- Amazon.co.jp ・本 (284ページ)
- / ISBN・EAN: 9784103054528
感想・レビュー・書評
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物乞いに身障者が多いことを調査 貧困の連鎖
物乞いのいりを良くするために赤子をレンタルするシステム詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
この循環…どうすれば?
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「貧困」が「貧困」を呼び起こし、さらなる悪循環を招いている。「正しき」経済発展と統治の絶対的必要性と、それを実行する困難性を深く感じた。
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アジアの各国における障害者の暮らしを辿る、というのが出発点だったという。しかし、インド取材の際に障害者の物乞いがあまりにも多いことに気づく。そして、物乞いの収益をあげるために手足を切り落としたり、目をつぶしたりするマフィアの存在を知る。さらには、女性の乞食に乳幼児を貸し出し、レンタル料を取るシステムさえもあった。
ルポではありながらも、本書では明確な問題提起はしていない。原因を探ることなく、事象面を追っているのだ。その課程は物語的でノンフィクションではないかと疑わせる。
しかし、自分の想像の範囲内だけでは世の中のすべてを理解することは出来ない。外在するものを自分の中に受け入れるためには、まず抵抗をなくすことだ。
本書は3部構成。2002年、2004年、2008年とムンバイを取材している。
3部すべてに登場する人物が二人いる。マノージとラジャである。
6年間における二人の生活の変化は非常に対照的だ。
マノージは筆者の通訳として登場する。幼い頃にマフィアに片目をつぶされた元浮浪児で、人々からさげすまれながら何とか生きている。英語が話せることと、その出自を請われ通訳となる。それが、2004年には廃品回収で生計をたてるようになり、2008年にはインドの経済発展の影響もあり工事現場で働く労働者となり、家も購入し結婚もした。
一方でラジャは、街でマフィアの庇護を受けない子供の物乞いたちのリーダーとして登場する。マフィアのような汚い大人にはなりたくないと強く吐き捨てながら、2004年には自ら青年マフィアの一員となり搾取する立場へと変針する。しかし、それもわずかのことで人間関係のミスで権威を失墜した彼は街を去る。 2008年、郊外の駅で再会した彼は死体すらも生計に利用する人物となっていた。
おどろくほどの落差だ。
両者に共通するのはある種のプライド。自分の欲のために他人を傷つけない。マフィアのようにはならない。
だが、苛烈な環境は二人を全く別の道を進ませる。
さげすまれながらも耐えて自分の道を見つけたマノージと、生き延びるために自分をごまかしながら落ちていったラジャ。そうしなければ、野垂れ死ぬしかなかったのだ。
本書はこういった状況を淡々と綴っている。
弱い者がさらに弱い者から奪う、悲惨で重苦しい状況である。
そういった中でも目を引く部分はある。
自分さえ生き抜くのが精一杯というのに死にかけた友人を気遣う物乞いや、まったく血の繋がらない同士がつくりだした親子関係など、強く他人を求める、あるいは求められることを望む姿だ。
他人との依存関係によって精神的なバランスを取っているともとれるが、根源的な部分で人は信頼関係を望んでいるものと信じたい。 -
ノンフィクションとしての内容うんぬんより、なぜかこの文体が面白くない。
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貧困とは、ただの貧しさではなく、
貧者が貧者を食い物にする、救いのない世界だと知る。
貧困を知らない自分たちには想像もつかない世界。
これまで、貧困と貧しさは同義だと思っていたが、貧困という時には、貧しさという言葉には含まれない構造的問題がある。
マフィアとは名ばかりで、無秩序なただのギャングであり、マフィアといっても金を持っているわけではない。
生きる術を他に知らない彼らは、彼らなりのやり方で、精一杯生き抜こうとしているにすぎない。彼らはにそうするしかない。
1年前にインドに行き、インドの貧しさに直面し、インドはこのまま変わらないのではないかと思った。インドは昔もこんなもんだし、10年後も20年後も変わらない思った。
でも、自分の観たインドは、ほんの表層で、
そして、10年前とは大きく様変わりしているのだとわかった。
きっと10年後20年後はまた変わっていくのだろう。
その中で、貧困の中にある人々は、流れに翻弄されていくのだろう。
すべてが良い方向に向かうことを祈ることしかできない。 -
インド・ムンバイでは、子供の身体を傷つけて物乞い、売春、路上生活、臓器売買・・・こうしなければ生きていけない子どもたちがそこらじゅうに溢れている。そうして路上で育った子供は成長して自分たちがされたことを繰り返す。強姦、生まれたばかりの赤ん坊の売買、違法取引・・・。生きるために、意地も、プライドも捨てなければならなかった・・・。
同じ時代を生きているのに、世の中にはまだ知らないことが沢山ある。
知らなさすぎることを、知る。その事実に驚愕させられる。
知ったからといってどうすることも出来ずに、只人・自分の無力さを感じる。 -
状況描写など、やや小説がかったところはあるが、それでもインドのスラム街を歩きまわって取材したリアリティは圧倒的。
帯の「執筆に10年をかけた渾身のノンフィクション」に偽りなし。
類書と異なる点は、貧困に置かれた人々と数年ごとに何度も会っているところにある。
貧困にあえいでいた子供たちがその後どう成長したのか、あるいはできなかったのか、という読者が非常に気になるところを丁寧にフォローしている。
子供だけでなく、筆者をサポートする三十代半ばの元浮浪児でもあるガイドの人生も追うことができる。
タイトルどおり、軽い本では全くないので、精神状態の悪い時に読むのはおすすめしない。 -
2002年、2004年、2008年とインドのムンパイを訪れ、最下層の貧民街を取材し続けたルポルタージュだが、まるでフィクションのように感じた。
語り方が読み物としてうまいせいもあるが、何より、あまりにも自分の現実と掛け離れすぎていて、実感がわくわかないどころじゃなく、これがリアルだ、と思えないのだ。
蛆と汚物にまみれた路上で垢と傷だらけになりながら薬物に溺れて生きる子供たち。
弱者が弱者から搾取し、憎悪と暴力の連鎖が途切れない世界。
喜捨を得るために子供の目を潰す大人と、他に世界がないため、自分を搾取する大人を慕う子供。
長じた彼らは搾取する側にまわり、女を強姦し、また負を抱えた赤ん坊が生まれる。
救いがないのは、搾取する者も決して富んでいるわけではなく、明日も知れない環境にあることだ。
このヒエラルキーは下層の貧民街の中から抜け出すことはなく、奪っても奪っても生活苦はなくならない。
彼らは、生まれ落ちた時からそう宿命づけられている。
それが現実だということがあまりにも遠い。なんて世界だろう。
自分を省みて比較するとか、そういうレベルを越えて、打ちのめされた。
憐れみよりも、感じたのは恐怖と異質さだ。憐れみを感じるには、もっと近づき、知らなくてはならないんだろう。
インドを少しだけ旅した経験があるが、そんな表面を撫でただけでは知りえない深部があったのだなと思う。
路上の物乞いも見た、垂れ流される排泄物の臭いも嗅いだ、そんなことであの巨大な国を見た気持ちになった自分が恥ずかしい。
こうしたルポルタージュを感情に流されず記し、発表した著者を凄いと思った。