わたしがいなかった街で

著者 :
  • 新潮社
3.20
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本棚登録 : 616
感想 : 102
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  • Amazon.co.jp ・本 (239ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784103018322

作品紹介・あらすじ

2010年の世田谷から、1992年のユーゴスラヴィアで、そして1945年8月14日の大阪で-。1945年に広島にいた祖父。大阪で生まれ育ち、2010年の東京で一人で暮らす36歳のわたし。無職生活を続ける友人の中井、行方不明の「クズイ」…。戦争や震災など過去の記憶と、65年前に書かれた作家の日記が交錯し、現実の時間が動き始める。読むものを深い思索へ誘う傑作小説。

感想・レビュー・書評

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  • 朝日新聞をはじめ、あちこちの書評やコラムで絶賛されていて気になっていたこの本。

    深く心に沁みる、引用したい言葉にはたくさん巡り会えたのですが
    主役がめまぐるしく交替していくうち、最初のヒロインがいつのまにか姿を消したり
    それぞれが抱える問題がことごとく宙ぶらりんのまま終わったり、と
    あまりに文学的な実験に満ちていて。
    「物語」がどうしようもなく好きな私には、
    え? ヒロインはこの先どうするの?などと気になって、消化しきれないというか
    とりあえず飲み込もうにも、喉もとでつっかえてしまうような、敷居の高い作品でした。

    広島に原爆が投下される直前まで、祖父が爆心地でコックをしていたのを知り
    もし祖父がもうちょっと長くそこで仕事をしていたら?
    あるいは原爆の影響で、祖母のおなかから母が生まれ出なかったら?
    などなど、偶然の積み重なりによって自分が生まれなかった可能性をいつも思い描き
    人とのコミュニケーションにはっきりと苦手意識を抱いたまま
    暇さえあれば戦争や殺戮のドキュメンタリー番組ばかり見ている砂羽。

    自分の足元や、住んでいた場所、行ってみたい場所の中に
    必ず死や破壊の匂いを嗅ぎ取ってしまう彼女は
    クリックひとつで人やものを動かすことが普通になっている世の中に疑問を抱き
    運命のいたずらによってたまたま生きていると感じてしまう寄る辺なさに支配されていて

    そんな気持ちはわからないでもないのだけれど、
    私は誰? 存在って何? とぐるぐる悩んでいるよりは、
    未熟でも猫の手以下でも、今できる何かをしていたい、と私は思ってしまうので。。。

    幸せな結末が大好物な、脳天気な私のような読者ではなく
    直木賞よりは芥川賞、読後感のよい物語よりは実験的な意欲作が好きな
    文学に精通した方のための作品、という気がします。
    尊敬するブクログ仲間さんだったらどう読まれるのか、気になる本です。

    • まろんさん
      だいさん☆

      私の拙いレビューをきっかけに、わざわざ読んでくださったのですね。感激です!

      書評では、確か、独自の視点がすばらしい、とか
      今...
      だいさん☆

      私の拙いレビューをきっかけに、わざわざ読んでくださったのですね。感激です!

      書評では、確か、独自の視点がすばらしい、とか
      今までの文学を覆すような構成とか書かれていていたような気がします。
      2012年に刊行された作品の中で特筆すべきものとして挙げている方もたくさんいたので
      どうしよう、私には受け入れられなかったけど。。。とおろおろしていたのです。
      勉強家のだいさんに、「不完全燃焼という感じ、良く分かりました」と
      言っていただけて、なんだかとてもほっとしました。
      ありがとうございます(*^_^*)
      2013/01/19
    • だいさん
      こちらこそ
      丁寧にコメントいただきありがとうございます。また、書評の紹介も、参考になりました。

      本を読むことは、著者との対話と思うと...
      こちらこそ
      丁寧にコメントいただきありがとうございます。また、書評の紹介も、参考になりました。

      本を読むことは、著者との対話と思うときがあります。著者(の考え)は日々変化しますし、読者(の考え)も変わるでしょう。なので、ミスリーディング“おおいに結構!”と思うのです。
      ですが、このレビューには まろんさん の迷いが感じられたので気になりました。
      この作品は、「加藤美奈」だったのかもしれない?
      (読後感が)良くても、悪くても、一生懸命な まろんさん のレビューとても好きですよ!


      >独自の視点がすばらしい
      ⇒書評した人も自分の考えと違うと思っている
      >今までの文学を覆すような構成
      ⇒めちゃくちゃな配列だと考えた、ということでしょう
      >2012年に刊行された作品の中で特筆すべきものとして挙げている方もたくさんいた
      ⇒珍しいもの、怖いもの見たさ、ですかね?

      と批判的に取れないこともないですよネ
      2013/01/19
    • まろんさん
      だいさん☆

      そうなのです、このレビューは迷いに迷って、うんうんうなりながら書いたので
      それをちゃんと読み取って、だいさんが気にかけてくださ...
      だいさん☆

      そうなのです、このレビューは迷いに迷って、うんうんうなりながら書いたので
      それをちゃんと読み取って、だいさんが気にかけてくださったこと、とてもうれしくて。

      私が大絶賛と思い込んで、そのせいで
      「どうしよう、こんなふうに受け入れられなかった」と悩むきっかけになった書評を
      別の角度から冷静に分析してくださった、このコメントのおかげで
      なんだか憑き物が落ちたみたいに、救われました。
      迷ってばかりのレビューを好きと言ってくださって、ほんとうにうれしいです!
      ありがとうございます(*'-')フフ♪
      2013/01/20
  • 離婚して間もない契約社員4年目の平尾砂羽36歳、すこし変わった感性の 生き方に少し不器用な女性。そんな彼女がまあまあ気軽に話せる人たちが又魅力的に感じられる。大阪弁の何気ない会話と何気ない文章にテンポよく引き込まれて読了。これって新手の反戦もの?とも読みとりながら読んだ。作者30代最後の時の作品だけど、作中の会話や状況描写などのスタイルは変わらず魅力的♪

  • 著者の世代の戦争感が窺える作品なのかもしれない。

    今住んでいる街、生まれ育った街、東京の街、祖父母達の世代には戦争があった。戦時中の街は、空襲で焼け、爆撃され、多くの人が死んだ。もし祖父母が戦争の犠牲になっていたなら、今の私は生まれていない。
    父と戦争のドキュメンタリーを見たときのこと、私とは無関係に、人々は死んでいった。
    どちらも、今の私が存在しない時間、私がいない場所で、起こったことである。
    そして、現在の私は、戦争のことを考えている。

    わたしがいなかった
    過去形である、これからのことではない。

    わたしがいなかった街で、戦争があり、人が死んだ。
    結末は知っている、それでも何度も確かめる。
    パラノイア

    わたしがいなかった街で、友人の妹は、慰霊碑を見た。
    犠牲者に花をささげる人があった。
    体験談は現実で、リアルであった。
    パラレルワールド


    空中に浮いたような(気分が)現実感がないように思えた。

  • 『自分たちの世界にあるものは、誰かがすでに作って手軽に楽しめるように用意されているもので、それらに触れるとそれなりに感動したり喜んだりして、でもその感じは長続きしない。そうしてまた誰かがいいと言っているものを確かめに行くことを繰り返すだけなんだけど、でも、今のこの楽しさは嘘でもない』-『わたしがいなかった街で』

    柴崎友香の感じているらしい、この世の中、あるいは自分自身の人生というものに対する漠とした違和感というものを自分もまた感じ続けてきたような気がする。それは、何かに熱中していても常に誰かに冷水を浴びせかけられるのではないかという類いの、決して根拠のある訳ではない畏れだったり、何か別の選択肢があった訳でもないというのにどこかここではない場所に対するあいまいな思いであったりもする。そんなものを気にしても仕方がないし、多くの人々は気にしている風でもないけれど、それをうまくうっちゃることができないのである。

    それにしても、柴崎友香の文章は、ますます物語性のようなものが削ぎ落とされ、ひたすら回り続けるカメラのように周囲の風景を撮り続けるドキュメンタリー風になってゆく。まるでそうすることで、自分が今ここにいるということを定着させ肯定しようとするかのように。そう書いてみて、それはそのまま自分自身が本を読んでこんな文章を書きつけている行為の意義付けのようでもあることに思い至る。

    何もかもが読み手の読みたい気持ちの投影ということもないだろうとは思うけれど、本を読むという行為は結局のところ自分の中にある自分自身も気づいていない思いや考え、感情などというものと向き会ってしまう行為なのかと、改めて思う。もちろん、そんな風に自分自身に向き合っているということに気付かせてくれる作家ばかりでもないのだけれども。

    柴崎友香は決して大げさな文章で読むものを振り回すわけでもないのに、静かにこちらの脳の中に忍び込んで来る。気を付けていないと、たった今読んだばかりの文章が何を言っていたのかさえ覚束なくなるくらいに控えめな文章であるというのに。少しずつ頭の中に入ってきて、折角目につかないところにきれいに収めておいたものを次々に開封しては脳のあちらこちらに散らかしては様々な思いを同時に立ち上がらせる。それもこれも柴崎友香が体から脳への入力と出力の関係に敏感だからであると思う。何度読んでみても、柴崎友香は身体性に優れた作家で、であるからこそそんな目に合うのだろうと思う。

    自分の記憶のどこにも親和するところのない筈の大阪弁が、頭の中で不自然なイントネーションで立ち上がりながら、それでも不思議な懐かしさを引き出してゆく。柴崎友香は裏切らない。

    • だいさん
      >物語性のようなものが削ぎ落とされ、・・・ドキュメンタリー風になってゆく。

      同じように感じました。
      >物語性のようなものが削ぎ落とされ、・・・ドキュメンタリー風になってゆく。

      同じように感じました。
      2013/01/22
    • ぱとりさん
      だいさん、
      コメントありがとうございます。
      柴崎智香はずっと好きで読み継いでいる作家で、同じように感じていただける人がいるとうれしい限り...
      だいさん、
      コメントありがとうございます。
      柴崎智香はずっと好きで読み継いでいる作家で、同じように感じていただける人がいるとうれしい限りです。
      2013/01/25
  • 明示された語り手・砂羽の意識が、戦争の記述を通じて複数の「わたしがいなかった」場所・視点に拡散されていく。

    わたしがいなかった過去や、いなかったかもしれない現在、会ったことのない人について語ることで、その場所が立ち現れ、その人の視点に憑依する。というのは、言葉(差異や他者)が視覚的認知に先立つということ。それは時間軸を含んだ視覚において日常的に遭遇していることであり、もしかすると小説の機能そのものかもしれない。
    まだ整理がついていないのだが、少なくともこの小説には“小説にしかできないこと”が書かれている。最近の作品は読んでいないので当然だが、『青空感傷ツアー』の頃に抱いていた柴崎友香像は完全に崩れた。他者への憑依、視点の拡大、言説的認知。これほどまでに同時代性や言語表現、実存に対して鋭い視線を携えた小説家に出会えたことを嬉しく思う。

    くだらない話だが、三島賞は『わたしがいなかった街で』と『私のいない高校』のW受賞にすべきだった。いずれも日本文学史に深く刻まれるであろう作品。ふたつの“私”の登場は、かつてのW村上のように、極めて象徴的な事件だと思う。多分に直感に依る。

    • だいさん
      砂羽の持つ疎外感、結末での葛井夏の羽化、と私は感じたのですが、
      なぜ、戦争を題材に選んだのかが分からない。

      貴殿のレビューが一番ジン...
      砂羽の持つ疎外感、結末での葛井夏の羽化、と私は感じたのですが、
      なぜ、戦争を題材に選んだのかが分からない。

      貴殿のレビューが一番ジンと来ました。
      2013/01/22
  • 今時の小説によくあるパターンであった。

    契約社員のバツイチ女性が、目の前の現実や自分というものにリアリティーを感じられない。夢中で観てしまうのはテレビや携帯の液晶画面に映じられる戦場のドキュメンタリーだけ(このあたりから、少しありきたりでなくなる)。どうして夢中になって観てしまうのか、自分でもわからない。

    私(レビューを書いている私)は、先週の日曜日、朝日日経毎日の三紙の朝刊を買った。ご贔屓だった週刊ブックレビューが打ち切りになってしまい、また、忙し過ぎて書店ウォーカーしてる暇も近ごろまったくない。私は読むべき本に飢えていた。貪るように読んだ各紙の書評欄は概してつまらんものばかりだった。

    ひとつだけ、評者のことも評されている本も著者のことも全然知らない一冊があった。知らない誰かが知らない誰かの一冊を、「激賞」と言っていい勢いで褒めちぎっている。「<いま>だから書かれなければならなかった傑作である」って、そこまで言うかね。だが、私は騙されたた積もりでこの勢いを信じてみることにした。「イイネ!」みたいな軽いタッチの情報ばかりが氾濫している今、熱く一冊の本を推す言葉は新鮮ですらある。
    私には、この物語がよくあるワタシがわからないワタシの自分探しや、非正規雇用の私には社会がリアルじゃない、目の前の現実に手ごたえがない、だからひたすら回想と妄想に耽るだけ、という今時のありきたりな話だけじゃない、そうではない何かがあるに違いない、という予感に賭けた。

    回想妄想は延々と中弛みじゃないかと思えるくらい続く。
    原爆投下の二か月前まで爆心地のホテルで働いていた主人公の祖父。もし、もう少し後まで祖父がそこに勤め続けていたらと、彼女は妄想する。以前住んだ錦糸町の公園は、大空襲の犠牲者の埋葬場所だった。今住む世田谷の家は、やはり空襲で焼けた跡だが、その片鱗はなにも残っていない。生まれ育った大阪の京橋や大阪城の近くも空襲された。
    それらはみな、私の街なのに「わたしがいなかった街」だ。
    なぜだか理由もわからず受験生時代から夢中で見続けている旧ユーゴやイラクの戦場ドキュメントも「わたしがいなかった街」の戦場だ。
    そんな主人公自身にもなぜだか解らず、ましてや他人には解ってもらえない「わたしが居なかった街」の感覚が、飽きあきしながら読むものにも徐々に浸み入ってくるから不思議だ。それは単なる<個>の回想ではなく、より普遍的な<歴史>と<世界>にシンクロさせようとする著者の根気強い意図のなせる技かもしれない。
    その意図がどれほど効を奏したか、あるいは何かあるに違いないと感じた私の予感はどれほど当たっていたか、それは読むものが各々読んで感じるしかない。

    著者の意図は最後の最後、リアリティと繋がり感の欠如した現代にある一石を投じる。
    だから最後まで読むべし。
    そして各々感じるべし。そうとしか言えない。

  • 2010年の東京、世田谷にいるわたしは1945年8月14日の空襲を想う。10年来の知人、中井はいつまでもフラフラしている。かつて一緒に写真を学んだクズイは行方知れずになっている。クズイの妹は塾の室長として働いてる。
    わたしはテレビで遠い国の戦争や紛争の映像を見続ける。
    わたしは偶然の意味を考え続ける。

    ---------------------------------------

    ”子供でも、犬とか猫とかでも、見てるのはかわいいけど、あんまり触れない”(P88より引用)

    ”大半の人とは、会わないまま死んでいく。連絡を取ることも噂を聞くこともなく、中には知らないうちにほんとうに死んでしまう人もいる。だとしたら、会うことがない人と、死んでしまった人と、どこか違うのか。”(P168より引用)

    自分が普段感じているようなことを、砂羽さん(わたし)は何度も何度も頭のなかで考えていた。まるで代弁してくれているかのようだった。
    自分がいる場所、そしてこの瞬間。自分がいない場所、今とは別の時間。繋がっているのはわかるけど、何の意味があるのか。そこに偶然居合わせた人たちとの繋がりに意味はあるのか。
    こんなことを考えたところで答えはでない。この物語も大きな展開がないまま終わった。
    けれど、何の意味もないとも言い切れない。その偶然は必然だったのかもしれないし、違うかもしれない。
    なんなんだろう、この感覚。
    かつて誰かが生きていたから、今の私は生きている。

  • *2010年の世田谷から、1992年のユーゴスラヴィアで、そして1945年8月14日の大阪で―。1945年に広島にいた祖父。大阪で生まれ育ち、2010年の東京で一人で暮らす36歳のわたし。無職生活を続ける友人の中井、行方不明の「クズイ」…。戦争や震災など過去の記憶と、65年前に書かれた作家の日記が交錯し、現実の時間が動き始める。読むものを深い思索へ誘う傑作小説*

    現実感も、つかみどころもない小説でした。賛否がはっきり分かれそうな世界観。私には全く融合せず。

  • 寝ても〜は❌、春の庭は⭕️だった。ちょうどその過渡期にあたる作品、苦悩するようなタイプにも見えないがいろいろな試みがなされているように思う。
    先ずは「わたし」語りの展開、表題にもかかわるのだが一人称のわたしが時間の縦軸を超え「いなかった」時へと拡がって行く。そしてゴースト的存在の夏へと憑依し最も印象的な風景を他者の目で見た後にラストにはフッと消え去ってしまう演出は計算と言うより天賦の才だろう。
    電光板を写真に収める時にシャッタースピードを遅くするように癖のある文体や人物像を読み取るためには少し技術が必要なのかも知れない。しかしそうしてでも触れたい感性がここにある

  • 他の方も印象に残っているらしいこの言葉が、私もこの作品の中で一番印象的だった。
    「あなたはね、自分のそういう気持ちを言いたくて、聞いてくれる人を探してるみたいだけど、誰かに話を聞きたいとは思わないの?なんていうか、自分の考えに合うことだけを探してるようにも見えるんだよな。」
    一番仲の良い友人の父親に言われる主人公。なるほど、自分でも理由が判らないままに戦争に関するドキュメンタリーをひたすら見続け本を読む人に向けられた言葉ではあるものの、他の人にも当てはまる。
    他に印象深いのがこの友人との電話のシーン。
    「わたしに対して、むかついてる?」「うん。それなりに」「そう」
    「むかついてるかって、聞いてくれて、ありがとう」
    なんかいいな、と思った。
    全体的には特に山場も何もなくて日常が日記のように淡々と進んで行く小説。だから読むのに凄く時間が掛かってしまい、読後の余韻は良いような気もするけれど、これオススメ!といえる本ではないかな。
    非日常を楽しみたいときに読む本ではない。独特の雰囲気をじんわり味わいたい方に。

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著者プロフィール

柴崎 友香(しばさき・ともか):1973年大阪生まれ。2000年に第一作『きょうのできごと』を上梓(2004年に映画化)。2007年に『その街の今は』で藝術選奨文部科学大臣新人賞、織田作之助賞大賞、咲くやこの花賞、2010年に『寝ても覚めても』で野間文芸新人賞(2018年に映画化)、2014年『春の庭』で芥川賞を受賞。他の小説作品に『続きと始まり』『待ち遠しい』『千の扉』『パノララ』『わたしがいなかった街で』『ビリジアン』『虹色と幸運』、エッセイに『大阪』(岸政彦との共著)『よう知らんけど日記』など著書多数。

「2024年 『百年と一日』 で使われていた紹介文から引用しています。」

柴崎友香の作品

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