ガラスの街 (新潮文庫)

制作 : Paul Auster  柴田 元幸 
  • 新潮社
3.63
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本棚登録 : 801
レビュー : 84
  • Amazon.co.jp ・本 (251ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784102451151

感想・レビュー・書評

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  • あんまり凄さがわからなかったなぁ。物語真ん中くらいまでは引き込まれたけど、途中からよくわかんなくなってった。
    結局、誰にもなれなかった喪失の物語?

  • 久しぶりに読んだ翻訳本。
    オースターのデビュー作。結末の無い、妄想の物語。
    ミステリーの形式を取りながら、謎は解かれない。いや、そもそも事件さえ起きない。奇妙な登場人物達は次々に姿を消して行くばかり。。。
    イヤー、苦戦した。
    書きたい、書かなきゃいけないという想いばかりで書かれ、読者が置き去りにされている。
    凄さは感じるが、とにかく判らない。言葉の不確かさ、人間の不条理、都会の孤独、様々なものが織り込まれ、主題が定まらない。
    如何にもデビュー作という感じ。

  • 20年以上前に『シティ・オブ・グラス』で読んだ記憶がうっすらとあるんだけど、柴田元幸の新訳版ということで改めて。きっと昔読んだときもあんまりよくわかってなかったと思うんですが、改めて読んでも、面白いんだけど、どうしていいかわからない、って感じ(苦笑)。

    主人公は作家で、本名、ペンネーム、自分の作品のキャタクターが混在し、そもそも自分が何者であるのか曖昧になっているところへ、探偵ポール・オースター宛の間違い電話に出て出来心でその探偵になりすましたことで、ますますわけがわからなくなり、さらに作者自身と思しき作家のポール・オースターという人物も登場、では語り手はこの作家オースターかと思いきや、無関係なその友人という謎の構造。

    不条理で、不可思議で、その雰囲気自体はとても好きなのだけれど、読んでいてとても面白い部分と退屈な部分のムラがあって、終盤の急速な収束の仕方にはちょっと拍子抜けかも。依頼人の話や、尾行する相手の狂人なのか天才なのか紙一重の思想(ブラックウッドの「人間和声」とちょっと近かったかも)なんかはとても面白かったです。

  • 「そもそものはじまりは間違い電話だった」という、いかにもミステリーという書き出し。主人公ダニエル・クインは三十五歳。詩や評論を書いていたが、妻子を亡くしてからというもの文学的野心を見失い、今は匿名でミステリーを書いて暮らしている。世間と隔絶し、仕事をしない時間はニュー・ヨークの街を散歩する毎日だ。それが五月のある真夜中、電話で起こされる。用件は、ポール・オースターという私立探偵への仕事の依頼だった。間違いを指摘して切るが、電話はその後も続く。興味をそそられた作家は探偵に成りすまし、依頼者に会うことにする。

    出迎えた依頼者の妻ヴァージニアは魅力的な女性だった。しかし、その夫はすべての点において奇妙な若者で、その話たるや常軌を逸していた。カスパー・ハウザーの話を読んだことがあるだろうか。光と音の刺激を一切遮断した部屋で幼少期を過ごすことを強制され、物心ついてから外の世界に直面するという経験の持ち主だ。ピーター・スティルマンは二歳の頃、同名の父によって九年間暗闇に閉じ込められた後救出された。精神病院に入院していた父が解放され、自分を殺しに来るので見張ってくれというのだ。

    スティルマン・シニアはボストンの名家出身の秀才で元は大学教授。宗教学の著述もあり、将来を嘱望されたが、妻の死を契機に息子の養育という名目で退職、隠遁生活に入る。その著書『楽園と塔 初期の新世界像』には、新大陸は発見当初から第二のエデンと考えられていたことや、バベルの塔が崩壊した原因である言語の混乱は、アダムの堕落に重ねられること、つまり、真正の言語を復活させることができたら、新大陸は新たな楽園と化すだろうという、ヘンリー・ ダークなる著者による『新バベル 』という書物が紹介されていた。息子ピーターの幽閉は、人間が堕落する以前の神の言葉を発見することを意図しての実験だったのだ。

    小説の前半は、いささかエキセントリックではあるもののちょっと毛色の変わったミステリーとして読めなくもない。しかし、ニュー・ヨークの街 中を行方定めず歩き回る元教授の後を毎日尾行し続けるうちに作家は少しずつ変調をきたしてゆく。携行する赤いノートに教授の歩く道筋を記録し、図示してみると一日の道筋がアルファベットの文字のように見えてくる。連日の行程を順にたどると、“WEROFBAB”となる。“OWER OF BAB ” 文頭にT、末尾にELを添えれば、「バベルの塔」だ。

    ミステリーの読者は、探偵の眼を通して世界を見ている。当然のことながら探偵はどこまでも客観的であるよう求められている。でないと、読者は 犯人を推理するための正確なデータが得られないからだ。つまり、探偵はあくまでも視点人物であって、対象人物ではない。ところが、ある時点から主人公は視 点人物であることを放棄し、思い姫であるヴァージニアのため自分の命を賭して依頼者を守る騎士道物語の騎士のように振舞いはじめる。ドン・キホーテが騎士道物語の愛読者だったように、クインもまたミステリーの世界に耽溺する男だったのだ。

    この小説が、セルバンテスの『ドン・キホーテ』のパロディ或はパスティーシュであることは、作中に登場する『ドン・キホーテ』論を執筆中の作家 ポール・オースタ-が、「あの本は結局のところ、作り話の危険性に対する批判」であるとばらしているところからも分かる。そこで作家は、ドン・キホーテの真の作者について論じている。セルバンテスは、この本はシーデ・ハメーテ・ベネンヘーリによってアラビア語で書かれたもので、トレドの市場で偶然見つけたその原稿をスペイン語に翻訳させ、自分は編集しただけだと語っている。では、そのシーデ・ハメーテ・ベネンヘーリとは何者か。このあたりの『ドン・キホー テ』論は秀逸で、E・A・ポオやメルヴィル、果てはマルコ・ポーロの『東方見聞録』への度々の言及からも、ポール・オースターという作家が非常にブッキッ シュな作家であることを物語っている。

    つまり、いかにもミステリーめいた意匠を凝らしたこの小説は所謂メタ小説で、玉ねぎの皮をむくように、どこまで皮を剥いていっても、作家が書 くことの中には真実などない、ということを意を尽くして言おうとしているのだ。小説の語り手は最後になって登場する作中の作家オースターの友人で、オースターからこの話を聞かされ、クインの居所を探し、部屋に残された赤いノートを発見する。それに基づいて執筆されたのが、この小説であり、事実以外は書かれていないというのだが、はたして誰がその言を信用することができるだろうか。登場人物である作家オースターは、『ドン・キホーテ』について以下のように語っている。

    「いずれにせよ、本に書いてあることは現実だという建前ですから、物語を書いたのはそのなかで起きる出来事の目撃者でなくてはいけません。ところが、著者と称されているシーデ・ハメーテはまったく登場しません。一度たりとも、出来事が起きた場に居合わせたと主張したりもしません。」

    作中にも登場する妻、シリと出会えなかったら自分はどうなっていたか、という設定で著者は、この小説を書いたという。つまり、妻子を亡くした主人公クインは、著者の「可能態」であった。ポオの「群衆の人」にはじまる、都会の雑踏に紛れ、自分自身を滅してしまいたいという願望は、都市に住まう孤独な人間の心に宿る最後の願望なのかもしれない。クインの孤独は他人事ではない。愛する対象を亡くした、或ははじめからそんなものを持たない人間の孤独を都市は許容する。誰も自分を知らない街の中で、人はどこまでも堕ちてゆくことができる。ニュー・ヨークという都市の非情さと、それゆえにそこでしか生き られない人間存在の孤独を突き詰めた傑作。ポール・オースターの訳者として定評のある柴田元幸氏の新訳によるオースターの小説デビュー作の文庫化。

  • ニューヨーク三部作の第一作目。バベルの最後の二文字EとLや第二のスティルマンなどの伏線がどうなるのかも知りたかった。第三作『鍵のかかった部屋』も読みたい。

  • 角川文庫から出ていた『シティ・オブ・グラス』の新訳版。翻訳は柴田元幸。
    1本の間違い電話から始まるミステリアスな物語だが、ミステリではない。『訳者あとがき』にあるように謎は解決されないし、合理的なオチも無い。
    当初はミステリとして紹介されたようだが、柴田訳で読んでみると確かに『何でこれをミステリとして紹介しようと思ったんだろう?』。
    角川文庫版も家の何処かにあった筈だが、あんまり印象に残っていないのはそのせいだったのだろうか……。

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