日本語ほど面白いものはない―邑智小学校六年一組特別授業

著者 :
  • 新潮社
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レビュー : 17
  • Amazon.co.jp ・本 (191ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784103039525

作品紹介・あらすじ

天才の柳瀬先生、すばらしい時間をありがとう-『チョコレート工場の秘密』の訳者が島根県の山奥・美郷町で学ぶ十六名の前で教壇に立った。さて、事の顛末は…。子供たちの可能性は無限大!感動の教育ドキュメント。

感想・レビュー・書評

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  • ちょっと休憩。島根県を柳瀬先生が気に入ってくれて嬉しいです。小学校の授業がこれだと本当に面白いだろうなあ。

  • 言葉と文字の教育について考える!

  • 昨年のお盆休み、パートナーの実家に帰省した際、島根県美郷町にある山の中にあるプールを訪れた。そのすぐとなりにあったのが邑智小学校だ。本書は、翻訳者であるところの著者が、その邑智小学校で日本語についての授業をされた記録と子どもたちからの感想文(お礼の手紙)から成っている。抜群におもしろい。一気に読んだ。これまで著者のことは名前しか知らなかった。読んだことがなかった。「チョコレート工場の秘密」ぜひ読んでみたいと思った。美郷町にもまた訪れたいと思う。そこで暮らしてみたいとさえ思う。パートナーはいやというだろうが。さて、私たちはそのプールに忘れ物をした。仕方がないので、次の日、再びプールまで往復した。車で片道30分ほどの道のりだ。実はそのとき大きな拾い物をした。道中で、柿本人麿と斉藤茂吉の名を冠した資料館を見つけたのだ。しかもたまたまその日は開館日。ほかに見学者がいない中、ゆっくりと資料を見せていただくことができた。その後、梅原猛氏の人麿論(水底の歌)を読もうと、古本屋で上下巻購入するも、未だ手を付けられていない。

  • 言葉を自在にあやつる翻訳者が小学生に授業をしたときの実践記録。子どもはよいものを得れば驚くほど伸びる、ということがよくわかります。楽しんで学ぶ、という日本の教育で忘れられがちなことが、見事に実践されています。読んでいると自分も参加したくなります。

    図書館の所蔵箇所:本館3階東閲覧室 

    請求記号:810.4||Ya

  • ホント日本語は面白くて天才だと思った!読みやすく、自分が使っている日本語だけれども知らないことがいっぱいあり、もっと知りたいと思う本でした

  • 言葉の大切さがしみじみと分かる本だと思う。「日本語は天才である」という筆者の言葉にもあるように、漢字の由来や日本語の言葉遊びなどに触れるうちに、どんどん言葉の世界が広がっていくことが実感できる。子どもたちがいろは歌を応用した言葉遊びに引き込まれていく様子が印象的であった。自国の言葉に対する理解や尊敬の念を持つことが、相手を大切にする関係性のあり方、そして利他的な心を養うことに繋がっていくのではないだろうか。教師という仕事のあり方について考えさせられた一冊。子どもって、本当にすごいな。

  • 著者の柳瀬尚紀さんは、映画「チャーリーとチョコレート工場」の原作「チョコレート工場の秘密」やジェイムズ・ジョイス「フィネガンズ・ウェイク」などの翻訳者。島根の「子どもの本屋さん」の働きかけで、”田舎”の邑智小学校で特別授業を行うことになった、そのときの記録である。

    「先生」が教えることの価値、というのを改めて感じた。

    本を読んでも知識は得られる。

    でも、先生が教えてくれれば、その人から教えられる知識を、有機的なつながりをもった「構造」として理解することができる。

    10個の新しい事柄を覚えた時、それぞれを無関係の個別の事柄として覚えれば、それはいつまでも10個の知識。

    でも、その10個をそれぞれ網の目のように関連するものとして理解できたとき、それは、ただの10個の知識ではなく、他に派生したり応用したりできる、自分で考えて別の知恵を生み出すことのできる知識になりうる。

    「先生」というのは教師の免許をもった人、という意味ではない。あふれるほどの知識を持ち、自分がもっている知識を後進の人間に、惜しみなく楽しく教えることのできる人だと思う。

    この日、子どもたちの「先生」となった柳瀬尚紀さんは、子どもたちがどんな質問をしても、 次々とそして思いもよらない答えをくれる大人だった。子どもたちは、びっくり箱みたいに思ったに違いない。自分を「天才」と呼ぶ大人を見たのもきっとはじめてだろう。そして、そんな大人が「どんどん間違えていい」「必ず大変なことに遭うけれど、でも、だいたい大丈夫」なんていうのだから、子どもたちはびっくりして、そしてすごく安心したに違いない。小学校6年、という「子ども」と「おとな」の端境期に、こんな授業を受けられたことは、すごく幸せなことだと思った。

    これまで子どもと接したことのなかった柳瀬尚紀さんが、はじめて接した子どもたちが”田舎”の子どもたちだった、ということも幸せなことだったと思う。この本にでてくる子どもたちは、今私が暮らす地区の子どもたちの姿に極めて近い。自然に囲まれ、ゆっくり丁寧に育つ。子どもたちの伸びていく姿がすがすがしかった。

    .

  • 著者は、翻訳不可能と言われた20世紀最大の小説『フィガネンズ・
    ウェイク』の翻訳で有名ですが、最近は、ロアルド・ダールの子ど
    も向けの一連の小説の翻訳に注力していたのだそうです。

    このロアルド・ダールの翻訳が縁になって呼ばれたのが島根県の過
    疎の村にある邑智(おおち)小学校でした。そこで16名の小学六年
    生を相手に二回の特別授業と、一回の空想授業(手紙の形式をとっ
    た紙上授業)を行うことになります。

    子供を持ったことがなく、学校で教えたこともなく、子供と関わる
    ことのなかった著者が初めて引き受けた小学校の授業ですが、この
    授業における著者と子供達との交流の様子がとにかく素晴らしい。

     生徒:今までで一番楽しかったことは何ですか?
     柳瀬:今までで一番楽しかったことは今ですね。

     生徒:今一番大事にしているものは何ですか。
     柳瀬:きみらに対して、ちゃんと誠実に答えられているかどうか
        が今一番大事。

    ここにあるのは、目の前にいる人とちゃんと関わり合おうとしてい
    る一人の大人の誠実な態度です。著者は子供を子供扱いせず、一人
    の人間としてきちんと向き合い、関わり合おうとしています。

    そうやって真剣に向き合い、関わり合う中で著者が子供達に伝えよ
    うとしたのは、言葉というものの持つ力であり、日本語の持つ可能
    性でした。『日本語ほど面白いものはない』というタイトルどおり、
    日本語ではこんなことができるんだと手を替え品を替え紹介しなが
    ら、言葉がいかに奇蹟的な存在であるか、中でも日本語がどれほど
    天才的な存在であるかを繰り返し語ってゆくのです。

    同時に、「間違えて、覚えて、また間違えて、覚える。どんどん間
    違えてください」と著者は子供達の背中を押します。「いいんだよ。
    まちがえて、まちがえて、生きてゆくのだから」と。

    言葉の力に触れ、間違えていいんだと解き放たれた子供達は、たっ
    た二回の授業で、驚くほど書く文章が変わります。例えば、二回の
    授業を終えた後に、岡山怜美(おかやまれみ)という子がつくった
    以下の文章。

    おおきなゆめをもちお
    かをのぼっていこうか
    やまにそびえるきぎや
    まちにともるあかりま
    れにみるかぜのながれ
    みなみらいのたのしみ

    文頭をつなぐと「おかやまれみ」となっています。授業で紹介され
    た言葉遊びを自分でも試してみたというものですが、小六の少女が
    こんなにも美しい文章を作れてしまう。この子だけではありません。
    他の子達の文章もどれも言葉が生き生きとしていて、素晴らしい。

    言葉が持つ力を教え、間違えてもいいんだと背中を押してやるだけ
    で、子供はこんなにも言葉の世界に開かれていくのですね。何か教
    育の本質を教えられた気がしました。

    著者の言葉遣いはとても誠実です。聞き手や読み手に対して誠実な
    のは勿論、言葉そのものに対してもとても誠実です。人間にとって
    最大の奇蹟である言葉の可能性をとことんまで追求する。それが言
    葉に対する最大限の賛辞であり、敬意の表し方なのでしょう。

    著者と子供達との交流に暖かな気分をもらえると同時に、言葉を大
    切にしよう、目の前にいる人を大切にしよう、という気持にもさせ
    られる一冊です。是非、読んでみてください。

    =====================================================

    ▽ 心に残った文章達(本書からの引用文)

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    一連のロアルド・ダール翻訳を世に出してみて、「子供」というも
    のは決して侮れないと知ったこともある。読者ハガキに書かれてい
    る感想の言葉がすばらしかった。工夫を凝らした訳語に対して、常
    識にとらわれない新鮮な反応が返ってくる。少年・少女というもの
    がどれだけの可能性を秘めているか、ぼくはいささか無知でありす
    ぎた。

    「言葉のはじまり」を考えるとき、ぼくの頭にはいつも、人間同士
    が共通に持っている気持、通じ合っている気持というものが浮かび
    ます。(…)なにかとても近い間柄同士で交わされている気持の通
    じ合い方があって、そんな中から言葉が生まれてきたのではないか
    とも思うのです。言葉はもともと暖かい関係の中から生まれてきた
    のではないか、そんなふうにも考えたくなるときがあるのです。

    言葉があるおかげでおたがいに通じ合える、言葉は他人に何かを伝
    える。そしてもう一つ、当たり前すぎていちいち意識しないでしょ
    うが、言葉は他人だけでなく、自分に何かを伝えるんですね。(…)
    つまり、ほとんど一日中、話相手がいなくても言葉といっしょなん
    ですね。いつも言葉がいっしょにいてくれるから安心できる。

    言葉は生き物です。ですから、大切に、ていねいに、使ってあげな
    くてはいけません。

    「本」という文字は、「木」という文字に横棒が一本ついています。
    この横棒は木の根もとを表します。本は、言葉を手に入れて文字を
    手に入れた人間の根もとになってくれるんですね。

    木の葉は次から次へと生い茂ります。言葉というものも、みんなが
    どんどんしゃべったり書いたりすることにより、言葉が言葉をどん
    どん生んで、葉っぱのように増えてゆく。「言葉」と書くようにな
    った理由は、だいたいこういうことではないかと、古い国語の学者
    たちは言っています。

    芥川の文章の中に、(…)「最大の奇蹟は言語である」という言葉
    があります。人間にとって、ほんとうに珍しく貴重な出来事は「言
    語」、言葉を持ったことだと言っているんです。

    「すごくいい」と言ったのは、言葉が、ええと、どう言ったらよい
    かな…言葉が、そう、きみらの瞳みたいに生き生きしてる。言葉が、
    きみらの瞳のように、ひたむきなんです。うそがない。ごまかしが
    ない。

    去年、坂井先生とゆっくりお話したとき、小六のきみたちについて
    こうおっしゃっていました。
    「みんな、力いっぱい遊んでいます」
    いい言葉だなあ、と、心打たれました。「力いっぱい」という言葉
    には、充実感があります。

    何が「本」で、何が「末」か。
    これはなかなか厄介な問題です。中学生になって、これからぐんぐ
    ん大人になっていくきみたちは、将来、この難問に出会うことがし
    ょっちゅうあるはずです。それは自分で決めなくてはいけない。自
    分で決めるしかない。
    きみたちなら大丈夫だと信じていますから、ああしろ、こうしろと、
    ぼくは言いません。

    きみたちなら大丈夫だと信じていますと言ったのは、きみたちの六
    年生のときの「学級目標」を知っているからです。目にしたとき、
    ぼくはほんとに感心しました。
    「利他の行動」
    「物事を追究」
    「力を出し尽くす」
    この三つですね。
    (…)
    この言葉さえ忘れなければ、これから先の人生で、何が「本」で何
    が「末」かという問題を正しく解いていけるはずです。

    強烈に印象に残ったボードレールの言葉があります。
     天才とは、随意に再発見される幼少期である。
    天才というのは、好きなときに好きなように思い起こす幼少期なの
    だ、と、天才詩人は言っているのです。

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    ●[2]編集後記

    ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

    台風一過。東京は完全に秋になりました。夏の間中咲き誇っていた
    百日紅の花もいよいよ終わり。柘榴の実が日に日に赤味を増してい
    ます。もう9月も終わり。今年も残り三ヶ月です。

    連休中、妻は娘と二人で出産の準備をしていました。いよいよ巣ご
    もりの構えです。巣ごもりの準備をする時のかいがいしさは人間も
    鳥もあまり変わらないようで、恐らく本能的なものなのでしょう。

    家の中の整理をしているのでゴミも出てきます。古くなって汚くな
    った木製のまな板を捨てようとしているの見て、これ削ればまだ使
    えるなと思い、娘を連れて近所のDIYのお店に行って、鉋をかけら
    れないかお願いしてみました。

    600円でやってくれるとのこと。ワクワクしながら一部始終を見守
    りました。するとどうでしょう。あんなに汚かったまな板が、鉋を
    かけるたび、まるで新品のように息を吹き返していくではないです
    か。伐り出したばかりのような新鮮な木の香りが蘇り、初めて見る
    鉋屑を鼻に押し当てた娘も、「木はまだ生きてるんだね」となかな
    か乙なことを言っていました。

    何年たっても、どんなに汚くなっても、削ってあげれば命を吹き返
    す木。そういう木の命を使わせてもらっているのだから、とことん
    使ってあげないと申し訳が立たないですね。

  • 「子どもの本屋さん」からの依頼をきっかけに、「チョコレート工場の秘密」の訳者が、島根県の山奥の小学校で特別授業を行った。日本語の素晴らしさを教わった子どもたちは、やがて…。感動の教育ドキュメント。との書評を見て読んでみたが……

  • とある小学校の特別授業を引き受けたというので、その顛末で本が一冊できてしまうという見本のようなもの。
    話題豊富な筆者ならではのネタがある。

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