浮浪児 1945-: 戦争が生んだ子供たち

著者 :
  • 新潮社
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本棚登録 : 330
感想 : 50
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  • Amazon.co.jp ・本 (286ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784103054559

感想・レビュー・書評

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  • 一週間かけてじっくり(丁寧に)読んだ。《戦争を知らない子供達》このフレーズさえ古めかしくなった令和に生きる私達。でも戦災孤児と呼ばれた人達は紛れもなく一緒の時代を生きていた同胞だった。
    戦後の混沌とした世の中に、生きる術を持たない幼い子供が放り出され、それでもがむしゃらに生きたノンフィクションは胸を打つ。

  • 戦災孤児、という言葉は知っている。が、彼等についてのドキュメンタリー、ノンフィクション作品はその言葉の知名度の比にもならないほど少ない気がする。

    上野の地下道だって、小説や回想録で見聞きしたことはあるが、これを読むと風景がまざまざと浮かんでくる。今ではキレイに整備されてるが、通るたびに裏悲しい思いがしてならない。

  • 4.01/316
    『1945年の終戦直後、焦土と化した東京では、家も家族もなくした浮浪児が野に放り出されていた。その数、全国で3万以上。金もなければ食べ物もない。物乞い、窃盗、スリ……生きるためにあらゆることをした。時に野良犬を殺して食べ、握り飯一個と引き換えに体を売ってまで――。残された資料と当事者の証言から、元浮浪児の十字架を背負った者たちの人生を追う。戦後裏面史に切り込む問題作。』
    (「新潮社」サイトより▽)
    https://www.shinchosha.co.jp/book/132537/


    冒頭
    『ここに、今から六十五年前に書かれた子供の遺書がある。
    太平洋戦争終結から間もない頃、少年が路上で自殺を図った際に遺したものだ。当時その少年は、浮浪児と呼ばれていた。』

    『浮浪児 1945-: 戦争が生んだ子供たち』
    著者:石井 光太
    出版社 ‏: ‎新潮社
    単行本 ‏: ‎286ページ

  • 戦争はいけないことだと学校の授業で教わった。
    漫画『はだしのゲン』や映画『蛍の墓』で戦争がたくさんの悲劇を生み出してしまうことも知っていた。
    でも、それは知っているような気持ちになっているだけで、実際に体験した人の本当の気持ちは何もわからない。

    路上や地下道で暮らしていた”浮浪児”の存在を自分は知らなかった。
    終戦直後に内務省が進駐軍向けにつくった”小町園”という慰安所の存在も知らなかった。
    アメ横商店街の由来となった”近藤マーケット”も知らなかった。

    きっと日本の歴史を見ていくなかで、浮浪児や小町園は負の歴史になるのだと思う。
    でも戦争が何故いけないことなのかを戦後の世代に伝えるためには、負の歴史を教えることがいちばん重要なことなんじゃないだろうか。少なくとも、負の歴史を知らなかった自分を恥ずかしく思っている。

    食糧難を乗り切るため、色んなことをする浮浪児たち。
    電車に不法乗車して東北や九州まで移動し、アメリカにまで行った人もいるらしい。
    孤児たちが集められた施設のなかには食料も乏しく、職員の暴力が横行しているような場所もあったらしい。
    自分から死を選ぶ子もいたらしい。

    (家出などで親元から飛び出してきてしまった子もいるようだけど)
    多くの浮浪児はなりたくて浮浪児になったわけではない。戦後何年経っても「ルンペン」とか「梅毒」などと差別は続いた。
    こんな悲しい歴史があるということを教えることが、戦争はいけないことだと伝える教育になるんじゃないかと思う。
    すごく勉強になった。読んでよかった。

  • 2019/06/20読了図書館

  •  著者が(ノンフィクションでは)初めて過去の歴史に挑んだ作品だ。

     1945年3月10日の東京大空襲で親と家を失った子どもたちなど、終戦直後の焼け野原にあふれた戦災孤児たち。彼らはどのように生きのび、また死んでいったのか――。
     5年を費やして100人近くの当事者・関係者を取材し、膨大な資料を渉猟して、戦災孤児たちが歩んできた道のりをたどった労作である。

    《戦後の食べるものさえない極限の状況で、浮浪児たちは生存本能に突き動かされるようにして生きた。物乞いをし、日本各地を流浪し、残飯を食し、犬を殺し、強奪をしながらも生きのびた。(「あとがき」)》

     浮浪児たちの過酷な人生が次々と描き出されるのだが、彼らに手を差し伸べた人もたくさんいたことが随所に記されており、読んでいて救われる思いがする。

     石井光太のノンフィクションにはいつも、人目を引くドギツイ場面、エグい場面をことさら強調して書くような「癖」が感じられる。一歩間違えるとセンセーショナリズムに堕してしまう危うい「癖」であり、本書もその危うさから自由ではない。

     それでも、本書はまぎれもない力作だと思う。
     浮浪児だった人たちの大半が70代~80代となり、取材自体が困難となるなか、よく100人近くもの証言者を探し当てたものだ。そして、それらの証言と各種資料の記述を丹念につなぎ合わせ、一つの全体像を構築してみせた力量にも脱帽である。

  • これは忘れてはいけない!!ずっとずっと覚えていたい。上野駅とアメ横を世界遺産にしてほしい!!
    上野の山の影で焼け残った上野駅。地下道が残っていたので東京大空襲のあとから家を失った人たちがどんどん集まった。
    空襲のあと何日かぶりで炊き出しの食事にありつき、込み合う地下道でやっと子供1人が座れるくらいの隙間を見つけ、「回りにいる人もそんなに怖そうな人たちではなかったので」そこで眠ることにした、というもと浮浪児の記憶。普通の子供や大人が一夜にして宿無しになった様子が伝わってくる。
    道路で生活したり、バラックで共同生活したり、浮浪児も浮浪者も売春婦もみんな戦争に翻弄された。うまく食べ物がもらえなくて飢え死にしたり、ときには人の道に背いて生きること、ことごとく蔑まされることに耐えられず自殺してしまう子もいて、仲間が自殺してもそれほど驚かないくらい死が身近だった。みんな好きでたくましく生きてるわけではなく、平和に心穏やかに過ごせる方がずっと良いと思う。
    特に胸が痛むのは女の子たち。笑顔で靴磨きをする女の子の写真はかわいらしいが、多くの子が今の小学生、中学生くらいの年で売春をしていたという。子供らしく育つ日常を奪われたこの子供たち、大人たちのことをずっとずっと覚えていよう。
    上野の地下道のトンネルを「実家の壁をさわるように懐かしく手を伸ばし、この辺に寝ていたな…と思い出す」元孤児。
    上野のなるほどもたくさん。もと蔵前住民としても興味深く読んだ。
    戦後、甘いものに飢えていた人々、一大飴ブームか起こり、アメ横はほんとうに芋などから作った安物のアメ屋が競って露店を並べていた、寛永寺の通りと不忍池あたりと西郷さんの坂あたりの3エリアに売春婦がずらっと並んだ、などなど。

  • 戦後70年
    特攻隊が
    原爆が
    空襲が 、、、
    戦争の凄惨さを現すものや話は多く耳にした。
    戦争そのもの(空襲等)で亡くなった人がいる分、
    生き残っている人もいる。
    そして更にその過酷な環境の中でたくさんの人が命をおとしていったという事実。その中には当然年端もいかない子供も含まれていた事実。今まであまり考えてこなかった、その子供たちがどのように生きてきたのか。
    それが史実とインタビューとともに浮き彫りになっている。
    さらに過酷な凄惨な事実があったかもしれない。
    それでも「がむしゃら」に生きてきた人達の姿がある。

    悲しいのが、児童養護施設の子供達の移り変わりの様子。
    戦後は震災孤児が大半を占めていた中で、
    現在は虐待やネグレクトが理由で入所する子供も多い。
    児童養護施設を60年以上運営してきた方の言葉。

    「生まれた時からすでに親に存在を否定されて、何年も怒鳴られたり殴られたりして、どうしようもなくなってここへ釣れてこられる。そういう子供は、人間としての根っこの部分が弱いんです、芯が出来ていないんです。愛情がどんなものかわからずに生きてきたから、自分を支える物がない。何かあったら途端にダメになっちゃう」中略「震災孤児は空襲で両親が死ぬまでは普通の家庭で周りに愛され育ってきた。だから、人間としての根っこがしっかりしているんです。
    ー中略
    家庭の愛情じゃなくたっていいんです、友人や見知らぬ大人からでもいいかた、子供時代に多くの愛情をきちんと受けてきた記憶があるかどうかということが大切なんですよ。」

    多くの人に読まれてほしい1冊。
    戦後、過酷な環境、時代の大きな変遷の中で確かに生きてきた人達がいるという事実。そして同時にその中で命を落とした人もいるという事実。

    20141年8月10日
    新潮社

  • 戦後70年、知らないことがたくさんある。
    戦争を生き延びた人々の高齢化、急がなくては…。
    日本という国の礎、それは、たくさんの人の犠牲のもとに作られている。何もできなくても、知ることは大切

  • 戦争が終わって70年くらい。
    戦後すぐは東京は焼け野はらで上野駅には戦争孤児や傷痍軍人や娼婦らで溢れていたという。今では実感として感じることはとてもできない惨状がつい70年前にあり、その頃生きてた人もわずかだけど今もまだ生きている。

    飛行機で海外を飛び回ったり、スマホやタブレットでクールにビジネスをこなし、英語を話すのも多いに結構だし自分もかくありたいとは思うが、日本がついこの間経験したことをなかったようにはしたくないと思える一冊でした。

著者プロフィール

1977(昭和52)年、東京生れ。国内外の文化、歴史、医療などをテーマに取材、執筆活動を行っている。ノンフィクション作品に『物乞う仏陀』『神の棄てた裸体』『絶対貧困』『遺体』『浮浪児1945-』『「鬼畜」の家』『43回の殺意』『本当の貧困の話をしよう』『こどもホスピスの奇跡』など多数。また、小説や児童書も手掛けている。

「2022年 『ルポ 自助2020-』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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