シズコさん

著者 :
  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (238ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784103068419

作品紹介・あらすじ

あの頃、私は母さんがいつかおばあさんになるなんて、思いもしなかった。ずっと母さんを好きでなかった娘が、はじめて書いた母との愛憎。

感想・レビュー・書評

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  • 「私は母が嫌いでした」
    自分に鞭打つ様に何度も同じ言葉を繰り返し、
    刃でその身を傷つけ続ける様なエピソードを綴る。

    その思いからは同情や共感を得たい気持ちは微塵も感じられ無かった。
    ただひたすら、本当は尊敬してるのに、大好きなのに、それを認めたくない自分をズタボロにしてやろう、自分が生きている内に、<嫌い>という思いに逃げる事しか出来なかった本音と向き合うんだ、という切ない気持ちしか伝わって来なかった。

    呆けてしまった親の面倒をみれず、施設に預ける事を「親を見捨てた」と表現する洋子さん。
    老人ホームにつきまとう、そんな暗いイメージを払拭する様な眩く煌めく様な素敵なエピソードがあったので、記しておこう。

    彼女が大好きだった父の親友、渡辺先生の奥さんも、先生が亡くなった後、施設に入ったらしい。
    その時交わした、彼女の言葉。

    「私、入れられちゃったのよ。子供達に無理やり。
    本当にこんなところ嫌だわ。馬鹿げたところよ。
    時間がすぐに細切れになってしまう。
    おやつだ、ごはんだ、折り紙だって、子供じゃあるまいし、馬鹿になってしまう。」

    「私がんばるわよ、こんなところでも。洋子ちゃんもがんばりなさい」

    文学への熱情燃える、素敵な奥様の言葉に、どんな場所にいても心の拠り所がある人は幸せだ。
    年をとっても呆ける事の無い熱情、って本当に素敵と思った。

    佐野さんの周りにいたこんな人達が彼女に、書かねばならないこの本を書かせてくれたんだな、と感じた。

  • 「私は母さんが嫌いだった」 
    「母を捨てた」と幾度も書き連ねながら

    老人ホームの部屋で眠っている母のベッドに子どものようにもぐりこみ
    母を置いて家に帰る車の中で延々と泣き続け

    虐待を受けていた小学生の頃、たった一度だけ水汲みのあとに
    母がくれたトマトの大きさと赤さをいつまでも忘れられず

    誰にも絶対に「ありがとう」と「ごめんなさい」を言わなかった母は
    呆けてから「ごめんなさいとありがとう」のバケツを開けて
    使われないままバケツいっぱいに残っていた「ごめんなさい」と「ありがとう」を
    ひしゃくでふりまくようになったのだ、神様、母さんを呆けさせてくれてありがとう
    と書く佐野洋子さんを、ただただ抱きしめたくなる。

    シズコさんが亡くなった時に泣いた覚えがないという佐野さんの心の中には
    『100万回生きたねこ』の、白猫を喪って身も世もなく泣いていたあのねこが
    幼いころから棲みついて、佐野さんのかわりに泣いてくれているような気がする。

    童話を残酷なまでに研ぎ澄ました感覚で再構築した『嘘ばっか』などの作品で
    ドライで切れ味のいい文章を操っていた佐野さんが
    この『シズコさん』では、大きなキャンバスに、下絵もなく、構図も考えず、
    心から迸るままに思いの丈をかたちにして
    描きなぐった絵のような執筆ぶりであることが、かえって胸を打って

    文脈が乱れていても、同じような描写が繰り返されても
    心ない校正を入れることなく、そのまま本にしてくれた
    新潮社の編集の方々に、深い尊敬を抱かずにいられない、魂に響く本です。

  • は母と娘の関係http://www.amazon.co.jp/%E6%AF%8D%E5%A8%98%E5%95%8F%E9%A1%8C/lm/R1JUUMN4MGNIN8についての本やTV番組をよく見ます。

    この問題は戦後生まれのことかと思っていました。
    佐野洋子さんは昭和13年生まれなので「おや?」と思い読んでみました。
    それによると、お母さんは戦後の民主主義で変わっていったようですね。

    母親との関係に悩む女性に、読んでいただきたいと思います。
    実に正直な文章です。

    ただ、ここに書き残したいことがあります。以下、引用。

    >そして十二歳年下の妹を私はペットのように愛玩したのである。どこに行くにも自転車に乗せて行った。午後から雨が降ると午後の授業をさぼって幼稚園の妹を傘を持って迎えに行った。セーターにもワンピースにも刺繍をしてやった。幼稚園の遠足の弁当まで作った。しかし妹は何も覚えていない。240円入った私の財布を自転車から落とした時私が怒った事と、荷台に乗っていた妹の足がスポークの間に入ったのにすぐ気がつかなくて、ものすごく足が痛かった事だけ覚えている。
    人間は正しくない。

  • ☆五つどころか、十個くらいあげたい作品である。
    シズコさんというのは佐野さんの母親の名前。
    これを読む方はほとんどが佐野さんのファンの方かもしれないので、
    たぶん母親の愛情をなかなか得られなかった佐野さんに同情するだろう。
    子、子たらずとも、親、親たれ。そんな言葉を思い出す。
    だが、シズコさんにとっての最大の不幸は、佐野さんが娘だったことかもしれない。
    極貧の暮らしでも、常に子どもたちと自分とを身綺麗にして、家の中もすっきりと掃除して、
    何よりも料理上手のやりくり上手で、人付き合いもうまかった。
    しかも成人後の佐野さんに、ほとんど干渉していない。
    これだけ揃う母親など、現代でもなかなか存在しない。
    だが佐野さんは、自分に愛情をかけてくれる情の深い母親を求めていた。
    そして、実に長い反抗期に及ぶのである。

    その相性の悪さが、読んでいてとてもとても切なく苦しい。
    自らを傷つけ、その中でもがいて強くなったのだとしても、なんと長い回り道だったのだろう。
    あの時代に、ゆっくりと我が子を愛でる暇など、日本中のどの母親にもなかったことだろう。
    「家事手伝い」などはごくごく当たり前のことで、それも手伝いなどという中途半端さはなく、5歳でも7歳でも、それなりの仕事の精度は求められたのである。
    上手くいかなければ叱咤されるのも当然のこと。

    「ありがとう、良く出来たね、エライね」などと現代のような見せかけの優しさなどどこにもなかったのである。
    だが、それが佐野さんに理解できるようになるには、相当の時間を要したのだ。
    認知症になった母親に添い寝しながら、ごめんね、と謝る場面では、号泣ものである。
    そんな佐野さんも鬼籍に入った。
    ひとは、生きているうちに感謝も謝罪もちゃんと伝えたいものだよね。
    「ふつうがえらい」とは、もしやこのシズコさんのことかと思う。
    シズコさんは佐野さんのおかげで、永遠に作品の中に残っている。
    ぽっくり亡くなったりしなくて良かったね、シズコさん。佐野さんに、あなたがどんなひとで、どんな人生を送ってきたのかを、ちゃんと考える時間が出来たのだもの。

    肉親のことを包み隠さず書くのは、非常に辛いものがあったのだろう。
    いつもの小気味の良い佐野さんとは変わって、同じ文章が繰り返し登場したり、文脈も乱れていたりする。
    それがまた一層のリアリティを生んでいるのが切ない。おすすめの一冊です。

    • まろんさん
      はじめまして。フォローしていただいて、ありがとうございます!まろんです。

      この本を、佐野洋子さんではなくシズコさんの目線で読めるなんて!
      ...
      はじめまして。フォローしていただいて、ありがとうございます!まろんです。

      この本を、佐野洋子さんではなくシズコさんの目線で読めるなんて!
      すごいなぁ、と、ただただ感動しました。
      愛されたい佐野さんと、大変なご時世にあって
      子供たちを生かし続けるだけで精一杯のシズコさん、
      ふたりの相性の悪さが招いた苦しみなのだ、という見方に目から鱗がぽろっと落ちた気がしました。

      nejidonさんは、猫10匹と同居しながら読み聞かせをなさっているんですね。素敵です!
      本棚も鋭いレビューも、楽しみにしていますので
      どうぞよろしくお願いします(*^_^*)
      2013/02/25
    • nejidonさん
      まろんさん、おはようございます。
      拙いレビューにコメントしてくださって、ありがとうございます。
      今頃のお返事になってしまって、びっくりされて...
      まろんさん、おはようございます。
      拙いレビューにコメントしてくださって、ありがとうございます。
      今頃のお返事になってしまって、びっくりされているでしょうね。
      実は・・お返事のしかたがずううっと分かりませんでした。ええ、本当なんです。
      てっきり「返信」という文字があるものと思い、探していたのです。
      でも見つからないので、ああブクログにはその機能はないのだと、諦めていたのです。
      そしたら先日、まろんさんのところでコメントしたらお返事が・・・・・!!!
      まぁ、すごいショックでしたわ(笑)
      しばらく「じぃぃぃぃぃ・・・・ん」と感動して、今平常心に戻ってお返事を書いています。

      「シズコさん」は、今娘が読んでいます。
      さてどんな感想を寄せてくれるのでしょうね。
      怖いような楽しみなような。
      まろんさんは今日も読書道を進んでいらっしゃいますか?
      また丁寧なレビューを楽しみによませていただきますね。
      2013/03/08
  • 佐野さん自身が老いと病の中で搾り出すように綴った文。
    かつての、切れ味鋭い佐野さんではなくて、一人の「娘」としての佐野さんが、ずっと分かり合えなかったお母様へ向けたまなざし。

    「しつけ」と「虐待」の境目が曖昧だった時代、お母様の愛情は常に弟に注がれていて、自分はその分お父様に愛されたと感じていた佐野さん。幼い弟を背に、水汲み、洗濯に駆け回り、それでもお母様から優しい言葉はかけてもらえず・・・

    母を嫌いだ、愛せなかったと、言いながら、子供のことただ一度もらったトマトのことを忘れられず、老人ホームの母の布団の中に潜り込み、その手をさすっている佐野さん。
    母を棄てた、その代償に高いお金をホームに払っていると言いながら、「かあさん、かわいいね。もてたでしょう」とその頬をなでる佐野さん。

    決して口にしなかったありがとうとごめんなさいを、「バケツでぶちまける様に」言いまくるようになり、子どもを産んだことはないと言い、仏さまのように柔和になったその人を前に「神様ありがとう」と感謝し、初めてお母様に触れるようになった佐野さん。

    認知症はその人がその人でなくなる恐ろしい病気だと思っていたけれど、それによって許し合える関係もあるのだろう。
    作家の角田光代さんが2008年8月「波」に「ゆるされ、ゆるす」と書かれたように。

    この本を書き上げた2年後、佐野洋子さんは亡くなられた。
    今年もたくさんの著名人が亡くなった。中村勘三郎さん、大滝秀治さん、森光子さん・・・

    誰も死を避けては通れないけど、彼らが遺してくれたものにまた、救われる人もいるだろう。

    • まろんさん
      もう、上手下手を通り越して、胸に響く本でした。
      「老いと病の中で絞り出すように綴った」。。。さすがhetarebooksさん!
      これ以上ない...
      もう、上手下手を通り越して、胸に響く本でした。
      「老いと病の中で絞り出すように綴った」。。。さすがhetarebooksさん!
      これ以上ないくらいぴったりな表現だと思います。

      ずっとずっと年上の方なのに、この本を読むと
      ぎゅうっと抱きしめてあげたくてたまらなくなりますよね。
      佐野洋子さん、いまごろ、空の上のトマト畑で
      おかあさんと並んで、トマトにむしゃむしゃかぶりついていたらいいなぁ。
      2012/12/18
    • hetarebooksさん
      まろんさん

      まろんさんのレビューを読むまで、お母様のことを綴った本ということも知らずにいた本です。そう、上手下手で言うなら他にもっとあ...
      まろんさん

      まろんさんのレビューを読むまで、お母様のことを綴った本ということも知らずにいた本です。そう、上手下手で言うなら他にもっとあると思いますが、乱れている文の中に「佐野洋子」ではなく一人の人間としてのお母様への想いを感じますよね。

      本当に、ずっとずっとお母様に認めてほしくて、褒めてほしくて、愛してほしかった小さな子供の佐野さんが目に浮かんできます。
      うんうん、きっと今頃は仲良くトマトを食べながら「男なんてさ・・・」なんて話されてますよ。
      2012/12/19
  • 評価に悩む良作。

    佐野洋子さんが母親との関係を記しておきたかったと言うことが伝わってくる。
    それが決して、理想の親子関係でなかったとしても。家族の生きた証として、作家として、残しておかねばと言う気持ちがあったのだと思う。

    満州から戻って来た家族。成人になる前に命を失った兄弟。希薄な親の愛。
    佐野さん世代の両親を持つ身としては、色んな意味で興味深く読ませて頂きました。

    読む価値は十分あった一冊です。

  • 絵本以外で 初めて佐野さんの本を読みました。最初は自分の娘を愛さない酷い母親との葛藤が書かれていていたのですが 母親が嫁に追い出され 娘の自分の所に来て やがて痴呆になっていく。たんたんと語られていくが いつしか惚けてかわいくなっていく母を許し感謝をしていく姿に感動しました。

  • 佐野洋子さんが子どものころ、母親はとてもとても厳しかった。戦後の民主主義化のせいか、佐野さんが自分の夫に似ていたせいか、母親は佐野さんに辛く当たり、佐野さんも母親を愛さなかった。

    年老いて呆けた母親を老人ホームに入ることになり、佐野さんは泣く。戦後の厳しいころを息抜き、夫が死んだ後も四人の子どもを立派に育てた母親を思い、佐野さんは自責の念に駆られる。

    母親の身体をさすり、母親のベッドに潜り込む佐野さん。あんなに嫌いだった母親が呆けたら可愛い存在になってしまった。

    死なない人はいない。火葬されて骨になった母親を佐野さんは思い返す。

    -----------------------------------------------

    名作だった。
    厳しかった母親との苦々しい思い出たちと、認知症になり愛おしい存在になってしまった現在の母親。
    母親が嫌悪していた知的障害の妹と弟のことや、息子の嫁との同居でつらい思いをした母親のこと。いろんな事情があって、それらを繰り返し思い返すから同じエピソードが何度も書かれたりしていた。記憶ってこういうものだよなあ、と感じた。

    みんないずれ死ぬ。病気などでだんだんと衰えていく人もいれば、唐突に逝ってしまう人もいる。死なない人はいない。
    何かを残せる人、記憶に残る人、いろんなものが残るけれど、それもやがて無くなる。じゃあ、なんのために生きてるんだって話になってしまうが、そんなことを考えて答えはみつけられないまま、やがて自分も死んでいくんだろう。思い通りにできることなんてほとんどない。

  • 著者の「私の息子はサルだった」を読み、著者に興味を持ち、同書を読み始める。
    親子の関係は、様々だが、そこには、やはり血を分けた、切っても切れない関係、愛も憎さも人一倍の深さがあり、愛情、優しさ、悲しさ、淋しさ等の感情の深層には、親や子供との交感から得たものがあるのではないかと思う。
    著者は、自分は父親に似ていると書いているが、著者こそ母親似ではないかと思う。
    著者は、母親がずーと嫌いだったと書くも、母親の愛情を受けたいと心深く思っている様や母親が呆けて死に至るまでが、二人にとって最も幸せな時間であったと追憶している様が哀しく、これこそが親子の関係の証左だと思う。
    自分の親や兄弟のことを考えながら、つれづれ思いを馳せました。

  • 親子といえども相性があるのかもしれない。
    母親に優しくできない自分を責める。
    自分に重なる部分もあり、そんな著者の気持ちもわかるような気もする。

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著者プロフィール

1938年、北京生まれ。絵本作家。ベストセラー『100万回生きたねこ』のほか『おじさんのかさ』、『ねえ とうさん』(日本絵本賞/小学館児童出版文化賞)など多数の絵本をのこした。
主なエッセイ集に、『私はそうは思わない』、『ふつうがえらい』、『シズコさん』、『神も仏もありませぬ』(小林秀雄賞)、『死ぬ気まんまん』などがある。
2010年11月逝去。

「2021年 『佐野洋子とっておき作品集』 で使われていた紹介文から引用しています。」

佐野洋子の作品

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