- Amazon.co.jp ・本 (150ページ)
- / ISBN・EAN: 9784103032328
感想・レビュー・書評
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図書館に追悼コーナーがあって、手に取った。まさに、苦役列車。貫多の生活は、乱れ切っていて悲惨だし、根性もねじ曲がっていてうんざりする。
日下部のことが最初はキラキラして見える。出会いが嬉しくて彼を讃えるような気持ちだったのに、次第に噛み合わなくなる。生活レベル、育った環境が違い過ぎて、悪意がなくても相手を傷つけてることってある。それに対し、心の中で毒つきながら、善意の人を悪の道に引きずり下ろしたくもなる。ひたすら、性格がひねくれている。全然尊敬できない。でも、憎めない。不思議な読後感だった。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
小説でここまで爆笑したのは初めて。
主人公がさらけ出す内容はゲスで卑小なのに、
愛らしく憎めないところがある。
語り口が面白い。 -
西村賢太さんが亡くなった。
テレビに出ていたのは知っているが本は読んだことがなかったので読んでみた。映画化もされているようなのに記憶から抜け落ちてました。
読みやすかった。一気に読み終えてしまった。
主人公のダメっぷりが自分や知人に重なるようで冷汗が出る。でもちゃんと本を読んで、書いて、賞を取るまでになっているのはすごい。
これはほぼ西村さん自身の話なんですね。
周りから愛されるキャラだったと思うけど、若い頃は失敗や葛藤がいろいろあったんだねぇとしみじみ思う。
ご冥福をお祈りいたします。
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☆は4つ。 たとい芥川賞受賞作でも☆5つはちぃーとむづかしいのであった。
著者西村賢太19歳の頃の出来事を『曩日北町貫多の一日は・・・』という書き出しで綴り始めている。こういうとってもむづかしい、というかその昔は文語体としてのみ使っていた言葉をあちこちに散りばめて西村賢太の私小説は造られている。
のっけからそのようなむづかしい言葉が出てくると、読者はついと辞書をひいてしまうのであった。まあ、今時はPC/スマホとNETの時代なので、ぐぐる、というのが正しいのですかね。(で、曩日・・の意味は、自分で調べてくださいませね)
文中、自分のことをさして「根がスタイリストにできているから」という表現をしばしば使っている。この言葉をカッコイイと言う読者もおられる様子だけれど、わたしはあんまし好きではない。スタイリストという言葉は、他人のスタイルを造る人のことであって、西村賢太の様に、実は自分はおしゃれなんだぜ、というような意味に使うことは、まあ現時点では間違っていると思う。でも、言葉は生きていてどんどん変わっていくので、この「根がスタイリストにできているから」というのもそのうち正当な日本語としての市民権を得てしまうかもしれんね。
一方で非常に読むのに耐えない内容を、すらすらと書き綴って読み手の基を引いている。あからさまな性描写や暴力行為の描写、あるいはとんでもなくひどいレベルの罵詈雑言。この書き方は、西村賢太の最近著『一小説書きの日乗』を読むと、これはおもいきり意図的に計算づくで行われている作業なのだなぁと言う事が解る。
わかっても別にどうだというのではなく、そこが面白いからでの塵芥賞なのだと思うしそれでいいのだ。 すまんこってす。すごすご。 -
2011年の第144回芥川賞は二人の対照的な著者に送られた。一人は慶應義塾大学院で近世歌舞伎を専攻し、詩人を父にもち、親戚に政治家などもいてお嬢様とも言える朝吹真理子。そしてもう一人が本書の著者の西村賢太だ。著者の経歴は異色という言葉では言い表せないほどトンデモナイ。
父が強盗強姦事件を起こして逮捕されたと知り、中学校を不登校になり、成績が悪いため、高校は全寮制のところにしか行けなかったが、寮を嫌がり進学をしなかった。その後家を出て、安アパートを転々としながら、家賃滞納と強制退去を繰り返した。この間は、港湾荷役や酒屋の小僧、警備員などの肉体労働で生計を立てていた。また酔った勢いで暴力をふるい逮捕経験もある。
劣等感とやり場のない怒りを溜め、港湾の冷凍倉庫で日雇い仕事を続ける北町貫多、19歳。将来への希望もなく、厄介な自意識を抱えて生きる日々を、苦役の徒事と見立てた貫多の明日は――。現代文学に私小説が逆襲を遂げた、第144回芥川賞受賞作。後年私小説家となった貫多の、無名作家たる傍観と八方破れの覚悟を描いた「落ちぶれて袖に涙のふりかかる」を併録。解説・石原慎太郎
裏表紙より印刷
芥川賞の選考委員の一人である東京都知事の石原慎太郎の評価が本書はとても高かった。
小説の真価はたとえその、一部、そのフラグメントであろうと読む物が己の人生のある部分を照射され作品と重ねさせられる密かな響きにある。
と解説で述べている。
著者の人生のようないわゆる最悪な人生は誰もが恐怖を抱くが、そんな人生の底辺を隠すことなく、私小説の世界でさらけ出していることに読者は魅力を感じるのかもしれない。「こんなの小説の世界だけだよ」ってよく言うが、私小説だけにリアリティがあり、読んでいて響くものがあると感じた。読んでいて楽しい本ではないかもしれないが、一人の人間の「裸」を覗ける面白い本である。 -
・読後大変なダメージを受けた。どれだけの読者が貫多側で読むのかわからないけど、完璧に貫多側で読んだ。ひたすら主人公の情けなさをさらけ出し続ける私小説。
・自分も高卒で30超えた今でも何もしないくせにコンプレックスばかり膨れ上がっているのでわかり過ぎて痛かった。それなのに、この貫多よりはマシだと少し考えてる自分もいてそれも痛すぎる。
・内容は異なるけど、肥大し過ぎた自尊心を描いた山月記に近い読後。ダメージは遥かにそれ以上。
・親が性犯罪者だったり夜逃げしたりにはあんまり興味は無いんだよな。それが無くても主人公のねじ曲がった人格だけで十分なんだけど、言い訳じみたそれを臆面無く書かずにいられないさらけ出しっぷりにも色々感じた。 -
芥川賞の受賞会見での受け答えがユニークだったので、相当期待して、この本を手に取った。あっという間に、読み終わる。ぐいぐいページをめくらせる。
なぜか?
独特の言葉のリズム、言い回しもさることながら、主人公・北町貫太のキャラの立ちっぷり。「私小説」と帯に書かれてはいるが、まさか、これが実話なわけないだろうと思いながら、読み進めた。読み終わって、ネットで作者の来歴を調べる。どうやら実話らしい。素直に驚きだ。
そして多分、作者・西村さんは、いろんな人からの賛辞を基本的に拒否するんじゃねえかなあと感じる。特に、私なんかダメだろうなあと。会ってみたいという想いと、拒否られるだろうなあというところで、多少揺れた。近いうちに会える気もするけど、そのときに備えて、ほかの作品も読んでみたい。
貫太の語りに、飽きるかもしれない。それでも飽きるまで、とことん付き合ってみたいと思わせる作家。同時収録「落ちぶれて袖に涙のふりかかる」も秀逸じゃないか。まるで安吾みたいだ。だけど西村さんには、安吾にある甘えが感じられない。
久しぶりに、芥川賞作品で読むに値するものを読んだ。 -
現代の蟹工船!と帯がついていたので読みましたが、そんな感じではなく、著者の私小説でした。
使用者と闘うワケではなく、消化できない怒りや苛立ちを、日雇いの給料で買う安い酒と、安さなりの肉欲の消化方法で誤魔化すだけの主人公。その日常を書いただけの私小説。
時々そんな環境から抜け出そうと思うも、自堕落すぎて上手くいかない主人公にちょっぴり自己投影しました。
ただ、表現は綺麗で、古い言い回しをあえて使っているのと思われますが、読んでいて飽きさせない文章でした。
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単行本が手に入ったので二度目。
・苦役列車
・落ちぶれて袖に涙のふりかかる
やっぱり面白い。 -
もはやエッセイかっていうくらいリアルだった
人生つらいよなあ