私の息子はサルだった

著者 :
  • 新潮社
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本棚登録 : 207
レビュー : 36
  • Amazon.co.jp ・本 (124ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784103068426

作品紹介・あらすじ

サルのようにおたけびを上げている息子は、どんな大人になるのだろうか。私は疑いもなく子供を愛しているが、その愛が充分で、適切であるかどうか、うろたえる。誰が見てもいい子ではない。学校で一日五回も立たされる。ただ、大人になった時、愛する者を見守り、心に寄りそってやって欲しいと思う――。『100万回生きたねこ』『シズコさん』の著者が自らの子供を見つめて描く、心暖まる物語。

感想・レビュー・書評

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  • 『「あたり。じゃあぼくがボールをすなばにかくしたか」「かくした」「あたり。ねえ、どうしてわかるの。』

    書き付けて置きたくて書いた文章。その前のめりな愛情が放っておいても勝手に押し寄せてくる。佐野洋子の吐くうそもほんともみんな交ざって白黒の世界に素晴らしく綺麗な彩りを添える。それだけで文句はない。もちろん、当事者は別の感想を抱くのだろうけれど。

    佐野洋子の文章を前にすると、言いたいことがたくさん湧いてくるような気持ちにたちまちなるのだけれど、そのくせ書き始めようとすると一向に言葉が出てこない。もどかしい。けれど実はそれをもどかしいと言ってしまうのは少しばかりお門違いでもある。何故ならば言いたいことというのは、きっと、佐野洋子の書いた文章についてではなくて、佐野洋子の文章を読んであれこれと思い出したことなのだから。思い返してみると、いつもそうだったようにも思えてくる。

    サッシではなく硝子の障子があって、その向こうには濡れ縁があって、そのまた向こうには焚き火のできる土の庭と何本もの果樹があって。砂利道の凸凹や、勝手に遊べる空き地や、そして何よりも近所の遊び友達。友達と言ったって、歳も通う学校もばらばらで名前の知らない友達もたくさんいて、多少の悪さもしたけれど何だか色んなことを学んだ気もする。そう言えば、鳩をもらって育てたこともあったっけ。秘密基地を作る場所にも不自由しなかった。

    そんな書いてあることとは関係のない思い出が次々と浮かんで来て、不思議な感慨に耽る。自分のことではない筈なのに、いつの間にか主人公のケンに自分の思い出を重ねて読んでいる。そして本の中で佐野洋子を通してあの時代の親の気持ちに触れたような気にもなる。もちろん、細かいちぐはぐはあるけれど、そんなことは全く気にもならない。無垢な幸せとでも言ったらよいような心持ちを思い出す。もちろん、楽しい思い出ばかりとは限らない。あの時感じた淋しさや悲しさも同時に溢れ出してくる。そして、佐野洋子に昔自分がやった悪さをずばり指摘されてびくりとする。ねえ、佐野さん、どうしてわかるの?

  • まさにおサルさんのような佐野さんの息子と友人たちの行状に笑いながら読んできて、最後にガツンとやられる。

    「何でもやってくれと思う。子供時代を充分子供として過ごしてくれたらそれでいい。悲しいこともうれしいことも人をうらむことも、意地の悪いことも充分やってほしい。  そして大人になった時、愛する者に、君は何を見ているのだと他者の心に寄りそってやってほしいと思う」

    佐野さんにこんな「遺言」があったのだ。ここに収められているのは、息子の「げんちゃん」がもう自分のことは書くなと怒ってから、発表されることなく原稿用紙に書きためられていたものだそうだ。「あとがきのかわり」として、息子さんがこうして本にしてもいいという気持ちになった心の動きを綴っている。これが実にいい。

    十代の終わりの頃「あら、あなたがげんちゃん?」と知らないおばさんに腕をつかまれて、凄い顔でにらんだことがあったそうだ。自分の知らない人が、自分のことを読んで知っている。しかもそれは「少しの大袈裟と嘘を好き勝手にちりばめ」たもの。不愉快で当たり前だ。

    「もしかしたら僕から見た大袈裟と嘘が、彼女の中ではすべて真実なのかもしれない」「全く同時に違う体験をしていたのかも知れない。そうか。そうかもな」という洞察に至るまでには、かなり時間が流れたことだろう。「そろそろいいか。許してやろう。今だったら知らないおばさんとも仲良くできそうな気がするし」という言葉が胸にしみた。一番いいのが最後の一行。さすが佐野洋子の息子だなあと晴れ晴れとした気持ちになる。

    「僕にはもっともっと楽しくて美しい、佐野洋子が知らない僕だけの『ケン』の思い出がある」

  • 主に保育園から中学生の息子との日々の一場面を描いたエッセイ。

    発表されたのは入院中の愛犬(よく出てくる柴犬とダックスフントのミックスの花子)をめぐる息子とのいさかいを書いた「点滴」のみ。これが一番完成度が高いと思った。他は発表されなかったということは、作品としていまいちと考えたのか、息子に「オレのことを書くな」と言われて発表しなかったのか、どっちもなのか定かでないが、男子のバカさと可愛さがイキイキとしていて、それでいて親の切なさも伝わり、なかなかよかった。まあ、まとめて読んだから子どもの成長がわかって余計にそう思うのかも。ひとつひとつバラバラに読んだら、ちょっと物足りないかもしれない。
    それでも、何気ない日常のヒトコマを短くさっぱりした平易な文で、ここまで情感豊かに書ける人はそうそういないと思う。「あ、あっあ」なんて会話だけで書かれているのに、友達が欲しい女の子の気持ちだけでなく、同じくらいの年の息子に語る大人の気持ちまで読み取れて、ぐっとくる。

    佐野洋子の文章のうまさは、天才的。
    もう新しい文章が読めないのは残念だ。

  • 人生

  • 自分のことをエッセイに書かないでくれ、という息子さん(カバー絵を描いている広瀬玄さん)の願いに従って発表されず、死後に発見された原稿。広瀬玄さんの後書きがいいですね。

  • “私の子供が愛情深い子供かどうかわからない。
    もしも優しくない子供だったら、私の優しさが足りないのかも知れないと思うと、私は自分が、優しい人間であるかどうか、ほとんど自信がない。
    私はうたがいもなく子供を愛しているが、その愛が充分で、適切であるかどうか、うろたえる。”(p,122)


    佐野洋子でさえうろたえていたんならわたし風情がうろたえまくるのも無理ないな。
    優しさのことで揺れる気持ちにもすごく共感した。わたしも育児に限らず自分の優しさを疑わなきゃならないような場面がたくさんあるし、それが子どもたちを歪めてしまわないかという不安も常にあるから。

  • 佐野洋子さんの没後に見つかった未発表原稿を中心に、息子の広瀬弦さんが編集したもの。収録作品の主人公は弦さん、つまり幼い頃から思春期くらいまでの息子の日々を描いたもの。
    佐野洋子さんってぶっ飛んでる女性という印象でいたんだけど、読んでみると母らしい母の面もあるんだなと、正直なところ驚き。これでいいのかなと思ったり不安や迷いもあり、また息子を信じ直したり見直したりの連続。何だか、息子だからこういう思いを抱くのだろうなと思ったりも(娘だったら同じように思うだろうか)。
    未発表原稿だったわけだけど、佐野洋子さんはどうして世に出さなかったのだろう。弦さんは、自分のことを書くなと言ったからじゃないかと「あとがきのかわり」に書いているけど……。
    最後に収められている「愛する者」の締めくくりの一文が素敵だ。以下の通り。
     
    何でもやってくれと思う。子供時代を充分子供として過ごしてくれたらそれでいい。悲しいこともうれしいことも人をうらやむことも、意地の悪いことも充分やってほしい。
     そして大人になった時、愛する者に、君は何を見ているのだと他者の心に寄りそってやって欲しいと思う。

  • 直前に読み終わった「ポイズンドーター・ホーリーマザー」へのアンサーか、とも思える部分を引用。
    *
    『何でもやってくれと思う。子供時代を充分子供として過ごしてくれたらそれでいい。悲しいこともうれしいことも人をうらむことも、意地の悪いことも充分にやってほしい。
    そして大人になった時、愛する者に、君は何を見ているのだと他者の心に寄りそってやって欲しいと思う。』

  • 本文からのあとがきが秀逸。

  • 私は疑いもなく子供を愛しているが、その愛が充分で、適切であるかどうか、うろたえる。

    作者のこの言葉は、全ての母親の気持ちなのではないか。
    生き生きと、息子の幼少期を切り取る作者。あなたの作品に登場したくないと、息子は母に言うが、今になって、もっと書かせてやれば良かった、と振り返る。

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著者プロフィール

さの・ようこ――1938年、中国・北京で生まれ、終戦後、日本に引き揚げました。1958年、武蔵野美術大学に入学。1967年、ベルリン造形大学でリトグラフを学びます。著書の絵本では、ロングセラーとなった『100万回生きたねこ』(講談社)や第8回講談社出版文化賞絵本賞を受賞した『わたしのぼうし』(ポプラ社)ほかがあります。童話にも、『わたしが妹だったとき』(偕成社)第1回新美南吉児童文学賞受賞作などがあり、そのほかに『ふつうがえらい』(新潮文庫)をはじめとするエッセイも執筆、『神も仏もありませぬ』(ちくま文庫)では第3回小林秀雄賞を受賞しました。2003年、紫綬褒章受章。2010年、永眠。享年72。

「2018年 『ヨーコさんの“言葉” じゃ、どうする』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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