもなれなくて、なんにもなれなかった人の末路というか怖さが味わえた小説でした。

    とにかく出だしと終わりの文章がかっこよすぎる。

  • 自分の心の中をのぞいてみたとき、心の奥底になにかぽっかり空いた穴のようなものがあるのを感じるひとも多いのではないだろうか。自己の存在そのものにかかわるような、そこに触れたくないような根源的な穴。そこに触れることは、あたかも禁断の扉を開けることであるかのような。

    ポール・オースター「リヴァイアサン」は、そのような根源的な空虚と正面から向かい合って壮絶に生きたひとりの天才肌の小説家、ベンジャミン・サックスの物語である。

    サックスの天才たるゆえんは、歴史のなか、あるいは個人の人生のなかの、一見まったくつながりのない、「偶然」の産物に見えるものの背後にある、ある関係性を見抜く能力にあると言えよう。彼にとっては、「偶然はない」のである。すべて、背後にある構造の産物である。いわば、歴史も人間の社会をつかさどるあるひとつの無意識の産物のようなものである、ひとりの人間の人生が無意識によって支配されているように。

    サックスの作品、会話のなかにたびたび現れるモチーフがある。それは「自由の女神」である。それは彼にとって「アメリカ」の象徴であり、個人の精神の「自由」の象徴である。そして、それは同時に「失われたもの」の象徴でもある。彼の最初の作品「新コロッサス」は、アメリカの歴史の数々の表面的な「偶然」の背後にあるものの全貌を明らかにしようとするものであり、同時にそれは「アメリカ」が失われていることへの怒りの表現でもあった。

    「失われたもの」。それはなにもサックスの精神に固有のものではない。すべてのひとの精神の奥底には失われたものの穴があるのであり、サックスの遍歴の物語は、そのまますべてのひとの精神の深奥の物語でもある。

    そんななか、彼の精神の危機がついに決定的に表面化する日が訪れる。「自由の女神」建造百年祭の日。彼はパーティのさなかに、ひょんなことで体のバランスを崩して、四階から地上に転落する。幸い命に別状はなかったが、彼の精神は決定的に何かを失う。転落の瞬間、彼は気づく、自分が死んだことを。自分が間もなく死ぬことではなく、「もうすでに死んでいること」を。自分は、根源的にすでに何かを失った存在であることを。

    以後、彼は「語る」ことを放棄して口を閉ざす。しかし、彼のなかでの葛藤は続いていた。彼は転落の経験を、完璧に正確に、瑣末な点まで余すところなく明確に言語化しようとしていた。転落の瞬間を何度も何度も生きなおしていた。しかし、身体が回復したあとも、彼は「書く」ことを放棄する。
    「これからは『現実』の世界に入っていって、何かをしなくちゃ」
    「たとえば?」
    「わかるもんか! それを思いついたら、君に手紙を書く」

    彼の精神的な危機のなかで、時をともにする三人の女性がいる。妻であるファニー、写真家のマリア・ターナー、そして彼女の親友で女優を目指しているリリアン・スターンである。

    マリア・ターナーの作品は、作品というよりも、生きることそのものであり、自己の存在についての実験である。見ること、見られることに対するほとんど狂気とも思えるドラマである。眼、そこになにか自己の存在の根源に関わるものをみたのだろうか。見ること、見られること、それが人間の存在にかかわるということなのだろうか。彼女はイメージのひとということもできるだろう。

    対照的に、リリアン・スターンは本能にまかせて生きるタイプの女性である。彼女が内面に抱えた何かが、幸福、優美さ、動物のような活気となって表面に現れる。自分のルールにしたがって自由に生きる女性。

    言葉に根源的な空虚さを見てしまったサックスは、マリア・ターナーとの写真=イメージをめぐる営みのなかでかろうじて危機をくぐりぬける。「キュクロプス」。「木曜日のサックス」。

    やがて、サックスは再び執筆をはじめ、大作を手がけ始める。著者は彼に会って気づく、彼が「何かものすごいもの」をつかみつつあることを。「ものすごい、忘れがたい本」をものにしつつあることを。しかし、その作品「リヴァイアサン」も結局執筆が放棄され、未完に終わるのである。

    その後、サックスは完全に消息を絶つ。いったい、何が起こったのか?

    ある日の夕方だった。彼は近くの森の中を散策しようと出かけ、そこで作品について夢中になって考えるうちに夜になり道に迷う。目が覚め、翌日彼が経験したことは、幻想だろうか? いや、それは「現実」としか表現できないものだ。彼は思いがけない殺人を犯してしまうのである。彼の頭のなかにとどろき渡る恐怖。彼は、彼自身にももはや理解できない「真の偶然」に出会うのである。彼が殺したのは、実はマリア・ターナーの親友であるリリアン・スターンの夫、左翼運動家の男、かつてのサックスと同じ理想を共有する彼自身の分身とも言える男だった…。

    サックスはある意味、ついに「現実」に出会ったとも言えよう。彼は「失われたもの」を取り戻すことができたのだろうか? 彼が見ていたものは何なのか?「失われたもの」の象徴、「自由の女神」。「手紙」。その後、「自由の女神の小さな模型」が爆破される事件が相次ぐようになる。そしてサックスの爆死…。

    最後に、ポール・オースターの作品にしばしば現れる「死者を語る」ということが、いったいどのような意味を持つのか、窺い知ることができる一節を引用しておこう。
    「僕が自分をディマジオに捧げている限り、僕は彼を生かしていることになる。いわば僕の生を彼に与えるのであって、その引き換えとして、彼が僕の生を僕に返してくれるんだ」

    この作品、物語の細部が抜群に面白いので、興味を持った方はぜひ読んでみてください!
    「色彩ダイエット」かー (笑)

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