- Amazon.co.jp ・本 (248ページ)
- / ISBN・EAN: 9784103025511
感想・レビュー・書評
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最後の最後にぐっとくる
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小島信夫氏の初めて読んだ作品。
通勤時間にちまちま読んでは駄目だと痛感した。物語は思うがままに話が変わる。ちまちま読んでいたらこれに追いつけなくなった。しっかり時間とってこの作品に向き合わなければならない。星乃珈琲店でコーヒー三杯を共にして読み切ることができた。一気に読めて良かった。
『寓話』も『菅野満子の手紙』も読んだことないから全然分からないことは多々あったけど、それでも面白いのだ。作者である小島氏の私生活そのままを書いてるの?それとも全部がフィクション?と思いながらもいやいやこれは小説でしょうと思い、メタフィクションの中のメタフィクション、そのまたメタという具合の重層感と物語の世界に迷い込んだ感がとても新鮮で面白い。久しぶりの素晴らしい読書体験であった。 -
この作品を評価できるだけのものが自分の中にない。
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90だもんな。90過ぎて小説書くってどんなだろう、と思って読んだのです。文学だなぁと思いました。
世の中には「文学」なるものはなくて、「文学する」という人の営みがあるんだ、というのはうちの師の言い分ですが、だとしたら、文学70年やるとこうなってくるんだなぁ、という感じ。具体的にどうこうとは言えませんよ。具体なんぞお役所の書類に任せておけばよろしい。お墓を区画整理しますとか。国民年金は免除してあげますだとか。
文学が「人を書く」ことだとすれば、ひとつの結実だと思っていいんじゃないかと思われた。自分の昔の作品の話だとか、身辺で起こることだとか、そういったなにもかもをひっくるめて、小説って云うのは結局自画像を書き続けることなんだ、と。そういう答えもアリなんでしょう。
ここから保坂さんの『小説の自由』を読んでみようかしらんと思っております。
なお、90歳の書いたものという観点からすると、散歩に出かけて、なんでもなくくづおれる部分の書き方、なるほどなと思いました。えー、引きます。
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翌日昼すぎに気分がよくないので活を入れようとしていつものコースへ出かけた。途中から自由がきかず前のめりになりはじめた。これは危いと思って階段の真中にとおっている手すりにつかまりながら依然として前のめりになるがこのまま最上段へ何とか辿りつこうとして足をのばしては手すりを前より強くこすっていたが、進んだかただ前のめりになっているのかよく分らなくって、それでも最後の一段までやってきて歩き出そうとしたとき、いよいよ前のめりは強くなり、そのまま身体全体が走り出し、前倒しになり、
こうなったら頭というか 顔というか、停め易いところをコンクリートの地面にぶつけてやっととまった。手を使おうとしても力が出ないのでそのままの姿であえいでいた。
(中略)
というと、その人は階段を駆け降りていった。自分でいった通り膝をつくことが出来、片手で目の前のレンガの壁に左手をつき残った右手も使って立ち上ることが出来た。あとはドアをあけて出てきた娘の身体にもたれかかってそれでも倒れながらいっしょにひっくりかえった。頭の左半分で地面に支えてもらおうとしたらしい。血だらけになりながら、
「眼鏡がくいこんでいるらしいが、たいしたことではない」
といった。
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自由を失うさまを、若者は、こうは、書けません。 -
なんて読みにくい(笑)
いろんな気付きがあった。
印象に残ったのは、「全部引用する」という考え方と、菅野の手紙の「登場人物が使って下さい」とやってくるというエピソード。
最近、あひるの空のベストセレクションを読んだので、そことつながった。作家は、自分の中の記憶や性格や印象を断片的にちりばめて人物を描いて、何度も出会うのかもしれない。そいつと、自分と。
安部公房が「文学は、世界をつくって提供する。意味になる前の実態を提供する。」と言っていたが、そんな感じの作品だった。「記憶を集合させて、刹那の感情を解釈する前に提供する。」そんなイメージ。文学って読むものではなくて、感じるものなのかもしれないのかなと。とってもおもしろくい友人からオススメされたので、その人とこの本について話したこともめちゃくちゃ面白かった。何を想像しながらこの本を人は読むのだろう。ひっかかりの多い1冊。 -
札幌などを舞台とした作品です。
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小島信夫が90歳で書いた遺作。
正直小説のとしての評価は如何なものか。
裏表紙には「最高傑作」とあるが・・・。
メタフィクション(小説の小説)なので過去の作品をいくつか読んでいないとやはり面白味に欠けると思う。
何より人称の変化や時系列の繰り返しなど意図的な技法なのか、はたまた単なる痴呆による支離滅裂さなのか判断し難い部分がある。
筆者自身のあとがきを読む限りでは頭はしっかりしているようだが、解説を読むと少しその辺を疑っているのでは・・・という節が見受けられないわけでもないような気がする。
読み易い文体だったのにこれだけ難解なものに変異していて驚いた。
その辺はこの作品の中核をなしている保坂和志本人が解説しているそうだが・・・。
まあラテンアメリカ文学辺りを読んでいる人には気にならないかもしれないが、それでも作風の変化に違和感を覚えてしまった。
ただ90歳でこれだけの分量を書いた気力は心から賛辞したい。
相変わらずこの人の私小説を読むと家族や親戚が面倒だな・・・と思う。
またそのエグい部分をこれでもかと書いた小島氏はやはり面白い作家だった。
しかしこの作品自体の評価は微妙としか言いようがない。
最後に難しい判断材料を残されて呆気に取られた気分。
小説といえるのかも自分には分からないくらいだ。 -
よくわからないがスバラシイ
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やっと単行本化しましたね。31日発売ということで、明日店頭に並ぶわけですが、すでに文芸誌掲載時に読みました。ぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐる。読んでいて、面白いくらいに煙を巻かれるというか、誰が話していて、何の話をしていて、何を引用していて、何につながっているのか、わからなくなる。堕ちていくスパイラル。わからなくなるのに、何故だか気持ちよい。何故だか心地よい。不思議な文章。。90歳の紡ぐ文章。。(06/5/31)