浮浪児 1945-: 戦争が生んだ子供たち

著者 :
  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (286ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784103054559

作品紹介・あらすじ

終戦直後、焼け跡に取り残された多くの戦災孤児たちは、どこへ消えのか? 1945年の終戦直後、焼け跡となった東京は、身寄りのない子供たちで溢れていた――全国では、12万人以上。復興と共に街が浄化され、居場所を失い歴史から〝消え去った〞彼らを、残された資料と当事者の証言から上野を中心に現在まで追う。戦後裏面史に切り込む問題作にして、戦争が生み出したものを見つめなおす必読の書。

感想・レビュー・書評

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  • 一週間かけてじっくり(丁寧に)読んだ。《戦争を知らない子供達》このフレーズさえ古めかしくなった令和に生きる私達。でも戦災孤児と呼ばれた人達は紛れもなく一緒の時代を生きていた同胞だった。
    戦後の混沌とした世の中に、生きる術を持たない幼い子供が放り出され、それでもがむしゃらに生きたノンフィクションは胸を打つ。

  • 戦災孤児、という言葉は知っている。が、彼等についてのドキュメンタリー、ノンフィクション作品はその言葉の知名度の比にもならないほど少ない気がする。

    上野の地下道だって、小説や回想録で見聞きしたことはあるが、これを読むと風景がまざまざと浮かんでくる。今ではキレイに整備されてるが、通るたびに裏悲しい思いがしてならない。

  • 終戦後、戦災孤児の数は12万人、うち3割近くが浮浪児、その多くが14歳以下の小中学生だったという調査があるそうだ(おそらく実数よりは少ないと思われる)。
    中でも最も多く浮浪児が集まっていたとされる上野駅付近を調査の対象とし、5年ほどかけて丁寧に元浮浪児や施設関係者の取材を行い、『新潮45』に連載されたものを加筆修正してまとめたのが本書である。

    前半は過酷な浮浪児たちの暮らしぶりが描かれている。終戦直後ということもあり、現代とはあまりに状況が違っていて今ひとつ現実の日本の話としてピンと来ず、そうだったんだな、という感じにしか思えなかったのだが、後半、現在の彼らや、実際に彼らを保護した孤児院の職員が登場すると、今この時代に実在する人物として一足飛びに過去と現在が結びつき、彼らの生き様が鮮やかに現実のものとして立ち現れて一気に引き込まれた。

    戦争の悲惨さ云々といった当然の帰結よりもむしろ強く感じたのは、彼らの生き抜く強さ、人間としての強さだ。昭和の話とはおよそ信じられないほどの悲惨で過酷な状況を生きた子どもが、個々の事情こそ違えど、人として今も力強く生をつないでいる。
    現在問題になっている被虐待児などは、生の安全が脅かされる環境で生きてきた。そういう意味で、当時の浮浪児たちと環境は似ていたはずだ。今の被虐待児が示す深刻な状況を思うと、なぜ浮浪児たちはそうならなかったのかと不思議でならなかった。

    その思いに答えをくれたのが、当時私財をなげうって孤児たちを保護した石綿家の、現在80歳を超える三女、石綿裕さんだ。彼女がいみじくも語っていたのが、自分を支える人間の芯があった、ということだった。
    親または周囲の大人などから愛情をかけられて幼少期を過ごしたうえでの浮浪だったから、彼らには自分を支える芯が出来上がっており、だからこそ極限の状態になりながらも、必死に命をつなぎ強く生きて行くことができたのだ、というものだ。

    そう考えるとやはり、子どもを適切な時期に適切な環境で育てることがいかに大切かということに立ち戻っていく。
    現代の児童福祉の面でも、非常に多くの示唆に富んでおり、反戦の思いのみならず、子どもの育ちというものを改めて考えさせられた著作であった。

  • 4.01/316
    『1945年の終戦直後、焦土と化した東京では、家も家族もなくした浮浪児が野に放り出されていた。その数、全国で3万以上。金もなければ食べ物もない。物乞い、窃盗、スリ……生きるためにあらゆることをした。時に野良犬を殺して食べ、握り飯一個と引き換えに体を売ってまで――。残された資料と当事者の証言から、元浮浪児の十字架を背負った者たちの人生を追う。戦後裏面史に切り込む問題作。』
    (「新潮社」サイトより▽)
    https://www.shinchosha.co.jp/book/132537/


    冒頭
    『ここに、今から六十五年前に書かれた子供の遺書がある。
    太平洋戦争終結から間もない頃、少年が路上で自殺を図った際に遺したものだ。当時その少年は、浮浪児と呼ばれていた。』

    『浮浪児 1945-: 戦争が生んだ子供たち』
    著者:石井 光太
    出版社 ‏: ‎新潮社
    単行本 ‏: ‎286ページ

  • 『新潮45』に2012年5月から13年6月まで連載されたノンフィクションで、当時リアルタイムで読んでいた。主に上野の地下通路を根城にして暮らしていた戦災孤児を扱っている。
    3月10日の東京大空襲で親を亡くした孤児に加え、敗戦後疎開地から東京に戻ってきた学童年齢の子どもたちが、家族や親戚に引き取れた子と、不幸にも身寄りのない子に分けられ、すがる宛も住む家も失った子がたどり着いたのが上野を中心とした溜まり場だった。
    当時、誰もが喰うや食わずの生活で、他人を思いやることなどできなかった。政府もマスコミも子供のことなどかまってはいられない。
    子どもたちが自立しようにも、力もなければ宛もない。却ってパンパンと言われた女性たちが情けをかけて食べ物などを頒けてくれたという話もある。
    寒さや飢えで死ぬものも多かった。そんな極限から生き延びて、施設に入ることができ、生き延びた人の体験も綴られている。
    人生は誰にとっても過酷で、平等ではない。運命と言うにはあまりにも無惨である。
    平和なときにこそ、このような最悪を想定して対策を立てておかねばならないが、誰もがオストリッチポリシーよろしく思考停止している。
    「殷鑑遠からず」。げにウクライナ戦争の真っ最中である。

  • 戦争はいけないことだと学校の授業で教わった。
    漫画『はだしのゲン』や映画『蛍の墓』で戦争がたくさんの悲劇を生み出してしまうことも知っていた。
    でも、それは知っているような気持ちになっているだけで、実際に体験した人の本当の気持ちは何もわからない。

    路上や地下道で暮らしていた”浮浪児”の存在を自分は知らなかった。
    終戦直後に内務省が進駐軍向けにつくった”小町園”という慰安所の存在も知らなかった。
    アメ横商店街の由来となった”近藤マーケット”も知らなかった。

    きっと日本の歴史を見ていくなかで、浮浪児や小町園は負の歴史になるのだと思う。
    でも戦争が何故いけないことなのかを戦後の世代に伝えるためには、負の歴史を教えることがいちばん重要なことなんじゃないだろうか。少なくとも、負の歴史を知らなかった自分を恥ずかしく思っている。

    食糧難を乗り切るため、色んなことをする浮浪児たち。
    電車に不法乗車して東北や九州まで移動し、アメリカにまで行った人もいるらしい。
    孤児たちが集められた施設のなかには食料も乏しく、職員の暴力が横行しているような場所もあったらしい。
    自分から死を選ぶ子もいたらしい。

    (家出などで親元から飛び出してきてしまった子もいるようだけど)
    多くの浮浪児はなりたくて浮浪児になったわけではない。戦後何年経っても「ルンペン」とか「梅毒」などと差別は続いた。
    こんな悲しい歴史があるということを教えることが、戦争はいけないことだと伝える教育になるんじゃないかと思う。
    すごく勉強になった。読んでよかった。

  •  元浮浪児が当時のヤクザたちについてこう述べているのがとても印象的だった。
    「あの人たちはかっこよかった。町中の人から頼りにされていて、テキヤやヤクザが肩で風を切って歩けば、そこらじゅうの人たちが頭を下げて、『おはようございます、兄貴』なんて挨拶をする。それでいて彼らは俺のような汚れた子どもの面倒もしっかりと見てくれた。
     俺が彼らといて嬉しかったのは、仕事をくれたり、ほめてくれたりすることだった。彼らは俺みたいなガキもちゃんと信頼して『おまえならコレできるから』って仕事をくれて、ちゃんと稼いだらごほうびもくれた。それで俺ももっとがんばろうって思うようになるんだ」
     ヤクザは所詮ヤクザであって、ダフ屋行為や偽造金券その他の違法物の販売で儲けていたし、この浮浪児が与えてもらった仕事もいわゆる出し子のような、警察の手入れがあれば一番に捕まる鉄砲玉であるし、その儲けも大半が中抜きされてしまう。それでも浮浪児たちはヤクザに憧憬を抱くのである。
     一方現在ではどうか。「モンスタークレーマー」まで行かずとも、お客様は神様という言葉を曲解し、客は金を出すのだから店員は無限に傅けという態度を隠さない大人達に囲まれた子供は、働くということをどうとらえるだろうか。そんなことをふと思った。たとえばニートになってしまう人たちには、働く人たちを尊敬する習慣がないから、働くことに意欲が持てないのだろうか。
     当時の道徳観念を持たない不良少年達に人気があったのがスリで、暴力や他人に頼らず、自分の指先の技一つであっという間に大金をつかむという点で「ワルの花形」であったという。現代の概念からすれば紛れもない悪事であるが、つまりはそれが道徳観念というものである。だがそうでもしなければ生きていけないという現実もあった。

     もう一つ印象的な証言がある。浮浪児たちを迎え入れた孤児院の職員女性(創業者の娘であり、終戦当時中学生だった)の言葉である。
    「今施設で暮らしている子供って大半が家庭内暴力の犠牲者なんです。生まれた時からすでに親に存在を否定されて、何年も怒鳴られたり殴られたりして、どうしようもなくなってここへ連れて来られる。そういう子供は、人間としての根っこの部分が弱いんです。芯ができていないんですよ。愛情がどんなものかわからずに生きてきたから、自分を支えるものがない。何かあった途端にダメになっちゃう」
     戦災孤児の大半は、幼い頃には家庭で愛情をたっぷり受けて育った。浮浪児として上野に来てからも、そこで知り合った浮浪児や露天商、ヤクザ、パンパン(街娼)たちと助け合って生きてきた。一方的に助けられたのではなく、時に浮浪児たちが周囲の誰かを助けていたのである。それは愛情を、その心地よさを知っているから、周囲の見知らぬ、しかし似た境遇の人々へ愛情を向けることができたのだろう。
     もちろんただすべてを美化することはできない。窃盗や暴力は犯罪であるし、そういった行為を(やむをえないとはいえ)当たり前として生き抜いたことが、その後の人生に暗い影を落としたこともあるだろう。良心の呵責もあれば、周囲から白い目で見られることもあれば、問題の解決方法を暴力に頼ってしまうということもあるかもしれない。本書では現在の元孤児達を数人追跡調査しているが、配偶者への暴力などで離婚し、子供からも絶縁されている元孤児もいた。
    「僕は自分のことをうまく説明できないんだなぁ。思いとかをつたえられない。だからつい酒に走ったり、手を上げちゃったりするんだな」
     家庭内暴力で離婚することになった元孤児はそう語った。やはりここに重要なポイントがあると、私は改めて思った。

     ある程度稼げる浮浪児は、うまく稼げない路上の傷痍軍人に施しをして、代わりに勉強などを教えてもらったのだという。
     とあるパンパンに拾われてしばらく同居をしていた浮浪児も、やはりこの女性から勉強を教えてもらっていたと証言している。
     そして先述したヤクザの学校である。スリや詐欺といった犯罪行為だけでなく、ある程度の学業もヤクザから教わったという浮浪児がいる。

     学んで、実践して、成功すれば褒められて、失敗しても応援してくれて、次にうまく行けば一緒に喜んでくれる。そういう存在を子供達は求めていた。
     今の子供にとってそういう存在といえばテレビゲーム(今ではPCだったりスマホだったりするのだろうが)であるとよく言われる。任天堂だかどこだかの人の講演で、子供達は成功体験と繰り返しの挑戦を何より求めていると言っていたような記憶がある。かつてのヤクザ達は子供が求めるものを知り尽くしていたが、今ではそれはゲーム屋の領域である。
     確かにゲームはそれを与えてくれるかもしれないが、愛情はどうだろうか。AIやVRといった技術の進歩は、愛情をも子供に与えてくれるのだろうか。それとも愛情に代わる「芯」を、人類は見出すことができるのだろうか。

     子供を子供扱いすべきところと、子供扱いすべきでないところを、子供の立場になって考えることができているだろうか。大人の立場で都合よく使い分けていないだろうか。近年の子供にまつわるトラブルと本書の内容を照らしてみて、そんなことを考えた。

  • 今から65年前、浮浪児と呼ばれていた15歳の少年が、
    路上で自殺を図った際に遺した遺書から、この本は始まる…

    「母、母を求めて死んでいく。
    現在の私には死よりほか、苦しみを救ってくれるものはございません。(中略)

    悲しんで死んでいくのではありません。
    母を求めて私の人間らしくなかった過去の生活と立派に縁を切って、
    人間らしい心になる事が出来て死ねると言うことを、幸福におもって私は死んでいきます。
    社会のみなさまどうか私の過去を許してください」


    終戦直後、戦争孤児は約十二万人以上…
    そのうち浮浪児の数は推定三万五千人、
    多くが十四歳以下の小中学生を主とした子供とされている。

    家を、家族を失い、一人になった子供たちは
    這いつくばって生きなければならなかった。
    スリ、物乞い、物売り、売春など…
    それぞれのやり方で、彼らは生きた。

    疲れ果て、心を病み、自ら死んでいく者もいれば、
    垢まみれ、糞まみれになりながら生き続けた者もいた。

    浮浪児だった者達の証言を通して、
    壮絶な生と死の臭い、
    差別や暴力の痛みが、
    この本を閉じた後もなお、骨の中に沁みこんでくる。

    今を生きる者として、
    この事実を知るという意味と共に
    再び歩きだしてゆきたいと思う。

    必読。

  • <あの頃、上野の地下道にあふれかえっていた子どもたちはどこへ行ってしまったのか? >

    1945年3月10日未明。東京大空襲が人々を襲った。家を焼かれ、家族とはぐれ、多くの子どもたちが街をさまよい歩いた。やがて敗戦。親を失い、浮浪児となった子どもたちは、上野駅に集まり、懸命に生き延びようとした。
    これはそうした子どもたちの記録である。

    著者は発展途上国のスラム街でストリートチルドレンを追っていたこともあり、戦後、浮浪児と呼ばれた子どもたちに関心を持っていた。
    浮浪児たちはどういった経緯で例えば上野を住処とし、どのように生きる糧を得て、そしてどのようにその場を立ち去っていったのか。
    伝手を辿り、100人近い証人から、5年の歳月を掛けて聞き取り、まとめたのが本書になる。雑誌『新潮45』の連載に加筆したものである。

    太平洋戦争で生まれた戦争孤児は約12万人、浮浪児の数は推定3万5千人に上る。
    浮浪児の実態についてはほとんど記録が残っておらず、まるで歴史から抹殺されたかのように、その暮らしぶりや行方については知られていなかった。
    著者は丹念に証言を集めているが、戦後70年という歳月が経ったことを思えば、ほとんどぎりぎりの作業であっただろう。まずはその労力に敬意を表したい。

    子どもたちが上野に集まったのにはいくつか理由がある。空襲直後に焼け残った主要駅は上野くらいしかなかったこと。地下道では雨風をよけることができ、たき火をする人もいて暖かかったこと。子どもに限らず、多くの人々が集まっていたため、何やかにやと食べ物や仕事にありつくことが可能であったこと。
    不衛生ではあり、危険もあったが、子どもたちにとっては人の情けを受けることもあり、長じて「懐かしい」と感じるような場所ともなっていた。
    上野駅の近くには、戦後、ヤミ市ができる。現在のアメ横の原型である。子どもたちはそうした店の手伝いをしたり、よそで仕入れた新聞を売ったり、靴磨きをしたりと、「したたか」に「がむしゃら」に生きていく。
    もちろん、裏稼業に染まっていく子もいる。女の子(そもそも浮浪児の中で占める割合は低かったが)の場合は、手っ取り早く稼げる売春に手を染めた子も少なくない。
    時には警察の「狩り込み」が行われ、浮浪児たちは根こそぎ連れて行かれて施設に送り込まれる。ところがこうした施設の多くは、虐待があったり、満足な食事もなく働かされたりと子どもたちにとっては決して暮らしやすい場所ではなかった。施設にうんざりして逃亡し、また上野に舞い戻った子も少なくない。

    浮浪児たちの暮らしぶりに加え、アメ横成立の歴史や、当時の上野の森のいかがわしさ、また児童福祉法の施行、「篤志家」と言えるような善意の市民による養護施設の設立なども興味深い。

    騒々しくて、不衛生で、猥雑で、しかしどこか懐かしい上野の喧噪。
    戦後が遠くなるにつれ、上野から浮浪児たちの姿は消えてゆく。地下道から人々が追い出され、ヤミ市が取り締まられ、パンパンたちが検挙されるとともに、浮浪児たちは居場所を失った。
    表の歴史にはほとんど記録も残されず、あるいは感化院に送られ、あるいは孤児院に入所し、あるいは個人的伝手で商店等に住み込みで働くようになる。

    大人にとっても苛酷であっただろう終戦後の日々。親や家族の後ろ盾をなくした子どもたちは、懸命にがむしゃらに生きるしかなかった。ときには人の人情に助けられ、ときには人の汚さを直視し、ときには狡猾さも持ち、ときには仲間の子どもたちと助け合い。
    努力して会社を興した者もいる。結婚して、配偶者にも過去を知らせぬままの者もいる。殺人犯となってしまった者もいる。闇に消え、どこにいったかわからぬ者もいる。

    巻末の子どもたちの食事風景には胸を打たれる。
    ひと言で総括できる本ではないが、こうした子どもたちがいたことを忘れてはならない、と思う。

  • 戦争関係の本をいくつか読んでいたら、浮浪児の事に興味が出てこの本を手にした。とてもよくまとめられており、戦後の上野、闇市、養護施設などよく理解できた。

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著者プロフィール

1977(昭和52)年、東京生れ。国内外の文化、歴史、医療などをテーマに取材、執筆活動を行っている。ノンフィクション作品に『物乞う仏陀』『神の棄てた裸体』『絶対貧困』『遺体』『浮浪児1945-』『「鬼畜」の家』『43回の殺意』『本当の貧困の話をしよう』『こどもホスピスの奇跡』など多数。また、小説や児童書も手掛けている。

「2022年 『ルポ 自助2020-』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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