反哲学入門

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  • Amazon.co.jp ・本 (237ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784103061311

感想・レビュー・書評

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  • 内容的には、単なる「哲学史」の紹介のようなものであるが、
    本書における視点は「反哲学」であり、軸となる主題が最後に語られているニーチェとハイデガー。

    「哲学」は、つまりソクラテス・プラトン以降のギリシア的な思考方法。
    西洋文明の形の「破壊」(Destorktion)、つまり取り去ることを試みたのがニーチェ、ハイデガーだというのです。

    単なる「哲学史」の紹介ではなく、「反哲学」に至るまでの歴史を若干シニカルな見方で筋を通してその俯瞰図を叙述しているのが非常に面白い。

    まえがきに、死に直面した筆者の体験や、彼の人生が語られているのはなかなか興味深いものでした。

  • 以前に,ざっと西洋哲学の流れを把握したくて購入しました。ちょっと,哲学関連の本を読もうかと思い,復習をかねて再読しました。

  • ギリシャで始まる哲学は大自然そのものではなく、それを上から俯瞰する超自然的原理(存在)を必要とした。それをプラトンはイデアと呼び、アリストテレスは純粋形相、キリスト教神学は神、デカルトは理性、ヘーゲルは精神、と名付けた。
    つまり自然を支配している何らかの理があるということだろう。
    物理学も宗教も芸術ですら同じものを違う角度から探しているといえし、頂上に近づくことがあれば、どこから登り始めようとお互いに紙一重の所まで近づくことになり、無限先の最後には同じ場所に立つことになる。

    ソクラテスは人間が「知」を所有することはできないと否定し、自分にあるのは知へのあこがれだけだと言い切ったのだそうだ。これは他の偉そうにしている先生たちへの牽制球でもあったらしいが、視野を広くすれば答えに永遠にたどり着けないことを考えれば、その普遍性は根本的で実に大きな考えだと言わざるをえない。
    ソクラテスからヘーゲルまでの超自然的立場をとる哲学と、それ以前の思考とそれ以後のニーチェからの哲学は現実の複雑な自然界に即したもので、視点が違う別としてとらえる必要があるという。

    ギリシャ語のソフィアが哲学の言語で、その意味は「知識あるいは知恵を愛すること」なのだそうだ。
    日本でも最初は「希哲学」と名付けられたものの、後に愛の意を取って哲学と呼ばれるようになったようです。ここで意味がだいぶ違ってしまったということです。
    ピタゴラスは曰く、この世では商人のように金銭を愛する人と、軍人やスポーツ選手のように名誉を愛しる人と、学者のように知識を愛する人がいるとのことですが、私はもう一つ真理の探究を愛する人を加えたい。
    前の三つは結果を愛する人たちで、最後に加えた一つはプロセスを愛する人で、この二つに集約して分けることの方がわかりやすいように思える。
    更に結果を愛するということは物欲であって無限である無償の「愛」というよりも、個人的利益を含んだ「情」と呼び分ける方が誤解を招かないと思う。
    例えばドイツの哲学者であるオイゲンヘリゲルが、仙台だったかで出会った弓道も禅も後者の部類であろう。

    江戸では自然界に基づく朱子学の儒教思想から人間中心の徂徠学に移行していく様を、人情に基づく共同体と利益などの目的に基づく作為的な結社や社会との違いを、郷党的統治と官僚制とに区別している。これは西洋の超自然的原理から自然的原理への移行と相似だといえるだろう。
    1914年生まれの丸山真男さん曰く、神話にはユダヤ・キリスト教のように作為的な創造者によって目的をもった社会が「つくられた」というものと、中国や日本のように神々の生殖行為でこの世が「うまれた」というものと、神秘的な霊力の作用で「なった」とする三つのパターンがあると言う。
    この「つくる」「うむ」「なる」のうち、日本はどちらかといえば「なる」という発想に支配されがちな民族だという。

  • ・ソクラテス→プラトン→アリストテレス→カント→ヘーゲル→デカルト→ニーチェ→ハイデガーという流れで西洋哲学(”ある”ということ、超自然思考など??)の考え方が平易に書かれていた。
    ・世界史を勉強するような感じで楽しく読めた。
    ・とても分かりやすいかかれ方だけど、哲学は難しい・・・と改めて感じた。
    ・もっとこの人の書いた本を読んでみたいと思った。
    ・禅の本もいろいろ読んだけど。もうちょっと違いや関係を整理してみたい。
    ・例のマイケルサンデル先生の講義も哲学(政治)なはずなので、ちゃんとTVを見て改めて勉強したい。

  • 木田元が哲学を一般の人にも分かり易いように平易に書いた本ということですが、やはり哲学は難しかったです。哲学という日本語自体が誤訳であるというのは新鮮でしたが、それでは何と言えばしっくりくるのかと言うとそんな言葉は見当たらないので、結局”哲学”を使うしかないのでしょう。西洋の思想である哲学を東洋人(日本人)が理解するのは不可能だということだけは理解できました。

  • 「誰もが聖書を読むために」で今まで何となく分かっていたつもりのキリスト教に対する西洋人の考え方がわかった。所詮は宗教と思っていたが、この本を読んで考えを再度改めねばならない。哲学は様々な学問を生み出したものであったが、宗教の下地となっているとは。
    ハイデガーも言葉のほうが存在よりも、ヒトよりも先としており、言葉に重きを置いている。言葉があるということを突き詰めていくのが西洋の考え方なのか。

    第1章 哲学は欧米人だけの思考法である
    第2章 古代ギリシアで起こったこと
    第3章 哲学とキリスト教の深い関係
    第4章 近代哲学の展開
    第5章 「反哲学」の誕生
    第6章 ハイデガーの二十世紀

  • 本書は、同郷である木田元先生が書かれた著書である。私は、御存知の通り大学を出ていないため、哲学に対する予備知識は持ち合わせておらず、この著書の前にカントの「純粋理性批判」入門ぐらいしか読んでおらず、哲学者って何を考えているのか分からないという感じではあった。

    ところが、この木田先生の著書では、ソクラテスからハイデガーまでを230p足らずで一足飛びに説明を掛けてくるのである。芦田先生(@HironaoAshida)からは木田先生はハイデガーを分かっていないとか言われそうですけど、、、(苦笑)

    哲学書は原書を読めとよく哲学TL上では語られている理由が良くわかります。なぜかと言うと、この類の要約本では、その原著で使われる単語をそのまま意訳してしまい、本来の意味から逸脱してしまうからです。つまり、英語もまともに話せもしない教師が、間違った解釈で中学生に教えるものだから、大人になっても英語を話せない大人が腐るほどいる状態と同じなわけですね。こんなのが、木田先生も書いていましたが数十年間も続くいていたとあります。

    カントにしても、ア・プリオリが先天的に得たもので、理性的にそれを語ることはできないのかはわかりませんけれども、少なくとも、芦田先生が仰る通り、女性ならば絶対と言っていいほどこの問題には悩まないでしょう。

    なぜならば、この哲学の根本論は「何故自分たちはいまここに存在し、そして、めのまえにあるものはあるのだろうか?」という微分の最果てを見ているからだと思いました。女性からすれば、そんな微分の最果てなどどうでも良いことなのです。それよりも、私はいまここにいて、次にスべきことはこれなのよ、何あなたはぐずぐずしているの!となるわけです。

    カントが生涯独身だったのも理解できますし、プラトンが政治に介入して失敗したのも頷けます。彼等には未来が無い。ご飯をどのように食べればよいかをしらないからです。

    そもそも論として、哲学とは間違った当て字であって、本来は超自然学とすべきだというのは、理解できました。形而上学という小難しい言い方も、もっとシンプルにできたはずだというのです。日本人の矜持にマッチしたんでしょうね。

    ただ、西洋人の感性以外でこのフィロソフィーというものを理解するのは大変かもしれない、それは読んでいて確かに感じました。簡単に言うと、私の中に流れる儒教的な仏教的な教えが哲学を半ば否定というか、それを超越してしまっているわけですから、東洋人には特に哲学は理解し難いのだと思います。

    古代ギリシアの歴史から脈々と受け継がれてきた哲学という学問に終りは無く、永遠をさまようわけですが、銀河ヒッチハイクガイドの様に42という答えが出せれば良いのですけれどね。

    ただ、どの学問を見ても、全ては歴史の上に立っていて、人の営みをなくして学問もまた成り立たないと言うことが分かります。ですから、経済学にしてもあくまで人の積みあげたロールモデルの一つであり、答えではないというベストプラクティス論を常に持ち続けることが、重要なのでしょうね。

  • 中断。思ったより難しい。

  • 池田信夫blog(09,07,18)

  • 哲学を勉強することは勧めない
    作者の姿勢が笑えます。

    哲学の本なのに
    文章が読みやすいのがいいです。

    今まで考えてた哲学の内容が
    ガラガラと崩れていきました。
    目からウロコ本です。

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著者プロフィール

中央大学文学部教授

「1993年 『哲学の探求』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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